01

 新しい生活は初めの衝撃とはうらはらに、存外と穏やかだった。
 コレクションといっていたが、奴隷の数もそう多くなく、それぞれに小さな部屋が与えられる。基本纏めて箱詰めにされる扱いが当たり前の中、それは破格の対応である。

 三姉妹には一部屋が与えられた。
 3人で使うにはほんの少し手狭かもしれない。けれどそこはとても広く感じられた。大きなベッドで手を繋いで並んで寝れる。それがどれほど……。
 繊細なレースがあしらわれた、けれどシンプルな天蓋ベッドも、ふかふかのソファも、新しいたくさんの服も、姉妹を飾り立てるアクセサリーも、足元を傷つけない美しい靴も、その部屋には手に入れたことがないものがたくさんあったけれど、3人は、3人だけで手を繋いで眠ることに、この4年の中で幾度焦がれただろうか。

「似合いそうなものはじゅんびしたつもりだけど、ほかに欲しいものがあれば望むことを許すアマス。なにかやりたいことを望むことも許すアマス。もちろん、うけいれない場合もあるけれど……」
 サンダーソニアが恐る恐る手を挙げた。
「どうしたの?」
「あの……ルミエール宮はなぜ……ここまで……」
 ソニアの声は震えていた。ハンコックも、この対応に憤りのような、困惑のような、不信感のような、喜びのような、綯い交ぜになった気持ちで滅茶苦茶だった。
「それはもちろんお前たちがきれいに過ごすためよ。うつくしさは、こころの中も大切だとステラが言っていたもの。お前たちがきれいになるために必要なことには、わたくしは寛大アマス」
「そうなのですか……」
 分かるような、分からないような理屈に、ソニアが戸惑いがちにうなずく。
「なぜそんなにきれいにしてくださるのですか?」
「?きれいなものが好きだからよ」
 やっぱりよく分からない。
 けれど、ハンコックは与えられることにこそ、心を硬くした。美しいものを飾り立て手元に置いておきたいというのは、シンプルだが、奴隷をモノ扱いしている点では他の天竜人と同じだ。

「すごい……包み込むみたいにふわふわのパジャマ……」
「姉さま、この部屋、冷蔵庫がついてるわ……!」

 ルミエール宮は部屋に案内したのち、奴隷に抱えられてさっさと部屋を後にしていた。しばらくは信じられずに、その場で膝をついて待機していたが、やがて誰ともなく顔を見合せた。
 彼女は「この部屋はお前たちのものだから、好きにするといいわ」と言っていたが、本当に自由に動いていいか分からなかった。
 いつ突然戻ってきて、許可がないのに動いたと鞭で打たれたり、銃で撃たれたりするか分からない。先程の惨劇を見たばかりなのだ。
 けれど、一日で色々な感情を浮かべさせられたせいで、3人は疲労困憊だった。

 やがてハンコックが立ち上がり、「好きにして良いと言ったのはルミエール宮なのじゃから、わらわ達は命令に従っただけにすぎぬ」とソファに倒れ込んだ。全身をもふっと受け止めるような毛皮に、ハンコックは気が緩みそうになる。
 彼女を見てソニアたちも、そわそわと、僅かに顔を明るくさせて部屋を探検し始め、今は3人でベッドに横になっていた。
 寝返りはできないけれど、握った妹たちの手がとてもあたたかい。

「グスッ……」
 静かな空間に小さな嗚咽が響く。
「ソニア姉さま……」
 つられてマリーの声も潤み始めた。

「信じられない……」ポツリ、ポツリ、とソニアが囁くように零した。
「全部夢みたいで……でも……首に鎖がないのがいちばんうれしい……」
「う"ん"……」
 ルミエール宮は、起爆装置の首輪に繋がれた鎖を「美しくない」と外して去った。考えもしなかったことだった。その上、そのまま回収していったので、朝自分たちでつけ直すこともできない。
 きっと明日の朝にはまたつけられるだろう。
 そんなことはわかっていたが、一瞬だけでも、発狂しそうなほど四六時中付き纏う鎖の金属音から離れられたのは、悔しいが、相当な安堵をハンコックに与えた。

