07
 ピコンと通知が鳴る。図書館に本を読みに来ていた刹那が画面を確認すると、仁王からだった。珍しい。

『招集、屋上。弁当も財布も教室に忘れた。後で返すから貸してくれんか』
『それは戻ればいいんじゃない?』
『ムリ』
『なんで?』
『親来とる』
『あー。でもわたしもむりなんだよね、ごめん。丸井くんとかに頼んで』
『あいつに奢らせたらプラスアルファがついてくるぜよ。何たかられるか分からん』

 丸井が食べるのが大好き……悪く言ったら食にがめついというのは同学年じゃ知らない人がいないほど有名だけど、そこまでとは。さすが学校で出前を頼んで生きる伝説となった男は貫禄が違う。でも頼まれても今日は行けないので刹那は既読だけつけて、ふーん、とスルーしていたら、本当に珍しく追いLINEが来た。

『今何しとん』
『図書館で本読んでる』
『おい、サボりなら来れるじゃろ』
『図書室じゃなくて、図書館』
『は?え?もしかして学校自体サボっとる?』
『そういうことになります』
『ズルすぎじゃろ』
『正解を選択しました🏻仁王くんもサボれば良かったのに』
『練習ある』
『あーね』

 祖母を呼ぶつもりは最初からなかったから、刹那は学校をサボっていた。私立の立海は保護者も小綺麗な人が多いし、両親のどちらかが来る家庭が多い。
 祖母だけだと浮いてしまうだろうし、両親が来ないことで不躾な視線を投げられたり、祖母に肩身が狭い思いをしてほしくない。
 なにより刹那自体が浮く。
 前髪を厚ぼったく伸ばしている刹那は、それ自体が校則違反だ。見た目が華やかな仁王や丸井とは違う意味で他の父兄眉をひそめられるだろう。被害妄想が強いかもしれないけれど、刹那は余計な雑音をわざわざ受けたくはなかった。祖母に授業参観のことも伝えていないので、制服で出掛けたら疑問に思うだろう。

 ヒマなのか仁王はなおもメッセージを送ってきた。ポツポツメッセージを交わしていると、だんだんやり取りの頻度が高くなってきて本を読むのに集中出来なくなった。
 通知が来る度にしおりを挟んで返信して、こんなんじゃロクに読めない。

『もう抜けたら?』
 だから刹那はそう送った。やり取りが嫌になったわけじゃないけど、暇つぶしがしたいならいっそのこと逃げてしまえばいい。
 親が来ているのに授業をサボってるんだから、親の反応は気にならないんだろうし。
『部活始まる前に戻ればいいじゃん』
『幸村に殺される』
 そしてすぐにまたメッセージが来た。
『図書館ってどこ?』

 え、まさか来るつもり?
 刹那は眉をひそめたが、同時に口元をニヤつかせた。授業参観日に学校を脱走。それはちょっと面白すぎる。
 でも刹那の最寄り駅の図書館だから、財布がないなら電車には乗れない。
『あー、そうじゃった。マジでなんもできん』
『分かった、駅行くから』
『ええの?』
『いいけど何するの?』
『ノリ』

 フッと笑い、荷物を纏める。少しだけワクワクしている。友達はミチカと例の彼(ギリギリ彼の従兄弟も?)くらいしかいないし、学校をサボって遊ぶだなんてことは初めてだ。
 仁王は友達じゃないし、遊ぶとも言わないかもしれないけれど、突如舞い降りた非日常に少しだけ浮き足立つ気分になるのは否定できない。


 家の最寄り駅から立海の最寄り駅は電車で15分ほどだ。
 服装も仁王のあの顔面に並んでもバカにされないくらいには整えてある。基本的に刹那は学校以外では鬱陶しい髪は上げているし、薄くメイクもしている。

 5分ほど待つと、ノロノロと仁王が気だるげにやってきた。本当に来た。遠目から見てもすぐに彼だと分かる。太陽の下で氷が砕けるみたいに輝く銀髪、だるそうに姿勢の悪い猫背でダラダラと歩く特徴的な覇気のない歩き方。
「サボりとは、やるのう」
 開口一番、仁王はニヤッと唇を釣り上げた。
 刹那も顎を上げてふふんと得意げに笑みを浮かべる。
「それで、何しよ?いつも何してるの?」
「ピヨッ」
「またそれ。じゃあテキトーに駅前でも冷やかそっか」
 彼は黙って着いてきたので反論はないようだ。今日はカップルを装う必要がないから刹那は腕を組まなかった。仁王も、いつしか当たり前になった腕を折り曲げる仕草をしない。
 ふたりはごく自然な距離で並んで歩いた。わざわざ不自然な、人間1人分の空間をとる事もなく、少し動いたら肩が触れ合いそうな、まるで友達のような距離。
 仁王は友達ではない。
 けれど刹那には自然に思え、ずいぶん心が軽くなった。本来の関係はこのくらいがきっといちばん自然だ。無理に恋人を装う関係じゃなく……。

