04
 数日経っても噂は消えなかった。
 仁王の話題はそりゃあたしかにすごい勢いで広まっていったけど、刹那がそれに煩わされることはなかった。

 だが、関係ないのは刹那だけであって、仁王は渦中の人物としてずいぶん大変そうだ。
 金曜日、異動教室の時に仁王のクラスの前を通ったとき、刹那は思わず「うわっ」と声を漏らしてしまったくらいだ。
 もうすぐ授業が始まるというのに、廊下の前に列を作るくらいに違うクラスや違う学年の女子が集まってきていて、仁王の席の周りに円状に陣取っていた。

 もう帰れよお前ら、仁王くんが迷惑してんの分かんねーのかよ、ただ同じクラスだからって独り占めしないでください、あんた彼女でもないくせにエラソーなんだよ、私たちはただ仁王くんに本当のことを聞きたいだけで……!

 甲高い声がキンキン口論めいたように飛び交っていて、当の本人は机に腕を乗せ、うずくまるようにして寝る体勢を取っていた。
 うわ……可哀想。
 さすがに同情してしまった。
 彼と同じクラスの柳生比呂士が仁王に話しかけ、女子にもなにか声をかけたようで、女子の輪はさーっとはけていったが、柳生に肩を揺らされて顔を上げた仁王は実にゲンナリしていた。
 アイドルでもないのに、あんなに囲まれて猿のような女子たちを相手にしなくちゃいけないのか。
 テニス部人気、怖〜……。
 彼女騒動でここまで囲まれているだけで、普段からこうではないだろうが、仁王雅治が女子にうんざりするのも無理はない。

 4時間目に、とうとう彼から呼び出しがあった。
 授業中に震えた携帯をこっそり確認すると、『和室』とだけ送られてきていた。

『今?』
『ついでに冷たい飲みもん買うてきて』

 いつでも付き合うとは言ったけれど、頻繁に授業中に呼ばれるなら、色々やり方を考える必要がある。
 せめて授業始まる前に言えよ……。
 ため息をひとつ吐き、刹那は仕方なく小さく手を挙げて具合が悪いと抜けると、財布とポーチを持って俯きがちに教室を出た。

「鍵開けてよ!」
 呼んだくせにドアを回しても開かなかった。ガチャガチャ回して中にいる仁王に訴える。
「うるさいぜよ」
 開口一番そう言った彼にイラッとして、刹那は缶コーヒーを胸元にグイと押し付けた。
「授業抜けてくるのも大変なんだよ」
「コーヒー買ってくるか?フツー…」
 缶をつまみ、半目でぼやいて仁王がプシッと蓋を開けた。相変わらず会話が成立しない。
 ドアを締めて鍵も締める。靴を脱いで襖を開けた。
 仁王は特に嫌な顔もせず普通の顔でコーヒーを飲んでいるから、なんだ、と少し拍子抜けして、刹那はつまらなさそうにアクエリアスのペットボトルを投げた。

「最初から出しんしゃい」
「今日もこの後お昼食べるの?一応メイク道具は持ってきたけど」
「…プリッ。そのつもりぜよ」

 いちいち会話のペースを外すのはお互い様だった。仁王はため息を押し殺し、ポケットから黒い小さな財布を出した。
「いくら?」
「あー、じゃあ200円」
 別にこのくらいいいよ、と言おうと思ったが、貢ぐくんならぬ貢ぎちゃんにされても嫌だからとテキトーに答えると、仁王が小銭を投げて寄こした。
 一気に投げるので「わっ」と焦って、床に落ちる。
「鈍臭いのう」
 奴が小さく笑う。呆れて刹那が横目で睨む。百円玉が3枚あった。別にいいのに。まぁ、くれるならもらっておこうと、特に触れずに財布にしまう。

 仁王が窓を開け、壁に寄りかかった。風がカーテンを揺らす。
「昨日も今日もすごかったね、女子」
「勘弁して欲しいぜよ…」
「噂が落ち着くまで毎日帰る?」
「んー……」
 言ってみたけど返ってきたのは空返事だ。まぁ、刹那はどっちでもいい。和室の端にある折りたたみのテーブルを出して、ミニ鏡を立ててメイクし始めた刹那を、仁王は流し目でチラッと見て目を閉じた。

