03

「譲ってやりたいところだが、こいつらには悪魔の実を3つも食わせたんだえ。せめて下2匹なら渡しても良いが……」
「やだ!これがいい!これがいい〜!」
 少女は涙を浮かべてだだをこね始めた。足を踏み鳴らし、腕を振り回してポロポロ「これが欲しいアマス〜!」と泣き叫んでいる。
 母親が顔を赤くして悲鳴じみた声で叱責した。
「みっともないマネはやめるアマス!そんな悪い子のところには"ディー"が来るわよ!」

 少女はギクリと肩を揺らし、一瞬怯えた表情を浮かべた。けれどすぐに、キッと口を引き結んで泣きながら言い返す。
「来てもいいもの!"ディー"も捕まえてわたくしのコレクションにするアマス!」
「まぁ、この子は……」
 母親は頭に手を当て呻いた。ダートレン聖が「ハハハ!」と声を上げて笑った。

「良い、良い。子供の可愛い我儘を聞いてやるのも投資だえ。3匹纏めて譲ってやろう」
「ほんとアマス!?」
 先程まで泣き喚いていたのが嘘のように、少女はコロッと笑顔を浮かべて男を見上げた。
「本当だえ。ただし、さすがに3匹もタダというわけにはいかないえ。聞くに、ルミエール宮のコレクションはどれも美しいらしいと。それに飛びっきり活きがいいとも聞くえ」
「分かりましたわ!わたくしのコレクションと交換アマス!今度屋敷へおいでくださいまし!」

 ニコニコと少女は「やったー!」と無邪気に両手を挙げた。

「あとの2匹はどうしようかしら……。これと違ってきれいじゃないし……」
 だが、その無邪気さそのままに、少女は残酷につぶやいた。
 ソニアとマリーがハンコックに縋りつく。ハンコックは2人の手をギュッと握りしめた。こんなに小さな少女でも、やはり性根は腐っている。
 今にも簡単に殺せそうだ。
 今にも!

「その目……燃えてるみたい……なんてきれいな……」
 
 少女は寄り添う3人をじっと見て、なにかに納得してうなずいた。
「これは3つそろってる方が、なんだかきれいな気がするアマス。ダートレン聖、もう今からこれはわたくしのものでよろしいの?」
「ああ」
「ありがとうございますっ!それなら、そこのお前達!今すぐこれをきれいにするアマス!この赤い汚いのは落として、屋敷に入れてもいいようにしてちょうだい」
「かしこまりました、ルミエール宮」

 黒服スーツの奴隷達が、ハンコックたちを立たせた。
 何が何やら追いつけないままに、ハンコック15歳は、ルミエール宮の奴隷になることが決まったようだった。

*

 ルミエール宮の住む屋敷に足を踏み入れたのは、あの食事会から3日も後のことだった。
 ハンコックたちはあの黒服の男たちに連れられ、頭からつま先まで丁寧に丸洗いさせられた。他人の手が肌を這う感触に陵辱の記憶が蘇って何度も嘔吐いたが、その男たちの手には下卑た思惑が乗っていないことも分かった。
 ただ、淡々と義務感で動いている。
 まともに湯を浴びるのも久しぶりだったが、良い香りのする花の漂った浴槽に浸かり、風呂から上がればオイルを振り込まれ、髪も美しく整えられた。
 小汚い中でもハッと目を引くハンコックは、今や目を見張るばかりの輝きを纏っていた。
 全身のサイズを図られ、小太りの天竜人たちが連れているような露出の多い薄布ではなく、体のラインをスラリと見せる清楚で華美なドレスを与えられ、髪飾りやら腕飾りやら足飾りやら、繊細なアクセサリーで飾り立てられる。
 このような豪奢な装いをするのは初めてだった。
 だが、髪は纏められ、天駆ける竜の蹄を露にされ、首には起爆装置のついた首輪を嵌められていた。

 鎖を引かれ、ハンコックたちは彼女のいる宮にとうとう足を踏み入れた。

「お前たちっ!待っていたアマス!」

 弾む声が階段から降ってくる。きゃらきゃらと楽しそうに顔を明るくさせ、褐色肌の大柄な男に片腕で抱えられたルミエール宮が降りてくる。
 男は鋭い眼光を持ち、隆々とした体つきをしていた。胸筋、腹筋、肩から腕にかけて肌を見せていたが、それが性的ではなく、その傷だらけの逞しい身体を映えさせる衣服を着させられている。

「まぁっ、まあ、まあ!なんてすてきなの!」
 少女はしゃがんだ男の腕からぴょんと飛び降りて、感動したように胸の前で腕を組み喜んだ。
「やっぱりわたくしのしんびがんに狂いはないアマス!これが美しくないなんて、あの方たち目がおかしいんだわ。それに2匹のほうも……」
 ハンコックの後ろで居心地悪そうにしてソニアとマリーが、言及されてサッと俯く。
「ずいぶんきれいになったわ!オレンジの髪がなみうって海みたい!それに、もう1匹もよく見ればとてもかわいいわ!おもしろい!あまり見ない顔つきをしてるわね。気に入ったアマス!」
「え……」
 ソニアが気の抜けた声を漏らした。彼女がこの地で、容姿を褒められることなど一度もなかった。
「ありがとう……ございます……」
「ありがとうございます……」
 困ったように呟いたソニアとマリーを、奴隷の男がバツンとはたいた。
「ぅぐっ」
 2人がガッと床に倒れ込む。男は冷淡な影のような顔立ちで言った。
「ルミエール宮の許しを得ずに話すな。それから礼は跪いて最大限の誠意を示せ」
「そなた……!」
 睨みつけたハンコックの横頬に熱い衝撃が走る。
「なんだその目は。自分の立場を弁えろ」

