中編
帰郷 ―中編―「……ねむ」
大きな欠伸をしながら石版の前に座り込むカイは、放っておけば今にも寝てしまいそうだった。
「しゃきっとしなよ、だらしない」
「そうですよ!今からマクドールさんに会いに行くのに」
ルックとイリヤの声に、のろのろと頭だけを動かせば、はぁ、と小さく溜め息を吐いた。
「お子様は朝から元気だね〜」
「何言ってるんですか!テッドさんだって僕と同じくらいじゃないですか」
「あ〜……」
イリヤの言葉に、どう返したもんかとカイは言葉に詰まった。
どういう理由かはわからないが、自分の姿は三年前のものと全く変わりがない。
真の紋章を持っていると言うのなら話は別だが、自分の右手はまっさらなまま。
普通の紋章だって使えないままだ。
外見年齢は十六のままなのだから、イリヤに同じくらいと思われても仕方がない。
「こいつ、あんたより年上だよ」
そんな時、天の助けといわんばかりのルックの言葉に、イリヤが固まった。
「え?」
「こう見えても俺、タギと同い年なんだわ」
「ええええええええっ?!」
少しだけ肩を竦めながら自分の年を告げれば、面白いほどにイリヤが驚いた。
けれど、早朝からそんな大声を出されるのはさすがに耳に痛い。
カイは両手で耳を塞いだ。
「うるさい。無駄口叩いてるんだったら自力でグレッグミンスターに行くかい?」
その声の大きさに、こちらも寝起きで気が立っているらしいルックが、ロッドの先でイリヤの頭を殴った。
「……ゴメンナサイ」
殴られた頭を押さえ、目に涙を浮かべながら棒読みで謝るイリヤに、カイはふと気になって尋ねてみた。
「ていうか、行くの俺らだけ?」
「そうですよ?だってルック、大勢でテレポートしたくないって言うし」
「テレポートは結構疲れるんだよ」
「だから僕たちだけ。じゃルック、よろしく」
カイに理由を話すと、ルックの肩を軽く叩きながらテレポートを促す。
「……全く。行くよ」
不機嫌そうにしながらもルックが魔法陣を描けば、次の瞬間には三人の姿はレイクシエル城から無くなっていた。
地に足が着いた感触がしてカイが目を開ければ、そこはグレッグミンスターだった。
久し振りに見る故郷の風景に、思わずカイはぐるりと見回す。
確かに戦争があったはずなのに、今ではその痕跡すら見当たらない。
きっとグレッグミンスターの民が復興に力を入れたのだろう。
「わ〜い、流石ルック」
「何だって僕がこんなことを……」
「グレッグミンスター……」
「じゃ、行きましょうか!」
イリヤに促されて、三人はマクドール邸に向かった。
目の前にそびえ立つマクドール邸に、カイの足はたたらを踏んだ。
「ごめんくださ〜い」
「はいは〜い。おや、イリヤ君じゃないですか、いらっしゃい。それにしても随分早いですね〜」
早朝であるにもかかわらず、マクドール家の下男であるグレミオは常識はずれの訪問者を笑顔で迎えた。
その手におたまを持っているということは、朝食の準備でもしていたのだろうか。
「えへへ、マクドールさんに早く会いたくて来ちゃいました」
「そうなんですか。生憎、坊っちゃんは今出掛けてるんですよ。とりあえず、中に入って下さい。朝食はまだですよね?もう少しで朝食の準備ができますから、それまではお茶でも飲んでて下さい」
グレミオは申し訳なさそうに主人の不在を告げると、早朝の客人を屋敷の中へ招き入れようとした。
「ありがとうございます!でも、マクドールさんは一体どこに行ったんですか?」
「……今日は旦那様のご命日なんですよ。なのであまり人がいない時間にお墓参りに」
「そうだったんですか……」
タギが不在の理由を聞いたイリヤは、どうして突然彼が帰省すると言い出したのかをようやく理解した。
そして、カイはここで父の命日を知ることとなった。
三年前の今日。
タギは父と一騎打ちをしたのだ。
それによりテオは倒れ、タギが立っている。
もちろん、タギが英雄として存在しているということはそういうことだ。
わかってはいたが、どこか悲しい物があった。
