02



出会いは、ほんの偶然だったように思う。

御所が七年ぶりの火事に見舞われ、若き今上帝の住まう内裏が焼け落ちたのは、冬の寒さが骨身に凍みる師走十二月のことだった。
住まう殿舎を無くした主上たちは、内裏から近い一条や二条に邸を構える関白左大臣家や、母方の実家である右大臣家へ身を移した。いわゆる里内裏という形である。

新しい内裏が出来上がるまでに、少なくとも一年は掛かると言われている。新たな内裏の普請を任されたのは、齢十八にして同世代の出世頭とも目されていた宰相の中将、諸伏高明である。その弟・諸伏景光は、幼いころに屋敷を賊に襲われて目の前で両親を亡くすという壮絶な過去を経験しており、兄の元を離れて僕の父に預けられていた。父は生さぬ仲の景光に対しても我が子と同様、もしくは我が子である僕よりもよほど手厚くもてなしていた。
こう聞くと、まるで僕の父がさも懐の広い人物かのように思えるが、決してそんなことはなかった。というのも、彼が景光を降谷家に引き取ったのは、跡継ぎが欲しかったからだ。こんな黄色い頭をした気味の悪い見た目の子供じゃなくて、美しい黒髪を持つ自慢の息子が欲しかったからだ。
それを知ったからと言って、今更どうこう思うこともなくなってしまったけれど。

「ゼロ?どうかした?」

ずっと黙りこくっているようだがもしかして気分でも悪いのかと、綺麗な黒い瞳をした同い年の少年は僕の顔を覗き込んだ。

「ああ、ヒロ。何でもないよ」
「本当に?朝から妙に顔色が悪いように見えるんだけど」
「本当だよ。……まあ、強いて言うなら緊張してるのかもな。何せ主上への新年の挨拶を、父上の名代としてこなさなきゃならない訳だし」

僕は飄々と答えて肩を竦めた。景光はそれを僕の本音だと思って納得してくれたらしいが、これは丸っきり嘘である。頼りない主上への挨拶も嫌で嫌でたまらないが、それ以上にこんな時だけ都合よく息子扱いしてくる父上の態度に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。元服も迎えていない息子(と養子)を名代に遣わすなんて、非常識としか言いようがない。例えお酒の飲みすぎで足が痛むのだとしても、公務はこなさなければ世間の目が厳しいだろうに。ましてや相手はこの国を統べる至天の君である。

(精々無礼な態度でも取って、父上にも主上にも恥をかかせてやろうか)

半ば本気でそんなをつらつらと考えているうちに、僕たちの乗った半蔀車は関白左大臣家の邸である一条院へと到着した。先に述べたように、今年は内裏が焼け落ちてしまって主上たちが里内裏として左大臣家に身を寄せていたため、新年の宴もこの一条院で執り行われることになったのである。
前簾を下ろしていても吹き込んでくる冷たい空気に、僕は物見の半蔀をこっそりと押し上げて外の様子を窺った。

「うわぁ、ヒロ、見てみろよ。寒いと思ったら、外は雪だぞ」
「ゼロ、そんなに身を乗り出したら危ないよ。雪が降ってるってことは、この車も足を取られるかも知れないよ」

言うが早いか、僕たちの乗っていた半蔀車が大きく揺れた。

「うわっ!」

がったん、と大きな音が鳴って、車体が斜めに傾く。僕は半蔀の縁を握りしめることでどうにか転げ落ちずに済んだが、額を蔀戸に強かに打ち付けて悶絶した。

「―――ッ」
「ほら、言わんこっちゃない」

額を押さえて蹲る僕を見て、景光はくすくすと笑った。

「大丈夫?ゼロ」
「う、うん。ちょっと痛かったけど、もう大丈夫だ」
「それならよかった。もっとこっちにおいでよ」

屈託のない景光の笑顔につられて、僕は彼の手をぎゅっと握り返した。

「今日は宴の余興として、左大臣様の北の方や姫君たちが合奏をされるんだって。楽しみだね」
「随分他人行儀だな。左大臣様というのヒロの母上の兄君なんだから、つまりヒロにとっては伯父上だろ?その姫君とくれば、ヒロにとっては従妹じゃないか」
「伯父上や従妹といっても、うちとは身分が違いすぎるから……。姫君たちの母上は、先の帝のご息女だしね」
「それじゃあ、親戚なのに今まで一度も会ったことがないのか?」
「ううん、年に三回くらいは会ったことがあるよ。ただ、最後に会ったのは半年以上も前のことだから」

今頃はきっと綺麗な姫君になってるだろうなあ、と景光は夢見心地な声で言った。

「一の姫はいくつなんだ?」
「僕らの五つ下だから、七歳かな」
「七歳じゃ、まだ“綺麗”なんて形容を使うのは早いだろ」
「そうかなあ。前に会った時は、こんなに小さかったのにもう傾城の面影を見せてたよ」
「ふぅん」

と気のない返事をしながらも、僕は内心もったいないな、と思っていた。それほどの美姫ならば世の男たちが放っておかないだろうが、こんな家に生まれてしまった以上、彼女の人生は半ば決まったも同然だと思ったからである。

有力な貴族の家に娘が生まれれば、政の道具にされる。それがこの時代の習わしだ。
きっと景光の従妹の姫も例にもれず、いずれは女御として今上帝のもとに入内させられるのだろう。そうして日嗣の皇子となる男皇子を産めば、皇子の生母である姫は中宮に立ち、その父親は将来の天皇の外祖父として権力を握ることができる。そのため、自分の家から中宮を出すことは、貴族にとって何よりの誉れと言われている。

「それじゃあその姫君は、左大臣様の期待を一身に背負って、英才教育を施されているわけだ。他の男が言い寄ろうとしても、あっという間に握りつぶされて終わりだろうな」

父親にそれだけ期待してもらえるというのはさぞかし幸せだろう、と僕は皮肉を込めて口端を釣り上げた。しかし、景光は僕の言葉に頷きはしなかった。

「……本人は、入内に対してあんまり乗り気じゃないみたいだけどね」
「えっ」

それは一体なぜ、と質問を重ねようとした時、牛飼い童の声がして、半蔀車の動きが止まった。どうやら目的地に到着したらしい。
この話題は一旦ここまでだな、とお互いに口を噤む。前簾を上げて降り立ち、用意された履物に足を入れると、僕は景光と連れ立って一条院の階を上った。


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