 刹那はもう一度尋ねた。どこか行くなら、彼のしたいことに合わせる方が気が楽だ。刹那の趣味なんか仁王は興味すらないだろうし、刹那はわりと好奇心旺盛な方だ。どんな経験も新鮮で、小説のネタになる。
「普段何してるの?」
「さぁのう。その日の気分じゃ」
「たとえば?」
「昼寝したり本読んだりテニスしたり」
「学校と変わんないじゃん」
 男と女でショッピングしても仕方ないと、とりあえず近くにあったファミレスに入った。仁王は少しだけ迷う素振りを見せたが、刹那が無視して店に入ると彼も諦めた。
 どちらも奢るよだとか、後で返すだとか分かり切ったことは言わない。
 ふたりで食事をとることは慣れていたが、人目を気にせずに会話出来るのはずいぶんと開放感をもたらした。素っ気なく小さく笑う。
 答える気がないような仁王の答えはわざとだろう。
 なんだこいつ、と最初思っていた気持ちも今はない。共感できるからだ。他人に自分を明け渡すことをしたくないんだろう。あるいは開示する相手を選んでいる。
 刹那と同じだ。そういうところに少し好感を覚える。男としてではなく、似た人種として。
 14歳という多感な時期だから、過剰なキャラ付けの可能性もなくはないけれど、仁王からはそういう、わざとらしい痛々しさがなく常にナチュラルだった。

「まぁ、あとは人間観察したりかの」
「人間観察!」
 思わず吹き出す。前言撤回。やっぱりちょっとだけ痛いかも。
 それは人間観察をしていることではなくて、他人に人間観察が趣味だと言えるところが。
 仁王はやや気分を害したような表情を浮かべたが、瞬きするうちに「プリッ」と飄々とした顔に戻る。
 こういう些細な機微を刹那は鋭く見抜ける。おそらく仁王も。人を分析するのはクセになっているから、やっぱり、彼に共感する。
「ごめんごめん、バカにしたわけじゃなくて」
「そういうお前さんはさぞ高尚な趣味でも持っとるんじゃろうな」
「やめてー。普通に本見たり映画見たりだよ」
「つまらん平凡な答えじゃの」
「ごめんってば」

 ふふ、と機嫌よく刹那は笑いを零した。仁王の顔もふっと柔らかくなる。
 学校という閉鎖的な空間から逃れたことと、少しの非日常がどことなくふたりの角を落とし、普段の義務的でありながら、距離感を探る警戒心の伴うやりとりを緩和させていた。

 刹那が食べるのを肘をついて外を見ながら仁王が待つ。時々適当に会話をする。食事のペースも日常になった。もうあまり待たせることへの心理的なプレッシャーはない。
 彼は刹那を急かさないし、待つのが億劫だという態度も微塵も見せないから、気にならなくなった。それが気遣いだと思わせるのではなく、マイペースな男だな、と思わせるところこそ、彼の上手いところだ。もちろん刹那はちゃんと分かってる。たぶん、彼が本当に気にしていないことも、気遣いだも思われたくないことも。

 ふと、仁王が携帯を刹那に向けた。
「写真撮ってええ?」
「ええ……」
 繕うことなく「引くわー…」と顔に浮かんだ。
「顔はどっちでもええけど。インスタに載せる」
「ああ、ごっこ?」
「おん」
 彼は素直に意図を説明した。それがなぜか言い訳がましく聞こえることに少しおかしくなる。相手にどう思われようがかまわない、と煽るようにミステリアスな雰囲気を醸し出す彼の誤解されたくないラインが垣間見える気がした。
 刹那は快くうなずいた。
「可愛く撮ってね。なんかアプリ入れてる?」
「なんも」
「ノーマルで撮るつもり?ありえない!」
 悲鳴を上げて刹那はアプリを立ち上げると自分の携帯を差し出した。女子はくだらんことを気にするの、とかぶつぶつ言っているが、刹那からしたらまったく下らなくなんてない。
 高画質の携帯で写真なんて撮られたら、小顔効果もフィルターもないのに!
 仁王は肩を竦めて黙って受け取ると「食っててええよ」と促した。「こっちで勝手に撮る」

 少し不安だったが、好きにさせようと刹那は仁王を気にしないように努めた。だが、彼が気まぐれに話しかけてくるからそれも難しかった。携帯をかまえているくせにまったく撮る気配がない。画面も見ていなかった。
 けれど、それは写真を撮り慣れているようにも思えた。
 タイミングをはかっている。
 そう分かると刹那から肩の力が抜けた。

