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警視庁公安部公安総務課の課長、略して公総課長には、警察庁から出向中のキャリアの警視長、または警視正が就くことになっている。キャリアの中でも警備警察に関わる人間なら最も就きたいポストと言われ、その気になれば日本中の情報を一手に集約できる要職中の要職である。現在このポストに就いている三浦明信公総課長は、歴代の公総課長の中でも切れ者として知られており、俺や風見さんにとっては直属の上司であり、最も恐るべき相手でもあった。

この三浦公総課長の許に降谷さんから直々に打診があったのは、俺が風見さんから警察庁にサイバー攻撃が加えられていると聴かされた翌日のことだった。

「風見主任、それから……えっと、谷川主任。お前たちに、作業班の一員として動いてほしいとゼロから打診が来た」

おいおい、いくら何でもソッコーすぎやしませんかね。まさかとは思うが、降谷さんは昨日の今日で、サイバーテロの犯人に目星を付けてしまったのだろうか。だとしたら有能にも程がある。

「それは、サッチョウにサイバー攻撃が加えられた形跡があるとかいう、例の件ですか?」
「さすがに耳が早いな。その通り、警備局のサイバーフォースセンターでも手掛かりが掴めなかったというテロの犯人を確保するために、お前たちの力が必要とのことだ」
「一体どうやって、ゼロは犯人に目星を付けたんでしょう?」
「何でも、心強い助っ人を協力者に迎えたと言っていたが」
「心強い助っ人?」
「ああ。それが、昨日会ったばかりの人物で、海外を拠点に活動している研究者なんだそうだ。その界隈では有名人らしいから、選定にも躊躇いはなかったそうだが、もう少し慎重になってもよかったんじゃないかとは思っている」

俺は公総課長の言葉を聴いて鼻白んだ。俺達公安部員が協力者の獲得工作をするには、最長で6か月もの期間を掛けることがある。尾行、張り込みは当然として、相手が生活ごみを放り込んでいったゴミ箱を漁ったことだってあった。そうして相手の趣味嗜好、人間関係、社会的立場や生活リズムを徹底的に探るのである。それから偶然を装って相手と知り合い、仲を深め、相手の外堀を埋めた段階で身分を明かし、協力者になるよう打診する。公安警察の基本は、この協力者の獲得工作にあると言っても過言ではなかった。

俺達がそうやって苦心しながら獲得する協力者を、ゼロの人間はたった1日で手に入れてしまう。それが協力者の運営を担う彼らに許された特権なのかも知れないが、俺達の苦労が蔑にされているようで、あまり気分のいいものではなかった。

「精々その協力者が一騎当千の活躍をしてくれればいいんですけどね。それで、ホシの確保にはいつ動くんですか?」
「その辺は聴いていない。お前たちが直接ゼロに接触し、指示を仰げ」
「直接会えって、中々リスキーなことを言いますね。風見さん、今日はあの人、どこに居るか知ってます?」
「今日は例の喫茶店でバイトをしているらしい。会いに行くならお前が行ってくれ、お前なら1人で喫茶店に入っても違和感はないだろう」
「まあ、そういうことになるんでしょうね」

こういう時、俺の特徴のない外見というのが大いに役に立つ。喫茶店だろうが焼き肉店だろうがテーマパークだろうが、どこに居ても風景として溶け込めるためだ。

「解りました。勉強中の学生の振りをして、ゼロに接触してきます。タブレット1台持ち出しますね」
「頼んだぞ。本庁に戻ってきたら私の許にも報告に来るように」

公総課長の指示にぴしっと敬礼をして、俺は課長の応接室を出た。



「いらっしゃいませ。1名様ですか?」

米花町にある喫茶ポアロのドアを開けると、そこでは確かにゼロであるあの人が働いていた。見たこともないような朗らかな笑顔を浮かべ、腰の低い態度で店内へと案内される。

「1名です。……えっと、カウンターの端っこ空いてますか」
「ああ、大丈夫ですよ。どうぞお掛けください」

にこにこと目を細めて笑う顔に、俺は言いようもない据わりの悪さを覚えた。こんなにテンション高く振舞っている降谷さんを見たのは初めてである。

「こちらがメニュー表になります」
「ああ、どうも。……へぇ、色々あるんですね」

メニュー表に視線を落として最初に目に入ったのは、“人気No.1!安室さんのハムサンド”とポップなフォントで書かれた一品だった。……ハムサンドって。正体隠す気ないだろう、この人。言うまでもないが、ハムというのは公安警察を表す符牒のことである。

