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俺と安室さんが霞ヶ関の目的地に着いた時、警視庁から発表された避難誘導が行き渡っていないためか、建物の中は逃げ惑う人でごった返していた。

「NAZUはコードを送り続けているが、やはり探査機にアクセスできないようだ」

安室さんが風見さんやサイバー犯罪対策課から受け取った情報は、焦りを増長させるだけだった。こうなると、自分で捕まえて聞き出す方が格段に速いと思うのも仕方ない。

(早くあの人を捕まえて、コードを聞き出さねえと……!)

出口に向かってこようとする人の波を掻き分けるようにして、俺と安室さんは目的の人物を捜した。

そこで漸く、焦って小走りになる人間が多い中、悠々とスマホを触りながら歩いて来る人物に目が吸い寄せられた。その相手は俺や安室さんが接近していることにも気付かずに、スマホの画面に全神経を集中させている。
雑踏の中にあっても、その靴音は嫌に大きく耳に届いた。

俺は相手の足元へ近寄り、声を掛けることもせずに右手の袖口を掴んだ。その手に持っていたスマホが落下し、床を滑る。
安室さんはすぐにそれを拾い上げ、画面を確認してから険しい顔でスマホをこちらに向けた。俺は掴んでいた袖口から視線を上げる。

「それはNAZUの地上局で見られるデータだよね。テロの犯人さん」
「…………っ!」

視線の先にいた人物は―――東京地検の公安検事、日下部誠は、驚愕に目を見開いて硬直していた。
安室さんはNAZUの地上局のデータを写すスマホを掲げ、本当にあなただったんですね、と固い声を発した。日下部検事ははたと我に返り、俺の手を振り払って顰め面を作る。

「何だね、君達は」
「もっと早く気付くべきだったよ」

俺は相手の戸惑いを気にも留めず、何故犯人を特定できたか説明を始めた。俺が日下部検事が犯人であると気付いたのは、境子先生が妃法律事務所に持ってきた、日下部検事が法廷に提出した証拠一覧を見た時だ。あの時、現場の写真の中に写っていたガラス片が、灰原とさくらさんが復元してくれた圧力ポットの破片と同じものだったのだ。この時点ではまだ、捜査会議でも爆発物がIoT圧力ポットであるとは公表されていなかった。なのに彼は、本当の爆発物の破片を証拠として提出してしまったのだ。

そう、真犯人しか知り得ない、本物の爆発物の写真を。

その時スマホのバイブレーションが鳴って、メールが届いた。差出人は英理おばさんの事務員の緑さんだ。

「ナイスタイミング。NAZU不正アクセス事件の公判資料だ。……あんたが担当した、な」
「その事件の手口は、Norを使った不正アクセス。この事件を担当したことで、あなたはNorを使ってサイバーテロを引き起こせることを知ったんだ」

続いて安室さんも畳みかけた。

「今日のIoTテロで使ったNorにバグを加えたのは、NAZUがNorの接続回路の匿名性を解除するシステムを持っていると知ったから。捜査を混乱させる目的と、今日はくちょうが帰還することから僅かでも目を逸らせる目的で、あなたはあのNorに手を加えたんだ」

だが、逆にそれが決め手になった、と安室さんは言った。

「我々がNAZUに捜査協力を依頼した、という情報を知っているのは、毛利小五郎の捜査関係者と裁判の関係者だけ。つまりそう遠くないうちに、捜査対象はごく数人に絞り込める予定だった」
「ぐっ……」
「だが、あなたは知らなかった。NAZUも匙を投げるほどのソフトウェアを解析できる人間が、僕らの側に居たことをね!」

さくらさんが解析したNorの発信源は、紛れもなく日下部検事のスマホだった。言い逃れ出来ないほどの決定的な証拠を、あの人は安室さんのために発見してしまったのだ。
日下部検事はその証拠を突き付けられ、拳を握りしめて震えた。

