幸せの産声

月永レオが学園に戻り、朱桜司が王に認められるようになってから暫くの月日が流れた。
改革も革命も終わり、Knightsも些かの落ち着きを取り戻した。と、瀬名泉は思っていた。

「なあ、そういえばあいつって今どうしてんの?」
珍しくセナハウスに顔を出し練習に参加していたレオが、手元の譜面に目を落としたまま唐突に言った。
泉と嵐は顔を見合わせる。凛月は寝そべったまま薄目を空け、司は訝しげに首を傾げた。
「あいつって?」
「あー、元チェスの。なんか影薄いっていうか儚げっていうか、ん〜変わってるやつ!」
「そいつもあんたにだけは変わってるなんて言われたくないと思うけどねえ…」
つい皮肉を口にしつつ、泉は眉を顰める。なんだってレオは今更昔の人間のことを口にしたのだろうか。
チェス時代のことは助っ人だった嵐も、直前で参加した凛月も、新入生の司も知らない。今の質問は必然的に泉に向けられたものになる。

「知らないよ、あの頃の人間のことなんて」
自分で思っていたよりも突き放すような冷たい声が出てしまい、泉は口を噤んだ。
別に今の苛立ちはレオに対するものでは無かったが、つい八つ当たりのような響きを含んでしまう。
「ふーん、そっか」
大して掘り下げることも無くレオは話を切り上げたので、泉たちは彼の興味が削がれたのだと思った。
だが月永レオは、1度芽生えた名前も覚えていないひとりの男への好奇心を、失ってはいなかったのだ。

「ママー、あいつ知らない?」
「ん〜?どうしたんだあレオさんっ、自発的に他人に興味を持つなんて珍しいじゃないかあっ」
「なんか色々ひと段落して精神的にも落ち着いたらさあっ、思い出したんだよな!おれが敵か味方か?って聞きまわってた頃のことっ」
「ほっほう……まあ、今のレオさんを見るに、負担になっていないようだなあ。昔のことを過去として振り返れるようになったのは良いことだと思うぞお」
レオと三毛縞斑は満面の笑顔で微妙に噛み合わない会話を続ける。

「それであいつとは一体誰のことなんだあ?さすがのママでも、範囲が広すぎて分からないぞお!」
「すぐ答えを聞くなっ、考えてっ、インスピレーションを生み出してっ!と言ってもまあこれだけじゃ分からないよな、アハハ!だからヒントをやるぞっ!
そいつはおれにさ、曲を生み出す人間じゃなく、生み出された曲こそを愛してるんだ、って言ったんだ」
「……ああ……いたなあ……。うん、思い出したぞ!あの頃のレオさんにそれを言うなんて地獄かと思ったぞお!」
「おれも言われた時はおれ自身に価値なんてないんだって思ったよ。でもさあ」
レオは誰もいない教室で机に座って足をぶーらぶーらと遊ばせている。斑は言葉の続きを黙って待っていた。その瞳は穏やかで慈愛と包容力に満ちている。

「この前Re:valeのユキにご飯に連れてってもらったんだけどなっ?」
「ううん?話が飛んだなあ。まあレオさんのことだからぜんぶ繋がっているんだろうけどなあ…。というか、Re:valeってトップアイドル中のトップアイドルのか?交流があったのかあ?」
「けっこう前からな〜。おれの作った曲を聞いてユキの方から話しかけてくれてさ。おれもユキの作る曲は好きだ!あいつはすごいぞ、作曲も作詞もぜんぶ自分でやってるんだ。ヒットナンバーもたくさん生み出してるしっ。」
「レオさんも負けていないと思うぞ?でもたしかにRe:valeの歌は記憶に残るものが多い」
「そうそうっ、作曲家兼アイドル同士けっこう通じるものが多いっていうのかな?まあ、それでこの前もユキに連れられてご飯に行ったんだけどさ、その時ユキが…………」