 お互いの呼吸音と、鳥の鳴き声、学校の近くを通る車の音、体育をしている生徒たちの声。
 口紅をし終わった刹那は、顔をチェックして口を開いた。

「ねぇ、テニス部ってマネ募集してる?」
 寝ていなかったらしい彼は、目を開いて眉をひそめた。
「なんじゃ、やっぱりストーカーなんか」
「どう思われてもいいけど、してるかしてないかだけ教えて」
「いつでもしとる。続く奴はほとんどいないけどな」
「ふーん。誰に言えばいいの?」
「本気でするつもりか?」
「本気だよ」
 嫌そうな顔をして、仁王は思案している。

「部活でもおまんと関わるのは鬱陶しい」
 しばらくして彼はあけすけに言った。正直すぎて刹那は肩を揺らして笑った。
「安心してよ、あんたの彼女じゃなくて、白凪刹那としてマネをしたいの。彼女として仁王くんには関わらないよ」
「何考えとるんじゃ?」
「いろいろ。テニス部に迷惑かけるつもりはないよ」

 刹那は本気だった。
 本気でマネをしたかったし、本気でテニス部に迷惑をかけるつもりもない。
 ただ、純粋にテニス部のマネになりたかった。

 テニス部は定期的にマネの募集をかけ、体験入部の期間を設けている。
 前永絵麻は、春にその体験入部をしたらしい。
 そして落とされたのか辞めたのかは知らないが、今は違う部活に入っている。仁王が好きで参加したのかは知らない。でも絵麻は仁王と幸村のファンクラブに入っているらしい。
 それなら、刹那は絵麻が叶えられなかった「テニス部のマネ」として正式入部してやろうと思ったのだ。
 入るならもちろんきちんと仕事をまっとうするつもりだ。
 じゃないと絵麻と同じになってしまう。
 ただのミーハーは落とされると有名だから。

 まっすぐな瞳で訴えかけるように見つめ続けていると、しばらくして仁王が根負けした。大きくため息を吐いて「幸村か由比に言えばいいぜよ」と教えてくれる。

「幸村くんは部長だよね。由比くんって誰だっけ」
「由比茜。女ぜよ」
「ああ、由比さん?」
「2年マネのリーダーじゃき」
「ほーん」

 ミチカから移った相槌を打つ。
 由比茜はたしか、ショートカットで明るい女の子だ。幸村くんと真田くんの幼馴染とかで、友達は多いけど、一部の女子からスサマジク嫌われている子だ。

「何考えとる?」
 仁王がもう一度言った。見抜くように、鏡のような瞳で警戒を視線で刹那を射抜く。美形の鋭い目は凄みが立ち上るようだった。
 意外と友達想いなんだな。
 彼には刹那がサークルクラッシャーのようにでも見えているのだろうか。それも当然だろう。刹那は仁王に恋人ごっこだとかいう、バカみてーなことを持ちかけた女なのだから。
「そんな警戒しないでよ。マネって三軍から始まるんでしょ。ファンクラブがあるのは一軍か、二軍の一部の人たちだけじゃない」
「部内をめちゃくちゃにされたらたまらんぜよ」
「じゃあ約束する。テニス部の人たちと絶対に恋愛しない。それなら安心出来る?」
「恋愛禁止って…アイドルかよ」
「仁王くんに笑われたくないんだけど」
 クツクツ笑いだした彼に少し恥ずかしくなって、刹那は唇を尖らせて睨んだ。

「冗談じゃ。好きにしたらええ。どーせ適当な奴じゃ続かんし」
「そ。ありがとう」

 刹那を適当な奴だと断定する言い方だったが気にならない。思惑こそあるが、恋人ごっこも、テニス部マネも続かなければ意味が無いことだ。
 結果を出せば仁王もごちゃごちゃ言わなくなるだろう。

 会話がなくなり、することも無くなった。刹那はヒマで仕方なかったが、仁王を見るといつの間にか本当に寝てしまったようだった。
 胸元が規則正しく上下している。
 寝ているならいいかと刹那もイヤホンをつけてソシャゲを始めた。

