Rachel

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退屈な毎日だった。
わずかな明かりの中で、周りには腫れ物のように扱われ、友達らしい友達もおらず、大人たちの噂話に耳を塞ぎ、祖父にはあまり家から出るなと言われ、シンには厳しく勉強をさせられ、それでも海の上の世界に希望を持ちながら暮らしていた。

そんなある日の晩、物資調達のため、いつもは寝る前に本を読んでくれるシンがいなかった。
祖父の話では、海上は嵐に見舞われていて今夜は帰ってこないかもしれない、との事だった。

(みんな、大丈夫かなぁ…)

予想外の出来事に、シンや一緒に行った仲間たちはどうしているのだろうか。
荒れ狂う嵐の中、安全なところで休めるのだろうか。

しかし遠いこの深海には、吹き荒れる風も高波も関係はなく、ただいつも通り静かに夜が更けていった。
もう辺りは寝静まっているのに中々眠気が訪れなくて、リルは小さく呟いた。

「嵐、かぁ…」

深海で育ったリルにとっては、激しい旋風も優しい微風も感じたことはなかった。
暖かい風も、冷たい風も、輝く太陽も、青い空も、打ちつける水飛沫も、どれも絵本でしか見たことがなかった。

いつか行ってみたいと期待に胸を膨らませながら、本当にそんな日は来るのだろうかと悲観的な自分もいる。

里の中でも陸に上がれるのはごく一部だけ。
それも男ばかりだ。
そんな中でリルが陸に上がる許可を貰える日など来るのだろうか?

里の中の人魚や魚人たちは、この閉鎖的な空間のせいか、陸に上がりたがる者は皆無で、リルのような憧れを持つ者は排除される傾向にあった。
大人たちは、人間なんてロクなもんじゃない、陸に上がるなんてとんでもない、とまるで脅えるように言った。
そして、そう教えられた子供たちもリルに近寄ろうとはしなかった。

しかしシンや祖父は、海面に上がってはいけないと口を酸っぱくして教えてくれたが、人間が恐ろしい生き物だとは教えてはくれなかった。
それが何故か深く考えたことはなかったが、きっとシンや祖父は知っているのだろう。

(陸の上って…人間って、そんなに恐ろしいものなのかな…)

そう思った瞬間にリルは、急に霞がかった頭の中が晴れ晴れとした気分になった。

「そうだ、陸に行こう」

突然そう思ったのは何故だろうか。
いつもお小言ばかりのシンがいないからだろうか。
調達のため、いつもより巡回の人数が少ないからだろうか。
それとも、海の上で見たこともない嵐が吹き荒れているからだろうか。

気付いた時には、リルは里を抜け出すことに成功していた。
いつもより少ないとはいえ、大人たちの厳しい目をどうやって掻い潜ったのか、リルにも分からなかった。

「ど、どうしよう…」

どんなに行きたいと思っていても、ダメだと言われればそれに従っていた。
言いつけを破ってまで陸へ上がることなんて思いつきもしなかった。
それが今、こんな風に里を飛び出しているなんて…

「嘘みたい…!」

今までの自分では考えられないような行動力に戸惑いながら、リルは海面を目指した。
右も左も分からなかったけど、ただ高鳴る鼓動だけはハッキリと感じた。

道しるべなどない海の中をただひたすらに進むと、次第に海がリルを強く押した。

「これが、波…!」

初めての体験に胸を躍らせながらも、尾ひれに力を込めた。
少しずつ辺りが明るくなっていくと共に海が荒れていき、期待よりも不安が勝ったその時に、リルは強い波の力というものを実感した。

「きゃっ…!」

嵐というものがこんなにも力強いものだと、ようやく理解した時には既に遅く、リルは成す術もなく流されていった。
勝手に里を飛び出した罰でも当たったのかもしれない、そう思った時にはリルの視界は黒く染まっていった。
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