12:00


計の針が頂点を差す時間になっても、今日の気温はあまり上がらなかった。店の外では、冷たい北風が街路樹の裸の枝を厳しく攻め立てている。
しかし、一たび店の中に踏み入れてみれば、そこは賑やかな歓声に包まれていた。今日は土曜日。午前中で授業の終わった学生たちで、店内が溢れかえる時間帯である。

その中には見慣れた顔ぶれ―――毛利探偵の娘、蘭さん、その友人の園子さん、そして赤井秀一の妹である世良真純の姿もあった。



「安室さん、梓さん、こんにちは!」
「こんにちは、園子さん。今日も寒いですね、蘭さん」

テーブル席に腰を下ろした彼女たちの許へ、お冷を注いだグラスを持って行く。隣のテーブルにオムライスを運んできた梓さんも、蘭さん達の顔を見てこちら側へと近寄ってきた。

「蘭ちゃん、さっきまで毛利さんとコナン君が来てたよ」
「お父さんとコナン君が?」
「うん。今日は蘭ちゃんが空手の朝練で居ないから、遅めの朝ごはんにって言ってうちに来てたの」
「もう、お父さんったら。たまにはコナン君のために、手料理を振舞ってあげようって気にならないのかなぁ」

蘭さんは割と真面目な顔でそう言ったが、それは期待するだけ無駄だろうと僕は思った。毛利小五郎がコナン君のために真心を込めて手料理を振舞う、なんてことが起きた日には、天地がひっくり返ってもおかしくない。

「お昼には、僕のハムサンドをテイクアウトされたので、今頃は上の事務所でコナン君と仲良くサンドイッチを食べてらっしゃるんじゃないでしょうか」
「わぁ、いいなー。私も久しぶりに、安室さんのハムサンドを注文しようっと」
「それじゃあボクは、ウェイトレスのお姉さんのお手製カラスミパスタかな。蘭君はどうするんだい?」
「私はせっかくだから、本日のおすすめメニューにしようかな。ツナとレモンのペンネでお願いします」

蘭さんのオーダーを手元の表に記入しながら、僕は肩を揺らして笑った。

「そのメニュー、さっきコナン君も注文してましたよ」
「えっ?コナン君が?」
「はい。偶然の一致とは言え、お2人は本当に気が合うんですね」

嫌味でなくそう言うと、蘭さんは擽ったそうにはにかんだ。その向かい側の席では、赤井の妹がどこか面白くなさそうに頬杖をついている。そんな表情をしていると、やはり彼女は赤井とよく似ていると思った。
クマの目立つそのジト目は、やがて蘭さんではなく僕の方へと向けられた。

「そうだ、安室さん」
「はい?」
「ボクにも、アンタが作ったハムサンドをテイクアウトさせてくれよ」
「構いませんよ。お帰りの時に渡すということでいいですか?」
「ああ」

短く肯定した彼女に対し、蘭さんと園子さんはそろって疑問を口にした。

「世良ちゃん、しょっちゅうテイクアウト利用してるよね。また夜食にするの?」
「そんだけ食べて、ほんっとよく太んないよねアンタ」

蘭さんと園子さんの発言を鑑みるに、彼女がこうして飲食店でテイクアウトを利用するのは日常茶飯事なのだろう。そそくさと彼女たちに背中を向けてキッチンに戻りながら、僕はこっそりと聴き耳を立てた。

「前にラーメン屋で炒飯と餃子を持ち帰った時は、同棲してる彼氏の分だって言ってたよね?」
「そうそう!同棲なんておっとなー!って思って、びっくりしたもん!」
「いやあ、だからあれはジョークだって。ボクにはラブラブな彼氏なんていないしさ。君たちとは違ってね」
「でも、もったいないよねぇ。世良ちゃん、男子の間でけっこう人気あるっぽいのに」
「え?何それ?」
「中道君が言ってたの!うちの高校の男子相手に女子の人気投票をしたら、世良ちゃんもけっこう上位にいたって!」
「何だそりゃ。ボクは別に、不特定多数に人気でも全く嬉しくないな」
「あー、“ただ君にだけ愛されたい”ってやつ?」
「あ!それ、一昨日公開された映画のキャッチコピーでしょ?私、まだ見てないんだよねー」
「そうそれ!主演の深瀬良太がめっちゃくちゃかっこいいよねー」
「えー、あの映画の見どころはヒロインの香菜の方だろ!」
「香菜と言えば、インスタに投稿してた愛犬の写真がさー」

