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丸一日をデートに使えるなんて思っていた訳ではない。
だがそれにしたってこれは、やりすぎ、というかやらかしすぎ、である。

僕は必死に車を走らせていた。時刻は既に午後9時を回ろうとしている。
さくらと一緒にデートをしよう、と約束したのは5月2日のことで、あれから3日で事件の収拾を付けてみせると思ったことがそもそも間違いだったのかも知れない。彼女が捜査に協力的だったおかげで普段よりも後処理は楽だったが、3日は舐めすぎていた。

ほぼ不眠で本庁に詰めた後、彼女と約束した夕方5時に間に合うように出ようとしていたところで、部下から書類の確認の依頼が来た。明日までに目を通して欲しいという声に耳を貸さない訳にもいかず、僕はその場でさくらに遅れるという連絡を入れたのだ。
だが、さすがに4時間も待たせるのは論外だろう。予約していたお店もキャンセルしてしまった。

彼女は僕が夕方からしか会えないと聴いても嫌な顔をせず、それまで大学の研究室を覗いてくると言っていた。休暇で帰国しているのに熱心なことだ。
それはともかく、早く待ち合わせ場所へ行かなければ。これ以上彼女を待たせる訳にはいかない。僕は法定速度を大分オーバーしながら、彼女の待つ米花駅前への道のりを急いだ。

ギルバートに彼女の居場所を訊き、ようやくその姿を見つけた時、そこには恐れていた光景が広がっていた。

彼女の横には、僕以外の人影があったのだ。寄り添うように駅のベンチに腰を下ろす2人の背中は、かなり距離が近かった。―――ただし相手の身長はかなり低かったが。

「さくら!!……と、コナン君?」

僕が彼女の肩を掴んだ時、2人の影は同時に振りかえった。相手の男は僕も良く知る眼鏡の少年で、どうやらさくらのスマホを使って誰かと通話をしていたらしい。

「“安室さん”、お仕事お疲れ様です。ふふ、髪が乱れてますよ」

彼女は立ち上がって僕の頭を梳いた。そんなに慌てて来てくれなくても大丈夫なのに、とくすくす笑う彼女の声が心地よくて、僕は抵抗もせずその指先を受け入れた。

「あー、安室さんが来たんなら僕はもう行くね。さくらさん、ギルバートさん、またね」

その言葉に驚いて、僕は彼が持っているスマホの画面を覗き込んだ。確かに通話の相手は人工知能のギルバートのようだった。
さくらを見ると、彼女はそっと人差し指を唇に当てた。今は黙っていろと言いたいのだ。

「コナン君、今から一人で帰るのか?」

いくら彼の家から距離が近いと言っても、もうこんな夜更けである。というかこんな時間に何故、小学生が大人の女性と駅前で会っているのだろうか。

「あ、それなら平気だよ。おーい、博士ー!」

コナン君の呼ぶ声に、阿笠博士とお馴染みの少年探偵団の皆が顔を見せた。いつも登下校中にはもう一人女の子が居るのだが、今日もその子の姿はここには見えない。

「おお、安室さん。さくら君がここで待っておるのが見えたから、ワシらも一緒に待たせてもらったんじゃよ」

博士の言葉にそうでしたか、と二重の意味で安堵したのも束の間、子供たちから否定の声が上がった。

「違うよ博士、あたし達さくらお姉さんを助けたの!」
「そうですよ!ガラの悪い男の人たちに絡まれてたから、止めに入ったんです!」
「そうだぞ、姉ちゃんすっげえ怖そうにしてたじゃんか!」
「え?そんなことがあったんですか?さくらさん」

僕が彼女の顔を覗き込むと、彼女はすぐに視線を逸らした。

「内緒にしててねって言ったのに……」
「駄目です。こういうことはちゃんと彼氏さんに伝えておかないと!」
「そうだよさくらお姉さん、じゃないとまた遅刻されちゃうよ!」
「こんなにキレイな姉ちゃん1人で待たせてたら、ナンパされまくって大変だぞ!」

子供たちからの抗議を、彼女は苦笑しながら受け止めた。だけど僕にとっては笑って済まされる話ではない。

「すみませんでした、さくらさん。次は決してこのようなことが無いように気を付けます」

彼女の手を握って、真剣な目で謝る。彼女は僕の態度に戸惑ったような目を向けた。

「え、そんな、安室さんはお仕事が大変だったんでしょう?私、怒ってなんかいませんよ」
「それでも、僕が遅れたせいであなたに怖い思いをさせたのは事実です」

だから、と言って僕は彼女の耳元に唇を寄せた。
この後、きっちり取り返させてくれ。素に戻って低い声でそう告げると、彼女は慌てて体を離した。彼女がこの声に弱いことは既に把握済みだ。
真っ赤になった顔も可愛い、と思ってその頬に手を伸ばそうとしたところで、足元から声がした。