 天竜人から特に残酷な仕打ちを受けていたソニアが「うれしい」と零すなんて、いつぶりだろう。

「もしかしてあの天竜人……他のやつとは……」
「ならぬ!」
 鋭く遮った声に、ソニアが肩を揺らした。ソニアやマリーがほんの一瞬でも安寧を感じられたことは、この地獄の中では大きいだろう。
 だが決して、その先をハンコックは許すつもりはない。
「良いか、あやつは所詮天竜人!あの光景を見たであろう。悪意がなくともあれだけのことを、眉ひとつ動かさずに出来る存在なのじゃ!天竜人に良いも悪いもありはせぬ……!ただ、ひたすらに邪悪じゃ!」
「ご、ごめんなさい姉さま」
「分かってるわ、ここでは姉さまたち以外だれも信用できない」
「ええ……。この4年間で刻まれた屈辱……!期待するだけはなから無駄なのじゃ」

 3人は寄り添ってベッドに丸まった。互いの体温、柔らかなベッドの感触、空調の効いた居心地のよい部屋の暖かさ。ハンコックはその安堵から逃れようと、必死に唇を噛み締めながら、やがて眠りに落ちていった。

*

 コツン、コツン。控えめなノックの音でハンコックはまどろみから目を覚ました。ここは……そうじゃ、ルミエール宮の部屋に移って……ずいぶん明るい……。そしてハッと飛び起きる。カーテンの隙間からさんさんと陽が射し込んでいた。
「ソニア!マリー!起きるのじゃ!」
「ぅんん……姉さま?」
「陽が!」
 青ざめ、ただごとでない様子のハンコックに妹たちも慌てて体を起こす。そして指さした窓の明かりを見て、同じように血の気を失った。
「ウ、ウソ……寝過ごした……!?」

 扉がまたコンコン、と鳴る。
「起きた?開けても大丈夫かしら?」
 3人は並んで床に膝をつき、「は、はい。大丈夫です」と震える声で答える。聞いた事のない女性の声音だったから、他の奴隷だろう。
 扉が開いて誰かが入ってきたが、揃って床に頭を垂れていたので、姿は見えない。
「申し訳ございません!ルミエール宮に、大変な厚遇を与えていただきながら、卑しい奴隷の分際でその恩を仇で返すような真似を……」
「申し訳ございません!」
「申し訳ございません……」
「この失態は必ず取り戻しますから……」
 ハンコックは奥歯と目をギッと強く瞑り、もはや当然となった、痛みに耐える体勢をとったが、女性は困ったように「気にしなくて大丈夫よ」と言った。

「しかし……わらわ達は許されぬことを……」
「あら、それなら少し言い方を変えるわね。お顔を上げてちょうだい」
「……はい……」
 おそらく、それが彼女の命令の仕方なのだろうと、ハンコックたちはそろりと頭を起こした。
 天竜人の奴隷にすら服従のポーズを取る屈辱と、それが当たり前になった胸が苦くなる重たさ。けれど、マリージョアではそうしないと生き延びられない。

「ふふ、ようやく目が合ったわね。おはよう」
 明るい陽の光のような金髪に、穏やかな微笑をたたえた女性だった。落ち着いた雰囲気から、歳上なのだろうと分かる。ハンコックほどではないが、美しい人だ。容姿もそうだが、この地獄において、なぜか内側からにじみ出るような優しい雰囲気を纏っている。
「移ってきたばかりだもの、疲れていたんでしょう。大丈夫、ルミエール宮は寝坊なんて気になさらないわ」
「だが……」
「信じられない?」
 彼女は悪戯っぽく、ふふっと笑った。
「あの方の考え方は簡単よ。睡眠は、美しさを保つために必要だから、美しさのために遅れてしまったなら、それは許される」
「極端な……」
「分かりやすい子なのよ」
 ハンコックは女性をまじまじと見た。とても天竜人に向けるような言い方ではない。慈愛……めいたものが声音に浮かんでいる。