*

 チャイムが鳴っても一瞬身動ぎしたまま、起きない仁王に声を掛けて起こす。俯いてあくびをした仁王が、だるそうに起き上がった。
 のっそり、冬眠したクマみたいにノタノタした後ろ姿についていく。
 観察していると、慣れた手つきでドアに鍵を閉めて、無人の管理人室に普通に入ると、保管庫を普通に開けて普通に鍵をしまった。
 なんだ、タネもトリックもなく、ただ保管庫から取っただけだったのかと刹那は拍子抜けした。
 管理人室は物置みたいになっていて、そもそも鍵もかかっていなかった。こんなの、入ってくださいって言ってるようなもんじゃん。

「どこで食べる?」
 髪の毛を編み込み、前髪をポンパにアレンジしている刹那が仁王にたずねると、なんでもいい、と面倒そうな声が上から降ってくる。まだ眠たいんだろう。
「じゃあ近いし海風館にする?」
 食堂は人が多すぎる。2号館にあるから高校生と共有になっていて、いつも人でごった返している。仁王がうなずいたのが分かった。
 歩き出した刹那についてきたけど、歩くのが遅すぎて刹那は何度も振り返った。

「注文してくるから席取ってて。メニューは?」
「肉…」
 こんなにだるそうなのに肉は食えるのかよ。呆れつつ、感心しつつカウンターに並ぶ。海風館のカフェテリアは生徒に人気で、メニューもオシャレだが、量は学生向けで可愛くない。値段も食堂に比べたら可愛くない。
 刹那は海鮮パスタ、仁王にはハンバーグセットがあったのでそれを選ぶ。日陰のあたりに仁王を見つけ、セルフサービスの水とおしぼりを持っていく。
「はい」
「おん」
 お礼くらい言えよと毒づいたが、そんなに苛立ったわけでもないから、まぁいいかと溜飲を収めた。仁王はヒマそうにポケットに手を入れて携帯をいじっていて、刹那も携帯を取りだしたが、相変わらず突き刺さる視線に、今は2人きりじゃないんだったと思い出した。

「雅治くん、ハンバーグにしたけど良かったかなぁ?」
「あ?…あぁ」
 苦し紛れに話題を捻り出し、甘えた声を出した刹那に仁王が戸惑ったように顔を上げ、すぐに周囲の状況に気付いた。
「刹那は何にしたんじゃ?」
「海鮮パスタにしたの。海老好きなんだよね」
「そうなんか」
「雅治くんは好きなものあるの?」
「肉」
「それは知ってる。」
 刹那は真顔になった。

「料理とかあるでしょ」
「別に肉ならなんでもええけど…強いて言うなら焼肉?」
「焼いただけじゃん!」
「フッ」
 突っ込んだ刹那に仁王が薄く笑ったので、少しドキッと嬉しくなった。ときめいたんじゃなく、ウケて嬉しくなる感じ。
「焼肉なら何?ハラミ?タン?」
 別に知りたくもないが、話題がないので広げてみる。
「テールスープかのう」
「テ…何?」
「テールスープ」

 なんだそりゃ、と検索する。
 牛のしっぽをブツ切りにして煮込んだスープらしい。栄養たっぷり、コラーゲンで肌もすべすべ、滋養強壮にもよいとされており、韓国では好んで食されているスープです。はぁ、なるほど。
 焼肉っていうかスープじゃん。
 最初からそう言え。

「オシャレなんだねー」
「プリッ」

 人前でそう突っ込めもせず、飲み込んで当たりさわりのないことを言った。
 だからその鳴き声は何なんだよ。
 でも慣れてきた自分もいた。

「だからそんなに肌綺麗なのかな。なんかしてるの?」
「なんも」
「化粧水は何使ってる?」
「ハトムギのでかいヤツ」
「…もしかしてお母さんの?」
「おん」
「今地球上の半分を敵にしたよ、あんた」
 思わず口調が崩れ、チベスナ顔になった。また仁王が薄く笑う。どうやらこっちの方が彼は話しやすそうだった。周囲をこっそり見渡し、今の会話を聞かれていなかったか確かめたが、ふたりの周りはぽっかりと空洞が出来ていたので大丈夫だった。
 不自然なほど近くに人が座らないが、横目で観察されてはいる。