「アシュレイ!やめるアマス!」
 ルミエール宮に悲鳴を上げて3人に駆け寄った。ハンコックの口元から流れる血を見て、男を見上げる。
「ひどい!せっかく綺麗にしたのに、すぐ汚すなんて!」

 汚す……。
 惨めさが襲いかかって降り積もる。
 一瞬でも、心配されたのかと思いかけた自分が愚かすぎて、ハンコックは拳を握りしめた。

「申し訳ございません、ルミエール宮」
「ダメアマス!これと交換に2匹も奴隷を譲ったのよ!買ったばかりだったのに!」
「お許しください、もう決して汚しませんから……」
「むーっ」
 頬を膨らませて不貞腐れていたルミエール宮が、膝ついたアシュレイを眺めて、「あ!」と手を叩いた。
「そういえばお父上様にプレゼントをもらっていたんでしたわ!おしおきに使えっておっしゃって」
 彼は目を見張り、ザッと顔を青ざめさせた。
「お、俺に使うのですか?あれを……」
「試し撃ちにちょうどいいアマス」
「お許しください!もう二度と……決して……」
「あった!」

 ルミエール宮は懐から金色に光る、趣味の悪い銃を取り出した。宝石でゴテゴテと彩られたグリップを握りしめ、頭を垂れて震える男にニコニコと気軽に銃口を向ける。
「えっと、こうして……えいっ」
 ズガァン!と派手な音が鳴り、目の前で血飛沫が上がる。姉妹たちはガタガタと目の前で始まった「おしおき」に震え上がった。
 男は低く呻き、それでも頭を擦り付けて「申し訳ございません……」と謝り続けていたが、ルミエール宮はもはや男を見てすらいなかった。
「わぁ……身体が揺れるアマス!これ銃っていうのでしょ?おもしろいわね!」
 また、銃声が鳴り響く。一発、二発、三発。
 狙いは定まっていなかったが、四発も鉛玉を受けて平気な人間はそうそういない。男は倒れ込み、髪と同じ赤が床にジワジワと広がっていった。

「お父上様にお礼を言わなきゃですわ」
 ルミエール宮はそこでくるりと振り返り、ニッコリと返り血を浴びた顔で微笑んだ。
「お前たちの部屋も用意してるアマス。アシュレイ、案内するわよ」
 しかし、当然彼が答えることは無い。
「……?アシュレイ?」
 なのに何故か、ルミエール宮は不思議そうに首を傾げて何度か彼の名前を呼んだ。沈黙。だんだんと、不機嫌そうになっていく。
「なぜ返事をしないの?早く立ち上がるアマス。わたくしに歩かせるつもり?」
 ハンコックは、歯の音がガチガチと止まらなかった。この少女は……。
「アシュレイ……?寝てるの?」

 この少女には悪意がない。
 けれど、こんなにも無邪気で無知な残酷さを持っているのだ。
 大人の男にいたぶられて死ぬ寸前まで痛めつけられるのと、幼子の無知によって嬲り殺されるのでは、どちらも、地獄に変わらないではないか。
 天竜人は……天竜人でしかないのだ。
 それを心底ハンコックの骨身に染みて理解した。絶望の先は希望ではなく、違う絶望の底があるだけだ。

「だれかアシュレイを起こしてちょうだい!いくら呼んでも起きないの!」
 どこに控えていたのか、違う奴隷がやってきて彼女に諭した。
「ルミエール宮、アシュレイは……」
「なにアマス?」
「アシュレイは……壊れてしまったのです」
「壊れた……?」
 キョトンとして、徐々に理解したのか足元の肉を見下ろした。
「アシュレイは壊れちゃったの?」
「その通りでございます」
「壊れたって、お父上様たちがよくおしおきしたあとに捨ててるやつでしょう?じゃあ……じゃあアシュレイも捨てなきゃいけないの?」
「そうでごさいます、ルミエール宮」

 緑の目に、ぶわっと涙が滲み、見る間に声を上げてぐずりだした。
「いやアマス!これはお気に入りだったのに!アシュレイほど抱っこが上手い奴隷はいないもの!……うっ、なんで壊れちゃったの?銃で撃ったから?」
「は、はい……それは壊すための道具でありまして……」
「でもお父上様はおしおき用っておっしゃったアマス!壊すなんて言わなかったわ!お前はお父上様が嘘を申したとでもいうの!?」
「と、ととんでもございません!」
「うっ……うぅ〜……」
 ヒクッ、ヒクッとしゃくりあげて、「壊れたならアシュレイを直してちょうだい!」と地団駄を踏んだ。
「しかし……ルミエール宮……」
「なんで!?出来ないの!?」
「こ、これほど血が流れていては……」
「血ってこの赤いもの?これが流れると壊れてしまうの?」
「はい……」
「じゃあきれいに洗えばいいアマス!これらだって汚かったけど直ったでしょう?なんでアシュレイはだめなの?もう完全に壊れちゃったの?」
 これら、でハンコックたちを指さしたが、姉妹とこの男は違う。それが少女には分からない。少女によってこれほど逞しい男の命が無抵抗に失われていくのを、ハンコックは自分の身体を抱きしめるようにして見つめた。
 自分たちはいつ、どんな風にああなるのか……。
 奴隷は酷く困った態度で恐る恐るアシュレイの胸に耳を当て、「まだ生きてる……!」と小さく叫んだ。

「な、直るかは分かりませんが、まだ間に合う可能性があります」
「絶対に直すのよ!時間がかかってもいいから、すぐ修理して来なさい!」
「ただちに」

 バタバタと去っていく男たちを、姉妹は呆然と見送った。
 とんでもない悪魔の巣にやってきてしまった。

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