「おや、そちらの彼は新しいお仲間ですか?」
「テッドさんのことですか?」
「え……テッドくん、ですか?」
二人の後ろで何かを考えるようにしているカイを見付けたグレミオは、イリヤから名前を告げられ驚いたようにカイを見た。
俯いているカイの顔は、グレミオの位置からは見えないらしく、バンダナから見える銀髪のみが目に入る。
「はい、テッドさんはマクドールさんを捜して旅をしてたんですよ!ね、テッドさん!」
「え、あ、あぁ」
「そうなんですか。私はグレミオって言います。初めまし……て」
イリヤの言葉にカイに近づいて挨拶をしたグレミオは、カイの顔を見て思わず固まった。
「グレミオさん?」
「あっ、何でもないです。少し知ってる人に似てたんでつい。さ、中へどうぞ」
そんなグレミオの様子にイリヤが首を傾げれば、ハッと我に返って柔らかい笑みを浮かべる。
「お邪魔しま〜す」
「邪魔するよ」
イリヤとルックが中へ入った後、その場にはカイとグレミオの姿だけがあった。
「坊ちゃん、カイ坊ちゃんですよね……?髪の色が変わっていても、このグレミオの目は誤魔化せませんよ」
カイの肩に手をかけて、確認するように問いかける。
そのグレミオの姿に、誤魔化しきれないと悟ったカイは諦めたように薄く笑んだ。
「……久し振り、グレミオ。元気そうでよかった」
「今までどこにいたんですか!この三年間、グレミオがどれだけ心配していたか……」
「ごめん。後からちゃんと話すよ。それより、父さんの墓標はどこ?」
このまま問いつめられるのを避けるために、先に謝罪の言葉を告げ、次いで逆に問い返した。
今日がテオの命日だというのなら、自分も手を合わせたかった。
タギ以上に親不孝な自分は、三年前からこれまで、一度も父の前に姿を現していない。
「それが、私にも良くわからないんですよ。ソニア様とは良く会われるらしいんで、敷地内だとは思うんですが……」
「そう。じゃあ、僕も少し出てくるよ。朝食までには戻るから」
「あ、坊っちゃん!」
グレミオの言葉に、敷地内の何処かにあると目星を付けると、カイは早々に踵を返した。
館からそう離れてはいない敷地内。
ひっそりと、人目に触れないような場所にそれはあった。
墓標は立っていない。
けれど、そこにはささやかながら花が添えられている。
自然と咲いた花でないことは、そこに置いてある花を見ればわかる。
「これ、か。タギらしいって言えば、タギらしいな」
ぽつりと呟いてから、それに向かって手を合わせる。
そんな時、自分の帰郷を迎えてくれるかのように、懐かしい風が吹いた。
「先客か」
どれくらいそうしていたのだろうか。
背後から聞こえてきた声に思わず振り返った。
そこにいたのは金髪の女性。
「ソニア、さん……」
名を呟いて、思わず口を押さえる。
今の自分の姿では、ソニアは自分のことがわからない。
知っているのは三年前の姿だ。
案の定、ソニアは首を傾げた。
「どこかで会ったことが?」
「いえ、遠くから拝見したことがあるだけです」
「そうか。お前もテオ様の墓参りに?」
「はい。テオ様にはお世話になりましたから」
「つもる話もあるだろう、私はこれで失礼する」
既に花が置いてある場所に、自分が持ってきた花を供えると、ソニアはそのまま去ろうとした。
「いいんですか?」
その背に思わず問いかけていた。
せっかく墓参りにやってきたのに、花だけ添えて帰っていいのかと。
すると、ソニアは顔だけをカイの方へ向け、薄く笑んだ。
「私はいつでもここに――テオ様に会いに来れるからな。だが、お前は三年振りなのだろう?」
「――っ」
ソニアの言葉に、カイは顔を上げた。
タギですら知らない事をソニアが知っていると言うことは、父が――テオが――彼女に教えたのだろうか。
聞いてみたかったが、口が思うように動いてくれない。
カイは、その場を後にするソニアの後ろ姿を、見えなくなるまで見つめていた。
2006/08/15
2009/05/07 加筆修正