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風見さんから気になる話を聴かされたのは、真夏のある晴れた日の昼飯時だった。

「サイバー攻撃……ですか?サッチョウに?」

俺はスマホゲームを弄る手を止めて、風見さんに向き直った。風見さんは食後のコーヒーを口にしながら、ああ、と重々しく頷いた。

「今の所目立った被害はないんだが、犯人を突き止めるのに苦労しそうだと降谷さんがぼやいていたな」
「へぇ。でも、サッチョウには俺らも持ってないようなハイテクがあるじゃないですか。それに、警備局にはサイバー攻撃対策官もいるはずでしょ」

なんでゼロの降谷さんが頭を悩ませてるんですか、と首を傾げながら、俺は再びスマホの画面に集中した。その画面をちらちらと覗き込みながら、風見さんはゴホンと咳払いをした。

「どうやら相手は中々のやり手のようでな。そもそも察庁のデータベースのセキュリティを掻い潜った時点で、相当な切れ者だ」
「切れ者の相手には切れ者を、ってことっすか。優秀すぎるのも考え物ですね。いつか過労死しますよ、あの人」
「田中、お前もそういう方面には多少詳しいんじゃなかったか?」
「谷川です。俺は別に……マル対に近付く口実作りに、プログラミング言語を齧った程度ですよ」

リズミカルなBGMに乗せて、上から降ってくるオブジェクトを指でタップしながら消していく。このゲームだって、元々興味が無かったものを、エージェントに気安く近付く手段として始めたものだった。某携帯型怪獣を野外で集めるゲームも、頻繁にログインはしていないが今でも続けている。

「降谷さんのことだ。きっとそう遠くないうちに犯人に辿り着くことだろう。そうしたら、我々が作業班として駆り出される可能性はある」

公安警察にとっての“作業”という言葉は特別な意味を持つ。それは諜報であったり、違法捜査であったり、現地に赴いて被疑者を捕獲することを指していた。
そして公安警察という組織の性格上、その日取りや捜査方法は実際に作業にあたる班員以外には徹底的に伏せられる。隣の机に座っている人間が何の捜査をどこまで進めているのか解らない、それが公安部という部署だった。

「風見さんは兎も角、俺もっすか?」
「ああ。降谷さんはお前を存外高く評価しているからな」

うへー、と舌を出しながら、俺はタイムアップの文字が浮かぶスマホから顔を上げた。

「何だ、嫌なのか?」
「嫌ですよ。だってあの人と一緒に仕事したら、命がいくつあっても足りませんし。車で空を飛ぶのは、もう二度とごめんです」
「だが、あの人のお眼鏡に適えば、人事に評価される機会も増えるぞ。お前が最短コースで警部補まで来られたのも、そういう方面からの後押しが少なからず影響しているはずだ」
「そういうもんなんですかね。警部までは考課はあまり重要視されてないって聴きましたけど」

理論上、大卒ノンキャリの警察官が警部補に昇進できる最速の年齢は26歳だ。巡査として2年、巡査部長として2年の実務経験を積み、警部補昇任試験に合格すると晴れて警部補となる。
だが、実際にそんな短期間でそこまで出世できる警察官は多くはない。警視庁に勤める警察官は、巡査部長、警部補の昇任試験に合格すると、原則的に関東管区警察学校に入学することになっている。そこで1年過ごした後、それぞれの部門ごとに振り分けられるのだ。だから厳密に言えば、警部補昇任試験に合格し、警部補として実質的に働くことが出来る最速の年齢は、今の俺と同じ28歳である。

俺の同期には既に警部補となった奴が何人かいるが、それは俺の代の警察学校の教官が鬼のような厳しさをもって俺達を鍛えてくれたからだ。何でも、俺達の1個上の代が相当ヤンチャしまくったせいで、規律が滅茶苦茶厳しくなっていたらしい。
そんな地獄の初任科講習を共に受けた同期同教場の仲間とは、今でも強い絆で結ばれている。俺が公安部でそこそこ使える奴として評価されているのも、この横の繋がりが大きく物を言った。

警視庁では年間1000人近くの警察官を採用しているが、一度にそれだけ多くの人数が警察学校に入学する訳ではない。年に10回ほどに分けて順次採用されるため、同じ年度に採用されたとしても、4月採用と10月採用とでは期が大きく異なっている。
俺達が入学した時は4クラスだったが、多い時は12クラスに分かれるという。このクラスのことを“教場”と呼び、頭に指導教官の苗字が付けられるのだ。俺達のクラスを担当したのは加賀警部補だったから、俺が在籍したのは1466期の加賀教場と呼ばれていた。

「まあ、声が掛かったら文句を言わずに招集に応じろよ。お前は何だかんだで頼りになるからな」
「はぁーい、解りました」

渋々ながら了承すると、俺はスマホを胸ポケットにしまって椅子から腰を上げた。昼休憩の時間も終わりだ。午後からは公安第四課の資料室に行って、過去のサイバーテロ事件の報告書に目を通しておこうと思った。

「あー、ところで、西川」
「谷川です」
「そのゲーム、何ていう名前なんだ?」

風見さんは俺のスーツの胸ポケットを指差して、そわそわしながら尋ねてきた。さっきもちらちらと俺のスマホを覗き見していると思っていたが、気のせいじゃなかったらしい。
一見取っつきにくそうに見えるこの人も、ゲームに興味を持ったりするんだな、と俺は少々意外に思いながらも、スマホを取り出して簡単に説明した。

「これっすか?ネズミーのパズルゲーっすよ」
「そ、そうか。いや、別に興味がある訳じゃなくてだな」

風見さんは何やら言い訳がましいことをもごもごと口にしていたが、俺はお構いなしに話を続けた。

「プレイストアから無料でダウンロードできるんで、風見さんも始めたら教えてくださいね」
「あ、ああ……」

頬を赤くしながらスマホを弄る風見さんをテーブルに残して席を離れると、俺はうんと伸びをした。本庁2階の角にあるカフェは品数が多い訳ではないが、時間がないときに腹ごしらえをするには持ってこいの場所だった。

「さーて。そんじゃ、俺は俺で情報収集しますかね」

デスクワークで凝り固まった肩をほぐし、俺は四課の資料室がある15階へ脚を向けた。

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