光を恋う、朝がくる 1
注意
・捏造しかありません
・ジェンダーの話題に触れています
・モブが多数出てきます
・唐突に無意味に他ジャンルのキャラクターが出てきたりします
・ファンがアイドルを悪く言う描写があります
・ご都合主義
*
Knightsはファンサービスが手厚いユニットである。騎士をモチーフにし、ファンをお姫様と呼んで尽くす、女の子の夢を詰め込んだかのようなアイドル。
その一員である鳴上嵐も、自分を応援してくれるお姫様、王子様たちに感謝の念を持ち、常日頃から細やかなファンサービスを心掛けている。
その日もファンサービスの一環で写真を投稿した。なんの変哲もない、嵐の自室で撮った写真だ。
お風呂上がりの少し火照った顔、髪から首を伝い流れる雫、しかし肌は見せずきっちりと秘め、腕の筋肉だけを露わにして美しく目を引く。
部屋の中央に置いてあるソファを陣取る凛月の寝顔もちゃっかり写し、『凛月が泊まりに来てくれたよ』のコメントとともに投稿すれば、瞬く間にお気に入りが増え拡散されていく。
Knightsの嵐は凛々しい王子様なので、乙女の嵐は封印されている。ファンの前や関係者の前、SNS上で凛月ちゃんを凛月、と呼ぶ違和感にはもう慣れた。
アンサンブルスクエアビルの寮に入居している嵐は最近はよく凛月とつるんでいた。仕事終わりの時間やオフが被れば一緒にご飯に行ったり、たまに司も含めて部屋でダラダラしたり。泉とレオは嵐と凛月が夢ノ咲を卒業した今でも拠点は海外である。
SNSでの発信が極端に少ない凛月と司のフォローをするのも、嵐によるファンサービスなのである。
個人のアカウントは事務所によってはかなりチェックが厳しいところもあるが、ニューディメンションはまだ新設して数年の小さな事務所であるし、人気ユニットを複数抱えているのでなかなか裏方の人手が足りていない。
それに新しいことにどんどんチャレンジする気概のある事務所で、Knightsはスクールアイドルの頃から各人のプロ意識がとても高くファンサービスが篤くユニットカラーが徹底されていたこともあり、SNS発信についてはかなり優遇されていた。
この投稿もマネージャーのチェックを通していない。今まではそれで問題が起きたことは無かった。
次の日の午後にマネージャーにいきなり呼び出された。日本にいる凛月と司もだ。単独でグルメレポートの仕事があった司は来れなかったが、終わり次第急いで向かうよう言われていた。
電話口でのマネージャーは動揺が見えた。そして焦りも。隠そうとしていたようだったけれど、人を見る目に自信のある嵐に隠せるものでは無い。
こうして全員わざわざオフィスまで呼び出すのは何か、いいことか悪いことがあったに違いなく、マネージャーの様子から悪いことだろうと思った。
微かに不安が湧く。一体何を言われるのか…。
「嵐さん、昨夜のツイートは確認してますか?」
集まった嵐と凛月にマネージャーは開口一番言葉を投げかけた。
やらかしたのは、嵐だ。
「い、いいえ、あんまり見てないわ。もうすぐランウェイショーがあるから身体を作りこんでおきたくて……」
戸惑いながら嵐が答えを返すが、何だか言い訳してるみたいになってしまった気がする。
しかしショーが迫っているのは事実だ。
明日には打ち合わせがあるし、今回のショーは男女ペアでのショーになるのだが、相手ももう教えてもらっている。
それに嵐はこまめにSNSを更新してはいるが、エゴサなどはそこまでしない。市場調査は重要なので怠らないけれど、特に大事な仕事の前にはしないようにしている。他人に外からあれこれ何か言われても気にするほど細い神経ではないものの、批評、罵倒、中傷、それらを真正面から受け止めて消化するには嵐でもある程度の覚悟と時間が必要だった。
「実は昨晩の投稿がプチ炎上しかけてるみたいなんです」
「ええっ?」
素っ頓狂な声が漏れ、怪訝な顔で首を捻る。