*


「オリコンチャート1位おめでと〜!」
「ふふ、ありがとう。順位なんかどうでもいいと思ってたけど、無邪気に祝われると悪い気はしないな」
ユキが微妙に綻んだ笑みを口元に浮かべワイングラスを揺らす。飴色の照明がユキの銀髪を艶やかに照らしている。
常に千と行動を共にしている賑やかな相棒は今はいない。

ここは芸能人御用達の会員制個室バーである。上品で落ち着いていて食事の美味しさが有名な高級店だが、離れたところにあるホールはラウンジとしての役割も持っていた。
ここへ来るのは初めてではない。レオが千と食事へいく時はここを利用することが多かった。
千自身がトップアイドルの上に、この店の紹介を受けたのがクイーンと名高い名前であるため、千と行動を共にするレオも自然とVIP対応をされる。レオは未成年なので会員として正式に登録はされていないが、もう顔パスで通れるくらいには覚えられている。

食事に舌鼓を打ちながらレオと千はたわいもない話に花を咲かせる。
次の曲のモチーフがなんだとか、学院生活はどうだとか、レコ大の新人賞は巨大事務所のゴリ押しでだれそれに決まってるだとか、話がわかるディレクターは誰だとか、千主演のドラマのゲストに呼んであげようかだとか、そういう話だ。
レオはノンアルコールを飲んで、千はいいペースでワインを煽っている。顔に全く出ないから分からないが、舌の滑りも良くなってきて、何が楽しいのかひとりでウケたりなどしている。だいぶ酔ってきているようだ。

「そろそろ辞めた方がいいんじゃないか〜?」
「僕を誰だと思っているの。自分の管理くらい自分でできるよ」
千は自分を過信している。
レオはあれこれ言うのを辞めた。千は他人の諌め口を聞くタマではないし、酔い潰れたとしてもその方が面白い。

8時近くなりいい時間になってきている。
帰ろうかと言い出す矢先に、千がぽつりと呟いた。
「アイドルとしての人気なんかいらないよ……」
「ユキ……?」
「君も作曲家なら分かるかな?僕は僕自身より、僕が生み出した歌を愛して欲しいんだ……」
どこか縋るような響きを持っていた。千は何者にも囚われない孤高の存在のようでありながら、その実様々な煩わしいことにがらんじめになっている。
レオにはよく分からなかった。
彼は彼の作る曲しか愛されてこなかったから。

千は誰かに──レオか、あるいは自分か、あるいは全世界へ言い聞かせるように訥々と言葉を重ねた。
「人は曲じゃなく僕を見て曲を評価するだろ。僕がどんな人格者でも、どんな救いようのないクズでも、僕が作った曲は変わらないのに」
憤り、もどかしさ、後悔、願い。
千の本心を聞くのは初めてだ。弱さを見せたがらない千がここまで内心を吐露するなんて。相当酔っているのだろう。いや、相当弱っていたからここまで飲んだのかもしれない。

千の言葉を聞いてレオは昔のことを思い出した。
月永レオが壊れる前のはるか昔のことを。


*


「おれの友達になるならおれの曲は二度と使わせない。その代わりおれの敵になるならいくらでもお前のために曲を書くよ。どっちがいい?」

そいつは変わった奴だった。
神出鬼没で、よく授業をサボっていて、どこかふわふわ飄々としていて掴みどころがない。
だけど誰より曲を大切に歌う奴で、レオは好きだった。もうチェスに期待はしてなかったけど、こいつなら、と微かに思った。こいつなら周りの奴と違うかも、って。

「ん〜…」
そいつは少し迷うような、困ったような顔をしたが、すぐに言い放った。
「オレは君の曲を選ぶよ。君の敵にはなりたくないけれど」
その口調はハッキリとしていて、悩んだくせに最初から答えが決まっていたような声音だった。

「……そうか」
レオは何度目かも分からない裏切りを味わった。剣を喉元に突きつけているようでいて、誰よりも心臓に傷を負っているのはレオ本人だった。
瞳が昏くなったレオへのフォローなのかは定かではないが、そいつはさらに言い募る。
「君のこと好きだよ。良い奴だと思う。でもオレは、曲を生み出す人間じゃなくて、生み出された曲こそを愛しているんだ。君がどんな人間であれ……」
自分の言葉に意味が無いと悟ったのか、そいつは目線を落とし、微かに眉を下げて微笑んだ。
それが決裂の合図だった。

