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事件現場となったクラブスイートルームは、エレベーターホールの真ん前にある。そしてその反対側、対角線上の位置に、1階から4階まで通じる螺旋階段が設置されている。この螺旋階段はそこそこの急勾配で広さもなく、手すりが非常に低かった。あの悪名高いサグラダファミリアの螺旋階段と、少し雰囲気が似ているような気がした。

エレベーターホール側は殺人事件が起きたばかりの現場ということで、そこそこの人数を割いて厳重な監視体制が敷かれていたのだが、反対側の階段には所轄から派遣された制服警官が1人立っているだけだった。そこで、私はギルバートに向けて合図をした。次の瞬間、制服警官が胸ポケットに差していた無線機に、横溝警部の声で招集命令が入る。

「急で悪いが、現場に急いで来てくれ」
「は、え、自分がですか?」
「おう。今、階段で張ってんのはお前しかいねえだろうが」
「しょ、承知しました!すぐに参ります」

見張りの交代要員も寄越さずに掛けられた招集命令に、真面目な制服警官は首を捻りながらクラブスイートルームへと向かった。私と沖矢さん―――の姿をした赤井さん―――はその隙に、身を潜めていたライブラリから抜け出して、足場の悪い螺旋階段へと飛び込んだ。

「こけるんじゃないぞ。手すりを超えて落下したら、4階から1階まで真っ逆さまに落ちて、あっという間にお陀仏だ」
「怖いから敢えて口にしないようにしていたのに、どうして先に言っちゃうんですか」
「常に最悪を考えておくのは、もう癖のようなものでね。ほら、手を貸せ」

彼が差し伸べてくれた手を有難く拝借し、私は狭い階段を危なげなく降りていった。柔らかな絨毯が足音を吸収してくれるお陰で、誰にも私たちの動きを見咎められることはなかった。

「それで、私たちに協力して欲しいことがあるというのは?」
「そうだな。早速頼みたいことがあるんだが」
「はい」
「館内の監視カメラの映像を、俺のスマホに送って欲しい。被害者の妹一家の動きを探りたいんだ」
「解りました。ギルバート、」
「はい。承知しました、少々お待ちください」

ギルバートは小さなクリック音を残して少しの間沈黙した。やがて赤井さんの持っていたスマホに、8分割になった画面が表示される。

「随分綺麗に映るのね。防犯カメラの画素数なんて高が知れてるのに」
「このホテルで導入している防犯カメラは、約210万画素数のフルHDカメラです。カメラに映った人間が身に付けている時計の文字盤まで読み取れます」
「どれだけ高性能な防犯カメラだって、さっきみたいに停電してしまえば何の役にも立たないでしょうけどね」
「それを言われると耳が痛いですね。世界最高の技術の粋と自負するこの私でさえ、あなたが電波が届かない場所に行ってしまえば、何のお役にも立てませんから」

人工知能はそう冗談めかして言うと、ぎこちなく笑った。私と赤井さんも、顔を見合わせてくすりと微笑む。
しかし、どうして今更妹一家の行動を監視する必要があるのだろう。犯人がここまで綿密にプランを立ててまで殺したかった地引睦夫は、既に死んでいるというのに。この上、妹一家が狙われるとでもいうのだろうか。それとも、妹一家の中に犯人がいると彼は踏んでいるのだろうか。
私が目顔で理由を問うと、赤井さんは狭い階段の途中で立ち止まった。

「君なら地引睦夫を殺害した犯人について、どう分析する?」

時折彼はこうして、私を試すようなことを言う。私はIT工学の研究者なのであって探偵ではないのだから、謎解きは専門外なのだが。
私はううん、と小さく唸り、顎に手を当てて考え込んだ。

「犯罪心理学は門外漢なので偉そうなことは言えませんが、犯人は恐らく被害者に相当な恨みを抱いていたものとプロファイリングできます」
「ホォー……。その心は?」
「胸の刺し傷は直接の死因ではなかったんですよね?そして外傷が胸の刺し傷以外なかったということは、死因は毒殺だとかショック死だとか、何にせよ一目見ただけで事件性を疑われるようなものではなかったんでしょう。つまり、そのまま放っておいても死ぬ状態なのに、犯人は敢えてその胸を果物ナイフで突き刺した」
「ふむ。あのボウヤが言っていた“果物ナイフはオプション”というのは、そういう意味もあるんだろうな」
「犯人はそこまでして、“これは殺人事件なんだ”と誰かに伝えたかったのでしょう。これは偶発的な不審死などではなくて、誰かが殺意を持って行った行為である、とね。その相手が警察なのか、それとも特定の誰かなのかは解りませんが、そこから感じ取れるのは、殺しても殺し足りないほどの強い恨み」
「恨み―――」
「それから、やや子供っぽい自己顕示欲。そんな所でしょうか」
「自己顕示欲―――か。なるほどな」

興味深そうに何度も頷く赤井さんを、私はそんなことより、とせっついた。

「私のような素人の分析はどうでもいいんですよ。あなたはどうして、今更あの妹一家の行動を気にするんですか?」

私がそう尋ねると、赤井さんは胸ポケットから一通の白い封筒を取り出した。暗い螺旋階段の影の中でも、その白さは一際異質に目立って見えた。
奇妙なデジャヴに、私は小さく目を瞠った。

「その封筒は……」
「さっき事情聴取を終えて部屋に戻ると、これが残されていたんだ。君も全く同じものを、402号室で見つけたんじゃないか?さっきドアを開けた時に、下足箱の上に白い封筒が置いてあったように見えたんだが」
「ええ、見かけました。でも、何となく嫌な予感がして、開封せずに部屋に置いてきたんです」

私が困惑しながら答えると、君は相変わらず勘がいい、と言ってさっさとそれを開封した。

「読んでみろ。おそらく君の部屋に置いてあったものと、内容は同じだろうがな」

それを読めばこの事件が地引睦夫の死だけで終わったなどとは言えなくなるぞ、と赤井さんは恐怖心を煽るようなことを言った。
2つ折りにされた便箋を差し出されて、私はごくりと唾を飲み込んだ。覚悟を決めてそれを受け取り、恐る恐る開いてみる。真っ白な紙の真ん中にプリントされていた文字を見て、私はくっと目を見開いた。

『次の犠牲者はお前だ』

そう、赤井さんが受け取った手紙には書かれていたのだ。

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