「おかしなところがあったかしら?少しセクシーさを演出してみたけれど、露出はしていないし……凛月ちゃんの寝顔を盗撮したのがいけなかったかしら」
「俺のこと撮ってたの〜?」
「そうよ、昨日も言ったしタグ付けもしたじゃない」
「そうだっけ…。それに俺、SNSはほぼ見ないし〜」
「全くもう。それでマネージャー、昨晩の何が悪かったかしら……。ごめんなさい、分からなくて。その上炎上までしてるなんて……」
嵐は表情に暗い影を落として頭を下げる。SNSに敏感な嵐は、今の時代の炎上の恐ろしさを理解していた。Knightsが招集されるほどの問題なのだ。
「実はソファの影に口紅が落ちていたみたいなんです。拡大しないときちんと分からないのですが、ファンの方が見つけて、解像度を上げて特定したみたいです」
「やだ、これ朝から探してたの……」
嵐は表情を青ざめ、肩を強ばらせた。とあるサイトの開かれた画面を覗き込む顔は張り詰めている。
ファンの会話をスクロールして眺めていく。
『ソファの下になんか落ちてる?』
『なんだろ?』
『アップしたけど口紅?これ…』
『は?』
『え?何?待って待って』
『彼女の忘れ物?』
『無理すぎる…』
『ふざけんなよ』
『匂わせ?』
『待ってよ、男でも口紅くらい使うかもしれない。そうだって言って』
『嵐くん普段無色かほんのりタイプしか使わないじゃん』
『これメーカーはなんだろ』
『解像度あげてみた つ』
『ぐう有能』
『はいオワタ。このブランド嵐くん今まで関わったことない』
『見た目も百パー女向けじゃん。こんな可愛いの男が普段使いする用じゃないでしょ』
『彼女確定?』
『鳴上嵐終わったな』
『まあ彼女いないわけないと思ってたけどさあ、もっとさあ』
『バレないように恋愛しろよマジで』
『ファンのこと舐めすぎ。バカにしてんの?』
『嵐ってSNSに敏感だったからこーゆーことするんだってゲンメツ。わざとにしろ偶然にしろゲンメツ』
『つかKnightsってプロ意識たけーんじゃねえの?』
『プロ意識(笑)(笑)』
『この分じゃ他メンもお察し』
『いうて夢ノ咲って昔からスキャンダルばっかじゃん』
『Knightsは違うと思いたかったのにな』
.
.
.
「……」
「…………」
部屋に沈黙が重苦しく漂う。
ファンの会話と自分の迂闊さが心に突き刺さる。
ソファに落ちているのは鳴上嵐の私物だ。ケースが可愛くてお気に入りのブランドの……。それがまさか彼女だと繋がるとは思わなかったが、私物だと発表することは出来ない。
事務所の方針で嵐は男の魅力溢れる優美なイケメンで売られ、今までその方向で色々な企業のイメージキャラクターを務めてきた。
今はちょうどCM契約が終了したばかりだったから良いものの、この炎上がさらに大きくなれば相手の企業にも大きな迷惑がかかってしまうところだった……。
「もう公表しようよ、ナルちゃんの性別は女の子なんだって」
こともなげに今まで黙っていた凛月が言い放ち、嵐はくっと食いかかる。
「そんな簡単な問題じゃないわ。キッズからずっと築いてきたイメージはもう業界に浸透しているし、ファンを裏切ることになっちゃう…。」
「でも彼女って炎上するのも、嘘をつき続けるのも裏切ってるよ」
「ファンに夢を見せることを裏切るとは言わないわ。それにモデルのアタシもアタシよ。嘘じゃない」
「でも悩んでたでしょ、ナルちゃん」
「…………」
唇を少し噛んで嵐は気難しい顔で目を逸らした。他人に気取られていたなんて、不覚だ。いくら凛月が聡く、鋭いとはいえ。
「どっちにしろ炎上したんだしさ。このまま鎮火させて現状維持よりも、ナルちゃんのジェンダーについて公にした方が、ナルちゃんは気が楽なんじゃない。隠してても、発表しても苦しいし騒ぎになるなら、ナルちゃんが望む未来を選択してもだれも怒らないよ。」
「凛月ちゃん……」
「性別がどうのこうのって、今の世の中じゃもう時代遅れだしねえ……🎶」