「あ、えっと、僕達はお邪魔みたいなので早々に退散しますね」
「そうだね、哀ちゃん車の中で待ってるもんね!」
「すっげー……大人って感じだったな」
「元太君、感心してないで行きますよ!」

ほんのりと頬を染めた子供たちは、博士の車が停まっていると思われる駐車場へ向かって走って行った。コナン君は呆れた顔で、人前で目立つ真似はほどほどにしといたほうがいいよ、と言い残して博士と共に去って行った。

2人きりになったところで、さくらは僕のシャツの裾を引っ張った。

「……わざとやったでしょう」
「さあ。何の事だか解らないな」
「そんな棒読みに騙されないんだから。子供たちの情操教育に悪いわ」

それはこの米花町で育った彼らには無用の心配ではないかと思う。だが早く2人きりになりたくてわざと見せつけるような真似をしたのも本当なので、僕は素直にごめんと言った。

「それより、予定が大幅に狂ってしまって本当に悪かった。この後のことなんだが、明日は何か予定があるか?」
「明日は夜に飲み会が入ってるけど、夕方までは空いてるわ」
「それなら、これから僕の部屋に来て欲しい」

僕がそう切り出すと、彼女は心底驚いたように目も口も丸くした。

「僕がディナーの支度をする。それで許してもらえないか?」

僕からしたら、精一杯のもてなしをすることで罪滅ぼしをするつもりだったのだが、彼女はそれなら我儘を言ってもいい?と悪戯っぽく笑った。

「何だ?料理のリクエストか?」
「違うわ。今日はあなたをうんと甘やかしたいの」

彼女はそう言ってカーディガンの袖を捲った。

「ディナーは私が準備するわ。その間、あなたはベッドで少しでも体を休めておいて。4時間も待たされたんだから、私の我儘を聴いてくれるわよね?」

それは我儘とは言わないだろう。僕が反論しようとしたところで、彼女は僕の唇に人差し指を触れさせた。

「文句は聴かないわよ、伊達男さん?こんなに目も充血しちゃって、キレイな瞳が台無しだわ。あなたのキレイな瞳が見たいから、少しでも休息を取ること!」

わざと押し付けるような口調を選ぶ彼女のいじらしさが身に染みて、僕は大人しく頷いた。彼女の手料理が食べたいと素で思ったこともある。



僕の部屋、と言っても偽の名義でいくつか借りているうちの一つだが、そこに案内すると彼女はお邪魔します、と言って靴を揃えた。
キッチンの遣い方をざっと説明し、僕は彼女の言葉通り寝室に向かった。上は全て脱ぎ、下だけ部屋着に着替えて、スーツを掛けてからベッドに横になる。
ドアの向こうでは、手際のいい包丁の音や冷蔵庫を開ける音が聞こえてきた。家族が居たらこんな感じなのだろうか、と僕は久しく感じていなかった気持ちを思い出す。

家に帰ったらさくらが僕を待っている。そんな夢のような光景を、願ったことがない訳ではない。だが僕の命は国に捧げてしまったのだ、恋人ならまだしも家族を得ることには抵抗がある。

いつか。いつか僕が、堂々と本名を名乗れるような日が来たら。その時彼女がまだ僕の傍に居てくれるなら、家族になって欲しいと伝えたい。

そんな夢のようなことを願いつつ、僕の意識は徐々に遠ざかって行った。

*****

炊飯器にセットしたお米が炊けたタイミングで、私はこっそりと寝室の様子を伺ってみた。

「ギルバート、彼の様子はどう?」
「ノンレム睡眠を継続中です。かなり良質な眠りと言えるでしょう」
「それなら、このご飯は明日の朝に回した方がよさそうね」
「そんなメニューにするということは、初めからそのつもりだったのでしょう?」

ギルバートの指摘通り、私が準備していたのは朝食のようなメニューだった。カラスガレイの漬け焼きにほうれん草の白和え、そして鍋にはお出汁を取るために入れておいた煮干しが入った状態である。もしも夜中に起きて何か食べたいと言われた時のために、一応アイントプフも用意したが、この分だとそれも不要になりそうだ。

私は作った料理を器に盛り、冷蔵庫に入れる前に粗熱を取ろうと濡れた布巾の上に置いた。

「これでちょっとの間放置、っと」

私は髪を束ねていたバレッタを外した。キッチンを出てソファに腰かけ、自分用に淹れさせてもらったホットミルクを啜る。

今夜はこのまま、このソファを借りて寝てしまおう。さすがに家主の許可を得ずにお風呂を借りることは出来ないから、それは明日の朝に回すことにしよう。
私はそんな算段を立てながら、蜂蜜を溶かしたミルクを時間を掛けて味わった。


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