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ガタンガタンと、規則的に車輪が回る音が響く。暮れ泥む夕陽が室内に差し込んで、カウンターの上のボトルが細長い影を作った。

夕方の5時。会社勤めのサラリーマンならば、そろそろ終業時間である。通勤ラッシュと言われる時間帯に差し掛かると、都内を走る電車は途端に人で溢れかえることになる。
しかし、私達を乗せたこの列車は、そんな喧騒とは無縁だった。車内にいるのは旅行を楽しむ気ままな観光客のみで、時間に追われたサラリーマンや通学鞄を下げた学生の姿はここにはなかった。

それもそのはず、私達が乗っている列車は国内有数の豪華寝台特急の1つ、ベルツリー特急である。年に一度のミステリーツアーが開かれるベルツリー急行の亜種で、数年先まで予約で埋まっているこのクルーズトレインは、正規のルートで利用しようと思えば、3泊4日で80万円もかかるという。ロイヤルワインレッドの車体とSL機関車を模して造られた先頭車両がトレードマークの列車の中は、バーカウンターや広々としたダイニング、和洋折衷のゆったりとした寝室など、外界からは切り離された絢爛たる空間が広がっていた。そんな世界に無料で足を踏み入れられたことだけは、今回の任務の役得と言ってもいいだろう。

「それで、今回依頼主を狙ってる人間というのは誰なんですか?」

私は前を歩く金髪の男の後頭部に向かって話しかけた。今回の任務は、平たく言えば要人の護衛である。組織の上層部と深く関わりのある人間らしく、色々と悪い噂の絶えない御仁であったから、命を狙われているという訴えもむべなるかな、という感想だった。組織に命じられるままにこうしてやって来たはいいのだが、護衛対象が何から狙われているのか、私はさっぱり知らなかった。敵が何者であるかによって、こちらの取れる対策も変わってくる。当然とも言える私の疑問に、今回の相方である金髪の男は初めて立ち止まった。

「シャルドネ、あなた、そんなことも知らずに来たんですか?」
「だって任務の話を聴いたのは昨日だったんです。足を引っ張られたくなければ、今のうちに教えておいてくださいよ」

バーボン、と私が相方の名前を呼ぶと、彼は仕方ありませんね、と肩を竦めた。

「彼を狙っているのは地元の暴力団ですよ。彼は以前、その組の若頭に大けがを負わせたことがあるんだとか」
「暴力団……」
「ええ。関東圏にもいくつか支部がある組ですね」
「名前は聴いたことがある、気がします。何にせよ、警察沙汰になれば私たちも護衛対象もその敵も、全員が困るということですね」
「そうですね。くれぐれも、大騒ぎにはならないように気を付けましょう」

バーボンはそう言って、真意の読めない笑みを浮かべた。

依頼主の男は、何人ものSPらしき黒服を連れた大柄な男だった。正直これだけの護衛を雇っているのなら、私達がわざわざ出向くこともなかったのではないかと思える。
しかし、簡単な挨拶を交わして気付いた。この男は見かけ通りの、よく言えば豪快な、悪く言えば細かい所に頭の回らない男なのだ。違法な取引で財を成したはいいものの、それが露見した時の尻拭いまでは考えていなかったのだろう。だから今回も、金にあかせて外部の人間を雇うことにしたのだ。いざとなれば、こちらに罪を着せて切り捨てるつもりで。

「あんなのが護衛対象なんて、モチベーションが上がりません」
「そう言わずに。僕達の役割は明日の昼過ぎに、名古屋駅に到着するまでの間ですから」
「え、最後まで護衛するんじゃないんですか?」
「名古屋に到着後、依頼主は列車を降りる予定なんですよ。その後は車でどこぞへ向かうそうですが、僕達はそこまで同行する必要はないそうです」
「変な話ですね。列車の中よりも、外の方が襲撃される危険性は高いでしょうに」
「降りた後が肝心なのでしょう。何らかの取引をするとかね」
「ああ」

私は短く納得した声を上げた。取引の現場までは安全に辿り着く必要があるが、その場に私達が居ては不都合ということか。
それならそれで、別に構わない。気乗りしない任務は早めに終わらせるに限る。

