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親が連れ子有り同士で再婚したから、早く家を出て自立したかった。
だから大学進学と同時に一人暮らしを始めた。

親子仲や兄弟仲は悪くはないけど、仲良しとも言い難い。
まだお互いに遠慮する気持ちが残っているせいだと思う。
感謝はしているが、本当の“家族”になれるかはまた別の問題だ。

幸いというか、大学生活は勉強とアルバイトで忙しく、悩んでいる時間はなかった。
社会人になってた今もそれはあまり変わらない。
仕事に慣れることで忙しく、アパートには殆ど寝に帰っているような状況だ。

「こんばんは」

今日もそうして遅くまで残業をして帰宅したところ、偶然、お隣さんと部屋の前で出くわした。

黒い帽子に、黒いロングコート。
黒いズボンに、黒いネクタイ。黒い革靴。
シャツだけは夜目にも輝く白さで、その上にある白い顔を浮かび上がらせていた。

「お帰りなさい。今日も遅くまでお疲れさまでした」

「あ、ありがとうございます」

一見すると気さくな風には見えないのにそう労いの言葉をかけられて、驚きながらも礼を述べる。
疲れ果てた身体に染み透るような、優しい声音だった。
今まで誰かにこんな風に優しくいたわられたことがあっただろうか。
今は遠い存在になってしまった家族を思う。
その温もりをもうよく思い出せなかった。

「大丈夫ですか」

「は、はい、すみません」

思わず涙が滲んできて慌てる。
相手は相変わらず物腰柔らかく、こちらを気遣うような態度を崩さない。
それがなんだかくすぐったかった。

「あの、これからお仕事ですか」

「ええ。行ってまいります」

「行ってらっしゃい。気をつけて下さいね」

こうして誰かを送り出すのも久しぶりだ。
温かい気持ちになりながら鍵を開けてドアを開ける。

逆にドアに鍵をかけたお隣さんは、帽子の縁に手をかけて優雅に会釈した。

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

お隣さんと別れて部屋に入る。
玄関のドアに鍵をかけていると、コツコツと歩いていく足音がかすかに聞こえてきた。

これからお仕事なんて大変だな、とぼんやり思う。


「あれ…?お名前なんだっけ?」


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