「じゃあ、このハムサンドとアイスコーヒーお願いします」
「解りました。少々お待ちくださいね」

胡散臭い微笑みを絶やさないまま、彼はキッチンに引っ込んだ。と言ってもカウンター席なので、真ん前に立たれていることには変わりないのだが。
俺は大学ノートと筆記用具をリュックから取り出して、タブレットを操作した。どうせこの人のことだから、俺の手許を食い入るように見つめているはずだ。

―――新しい協力者は、使い物になりそうですか。

ちょっとした嫌味のつもりでそんな文面を表示させると、降谷さんはわざとらしく俺の手許を覗き込んだ。

「そのタブレット、ひょっとしてスペード社の最新モデルですか?」
「え?ああ、はい」
「僕も同じの使ってるんですけど、まだ操作に慣れてないんですよね」
「あー、まあ新しい機種って慣れるまでに時間が掛かりますしね」

なるほど、初対面で即決した協力者と言えども、思い通りに操縦できる相手ではないらしい。てっきり、余程の弱みを握ったとか、色仕掛けで洗脳でもしたのかと思っていた。

(本当に大丈夫なのか?その協力者……)

俺が胡乱げに降谷さんを見上げると、彼はそんな俺の心配なんて気にも留めずに続けた。

「取り敢えず5つくらいアプリをインストールして慣れようとしてみたんですが、これが結構難しくて」
「へえ。ちなみにそれって、何のアプリなんですか?」
「プロゲートっていう、プログラミングを独学で学ぶアプリですよ」

つまり協力者はプログラマーやIT研究者ということか。確かに、サイバー攻撃の捜査にはうってつけかも知れない。

「可愛らしいイラスト付きで解りやすいかと思ったんですが、僕にはさっぱりでした。薦めてくれた友人には悪いんですが、あれは相当その道に精通している人でないと理解できないと思いますね」

これで降谷さんの協力者がどんな人間かは把握できた。見た目は可愛らしいがスペックは高い、だから充分使える駒になるだろうということだ。
それが解れば十分だ。あとは、ホシの身柄を拘束する日取りを教えて貰うだけでいい。

「まあ、その手のアプリは案外パロディネタとか多くて、予備知識前提みたいなとこありますよね。俺もプログラミングとか興味ありますけど」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。でもプログラミングって言語だけでCとかRとかややこしいので、こういう動画だけ見て、勉強した気になってます」

言いつつ俺は手に持っていたタブレットを降谷さんの方に向けた。

―――で、ホシの確保はいつ行うんですか?

俺がタブレットに打ち込んだ文面を見て、降谷さんは口角を上げた。

「へえー、この動画、中々面白いですね」
「俺みたいな素人でも解ったような気になれるんで、詳しい人が見たらもっと面白いんじゃないかと」

―――今度の日曜、みなとみらいで開かれる講演会に容疑者全員が集まる予定だ。そこでケリを付ける。
―――了解。車両は確保しておきますか?
―――目黒にも声を掛けている。そちらが手配してくれているはずだ。

目黒というのはこの場合、目黒区目黒一丁目に本部を置いている公安機動捜査隊のことを指す。よくあそこの隊長を説得することが出来たな、と内心で舌を巻きつつ、俺は静かにタブレットを手許に戻した。

「すみません、忙しい時間に余計なものをお見せして」
「いえいえ、僕も勉強になりました。こちらこそすみません、お出しするのが遅くなって」

降谷さんは屈託のない笑みを浮かべて、俺の前にハムサンドの載った皿とアイスコーヒを差し出した。人気商品と銘打っているだけあって、それは確かに美味しそうな匂いを漂わせていた。

「うわ、めっちゃ美味そう!それじゃ、いただきます」
「ありがとうございます。どうぞ、ゆっくり召し上がってくださいね」

これが任務中なら、何が入っているかも解らないような外食は避けるのだが、作った相手が降谷さんなら薬を盛られている心配はない。俺は出されたサンドイッチを腹いっぱいに詰め込んで、濃いめのコーヒーをゆっくりと味わった。

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