04




バーボン×情報屋。時系列は純黒の直前くらい。




偶にはこうして、不健康な朝を迎えるのも悪くない。僕は横になったベッドの上で、散乱する女物の服をつまみ上げた。

「あなたの服はそっちじゃないわよ、“探偵さん”」

先程まで体を重ねていた女はそう言って、僕の着てきたワイシャツを投げて寄越した。探偵というのは僕が偽名を名乗る時に教えた偽の身分で、女もそれは重々承知の上でそう呼んでいる。

女は、この界隈では有名な情報屋だった。水商売を営む傍ら、政治家や土地の資産家などと関わりを持って腹の内を探っていく。対価さえ用意すれば誰にでも必要な情報を教えてくれる、裏稼業のジョーカーのような存在だった。
全ての情報を知り、全てを許す。それが彼女のモットーだった。
彼女は何も隠さない。誰に対しても恐ろしいくらいに平等だった。ゆえに彼女は自由だったし、その自由さに惹かれる男が後を絶たなかった。

「ああ失礼。あなたの香りでもするかと思いまして」
「なあに、それ。香水なんて付けてないわよ」

香りは人間の記憶に最も強烈に残る刺激である。相手の身に纏う香りが心地よいものと感じるか否かで、生理的に受け入れられるかどうかが決まると言っても過言ではない。
その点、この女はどこまでも無臭だった。まるで人間味を感じさせないほど、無機質な香りをさせていた。

僕は受け取ったワイシャツに袖を通した。女は変わらずベビードール姿のままである。

「それで、どんな香りがしたの?」
「残念ながら、何も。硝煙の香りでもするかと期待したんですが」
「ハードボイルド映画の見すぎね。硝煙の匂いなんて、私にはとんと関わりのない世界だもの」
「僕は探偵ですからね。あなたの正体を掴むためなら、どんな手がかりも見落としませんよ」
「まあ。それで服の匂いを嗅ぐなんて、探偵というよりも警察犬ね」

下着姿の女は笑って、僕の隣に腰を下ろした。僕はその腰に腕を回し、首筋に鼻を擦り付ける。
彼女の言う通り、動物のマーキングにも似た行為に、女はくすくすと笑いながら僕の悪戯を受け入れた。彼女のうなじからは微かに僕の香水と同じ香りがして、ああ、確かに彼女は僕の腕の中にいたのだと妙な充足感を覚えた。

「今のあなたは、僕の香りがする」
「あなたの?」
「ええ。嫌でしたか?」
「あなたの香りなら、悪くはないわ」

可愛らしいことを言う唇にキスをしようと、細い顎を持ち上げる。女は従順に瞼を閉じて、僕の口付けを享受した。
口の粘膜を触れ合わせる。それだけでは物足りなくて、僕は彼女の下唇を食んだ。彼女は 僕の意図を理解して、求められるままに薄く唇を開いた。

カサ、と胸元で紙の音がした。その音をどこか遠くで聴きながら、僕は彼女の咥内を好き勝手に蹂躙した。
唇を離した時、女は肩で息をしながら、それでも名残惜しそうな目をしていた。

「……“探偵さん”って」
「何ですか?」
「淡白そうに見えて、結構くどいわよね」

女は妖艶に微笑むと、ぺろりと僕の唇を舐め上げた。くどい、というのはキスのことだけではないのだろう。

「くどいセックスは嫌いですか?」
「私が相手ならいいけど、一般人なら泣いちゃうわよ。それか意識が飛んじゃいそう」
「今の所、あなた以外の女性とそういう行為に及ぶ機会はありませんので、ご心配なく」
「……。そう」

素っ気なく答えて、女は腰を上げた。その耳が微かに赤みがかっているように見えたのは、単なる僕の願望だろうか。

「それじゃ、私はそろそろ行くわね、“探偵さん”。また逢う日まで」
「ええ、気を付けて」

女は僕の香りを纏わせたまま、散らばった服を着てホテルの部屋を出て行った。1人残された僕は、羽織ったワイシャツの胸ポケットに先程女がねじ込んだ紙切れを取り出す。

そこに書かれていた情報に、僕はくっと目を見開いた。


―――あなたの属する組織の人間が、公安警察の所有するNOCリストを狙って警察庁に忍び込む予定。日時は○○月××日。


NOCとはノンオフィシャルカバーの略称で、スパイのことを指す。公安警察が独自に調べ上げ、所有しているNOCリストには、世界中の組織に潜むCIAやSISのメンバーの情報が載っている。
そしてこの僕の名前も同様だ。

組織の人間にそのリストが渡る前に、公安内で対策を立てなければならない。そのための情報を、女は前もって僕に流してくれたのだ。

僕はスマホで風見に連絡を入れながら、紙切れを丸めて口の中に入れた。そのまま躊躇わずに嚥下する。

さあ、それでは始めるとしようか。僕達公安と組織の、NOCリストを巡る戦いを。
僕が不敵に微笑んだその時、スマホの向こうで風見が着信を取る音がした。



[ 6/20 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]