盲目臨也
不条理な選択
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くあ、とあくびをする。
臨也と住み始めてから、4ヶ月ほど過ぎたが、未だに目覚めてすぐに視界に映る高い天井には慣れない。
たまに、実家から越してから住んでいたおんぼろアパートのことをふと思い出す。ワンルーム、黄ばみのある畳。使い古されたトイレ。畳の上に敷いた布団は固く、時に悪夢にうなされたっけ。そんな家も、案外嫌いじゃなかったのかもしれないと今は思う。
だけど、あの部屋に戻るつもりはない。出てけと言われても居座ってやる。臨也の面倒を見ることになったあの日から、そう決めている。
(ねみ…)
静雄はもう一度眠るべく、目を閉じた。


「君、本気なのかい。臨也の面倒を見るって」
「ああ」
新羅の自宅。そこで静雄はまっすぐと新羅を見ていた。
ここに居る理由はひとつだ。静雄は、臨也の居る病院を知らなかった。池袋にはいないことは静雄の直感でわかっていた。だが、どこに居るかはわからない。
新羅はどこか神妙な顔で静雄を見つめる。ピリピリとした空気のなか、長らく沈黙は続いた。それを破ったのは新羅のほうだった。

「もし、君が責任が自分にあるからという理由で臨也の面倒を見る気なら、やめたほうがいい」
「…」
「責任を取るっていうのはね、自己満足に過ぎないんだよ。臨也の目を失明させたという罪悪感を″面倒を見る″ことで掻き消そうとする。単なるオナニーだ」
「そんなんじゃ……あるかもしんねーけど…」
「君が気に病む必要はないんだ、静雄。これは慰めでもなんでもない。事実から客観的に見ての意見だよ」

新羅はまるで子供に教えるように静雄に言う。

「君は臨也を殺したかったんだろう?だったら、そんなことをする必要はない。臨也はたしかに君を殺したかった。君は?あの夜が本気だったなら、半端に慈悲を掛けるべきじゃない。あいつは…今後どう生きるかなんて僕には知ったことじゃないけど。罪悪感なんて負う必要ないんだ。臨也のことなんて忘れたらいい。忘れられないなら、その罪悪感ごと背負っていくべきだ。それでも君は充分に幸せに生きていけると思うから。君の友人として、アイツの友人として、僕はそう思う」

静雄は黙って聞いていた。だが、胸のつっかえは取れなかった。
ーー忘れられるのか。忘れてしまうのか。
この先、アイツと関わることがない人生を歩んでいけば、そのまま徐々に、記憶から薄れていくのかもしれない。
揺れる黒髪も、挑発的な笑みも、ノミ蟲臭も、声も忘れるかもしれない。
好みの女性と出会い、結婚するのかもしれない。

その間、あいつは静雄の知らないどこかで生き、死ぬのかもしれない。

今、あいつと関わらないという選択をしたならば、人づてに、噂として耳にすることはあっても、きっと自身の目でそれを確かめることは、絶対にない。ないのだ。
ーーー嫌だ。

本能が嘆く。

「セックスならいいんだよな?」
「は?」

真面目な話をしているのに、この男はなにを言いだすのか。新羅は思わず素っ頓狂な声が出た。
対して、静雄はいたって真面目な顔つきだった。
「俺のやってるこたぁ、自己満のオナニーだって言ったろ。セックスなら、いいんだよな?」
「あー…、うん。なるほどね。君の言いたいことを理解した。そうだね、僕が反対してるのはその一点だ。もし臨也が、君に面倒を見て欲しいと言うなら、僕に止める術はない。たとえ自己満足によるものでも、互いが納得のうえならね」
ただ、当の臨也がそれを望む可能性はほとんど無に等しいだろうと、口にこそしなかったが、新羅は思っていた。

(でも驚いたな)

あんなに言って、引き下がらないとは。
静雄は、恵まれている。きっとこの先臨也と関わらなければ、理不尽に周りをかき回されることなく一定の平穏を得られるだろう。やさしい人間に恵まれ、力をコントロールできるようになった静雄ならきっと。愛しのセルティだって、友として傍に居続けるに違いない。
それなのに、ここで敢えて臨也に関わるというのは、彼自身が望んだ平穏を自らドブに捨てることと同じだ。不条理にも程があるではないか。

