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この美しさに多くの男達が魅せられたのだろう、無理もない。
しかし、だからと言ってサンジがそのような人身売買に手を出すわけもない。
なにより彼女はもう仲間なのだから。
法の目をかいくぐった低俗な輩に、怒りを覚えた。
「大丈夫、もうあんなヤツらに渡したりしねぇよ」
「ほんと…?」
「もちろん、おれが守るよプリンセス」
震える手を取って口付けると、リルの頬が赤く染まった。
恥ずかしそうに俯いて、反対の手でスカートの裾をモジモジとこねくり回している姿は、初心で可愛らしかった。
「ところで、足はどうしたんだい?」
素朴な疑問だった。
リルが人魚であるのなら、海に落ちるまで確かにあった、あの足はなんだったのだろうか?
サンジが首を捻っていると、リルが怖ず怖ずと口を開いた。
「水に…塩水に触れるとヒレになるの…乾くと、足に…」
「へぇ〜、人魚って便利だなぁ」
人魚にそんな特性があるなんて知らなかった。
サンジが感心していると、リルが顔を上げた。
「あ、でも…」
「ん?なんだい?」
「……なんでも、ない」
リルはどこか言いたげな顔をしながらも、結局は首を横に振った。
それを不思議に思いながらも、サンジはタバコの煙を吸い込んで一息ついた。
「でも、リルちゃんが喋れるようになってよかった」
「え…」
「こんな可愛い声なら、もっと早く聞きたかったな、人魚姫」
確かどこかの童話にそんな話があったような気がする。
その物語の主人公は最期まで声を取り戻すことはなかったけれど、今サンジの目の前にいる彼女は確実に言葉を紡いでいる。
あの、音のない泣き声を思い出して、サンジは胸がいっぱいになった。
もうあんな風に彼女が泣くこともないだろう。
そう安心していたら、リルは申し訳なさそうにサンジを見た。
「でも…ヒレが乾いたら、また喋れないけど…」
「え?」
「足の時には喋れないの…」
「そんな…!」
これから、ずっとこの鈴が鳴るような可愛らしい声を聞けるのだと思っていたサンジは、項垂れて落胆した。
これでは、本当に童話の世界のようだ。
(いや、でもリルちゃんは塩水に浸かったら喋れるわけだから、大丈夫…)
塩水なんて腐るほどある、とサンジは自分に言い聞かせた。
サンジが勝手に自己完結していると、どこからかズルズルとすするような音が聞こえた。
驚いて顔を上げると、体育座りのような格好でリルがヒレに顔を埋めていた。
「リルちゃん?どうした?」
どこか痛いところでもあるのだろうか。
サンジが慌ててリルの顔を覗き込むと、その肩は震えていた。
「リルちゃん…?」
震える肩を包むように触れると、すすり泣くような声が聞こえた。
「もう、帰れない…」
搾り出された声は弱々しく、どこか追い詰められたような雰囲気だった。
(帰れない…って、どこへ?)
魚人島?
だとしても、帰る術はあるのではないだろうか。
偉大なる航路のどこかにあるのだ。
一行が旅を続ければいつかは辿り着くこともあるだろう。
なにより、彼女にはヒレがある。
泳いでは行けないほど遠くにでもあるのだろうか。
(むしろ、おれも行きてぇ…)
サンジの邪まな想いとは裏腹に、リルは絶望の縁に立たされたように泣いている。
その姿は、あの満月の夜のようで。
「大丈夫、帰れるよ」
また訳もわからずに大見得を切った。
その小さな体を抱きしめると、リルの息を飲む声が聞こえた。
帰れないと悲しみに暮れるリルに、自分が居場所を作ってやればいいんだと思っていた。
でも涙を流すのは望郷の念にかられているからじゃないだろうか。
帰りたいのなら、帰してあげよう。
あぁ、でも海へと還れば、君は泡になって消てしまうんじゃないのだろうか?
2012/10/12