女子高生の会話というものは目まぐるしく変わっていくものである。話が展開するテンポが速すぎてついていけそうになかったが、傍から聴いている分には十分楽しげなBGMだった。
しかし、自分のスマホで香菜という女優のInstapoundを友人たちと覗き見ていたはずの園子さんは、

「って、あれ?安室さーん!」

何を思ったのか、突然振り返って大声で僕を呼んだ。

「園子さん、どうかしたんですか?」

僕が出来上がったハムサンドをトレーに載せて、3人が座る席に近付くと、園子さんはテーブルの中央に置いていたスマホを持ち上げて、僕の眼前に突き付けてきた。

「これ!さくらさんのインスタなんですけど、」
「さくらさんの?」

僕は素できょとんと目を瞬かせた。彼女がそういうSNSを駆使して、自らの研究活動を発信していることは知っていたし、何ならたまに内容をチェックすることもあったが、僕自身がSNSのアカウントを持っていないこともあり、最近は投稿をチェックすることもなかった。
だが今、園子さんのスマホに表示されている画面は確かにさくらのInstapoundの投稿した記事であり、1枚の画像と共に短い動画が添付されている。
投稿日時は今から24分前。つまりこれは、本当についさっき投稿された動画ということになる。

「園子、さくらさんのインスタフォローしてたの?」
「もっちろん!っていうか、さくらさん結構有名人だからねー。フォロワー数4千人くらいいるし」

Instapoundをやっていない僕には、その人数が多いのか少ないのかの判断はつきかねるが、芸能人でもプロのアスリートでもない一般人と考えれば、フォロワー数4千人というのは多い部類なのだろう。

「さくらさんって誰だ?」

1人目を丸くしているのは、さくらと直接面識のない赤井の妹である。すかさず園子さんがはきはきした声で補足を入れた。

「安室さんの彼女さんよ!すっごく頭がよくて、よく解んない研究とかしてる人!」
「へー……。安室さんの、彼女ねぇ」
「で、さくらさんのインスタがどうかしたの?」

横で蘭さんがそわそわと続きを急かす。すると園子さんはよく見て!と興奮した口調で言ってスマホを蘭さんの鼻先にまで近付けた。

「この動画の背景!ここって、蘭もよく知ってる所じゃない?」
「へ?……あっ、これってまさか、」
「?」

2人の盛り上がりっぷりを不思議に思い、僕と赤井の妹も揃って園子さんのスマホを覗き込む。
そうしてやっと、彼女たちが一体何に注目しているのかを、僕も赤井の妹も同時に悟った。

「新一の家が窓から見えてる!」
「ってことは、さくらさん、その隣の博士の家にいるってことじゃない!?」

2人の指摘した通り、さくらの投稿した短い動画は阿笠博士の家のラボで撮影されたものだった。その窓から見えた背景が、今にもお化けが出そうな大きな洋館―――いや、人気のない工藤邸の一角だったのだ。

「安室さん、どうなんですか!?」
「落ち着いてください、園子さん。確かに今日、さくらさんは阿笠博士の家に行くって言ってましたよ」

それをまさかSNSで拡散するとは思っていなかったが、わざわざこうして投稿したということは、何かしらの意味があるのだろう。表向きは、博士と共同で開発しているシステムの紹介動画という体をとっているが、それならこんな突貫工事で動画を撮影したりはしないはずだ。

「えーっ、どういうことですかぁ。詳しく教えてくださいよー」

箸が転がっても恋バナ、という年齢の彼女たちは、僕の恋バナに対しても興味津々で食いついてきた。さくらが帰国していることを話すのは、今日だけでもこれで何回目だろうか、と苦笑しながら、僕は瞳を輝かせる女子高生たちに向き直った。