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「やめましょうよ、小さな女の子を巻き込むのは」

バーボンは落ち着き払った態度で、私のトラップをあっさりと躱して男達の元へ近付いていく。男は一瞬身構えたが、出てきたのが童顔の優男だったことで、小馬鹿にしたように口端を吊り上げた。

「ちょうどいい。お前、この状況をお前たちのボスに連絡して、ボス自らここに出向くように指示を出せ!」

男は汚いだみ声で叫んだ。バーボンはぴくりとも表情を変えないまま、一定の歩幅で男と少女の元に近付く。

「早くしろ!さもなきゃ、このガキの頭を吹っ飛ばすぞ!」

男は銃のバレルで少女の頭を小突いた。事ここに及んで、少女は自分の置かれている状況が飲み込めたらしい。ふえ、と引き攣ったような声がしたかと思うと、わんわんと泣き出した。

「助けて、助けてっ!」

バーボンはそんな少女を見ても冷静だった。通路の影に隠れたままの私には、彼が一体何をするつもりなのかまだ解っていなかった。
けれど頭の回る彼のことだ。このまま、襲撃者たちの言いなりになるはずがない。
彼が男達の真正面まで近付くと、少女を人質に取った男は苛立たしげに威嚇の発砲をした。

(あ、)

ここで私はバーボンの狙いを過たず読み取った。でくの坊のように突っ立ったままのSPの脇をすり抜け、列車内に入る。

それを待っていたかのように、バーボンが動いた。

少女の頭から離れた銃口を素早く押さえつける。その見た目からは予想も出来ないほどの怪力に、男の顔色が見る間に変わった。そしてバーボンは反対の手で自分の銃を抜き、男の右肩に銃口を押し付けた。乾いた音と共に、相手の右肩にいくつもの風穴が開く。
力の入らない腕から、バーボンは簡単に少女を奪い取った。そのまま突き放すように、その小さな体を放り投げる。
少女の体が床に打ち付けられる前に、私は自分の体をその間に滑り込ませた。しっかりと抱き留めて、私も襲撃者たちに向けて発砲する。

既に無力化された2人の男達を抱えてでは、私とバーボンの相手をするのは無謀であると襲撃者たちも悟ったらしい。一斉に背中を向けると、最後の悪あがきとばかりに銃をぶっ放しながら逃げ出した。バーボンは机の影に隠れてそれを避けたが、私は少女を抱えていたため反応が遅れた。
チ、と舌打ちを零して、私は少女を床に押し付けるようにして体を伏せた。防弾チョッキを着た背中に、いくつか銃弾がめり込む感覚がした。

「シャルドネ!!」

バーボンの叫び声がする。正直呼吸が止まるくらい痛かったが、少女の手前、私は平気な振りをした。少女は泣きじゃくりながら、私のスーツに爪を立ててしがみ付いていた。



翌日、ベルツリー特急は何事もなかったかのように、名古屋に向かって走っていた。
依頼主の男は、少女を身を挺して庇った私に向かって満足そうな微笑みを向けた。少女は一晩中私に縋り付いていたが、終着点が近付くと、顔をまっすぐに上げて弱弱しい笑みを見せてくれた。

「お姉さん、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。あなたも、よく頑張ったわね」

優しく少女の背中を撫でる私を、バーボンは感情の読めない顔で見下ろしていた。

列車が名古屋駅に到着し、依頼主とその娘がSPに連れられて下車すると、バーボンはこの後の護衛は不要ですかと念押しした。依頼主は、この先の港で荷物を下ろせば仕事は終わるし、帰路は例の暴力団の奴らも知らないルートだから大丈夫だと言い切った。少女が私の袖口を話してくれないので、私だけでも一緒に行くかと誘われたが、私が口を出す前にバーボンが丁重に断った。

「彼女はとんでもない方向音痴でしてね。僕が居なければ、まともに帰って来られるか解らないのですよ」
「バーボン?」
「そうでしょう、シャルドネ」
「……。そうですね」

そこで私達も絢爛豪華な閉ざされた空間から、平凡だけれど地に足の付いた日常の空間へと戻ることにした。ダイニングカーでイタリアンを食べ損ねたことだけは、ちょっとした心残りだった。



私達の任務は名古屋まで、ということを知っていたバーボンは、愛車を先に名古屋に送っていたらしい。一旦横浜でジンとウォッカと落ち合った後、東都まで送りますから乗ってください、と言われた時は、どれだけこの車が好きなのかといっそ呆れてしまった。

「お疲れ様でした、シャルドネ」
「そちらこそ。まさか依頼人が小さな女の子を連れているとは思わなかったので、少し面食らいましたが」
「それでもあなたは冷静だった。おかげで、あの子に怪我をさせることもありませんでした」

あなたの怪我は平気ですか、と問われて、私は改めて背中に意識を向けた。ひょっとするとあばらが1本2本折れているかも知れないが、命に別状はないだろう。

「平気ですよ」
「そうですか。それならよかった」

バーボンはここで先程自販機で購入していた飲み物を取り出した。何の変哲もないミネラルウォーターである。

「どうぞ。喉が渇いているでしょう」
「ありがとうございます。では遠慮なく」

私はそれを受け取って、躊躇いも無く口に含んだ。一口飲んでしまえば、思った以上に体が水分を欲していたのだということに気付く。
半分ほどを一気に飲んだ私を穏やかな笑顔で見て、バーボンは不意に私の頭を撫でた。

「……何ですか?」
「いいえ。ただ、相当緊張していたんだな、と思って」
「……まあ……、あなたと組むのは、初めてですし……」

徐々に重くなってくる瞼に私は抗った。けれどそんな反抗心を奪うかのように、バーボンは温かな手で私の額を撫で、頬に手を滑らせる。

「おやすみなさい、シャルドネ。次に目が醒めた時は、全てが片付いた後ですよ」

優しげな言葉と共に、額に唇が降ってきた。小さな子供を寝かしつけるような、慈愛に満ちた仕草だった。
呆気ないほど簡単に意識が混濁した。何か薬を盛られたのだと気付いた時には、私の瞼は完全に落ち切っていた。

そこでバーボンはスマホを取り出し、誰かと通話を始めた。僅かに漏れ聞こえる相手の声は、私の知らないものだった。組織の人間ではないことは明らかだ。

「ああ。この先の港、と言っていたから、奴らは間違いなく名港に向かうはずだ。そこを押さえろ」

どうやら今日の護衛対象の行き先を、彼は誰かに密告しているようだった。ちらりとあの少女の顔がちらつく。そんな私の心を読んだかのようなタイミングで、バーボンは重ねて指示を出した。

「それから、3日前から行方不明になっていた少女が居ただろう。どうやら今回のホシが拉致していたらしい。……ああ、電車内で接触したが、保護は出来なかった。組織の他の工作員も居たからな」

だからその件も含めてお前に頼む、とバーボンは厳しい声音で言った。


「一匹たりとも逃がすなよ。―――風見」


そう言い残してバーボンは通話を切った。そして私が目を開けないことを確認すると、護衛任務が完了したことを報告するために、ジンとウォッカの待つ横浜へ向けて愛車を走らせた。

ブロロロロ、と、特徴的なロータリーエンジンの音が響く。暮れ泥む夕陽が車内に差し込んで、ドリンクホルダーのペットボトルが細長い影を作った。


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