「ですからシャルドネ、あなたと一夜を共に出来るのは、今晩だけということになりますね」
「それは残念。あなたのそのお綺麗な顔を、じっくり堪能できると思ったのに」

思ってもいないことをさらりと述べて、私は外の風景に目をやった。窓の外を流れていくのは、夕陽を浴びてオレンジ色に染まった木々と、その向こうに見えるこじんまりとした家屋である。昼前に東京駅を出発したこの車両は、一度も途中の駅で止まることなく、名古屋へと向かっていた。



ガタンガタンと、規則的に車輪が回る音が響く。徐々に陽は翳りはじめ、カウンターの上のボトルの作った影はすっかり薄くなっていた。
陽が落ち切った直後、

「来ましたね」
「ええ」

デラックススイートの扉の前で待っていた私達は、廊下に複数人の気配を感じ、背中から拳銃を引き抜いた。

「シャルドネ」
「はい」
「あなたは僕の後ろに。サポートを任せます」
「了解。敵の数は4、5……7人ですか。バーボンが5で、私が2でいいですか?」
「そこは平等に行きましょう。―――僕達2人で7人、ですよ」
「…………。Yes, sir.」

私の返事に不敵な笑みを返して、バーボンは扉の外の人影を睨み付けた。やがて、こちらが動かないことに焦れたのか、相手の方が先に動きを見せた。
遠慮何て言葉を知らないかのように、乱暴な手つきでドアを開ける。質のいいマホガニー色のドアが、抗議するかのようにきしんだ音を立てた。
息を殺して銃を構える私達に、きっと向こうも気付いているのだろう。じっとりとした視線を送られているのは気付いていた。

けれどそちらに気を取られすぎていて、足元が疎かになっていたらしい。私が事前に仕掛けておいたトラップのピアノ線に、先頭の男の脛が触れた。

「ぐあっ!!」

サプレッサーが付いた銃口から、男の膝目がけて銃弾が放たれた。その声に驚いた次の男が、慌てて先頭の男に駆け寄る。
そして、また別のピアノ線に触れた。

「があああっ!」

大男が2人して悶絶する様は、傍から見る分には最高のコントだった。学習能力がなさすぎやしないだろうか、と敵ながら心配になってくる。

しかし、そんな私達にとって最大の誤算が生じた。奥のゲストルーム、つまり今回の護衛対象が居る部屋から、小柄な影が飛び出してきたのだ。

「えっ……」
「!?」

それは黄色い花柄のワンピースに身を包んだ、小柄な少女だった。正確な年齢は解らないが、小学生くらいだろうか。彼女の背後からは、護衛対象のSPが2人追いかけて来ていたが、彼女はその手から逃れるように私達のいる通路までやって来て、そして通り過ぎた。

「お嬢様!そちらは危険です、お戻りください!」
「お嬢様!」

SPの反応を鑑みるに、この少女はあの護衛対象の娘だろう。闖入者たちの大声に驚いて、部屋から出てきてしまったのだろうか。

(というか、子連れなんて情報、バーボンも知ってたんなら教えてくれたって―――)

私が文句を言おうとバーボンを見ると、彼は目を見開いて少女をまっすぐに見つめていた。何故こんなところに少女がいるのかと、そう言いたげな眼差しだった。

さて、万全の態勢で臨んだはずの私達に生じた誤算に気付かないほど、敵も間抜けではない。私のトラップを突破した数人が、小柄な影の細い腕を乱暴に掴んだ。

「おいコラ、こいつの命が惜しけりゃあいつを引き渡せ!」

少女の頭に野蛮な銃を突き付けながら、襲撃者の男は叫ぶ。あいつというのは護衛対象のことなのだろうが、正直な私の心境を述べるなら、今すぐ熨斗を付けて差し出してやりたかった。少女の命が懸っているなら尚更である。
しかしSPは動かない。彼らにとって大事なのはあくまで雇い主である彼で、その娘であろう少女の命よりは、雇い主を大事にしようという心づもりなのだろう。

はてさて、どうしたものか。私が小さく舌打ちを漏らしたその時、静かに立ち上がったのはバーボンだった。


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