レオは自分が友人だと思っていた男を処刑し、それ以来言葉を交わすことも、思い出すことも無かった。
今までは。


*


「ユキはおれが恵まれてるって。自分と曲を切り離して曲自身を見てくれる奴は少なくて、ユキにとってそれは相棒のモモだったって。生み出してくれた曲を愛してくれる人がいる限り、僕は歌い続けられるって……」

窓の外を眺めるレオの横顔が夕日に赤く染まる。
「あいつ、どういう意味であの言葉をおれに言ったのかな…」
何となくその横顔が儚く見えて、斑はわざとらしい大声で言う。レオの顔が斑を向いた。それに僅かに安心する。
「じゃあ探そう!見つけ出して話し合おうじゃないかあ!なあレオさん!そうだろう?」
「ママ……。そうだなっ!名前とか覚えてないけど顔はわかるし、見つけられるよな!」


そいつは中々見つからなかった。
レオと同学年のアイドル科のはずだったので同じクラスを虱潰しに探したが、いない。
普通科のクラスも演劇科の奴も見た。アイドル科から去年編入してきた奴全部と会ったけど、その中にもいない。
サボりかと名簿を見てもレオにも斑にも名前は分からない。

「春野でしょ」
泉に聞くとそんな答えが返ってきた。名字しか覚えてないけど、と言うが充分だ。一歩前進だとレオは嬉しそうに笑う。
そんなレオに嫌そうに「軽率にかさぶたを剥がす真似は俺は好きじゃないけど」と忠告を受けたが、レオは笑って受け止めて、流した。
泉はため息をついて、傷付いたら戻ってくる場所があると素っ気なく独り言を言った。あいつはどこまでも優しい奴だ。

辞めたのかと思って去年の名簿を見ても、退学者に春野という男はいなかった。
でも、ひとり。留年している春野、という男を見つけた。
多分こいつだ。

2年のアイドル科のクラスぜんぶを回ったところ、B組に所属しているらしいことは掴んだが、相変わらずのサボり魔の上に、親しい人間はいないらしい。
人のことを言えないが呆れた。

「なあ〜リッツ〜知らないか〜?」
「その春野ってやつ?知らないよ、俺はチェス時代のこと詳しくないし、この学院サボり魔多いし…」
「お前も含めてだろ〜?」
「王様もね?」
「そうなんだけどさあ」
目の前で机にぐだりとほっぺたをくっつけるレオに、凛月はうんざりしてため息をつく。このところ暇さえあれば時間を問わずレオは2-Bに顔を出している。実の兄より顔を見ている。多分セナハウスに顔を出すよりも多くこのクラスに足を運んでいる。

「王様の方が詳しいんじゃない?どこにいそう〜とかないの?」
「わかんないっ。ん〜考えたらあいつ、誰とも仲良くなかったし、いつでもどこにもいなかったし、別に大して仲もよかったわけじゃないな。おれが一方的に気に入ってただけだ!」
「……へえ〜、何だか俺みたいなやつだねえ」
にこにこしているが唐突の自虐に凛月は一瞬口篭り、結局無難に流すことにする。ふっきれたからなのかは知らないがたまにレオは聞いている方がヒヤリとするような冗談を口にする。言われた方はたまったものではないのだが。
「前に世界史の教室で見かけたことはあったよ。あそこは日が当たって気持ちがいいんだよね」
「歴史は眠くなるからな〜」
「わかる。俺のお気に入りのお昼寝スポットだよ……🎵」
「ありがとうリッツ!行ってみる!」

当然のように奴はいなかった。
まあ、情報が得られただけ僥倖としておこう。
レオは拗ねていつものベンチへ向かった。噴水の傍の木陰のベンチはレオの特等席である。
光る水しぶきやさらさらと耳に流れてくる葉の音はレオの霊感をしとしと刺激する。

頭の中に降るように湧いて止まらないメロディを一心不乱に書き写す作業をしていると、レオは自然と鼻唄を歌ってしまう。
頭の中に流れ、文字に起こし、音に乗せることでレオが産んだ音楽たちはさらに洗練されていく。

ふと、視線を感じた気がして上を向いた。
目が合う。

──あいつだ!

