新人モデル 高峯翠の一歩 1
 ここ数ヶ月ずっと、高峯翠はウォーキングのレッスンを受けていた。正しくは、受けさせられていた。

 卒業し、アンサンブルスクエアが徐々に始動しつつあり、正式に事務所に所属した守沢千秋や深海奏汰の活躍が目立ち始めている。いちおう、南雲鉄虎をリーダーとする流星隊はスタプロに所属し、時折守沢千秋や深海奏汰も入れて、従来のメンバーで「流星隊M」として活動することもある。
 しかし、本来流星隊は継承式であり、正式なユニットは鉄虎がリーダーを務めるほうであった。
 けれど新1年生を大量に受けいれた結果、手が回らなくなり、卒業した先輩の活躍が目覚ましいこともあり鉄虎たちは、正式ユニットでありながら「流星隊N」と呼ばれる二軍扱いのようになってしまった。

 そもそも守沢千秋と深海奏汰はローシュタインプロダクションに所属していて、事務所も異なるというのに。

 今の2年3人も、今はスタプロに流星隊として所属しているが、卒業後は流星隊を後輩に引き継ぎ、個人としてロープロに採用される契約が成立している。
 守沢千秋も深海奏汰もいつまでも引き継いだ流星隊に縛られるわけにはいかない。もう先を歩み出している。それに翠としても、預けられたはずなのに、まだまだ未熟で先輩たちが出張ってくるのはかなり悔しいし情けなかった。

 その展開を打破する一貫として、高峯翠はモデル界、映像界に進出するプランが打ち出されていた。恵まれた容姿とスタイルを活かさない手はない。


 レッスンは過酷だった。
 授業の中でモデルウォークレッスンやポージングもなかったわけじゃないけど、何よりも優先して磨くべきスキルは他にあったから、重要視されていなかった。
 モデルとしてのスキルはアイドルとしての魅力を引き立てるためのスパイスでしかなかった。

 けれど、実際やってみると、これがかなりきつい。
 激しい運動をしている訳でもないのに、汗が吹き出し、体中が筋肉痛になり、足は靴擦れで血塗れになった。
 何度もぼやいて死にたくなった。
 キツすぎてダンスに支障をきたして、いつも以上にのろまな動きしか出来なくなったりもした。

 しかし、モデルウォークをやり込み、ものにしたことは高峯翠を一段階上のステージまで連れていくことに成功したのだ。

 ロープロ所属で、女性芸能人のトップに君臨する名前様はスパルタ中のスパルタで、鬼と言うより悪魔、魔王、いやそれよりもっとひどい──。
 やる気のない翠にゴミを見る目で見下してくるのは縮み上がった。でも。
「うん、これなら外に出せるわ。高峯翠、頑張りましたね。猫背も治ったじゃない」
 慈愛の表情で褒められるととても嬉しく、誇らしい気持ちになった。ひたすら厳しく、飴の全くない先輩は初めてで最初は怖かったけど、情に厚い人でもあるとこの数ヶ月で知った。


*

 名前様からの合格を貰って1週間後、高峯翠は彼女のマネージャーの運転する車で運搬されていた。
 とあるモデルオーディションに参加させてもらえるという。

 いくら何でも早すぎる……! 翠は頭が痛くなった。

「えーと、今日はなんのオーディションですか?」
「え? 言ってませんでした?」
「はい……突然、行きますよ! とだけ……」
「あら、ごめんなさい。今日のはわたしが看板を務めてるブランドのオーディションなの。新作用にメンズモデルを2人。あなたはメインじゃないからカタログには数ページしか載らないけど」

 ブランド名を聞いて翠の唇から呻き声が漏れた。アパレルブランド【kassyran(カシュラン)】は女性を中心に絶大な人気を誇る新進気鋭のブランドであり、よく舞台衣装やアイドル衣装なども手掛けている。Ra*bitsもよくここに頼んでいるらしい。
 プロデューサーであるあんずも発注したりしているし、かなり身近で、影響の大きいところだ。
「か、【kassyran】て俺でも知ってるんすけど……いいんですか?モデルの経験もないのに……」
「まあ、L$も発生しない依頼ですし、できるとは思ってないから大丈夫」
 その一言は効いた。かなり効いた。
 言葉もなく落ち込む翠に気付き、名前は慌ててフォローする。
「悪い意味じゃなくって。【kassyran】は身内みたいなものだし、急ぐ撮影でもないから、何回もトライ出来るのよってこと。新人育成も兼ねてるの」
「ああ……良かった……。ん?L$貰えないん……すか?」
「報酬は現金になります。ロープロは一応ESビル内に事務所移転したけど、天祥院英智イズムに染まる気は全く無いの。だからL$と現金報酬は4対6の割合で受けてます。ESはアイドルの国ぶってるけどアイドルだけが社会じゃないんだから、貴方もあんまり染まりすぎないでね」
「分かりました……じゃ、今回のは流星隊のランキングは上がらないんすね……」
「はい。ホールハンズから取った依頼じゃないから適応されないですね。現金をL$に両替したら評価はされますけど……ESのES内でしか評価されないシステム本当に嫌い……。依存してはダメよ」

 不機嫌になった名前に翠は慌てて話題を変えた。
 名前の考える社会のシステムの話は翠にはまだ難しい。
「急ぐ撮影じゃないっていうのは?」
「今回の撮影は冬服なの、まだ時間はたっぷりあるから。それにもし上手くいかなくてカタログ用が撮れなくても、後からまた撮り直してSNSやHPにだけ載せる形になると思います。正直言って今回はズブの素人をコネで採用するんだしね。胸を借りるつもりで挑んでくれれば。もちろん他のところはこんなに甘くないですけど」
「はあ…………」
 翠は気の抜けたように聞こえる返事をした。やる気がない訳では無い。むしろ、安堵する一方でかなり刺さった。
 それって結局、期待されてないのと同じだ……。
 この仕事で良い結果を見せつけるしか、今の高峯翠への評価を覆す方法はない。


「おはようございます……」
 会場に入ると一瞬視線が突き刺さり、すぐに興味無さげにまた離れていく。40人ほどモデルが待機していて、誰も彼も真剣な顔つきだ。
 翠は壁際で直立不動になった。
 手持ち無沙汰だけれど携帯は使うなと名前に厳命されている。美しい姿勢、謙虚で誠実な態度を誰も見ていないところでもやれと、口煩く言われた。

 今回のオーディションでは名前様が審査員を務めるらしい。
 車の中で言われた。ブランドが採用するメイン1人、サブ1人のうち、サブは高峯翠で決まっていると。コネは使ってこそなんぼだとは分かっているが、どうしても気後れしてしまう。
 ピリピリしている雰囲気の中、自分だけが合格が分かっている……。

「え? 高峯くん?」
「え?」
 聞き覚えのある声に素っ頓狂な声を漏らして振り返ると、目を見開く見覚えのある少年が立っていた。朱桜司。ESでもビッグ3と呼ばれるユニットのリーダーであり、翠の同級生。
 近くには同じくKnightsの3年生である鳴上嵐もいた。

「偶然ですね。貴方もこのAuditionを受けるご予定だったのですね」
「う、うん……」
 知り合いがいるとは思わなかった。しかもKnightsが2人も受けるほどの規模だなんて。
 なんだか少し気まずそうな翠に司はきょとりと首を傾げる。
「高峯ちゃんスタイルはいいけどモデルのイメージはなかったわあ」
「今回が初オーディションで……」
「あら、そうなの!?それじゃあ緊張するでしょうね。スクールは通ってるの?」
「いえ」
「じゃレッスンは事務所で講師を雇ってもらったの?」
 少し悩んで曖昧に頷いた。名前様は違う事務所だし、レッスン料も発生しているから間違ってはいない。
「立ち姿もキレイになってたし、ライバル登場ってとこね。あっちには遊木真クンもいたしうかうかしてられないわア」
「お互い頑張りましょう」
 手を振って2人はまた距離を取った。少し胸を撫で下ろす。ずっとそばにいたんじゃ緊張と罪悪感でまともじゃいられなかったから。
 自分がすごく場違いに思えて仕方がない。

 扉付近がざわめいた。
「朔間零……!?」
 UNDEADの二枚看板、三奇人のひとりである朔間零が優雅に会場に入ってきて、誰も座っていなかったソファに腰掛けた。誰もが少し距離を取りながら彼を注視している。
 彼は、業界でも有名人だ。

 翠は唾を飲み込んだ。
 無理だ……!
 知り合いの凄いアイドルたちが落とされるのに、自分だけが受かるなんて、そんなプレッシャー耐えられない。


「それではオーディションを始めます。1〜10番の方は中へ」
 とうとう始まってしまった。翠は37番。
「わあ、いきなりですか。緊張しますねえ」
 遠くで知った声がした。青葉つむぎが緊張なんか微塵もしていなさそうな顔で中に入っていく。
 あの人もいるのか……。思っていた以上に知り合いが多い。

 5分もしないうちに次の組が呼ばれていく。
 いくらなんでも早すぎないだろうか?モデルのオーディションは初めてで、翠にはよく分からないけれど、随分アイドルのオーディションとは勝手が違うみたいだ。
 10人のうち、6、7人くらいは暗い顔をして荷物を纏めている。
 いきなり合否を判断されるらしい。
 厳しい……。
 奥の方にいる朱桜司も少し固い顔をしていた。みんな真剣で、必死な顔だった。
 自分なんかが……とは今でも思う。
 でも、せめて、気概だけでも並べるように挑まないと、申し訳なくて情けなくて、駄目だ。翠は自分を叱咤した。

 司と嵐が戻ってきた。
「頑張ってね、高峯ちゃん」
「rivalですが、私も応援しています」
「は、はい……」
 明るい顔を見るに、ふたりは通ったようだ。


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