「別におまんも困ってないじゃろ」
「金かけてんの」

 声のトーンを落とし、刹那はぶりっ子を辞めた。
 肌は強い方だが人並みにニキビはできるし、薬を塗ったりもしている。それなのに仁王ときたら、いつも肉かコンビニのパンを食べているくせに、スタイルもいいし、肌も綺麗で、顔も綺麗だった。
 苦し紛れに粗を探す。

「どうせ髪は枝毛まみれなんでしょ」
「触ってみるか?」
「……」
「ほれ」

 銀髪のキンキンの頭を近付けた。刹那は少し迷い、ツンツンの頭に軽く触れた。まるで撫でているように見えたのか、向こう側の女子が悲鳴混じりで口を抑えている。
 先っぽはワックスで固かったが、根元の方は柔らかく指がとおっていって、猫っ毛だった。1本1本が細いのが感触でわかり、手触りで柔らかいのがわかった。
 ブリーチしているからキューティクルツヤツヤではないけど、ブリーチしている割にはとんでもなく綺麗だ。

「……クッ…」

 悔しさの滲む武士のような声を洩らす刹那に仁王が吹き出した。刹那の目は敗北感に満ちている。
 刹那だって髪はツヤツヤだが、金をかけているからだ。
「一応聞くけど…トリートメントとヘアオイルは何使ってる?」
「サロンで勧められたやつ。オイルは…なんじゃっけ、トラックだかなんだか」
 刹那はパアアッ……っと打ちのめされた顔から一転して、輝きを浮かべた。
「なんだ、髪はこだわってるんだ!」
「や、別に。行きつけの美容師から勧められただけぜよ」
「どこの行ってるの?」
「普通に駅前」
「ほーん。でも行きつけがあるってなんかオシャレだね。キンキンにしに行くの?」
「ブリーチは自分でしとる。死に始めたら行く」
 トリートメントメインで行くってことだろうか。なおさらオシャレじゃん!
 刹那は仁王も容姿への努力をしていると知って、親近感が浮かぶのを感じた。別にオシャレ命というわけでもないけど、女の子は可愛くなるためにめちゃくちゃ努力してるのに、男子はテキトーだなんてなんかムカつくからだ。

 盛り上がって(当社比)いるとメニューが運ばれてきた。お礼を言って受け取る。店員さんは若い女の人で、目に少しの好奇心が浮かんでいるのがわかった。
 目が覚めたのか仁王はハンバーグを俄然勢いよく食べ始める。食べる前に小さく手を合わせたのを見て刹那は目を丸くしてしまった。
 いただきますなんか、外にいる時はもう何年もしていない。
 なんとなく居心地が悪く、刹那も小さく手を合わせた。

 食べる間は特にお互い話さなかった。
 2人ともそれに気まずさを覚えるタイプではないし。
 やっぱり仁王の方が早く食べ終わり、小さくもにもに口を動かす刹那を眺めていて、視線を感じた彼女が「ごめん遅くて」と少しだけ眉を垂れさせる。
「水取ってくるけど」
「ありがと」

 ノッタラノッタラ2人分のコップを持ってセルフサービスの方に歩いていく。
 戻ってきた仁王が肘をつきながら水を飲んでたずねた。
「そんでマネっていつから来るつもりなんじゃ?」
「……」
 もぐもぐしながら、待って、と手を上げる。
「急いどらん」
 飲み込んで水を飲んだ。
「で、マネだっけ」
 声をひそめる。前髪を下ろしたまま申し込むつもりだから、仁王の彼女とイコールにされたくない。
「わかんない来月かな」
「ずいぶん先じゃの」
「仁王の彼女と同じ名前の子がすぐ入部してきたら誰だって分かるじゃん」
「ピヨッ」
「まぁ、わたしの行動に本気で嫌気がさしたり、不安なら事前に言って。直すし、それでも信用ならなかったら辞めるから」
「……別に」

 何やら言いたそうに見えたが、仁王が言ったのはやはり突き放すような言葉だった。
 まぁ、テニス部のマネとして本気で努めればいずれ仁王の不安や懸念も解消されるだろう。

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