「仁王くんの親、怒らないの?」
「別に怒りはせんよ。嘆かれるじゃろうが」
「へー、緩いんだね」
「放任主義で楽ぜよ。むしろうるさいのは姉貴の方じゃ」
「お姉さんいるの?」
 意外な気がする。絶対仁王は一人っ子だと思っていたのに。
「弟もいるぜよ」
「お兄ちゃんなの!?意外…」
「どう意味じゃ」
「あー、でも真ん中っ子はわかるかも」
「何がじゃ」
 呆れたように仁王が眉を跳ねさせる。分かった気になられるのが嫌なのかな。
「白凪は?待て、当てる。長女か一人っ子」
「正解」
「どっち?」
「一人っ子」
「ほう。ぽいのー」
「よく言われる。長女も」
「じゃろうな」

 刹那がよく長女だと言われるのは真面目だからで、一人っ子っぽいと言われるのはひとりで行動するタイプだからだったが、仁王にはどういうふうに刹那が見えているんだろう。
 気になったが聞かない。
 仁王に自分のことを分析させるとろくなことにならなさそうな気がした。

 食べ終わる頃携帯を返され、いつ撮ったのかと刹那は面食らった。途中から撮られていることも忘れていた。
 画面を眺める。
 20枚ほども自分の顔が並んでいて思わずギョッとする。
「こんなに撮ってたの?」
「良さそうなのだけ残しといたから、後で適当に送っといて」

 感じた通り、やはり仁王は撮るのが上手かった。アングルや光の入れ方、何気ない一瞬、そういうものを上手く切り取れている。それに、女子の"映え"の琴線もよく分かってるんだなというような。
 フィルターも様々で、正直すごく盛れている。

 自分の顔を眺め、感心しながらもどこか呆然とした。
 写真の中の刹那は、綻ぶような笑顔だったり、気の抜けたやや間抜けな顔だったり、伏し目がちにドリンクを飲んでいたり、自分で意外に思うほど色々な表情をしている。
 仁王にこの写真を撮られたことも、仁王の前でこんな顔をしていることにも驚いて、なんだか居心地が悪い。ミチカに見せるようなリラックスしきった壁のない笑顔ではなかったが、たしかに楽しんでいる顔をしていた。

 いつの間にか仁王に対して壁が1枚剥がれていたことを今この写真を自覚して、自分の顔を思わずぺた、と触った。
 たぶん、共感が悪い。
 それは親近感に繋がるから。特に刹那はそういう傾向が強い。

 自分で仁王に写真を送ることに強い抵抗を感じた。
 自分がいいと思う自分の表情を選んで、仁王に送る。そんなこと、誰もが簡単にしていることだし、刹那もよくミチカに盛れた自撮りを送ったりするのに、なぜか仁王にそうすることは思考回路を暴かれるひとつの要素になる感覚がして、刹那はまた携帯を押し付けた。
 ニッコリと機嫌よく微笑んでみせる、
「めちゃくちゃ盛れてる!ありがと〜。写真仁王がテキトーに選んで載せていいよ」
「こういうの選びたいもんじゃなか?」
「全部可愛いからなんでもいいよ」
「自分で言うか、フツー」
 鼻白む仁王に違和感を感じた様子はなく、刹那は内心でホッとした。刹那も仁王も鋭く、刹那も仁王も隠すのがうまく、刹那も仁王も気付かれたことや観察されていることを分かった上で白を切ることもうまい。
 勝手に似た者同士だと思っているからこその厄介さだ。
 やっぱり学校にいなくても、仁王と関わるのはやりづらく、異性に対する警戒心とは別の心を固くして防御壁を築く感覚があるのに、どこか面白さもある。
 刹那にとって彼は初めての枠組みの人間だった。

「インスタに載せるけどええじゃろ?」
「うん。インスタやってるんだね。なんか意外」
「ほとんど更新しとらんけどな」

 あー、ぽそう。イメージに合う。
 それでたぶんファンの子に発掘されてめちゃくちゃフォロワーが多いか、逆に誰もフォローもフォロワーもいない鍵垢。
 そういう感じがする。

 1人で納得していると、何か問いかけたげな視線を彼が投げた。
「ああ、いいよ。別に見ないし」
「ピヨッ」
 刹那は首を振った。仁王の投稿には興味がない。彼を理解するという意味で、参考資料として見る選択肢もあるが、わざわざリア垢で繋がりたくない。このタイミングで刹那のアカウントのフォロワーが増えたら、"彼女"である"刹那"との関係性を勘ぐられてしまう。そんなリスクのある面倒なことしたりしない。

「そろそろ出ようか」
「プリ」
 伝票を持って、後ろを着いてくる仁王を振り返る。
「そういえばトイレとか大丈夫?」
「……じゃあ、ありがたく行かせてもらうぜよ」
「うん、外出てるね」

prev / next
back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -