戦争主義 1
*

 あんずはESビル13階にやってきていた。この階には滅多に訪れない。
 13階はロープロ……「ローシュタイン・プロダクション」のオフィスになっている。この事務所には元夢ノ咲ユニットであるRa*bits、Valkyrie、そして元流星隊の守沢千秋と深海奏汰が所属している。さらには今世間で彗星と呼ばれている女性アイドルユニット Shineや、男女問わず芸能界のトップに君臨するTEARSもいる、本格派タレントを多く獲得している事務所だった。
 ロープロの特徴として、オフィスに入るのすらしち面倒な手続きを踏まなければならない、超厳格、超排他的、超機能的であることが挙げられる。
 あんずはそのロープロ相手に、ビジネスプレゼンテーションを行わなければならない。
 心持ち顔つきを固くさせ、あんずは踏み出した。


「それでは少々お待ちください」
 淡々と社長に会えることになりそうで、あんずはほっと息を着いた。落ち着いてオフィスを見回してみる。
 白を基調に、差し色として水色が使われた、上品で清楚な内装。白と水色はトップアイドル、名前様のモチーフカラーだった。
 さすがロープロを牽引するタレントなだけあり、そこかしこにTEARSのポスターが貼られている。そして、Ra*bitsやValkyrieも。

 出された紅茶を飲むと、とあることに気が付き、あんずはじっと良い香りの漂う水面を見つめた。
「これは……」

「プロデューサーさん!」
 オフィスの奥から、見覚えのある人物が喜色を浮かべてよちよちと駆けてきた。
「創くん!」
「うわあ〜お久しぶりですね!このオフィス内で会えるなんて、嬉しいです」
 彼は紫之創。Ra*bitsのセンターであり、夢ノ咲時代の後輩だ。
「もしかしてこの紅茶、創くんが淹れてくれた?」
「えっ、分かるんですか?えへへ、実はそうなんです」
「前はよく飲ませてもらってたから。相変わらずとっても美味しい。ありがとう創くん」
「そんな、いえいえ……。プロデューサーさんに喜んでもらえたならよかったです」
 夢ノ咲を卒業した後創の紅茶を飲む機会はめっきり失ってしまったから、今日飲めたのはすごく幸運だ。
 ふたりはソファに腰掛けて会話に花を咲かせる。

「えっ?プレゼンテーション?」
「うん、実は……とあるプロジェクトが浮上しててね」
「すごいです、もうプロジェクトを任されるなんて!」
「まだまだだよ。今回は天祥院先輩が起草した案だから、優先的に仕事を回してくれただけ。でも絶対成功させたい!ロープロの社長さんが頷いてくれるといいけど……」
「英智お兄ちゃんが……」
 創の反応が鈍くなったような気がして顔を覗き込むと、少し困ったような表情を浮かべていた。
「何か気になった?」
「いえ……、成功を祈ってます!僕!」
「創くん、教えて?わたしどんなことも受け止めるから」
「プロデューサーさん……はい、でも、せっかくのやる気に水を差すようで申し訳なくて」
 手をもじもじと弄る創にあんずは嫌な予感がした。創は何かを不安視している。
 やがて、彼はゆっくりと話し出した。

「社長さんは反対しないと思います。どんなプロジェクトであれ、人気が出そうなこと、話題になりそうなこと、面白そうなことは自由にやらせてくださるので」
「本当に?良かった!怖い人だと困るなって思ってたから」
「怖い人ではありますけどね」
 苦笑する彼。ロープロ社長の人物像が掴めない。
「問題はその後です。社長さんは放任主義で、全ての仕事をほぼアイドル本人に選択させます。実質この事務所の権限を握っているのは、名前様なんです」
「名前様!?あれほど天の上の人が事務所を回してるの?」
 こくんと創は頷いた。アイドルが事務所の実務を担うのはかなり、厳しい。七種茨ですら全てを掌握してはいないし、ニューディの青葉つむぎやリズリンの蓮巳敬人、朔間零はすごく苦労して何とか回そうと足掻いている。
 天祥院英智はもはや、政治のためにアイドルをしているような状態だ。