胸が熱くなる。彼なりに嵐のことをたくさん考えて、珍しく長々と励ましてくれたのだ。
「少し考えてみるわ」
前向きな気持ちになって嵐は微笑んだ。
これから大きな騒ぎを起こすのか、宥めて凪いだ海を泳ぐのか。
嵐の人生において大きな選択の機会がやってきたのだ。
*
「はひ〜、名前ちゃん、そういえばこの前顔合わせしてきましたよ!ペアの方ともお会いしました」
賑やかに入ってきた焦げ茶色の女の子に、名前は本に落としていた瞳を上げた。
「ああ、10日後のショー?江雪と宗近が共同出資したモールの」
「はい!長野に進出するのは初なんだそうです」
「今回わたしは行けないけれど、ひとりで大丈夫?」
「大丈夫ですよう。これでも名前ちゃんより芸歴は長いんですからっ!」
「ふふ、そうだよね、頼もしい」
ふたりはころころと笑った。
名前は芸能界でクイーンと名高いアーティスト派ソロアイドルだったが、今年を目処にユニット活動をし始めていた。
元々ミュージカルや舞台の世界で活躍していた女優である三浦ハルと、アイドルユニット『TEARS』を組むと電撃発表した際には日本中に激震が走り、連日メディアを賑わせた。
ファンに媚びない、おもねらない、親しみがないと有名だったミステリアスで孤高な名前。ファンとのコールもレスポンスも一切なく、繊細で緻密でストーリー性、メッセージ性の高いライブを行う名前はアイドルというよりアーティストだった。
しかし天真爛漫で朗らかで賑やかなハルと組んだことでトーク番組への露出が増えたり、王道アイドルソングを歌うようになったり、ファンサをするようになったりとファンとの垣根が低くなった『TEARS』。
最初は戸惑いや否定の声も大きく、三浦ハルへの痛烈な批判や罵倒も多かったが徐々に実力でそれらを乗り越えてきた。従来のユニットスタイルも失われていない。
TEARSはクイーンの座を明け渡すことなく、今も燦然と輝いている。
「それで相手の人って?」
「Knightsの鳴上嵐さんだそうです」
今回ハルが出演するランウェイショーは長野にグランドオープンする複合商業施設で行われる。
娯楽に力を入れている三日月宗近の会社と、児童養護に力を入れている左文字江雪、子供向け商品を多数開発している粟田口一期。
さらには最近経済界で影響を回復しようとしている朱桜家や、元々業界に顔が広い天祥院家なども共同で出資し、こだわりの詰まった密度の高いショッピングモールになったと言える。
オープン記念イベントの一環としてショーが開催され、ショーモチーフは「人々のつながり」。
家族、友人、恋人、老夫婦など客層に合わせ多様な人間関係を演出する一風変わったショーになっている。
粟田口が特に推しているイベントであり、ハルはカップル役で鳴上嵐とショーのペアになっていた。
「鳴上嵐……夢ノ咲の子ね」
「はい、キッズモデルとして昔から活躍されていたそうです。今はアイドルですがモデル活動でも有名らしくて」
「よかった、それならハルも安心だね」
「はい……。ランウェイを歩くのは初めてなのでとっても緊張してたんですが、少し肩が解れた感じがします。スチールとショーはぜんぜん違いますもんね」
「そうね、でも彼ならショー慣れしてるし、指先までモデルだからハルのことも任せられそう」
「はひ?お知り合いですか?」
「んーん、一方的に知っているだけ。夢ノ咲のことはスカウトするために少し勉強したの」
「ああ、Valkyrieさんと流星隊さん、Ra*bitsちゃんたちは夢ノ咲出身ですもんね」
「Knightsもかなり欲しいユニットだったの。天祥院家と結び付きが強い子がいるから見送ったけど……」
名前の鳴上嵐への評価はなかなか高いようだ。
しかし、マネージャーの長谷部が少し困った顔をしてとある画面を見せてきた。
「主、ご歓談中申し訳ありません、件の鳴上嵐についてですが懸念がひとつ……」