(あるいは……)

ひとつの可能性が思い浮かぶ。執着とも似たそれ。だが、執着だけならここまで馬鹿なことはしない。新羅はふ、と笑う。きっとこの単細胞な生き物は自覚してはいないだろうけれど。
(まあ、僕も一応、臨也にいなくなられたら寂しいしね)

「わかった。臨也の入院している病院を教える。ただ僕も付き添わせてもらうよ。ここで病院を教えたことがきっかけで殺人にでもなったら後味悪いし。アレでも数少ない友人のひとりなんだ」
「殺さねーよ。話をするだけだ」
「君らは学生時代からずっとその″話をするだけ″が出来なかったわけなんだけどね」

それからは早かった。静雄は臨也の入院する病院に案内された。「705室」。掲げられたネームプレートには知らない名前が書いてある。おそらく偽名だ。
臨也は手術後らしく、絶対安静だという。目以外にも、身体の至るところに傷を負ったと聞いた。看護師に病室に案内される際、あまり刺激をしないよう、釘を刺された。おそらく、約束を破ることになるだろう予感がした。
「新羅。今日…話すのか?」
「ん?怖気付いてるのかい?」
「そうじゃねえけど……なんか…もっと治ってから行くのがマナーなんじゃねえの?よくわかんねーけど……。絶対安静って」
「君にマナー指摘されるとはねえ。一般的にはそうだけど、今回に限っては別。話すならなるべく早い方がいい。治ったら臨也は多分、ここじゃないどこかに行く。おそらく遠くに。地方…いや、海外か。まあ、気まぐれだろうね」
「は…」
呆然とする静雄を横に、新羅は構わず臨也の居る病室の扉をノックした。
「僕。入るよ」
扉の奥は、カーテンは閉ざされ、暗い部屋だった。ベッドの上に点滴を打たれ、身体中に包帯の巻かれた男がいる。目に巻かれた包帯が、あの夜を思い出させた。腕も骨折しているらしくギプスをしていた。室内に荷物も花もなにもない。臨也だけが白の病室のなかで異質に思えた。
「新羅か」
「具合は?」
「最悪」
無表情に淡々と言う。それから、どこが痛むだとか問診をしていた。この病院だと処方されない薬を持ってきてもらっているようだった。
「ちゃんと食べれてる?」
「吐いちゃうんだよ」
「それでもちゃんと食べないと。ここの主治医にも言われてるんじゃないの?僕からもしつこく言わせてもらうよ」
「頼もしいことで」
そんな言葉のやり取りを開かれた病室の扉の外で、静かに聞き耳立てていた。よく見ると、肌は青白く、臨也の患者服から伺える腕の線が以前よりも細くなった気がする。

「雑談はもういい」

新羅との会話が打ち止められる。一瞬で、場の雰囲気は緊張感漂うものになった。

そして、

「誰?」

まるで、見えてるかのように。ドキリと心臓が跳ねた。静雄の居る方向に顔を向けていた。
そこには警戒心が含まれていた。
しかし、向けられる警戒心は、いつも静雄に向けている警戒心ではなかった。
ーー″見えてない″のだ。
理屈じゃ説明できないが、静雄に向けられるものと他に向けられる警戒心は、違う。そして、きっと、その違いは静雄にしかわからない。

静雄は意を決して、言葉を発した。

「……臨也」

臨也の肩が、震える。その三文字がそこにいる人物が静雄であることをわからせ、その三文字が臨也の感情を掻き立てる。臨也の手によって握られた毛布がぐしゃりと歪む。
「……帰れ」
「帰んねえよ」
静雄は病室に足を踏み入れた。臨也が静雄に神経を集中していた。臨也の息が上がる。心なしか、震えているようにも見えた。