レオは駆け出した。あそこは2年の数学教室だ。


*


そいつは教卓に寄りかかるようにして風に吹かれていた。カーテンがひらひら揺れている。
「やっと見つけたぞ!まったく、手間かけさせるなよな〜っ」
「ひさしぶりだね、月永くん」
そいつは寄りかかったまま、顔だけ上げてレオを見ると穏やかに笑った。レオはぷんぷん!という効果音がつきそうな怒りを演出するが、子猫がじゃれているような可愛らしいものだ。
ふたりの様子は和やかで、かつて裏切った者と裏切られた者、あるいは非常な処刑者と罪人にはとても思えない。
「俺を探してたの?」
「そうだ」
「どうして?君とはもう話せないと思っていたよ」
ほんとうに不思議そうな声音だった。そして大して嬉しそうにもいやそうにも見えない。レオは笑ってしまいそうになった。
ここまで悪意がない奴も珍しい。

「前にお前、おれじゃなくておれの曲を愛するって言ったの、覚えてるか?」
「うん、覚えているよ。はっきりと」
意外だな。内心おもう。こいつは他人に興味がなさそうなのに。その顔を見抜かれていたのか春野が少しわらう。
「はは、俺は君のこと好きだって言っただろ?」
「おれの曲が好きだからだろ?」
「君の曲は好きだよ。愛してる。でもそのことと君自身が好きなのはまた別問題だよ。君が曲を生み出さなくても俺は君を好ましくおもったよ」
「…………」

春野の言うことは難解だ。でも何となくわかった気がする。
「おれがお前に歌を作らなくてもおれを好きなのか?」
「ああ、好きだよ。良い奴だと思っているよ」
「おれが良い奴じゃなくなっても、おれの歌を好きなのか?」
「勿論だよ。君が落ちぶれても、君が作曲家じゃなくなっても、君が死んだあとだって俺は君の曲が好きだ」
「おれが良い曲を作れなくなっても、おれが好きで、おれの曲も好きなのか?」
「君の作曲家としての才能が死んでも、生み出された曲の輝きも、君自身の魅力も変わらないさ。多分、君の仲間もそう思っているよ」

レオは目の前が拓けた気がした。
ああ、ああ、なんだか曲が産まれそうだ。とびっきりの歌が。

昔ほどレオは甘くはなくなったし、他人を易々と信じることも辞めた。他人を無条件に受け入れることを辞めたレオは他人に期待することも無くなった。
前より多分おとなになって、現実的になって、人を見る目を培った。
その今のレオが思う。
春野はきっとレオの敵ではなかったし、友達だったし、悪い奴ではなかったし、隣に立ってくれる相手だったかもしれないと。
だって今たしかに、心の中で燻っていたなにかが救われたような気がするのだから。

レオは最後に春野に何かして欲しいことはあるかと尋ねた。作曲家としてでもアイドルとしてでも月永レオ個人としてでも。
何を選ばれても、もうレオは哀しみや虚しさを抱かないだろう。

「君の曲が欲しいな。そしていつか…俺が歌詞をつけたいんだ」
照れたようにはにかむ。ふわふわ掴みどころがなかった春野が初めて見せた人間的な表情だった。
「君のおかげで俺は歌う喜びを知ったし、最近は君みたいに何かを生み出したり…表現することに興味が湧いているんだ。世界を広げてくれてありがとう」

胸の中がうずうずしてたまらなくなった。今すぐ走り出したい。頭の中に音が生まれて、光り輝いている。幸せを顔中に浮かべて月永レオは高らかに笑った。
「当然だろっ!なんたっておれは天才だからなっ!」


*


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