差し出されたタブレットに目を落とす。ハルの不安は取り除いておきたい。
ちなみに長谷部の言う『主』とは、名前の過激派信者の中でもさらに過激派の使う独特の呼称である。
名前のファンは基本的に「名前様」と呼ぶファンが多いが、さらにいきすぎたファンは自分たちでファンクラブとは別の組織を勝手に作り上げ、『主』を崇める宗教団体と化した。
名前を呼ばないのは実在する人間とはなんの関係もありません、と言い張るためではあるが、公然的に第2のファンクラブとなりつつあり、過激なファンをコントロールするために刹那の部下が介入している。
長谷部はマネージャーではあるが、名前のヤバいトップオタなのである。どれくらいヤバイかというと、『主』呼び信者たちは基本的に名前と前世に深い関わりがあったと信じ込んでいる。
ヤバい団体の頭は三日月宗近であり、名前は自分のヤバい信者を都合よく使いこなす策士だった。人はそれを癒着という。
閑話休題。
鳴上嵐についての懸念とは、今彼がプチ炎上に見舞われているということだった。
何気なく上げた自撮り写真に彼女の忘れ物と思われる口紅が紛れ込んでいたらしい。
名前は眉根を寄せた。
「彼女…?彼は……。まあいいわ。問題は今恋人関連で悪い話題になってしまっているという点だね」
「はひ…ハル達は幸せカップルという設定ですし、クリーンなイメージのあるTEARSがスキャンダルと関わるのは危険……てことですよね」
「正解、いい子」
「やったあ!」
名前が手を伸ばしてハルの頭を掻き混ぜる。
ハルは子供の頃から芸能界にいるのに、変にスレていなくて純真だった。
でも頭は良いし飲み込みも早いから、名前は経営者の視点…というより、事象に対する客観的で多角的な思考や、人を使う側の思考を考えられるように鍛えている最中だった。
「付け加えると、このタイミングでハルが関わるのもマイナスになり得るの。宣伝のために一緒に写真を撮ったり、プレオープンの時も写真を上げるでしょう。そのせいでハルに嫌な噂が付き纏ったりもするわ。理不尽に叩かれてしまったり……」
憂い気にため息を零すと長谷部が迅速に反応して、「プロデューサーと三日月に連絡を取ってきます」とタブレットを構えて颯爽と部屋を去った。
「何だか可哀想な気もします…」
「他人に無闇に感情を向けるのは良くないよ?それがハルの美点だけど、生産的じゃないわ」
「はい…。分かってるんですけどね」
優しいのは美点で、甘さだ。名前は綺麗事は死ぬほど嫌いだけれど、ハルのやさしいきもちは守りたいと思う。
「大丈夫だよ、ハル」
「はひ?」
「今回は朱桜家もメイン企業として資金提供してるもの。ご子息が所属しているから、Knightsの誰かを起用したがるとおもう」
「大人の裏事情……!でも、それなら大丈夫そうてすね。鳴上さんとっても優しくて話しやすかったので、一緒に出れたらいいなと思ってたんです。教えてくれてありがとうございます、名前ちゃん」
「い〜え〜。でもハル?そんなにすぐ心を預けてしまってはだめ」
「うう、でも、そこがハルのいいところですもん。でしょ?」
「そうだけど……。ああもう、仕方ないなあ」
呆れを含んでついため息を零すが名前の顔は愛情に溢れている。
そうしているうちに長谷部が戻ってきた。
長谷部によると、名前が予想したとおりに鳴上嵐で通すようだ。
ショーにおいてメインを張るのは三浦ハルのペアなのだが、今回出るモデルで、いちばんメジャーで人気があり、いちばん顔が広く、さらにいちばん実力があるのは鳴上嵐だったのだ。
上層部では名前の抱いたものと同じような懸念で少々揉めかけたらしいが、朱桜家と天祥院家が鳴上嵐を強力に後押しし、ショーが失敗した場合全責任を負うことを明言したので、鳴上嵐はそのまま続投となった。
天祥院英智は己の手駒のひとつである夢ノ咲ユニットをあらゆる方面に浸透させることに腐心している。
*
[ back ]