 創は憂いを浮かべる瞳を伏せた。
「名前様はすごく優しくて、自立心が強くて頼もしいです。その、でも……ESのスタイルが好きじゃないみたいで、よくスタプロと仕事はしたくないって」
「そんな……」
「前にTricksterも名前様を怒らせてしまって仕事がバラされたことがあったでしょう?この前の√AtoZの時もすごく嫌がってました。主導とセンターがリズリンだから、まだ納得したみたいなんですが……」
「…………」
 黙りこむあんずに創はすごく申し訳なさそうに
「ご、ごめんなさい、こんなネガティブなことを……」
 と謝る。あんずは首を振った。
「ううん、事前に情報を得られてありがたいよ!どうにかみなさんに納得していただけるプロジェクトを組むのが私の仕事だもん」
「あんずさん……。あっ、プ、プロデューサー、僕、応援してますから。それで、また一緒にお仕事がしたいです」
「うん、任せて!」
 手を振って、紫之創の背中を見つめる。プロデューサー、か……。名前で呼んでもらえないのは、たまに、ほんの少しだけ、寂しくなる。


 ロープロのスタッフに案内され、とうとう社長室にやってきたあんずは、小さく深呼吸した。
「失礼いたします。スターメイカープロダクションでプロデューサーをしております。本日はとあるプロジェクトについてお話させていただきに参りました」
「へえ、随分若いねえ。まあテキトーに掛けてくれよ」
「は、はい、失礼します」
 中央のテーブルを囲み、ふたりは席に着く。社長は想像とはかなり違う人物だった。無精髭に胸元の広いシャツ、良いものとひと目でわかるスーツに、金ピカのブレスレット。
 胡散臭げで、成金臭が強く、軽薄そうな……。その、あまり他人の事務所の社長を悪く言いたくないけれど、オフィスの雰囲気や方向性とあまりにも合わない。
 刹那様に業務を一任(という名の丸投げ)をしているのは間違っていないかもしれない。

「で?話って?」
「はい、こちらの資料ですが……」
「あー、いい、いい。悪いけど簡潔にお願いね」
「……それでは口頭で簡単にご説明させていただきますと、複数の事務所を跨いだシャッフルユニットを組みたいと考えております。先日、√AtoZという臨時ユニットではRa*bitsの天満光さんに参加していただきましたが、大変好評でした。この流れに乗ってまた臨時ユニットを組み、ライブを行いたい。現時点でのシャッフルユニットメンバーもある程度ピックアップしてありまして……」
 あんずの真剣な顔をロープロ社長はじっと見つめ、動き続ける口を遮った。
「あんたいくつ?」
「はい?」
「年齢はいくつなんだ?」
「今年で19歳になります」
「19!?はあ!?」
「あ、あの、若輩ですがプロデューサー業は学生時代から行っていますし、ある程度大きな規模のライブも手懸けて……」
「これひとりで練ったわけじゃないだろ?誰が関わってる?」
「……は、はい、大まかには私が練りましたが、企画の立案にはスタプロ代表、天祥院英智が関わっております」
「ああ、あの食えないガキか。どいつもこいつもガキばっかりだなあ」
 ロープロ社長は黙り込んで、資料をさらさら眺めている。あんずは不安で心臓がドキドキした。あんずの実力不足を懸念され、このプロジェクトを蹴られたらとてもじゃないけれど眠れない。
 しばらくして、社長が手に持っていた資料をパサッとテーブルに放り投げた。
「まあ金になりそうだしいいんじゃないか?スポンサーもスタプロがつくならこっちには損がないし、ユニットメンバーからRa*bitsが出るならコケても問題ない」
「Ra*bitsならコケても問題ない……?」
 思わず眉をひそめたあんずに社長がヘラヘラ笑いながら手を振った。
「ああ、うちじゃ2つの売り方に分かれてんだ。エリートコースに乗せて完璧を貫かせるValkyrieやTEARS。そして、わざと苦難をあたえてファンとの距離を縮めさせるRa*bitsや流星隊やShine。まあ、お前さんとこのTricksterと似たような流れだな。壁に立ち向かう波乱に満ちたアイドルユニット!を演出するんだよ」
「アイドル本人たちは……」
「わざわざ言ってないが察してはいるんじゃないか?そもそも、うちは仕事は自分たちで取ってこさせる。仕事がないのは本人たちの実力と人気と運がないからだ」