「帰れって言ってるだろ!」

病室に大きな声が響いた。悲痛とも呼べるその声。しかし静雄はそれを物ともせず足を進め、臨也の傍でやっと足を止めた。

「は、なに?笑いに来たわけ?惨めな姿を拝んでやろうって?それとも今後君とそのオトモダチには金輪際近付かないよう誓わせにきたのかな?大事なオトモダチだもんねえ?たとえ俺が見えなくなったって、何しでかすかわかったもんじゃないもんね?新羅がついてるあたり殺すつもりはないんだろ?結局君は殺せないんだから、そんなことしなくてもいいのに。望むならいくらでも誓う。契約書でも書こうか?もう君には金輪際」
「あ゛ーーーッうぜえな!!」
びくっと肩が揺れる。
ーーー怖がっている。怯えている。
嫌だった。その恐怖を隠すようにべらべらとまくし立てる臨也に対しても、無性にイライラさせられた。気に入らない。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

ーーー嫌だ。

「お前の、面倒をみる。俺が」
「は…?」

まさに、『ぽかん』という擬音が似合うような顔をした。目は包帯に覆い隠されているが、目元が隠されていなかったら、目をまんまるにしていただろう。
「…………あのさ新羅、そこにいるのって本当に、金髪単細胞の化け物の平和島静雄?」
「うん。その静雄」
「…………実はそっくりさんだったりしない?それか頭イッてるのかこいつは」
「そうかもねえ。一回解剖させてくれたら調べてあげられるんだけど」
「お前らなあ!!」

好き勝手な言われように思わず声を張ると、扉から通りがかりの中年くらいの看護師が眉をひそめて「大きな声出さないように」と注意された。そうだ、扉、開けっ放しだった。
「お前らのせいで怒られちゃったじゃねえかよ……」
静雄も幼い頃、頻繁に入院していたから、″病院ではお静かに″は常々守ってきたのに。ガララ、と扉を閉める。
閉じられた静けさの中で、臨也が呟いた。
「……馬鹿馬鹿しい」
「あ?」
「俺が!どんな思いで」
聞いたことのない声だった。怒り、悲しみ、苛立ち、すべてが詰まったような。叫びを堪えるような、そんな声。
臨也は気持ちを落ち付けようとしているのか、静かに深い息を吸う。きっと、このまま自分が沈黙していれば、静雄をキレさせるべく、べらべらと煽るようなことを言うのだろう。そこで、キレてしまったら、いよいよ臨也は猫のようにひらりとどこかに行ってしまう。そんな気がした。
静雄は、新羅が言っていたことを思い出した。
ーー″臨也はたしかに君を殺したかった。君は?あの夜、本気だったなら、半端に慈悲を掛けるべきじゃない。″

あの時、瞬時に言葉を返せなかった。けれど今ならわかる。半端じゃない。慈悲でもない。
(ただ、俺は、)

「嫌なんだよ」

臨也は俯いたままだった。

「俺がお前の知らないところで死ぬのも、お前が俺の知らないところで死ぬのも嫌だ」

子供みたいなことを言ってることは自分でもわかった。それでも、嫌なのだからしょうがない。
今は、そうとしか、わからない。今の自分はどんな顔をしているだろう。おそらく、きっと、ひどい顔をしている。

「………愚かだね」

臨也の口元は、笑っていた。

それから、臨也はなにをするでもなく、なにを発することもなかった。その姿は、いまにでも消えてしまいそうにも思えた。
その日は、答えを聞けることはできなかった。

後日。新羅から着信があった。トムに断りを入れて、通話ボタンを押す。
『新しくマンションを買うそうだ』
「は?」
『君のぼろアパートでなく、そこでなら、面倒見させてやってもいいって』
その後に続けられた『ああ言っとくけどこれは臨也から一言一句違わず伝言しろって言われたからで僕の思惑は1ミリ、いや1ヨクトも介入してないからね!』なんて腹立つ言葉すらどうでもよくなるくらい、大きく感情が湧いた。この感情の名前はなんだろう。足が浮く感覚。
柄にもなく小躍りでもしてしまいそうなーー。
(…嬉しいのか?)

『臨也のこと。よろしくね』

新羅はそういうなり、電話を切った。

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20190528

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