「―――私の物に、勝手に触れるな!!」

そして一瞬の隙を突き、安室さんの手からスマホを引ったくってその場から逃走した。

「待て!!」

俺はすぐさま彼を追いかけ、東京区検察庁の建物の裏手から駐車場へ続く道へと出た。道端に落ちていた空き缶を拾い、キック力増強シューズで蹴りつける。

「逃がすかよおおおおおっ!」
「くっ!」

しかし日下部検事は、それを腕で防いで勢いを殺した。さすがに持ちこたえきれず、体が歩道に倒れたものの、すぐに起き上がって駆け出そうとする。さっき安室さんの隙を突いたことと言い、彼は何かしら体術の心得でもあるのだろうか。

「っ、クッソ、駄目か!」
「問題ない!」

安室さんは日下部検事が向かう先を目で追って、自分は駐車場に整然と止められている車の上に身を躍らせた。ボンネットの上をひょいひょいと飛び越えていき、日下部検事の行く手を阻むように眼前に降り立つ。
前方には安室さん、後方には俺が迫り、退路を断たれた日下部検事はがむしゃらに拳を振り上げた。それを難なく受け流し、安室さんは日下部検事の体を歩道に押さえつける。

後ろ手で拘束し、地面に座らせると、安室さんは日下部検事に尋問を始めた。

「改めて訊く。日下部検事、あなたがテロを起こした動機は、公安警察への復讐で間違いないのか?」
「サミット会場が爆破され、アメリカの探査機が東京に落ちれば、公安警察の威信は完全に失墜する……!」
「何故そこまで公安警察を憎む!?」

安室さんの口調が熱を帯びた。それに呼応するように、日下部検事の声にも力が籠る。

「お前らの力が強い限り、我々公安検察は、正義を全うできない!!」

さすがにこの発言は無視できず、俺は日下部検事に詰め寄った。

「正義のためなら、人が死んでもいいって言うのか!」
「……民間人を殺すつもりはなかった……!」

彼は苦いものを噛んだかのような顔をして、ひたすらに自己弁護を続けた。
だから国際会議場の爆破も公安警察しかいない時を狙い、今日のテロも死亡者が出にくいIoTテロを選び、カプセルを落とす地点も警視庁を選んだのだと。
振り返った警視庁は闇に包まれていた。停電させられたと聴いていたのは間違いではなかったのだ。

そこで俺は、彼がこれまでの行動で見せてきた“正義に基づく行動”を思い返し、あることに気が付いた。

「警視庁を停電させたのは、中にいる民間人を避難させるため……!?」

頷く日下部検事に、安室さんはそうか、と納得したような声を上げた。

「ここに来る途中でIoTテロを起こしたのも、入ってくる人を止めるためか!」
「それでも、誰かが犠牲になる可能性は十分あったはずだ!!」

俺は行き道で見た玉突き事故や、トラックと衝突した乗用車が宙を舞う様子を思い返していた。もしかしたら、あの事故車の中には怪我をしたり、最悪亡くなったりした人がいたかも知れない。
俺がそう言うと、日下部検事も一瞬怯んだ。しかし彼の信念は固かった。

「……正義のためには、多少の犠牲はやむを得ない!」

俺はぎりっと唇を噛み締めた。
正義。誰もかれもが簡単に口にするが、その“正義”は一体誰のためにあるというのか。
他人を犠牲にしてまで貫き通さなければならない正義なんて、そんなもの。


「そんなの正義じゃない!!」


俺の心からの叫びが、暗闇の中に響き渡った。束の間の静寂が、俺達3人を包み込む。
そこで彼は若干毒気が抜かれたように、声を震わせて訴えた。

「私の……、私の協力者だって……!」

公安警察のせいで犠牲になった、と続けた彼に、俺は感傷に浸る暇を与えなかった。

「羽場さんは、」
「っ!」
「羽場さんはやっぱり、あんたの協力者だったんだね」

安室さんとさくらさんのように、有益な情報を与える協力者として羽場二三一は日下部検事と協力関係にあったのだ。それに気付いたのは、公判前整理手続きの時、スマホのロックを解除する暗証番号を入力する音を聞いたからだった。
88231―――羽場二三一。音を消していないのは珍しいと思っていたが、これは彼の復讐心を忘れないための儀式だったのだ。安室さんたち、公安警察への復讐心を。

俺がそう指摘すると、彼はもう隠しても無駄だと思ったのか、抵抗する意思を無くしたように肩の力を抜いた。


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