 あんずは黙った。もやもやとしたものはあるが、他人の事務所に口を出すなんてそれこそ取り返しのつかない失礼だ。
「俺はこのプロジェクト悪くは無いと思うが、まあ細かい調整はうちのタレントの名前としてくれ。話は通しておく。これはあいつの連絡先。名前の意見がロープロの意見だから、もし反対されたら諦めてくれ。じゃ」
「あ、ありがとうございます……」
 扉が閉められ、あんずは立ち尽くした。社長の賛成は得られたことを喜べばいいのか、なんなのか……。ロープロの社長は、うまく言えないが、あんずは好きになれない気がした。

*

 日を開けてまたあんずはロープロのオフィスに赴いていた。
 今度は、ユニット「TEARS」の執務室に案内される。
「よくいらっしゃいましたね」
 大きな窓を背に、美しい黒髪と天使のような美貌を持った女性があんずを出迎えた。青い空と青い海の絶景が広がり、同じ色の瞳があんずを見つめている。

 生名前様だ……!

 あんずはつい俯いて、慌てて顔を上げた。微笑みを讃えた彼女に見つめられると、どうしてか気恥ずかしくなる。美しい顔立ちはいくらでも見慣れているのに。
 けれど、あんずが知る人物の中でもトップを争う美貌ではあった。仁兎なずな、朔間零、瀬名泉、高峯翠に並ぶだろう。

「そちらにお掛けになって。長谷部」
「失礼いたします」
 刹那様が指を鳴らすと粛々と男性が現れ、お茶を出していった。これまた美しく、精悍な顔立ち。アイドルだろうか……?
 胸中の疑問を見抜いたかのように名前が答える。
「彼はただのマネージャーよ。それより、本日は何か面白そうなプロジェクトをお話してくださるって。社長が珍しく乗り気だったから、前向きに検討したいわ」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!実は……」
 あんずは喜びを浮かべた。掴みづらい人だと思っていたけれど、どうやら彼はあんずをある程度評価してくれていたようだ。

 説明し終わったあんずがきらきらと名前の顔を見上げたが、その表情は一瞬で固まった。
 名前は微笑みを浮かべてはいたが、冷めた目をしていた。

「たしかに面白そうなプロジェクトね。でも、残念だわ。実はわたしもシャッフルユニットは考えていて、うちの紫之創とそちらの姫宮桃李を組ませたいと思っていたの」
「そ、それでしたら今回のプロジェクトでも可能かと思います!ピックアップタレントに2人とも入っていますし……」
「天祥院英智が主導なのよね?」
「え?」
「悪いけれど、センターがスタプロタレントというのも了承出来ません。最低でも姫宮桃李と紫之創のダブルセンター。そして、プロジェクトの主導をロープロ、スポンサーもウチが半分持つし、メインプロデューサーはわたし。それから臨時ユニットで終わらせる気もありません。事務所を飛び越えた恒常的なユニットとして活動させます。その準備はもうとっくにしてあるの。この条件でないと、このプロジェクトに関わる気は一切ありません。そう伝えてくれる?天祥院英智に」
「え、あ、あの……」
「ごめんなさいね、プロデューサーさん。あなたに非は一切ないけれど、わたし天祥院英智のやり方は好きじゃないの。あの人がしゃあしゃあとうちのタレントを利用して食い潰すのを、指をくわえて見ている気は無くってね」
「天祥院さんはそのような方では……」
「お話は終わりよ。わざわざ出向いてくれてありがとう。次は同じ仕事に関わる仲間として会えたら良いわね」
「あ、あの、困ります、話を……」
「あなたじゃお話にならないの。わたしはロープロの代表、そして天祥院英智はスタプロ代表。事務所の方針に関わる話なのよ」

 非情に閉められた扉。
「は………………っ」
 あんずはあまりの詳しさと情けなさに、手を強く強く震わせた。これを英智になんと説明すれば良いのか、結局自分の力で商談は出来ないのか、ぐるぐるぐるぐる、胸の中に澱みが浮かぶ。
 滲んだ涙を拳で拭って、あんずは顔を上げた。
 絶対、絶対、絶対、このプロジェクトを成功させる!


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