 視線に気付いたのか、女性が「あら」と首を傾げた。
「ごめんなさい、自己紹介を忘れていたわね。私はステラよ。これからあなた達の教育係を務めることになったの」
 よろしくね、と差し出された手に何の悪意も害意もないことが、この地では久しぶりすぎてハンコックは挙動が遅れながらも、一瞬だけ握ってすぐに離した。

「さあ、まずは奴隷達のいちばん大切な仕事を教えるわ」
 3人はそれにピンと引き攣るように背筋を伸ばした。能力の余興か、雑用か、暇つぶしか、八つ当たりか、散歩か……。ルミエール宮はまだ幼子だから性欲処理めいた遊びはおそらくないだろう。
 それだけでも、あの汚物のような男共よりは……。
 いや、天竜人なぞ全てクズじゃ。
 ハンコックは内心で吐き捨て、ステラの言葉を待った。

「いちばん大切な仕事……それは美しくあること」
「美しく……」
「あること……」
「ですか?」
 姉妹揃って呆気に取られたそっくりな表情を浮かべているのに、ステラは口元を抑えてクスクスした。
「そうよ。私たちは美しさを買われたのだから、ルミエール宮の目にかなう美しさを身に付けなければ。まずは顔を洗っていらっしゃい。その後肌のケア方法を教えるから」

 顔を洗った後、いくつもの化粧水や液体の使い方を教わり、メイクを覚え、部屋に用意された服を着込む。
「毎日違う装いをするようにね。メイクが肌に馴染まないと思ったなら辞めてもいいわ」
 ハンコックは素のままでも美しいが、飾り立てればさらに賞賛する言葉が存在しないほどに美しい。ステラも「まぁ……」とうっとりしている。
「では、ルミエール宮に挨拶に行きましょう。今はテラスでお茶をしているでしょうから、お茶の淹れ方も教えるわね」
 これが仕事……。
 ハンコックは気を緩めないように、ふっと小さく息を吐いた。心に隙を生んではならぬ。

 ルミエール宮は庭園の見える大きな窓の傍で椅子に腰掛け、本を開いていた。すぐ後ろに奴隷が控えている。天竜人のそばによくいる無機質な黒スーツとサングラスの男ではなく、濃い緑髪でゴールドの派手なスーツを纏った男だった。
「ルミエール宮」
 ステラの控えめな呼び掛けに彼女が視線を上げ、ハンコックを見ると、白い頬が林檎のように赤くなった。
「はぁ……きれい……」
 ジッと熱の篭ったまなざしで見つめられ、天竜人の視線が肌を這うことに嫌悪感が走るが、それを俯きがちに耐える。

「よくねむれた?」
 問いかけに、3人は膝をついて「はい、とても。申し訳ございません、ご用意して頂いたお部屋があまりにも……」と謝罪を述べ始めたが、ルミエール宮がそれを遮った。
「立ちなさい」
「は、はい」
 立ち上がった3人に満足そうにうなずいている。
「お前たちの敬意は受け取るアマス。けれど、これからはわたくしの怒りを買った時以外跪かなくていいわ」
「はぁ……」
「それはなぜ……」マリーが尋ねた。
「お前たちの美しいすがたが見えなくなるアマス」
「……」
 本当に美しさ以外に求めるものはないらしいことに、3人は絶句した。

「アシュレイ…という奴隷が初め言っていたことは」
「間違ってはないわ。きれいじゃない奴隷には興味無いもの。でもお前はちがう。下2匹も…3つそろうときらきらしてるアマス」
 ハンコックの髪に手を伸ばしたルミエール宮が、はたと手を止め、たずねた。

「そういえばお前たち、名はなんというの?」
「……ボア……ハンコックじゃ」
「ボ、ボア・サンダーソニア」
「ボア・マリーゴールド……」
 名を聞かれるのがずいぶん久しぶりだった。奴隷に名前は意味が無いから。

「花の名なのね!ハンコック、サンダーソニア、マリーゴールド……名前まできれいだわ」

 わずかでもうれしいと感じることが、ハンコックには耐えがたいほど、屈辱だった。

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