03
 仁王雅治のクラスをひょこっと覗く。他の子の「?」という視線を躱し、教室を見回しても前永絵麻はいなかった。違うクラスで食べているらしい。
 なんだ……。
 高揚感が少し削がれる。あいつの顔を直接見たかったのに。
 彼は教室の後ろの席で、椅子にダラッと腰掛けて退屈そうに携帯をいじっていた。

「雅治くん…」
 刹那が恥ずかしそうにはにかみながら声をかけると、仁王が顔を上げた。眉がクイと上がり、刹那をまじまじと眺める。
「えへへ、待たせてごめんね」
 ちょっと緊張したように小さく言うと、彼も察したようにクッと笑い、「おん、待ってたぜよ」と隣の誰かの机をガタガタくっつけた。
 彼も楽しんでいるらしい。
 ありがたく隣に座ってニコニコはにかみながら仁王と昼食を始める刹那を、クラス中の生徒が見ているのが分かった。特に女の子の目が怖い。ヒソヒソ話し出したのも見える。
 一瞬で注目の的になったことに、苦笑いしそうだ。
 明日どころか今日中には噂が出回るだろう。仁王雅治人気に尊敬を回ってもはや呆れる。

「……」
「……」

 当たり前だが、話すことがなかった。
 ふたりの間に沈黙が流れる。しかし、教室も静まり返っていて、張り詰めたように耳をひそめていた。
 ため息を押し殺し、肩をすぼめて困ったように囁いた。
「なんか緊張しちゃうね」
「気にすることないぜよ…って言っても無理か。すまんの、俺が一緒に食おうっつったから」
「う、ううん!嬉しかったよ…!」
「ならええんじゃけど。刹那ともっと過ごしたかったんじゃ」
「ぅくっ……んんっ!」
 吹き出しそうになるのを、刹那は慌てて咳払いで誤魔化した。
 なんだこいつ。ノリノリじゃねーか。
 緩んでピクピクする口元を手のひらで隠しながら彼を見ると、仁王も口元をニヤッとさせていた。目が合うとお互いさらに笑いそうで、ニヤニヤしながら目をそらす。
 そもそも名前を覚えられていることも意外だった。名前呼びに乗ってきたことも面白い。
 他の女子が息を飲む音も聞こえてきた。会話盗み聞きしすぎだろ。
 刹那は囁き声だし、仁王もボソボソ喋る。お互い小さな声なのに、教室が静かすぎるせいで会話が近くの人に筒抜けだった。

 メロンパンをもそもそ食べながら、時折ポツポツ会話をした。だんだん教室に会話が戻っていく。
 小さい口でゆっくり食べる刹那と違い、意外と仁王はよく食べた。食べるペースはノタノタしているが、大口で頬張り、あっという間にパンをどんどん食べていく。
「雅治くんはいつもコンビニなの?」
「まぁ。あとは学食とかじゃな」
「へー」
 興味がなさすぎて興味がない声が出てしまい、やべ、とそつのない言葉を続ける。
「オススメのメニューとかある?」
「焼肉」
「重っ。お昼に食べるには重くない?胃もたれしちゃいそう」
「別にそうでもないぜよ」
「へー。意外と食べるんだね」
「その分動くからのう」

 また話すことがなくなってしまった。ふたりなら別に沈黙でも何も困らないが、人の視線を集める中の沈黙は少し困った。
 不仲だと思われるのは本意にそぐわない。
 さっさとこの場を後にしようと、刹那は食べるペースを早めた。

「やっぱり練習たいへん?」
「まあな。サボると真田がうるさいんじゃ」
「あー、風紀委員の?」
「おん」
「厳しそうだよね。真面目だし」
「あいつしつこいんじゃよな…」
「なんで銀髪許されてるの?」
「別に許されとらんよ。無視しとるだけじゃき」
「あははっ、真田くんかわいそう」

 あっっさい会話だった。
 仁王は食べ終わって手持ち無沙汰になったのか、刹那の肩にふいに腕を伸ばした。ギクリと揺れそうな身体を律し、普通の顔をしていると、彼は身体を軽く引き寄せて緩く肩を組んだままにした。
 話すことが本当にないので、スキンシップでカップルを装う魂胆だろう。
 身体を強ばらせていることも悟られないように、刹那は力を意図的に抜いた。少し照れくさそうにはにかんでみせる。

 刹那が食べ終わったのを見計らって、仁王が「抜けん?」と首を傾げた。
「ここじゃゆっくりできん。俺のお気に入りの場所教えちゃる」
「うん、行きたい!」

 椅子を引いて立ち上がったふたりに、また視線が刺さる。刹那も仁王も気にしていない顔をして、仁王がぐだっと刹那の頭に顎を乗せた。
 目を見開いている女子と目が合った。
 その傷ついているような表情に、仁王も罪なやつだな……と少し申し訳なく思う。刹那は別に仁王雅治が好きなわけじゃないし。
 けれど、仁王は女子に辟易として刹那のバカみてーな案に乗ったのだから、彼に想いを寄せる子たちは本当に報われないなと同情してしまう。

 刹那の肩に腕を乗せたまま、まるで甘えているようにダラダラ歩く仁王に、廊下中から視線がバッと刺さり、ふたりの前にみるみる道ができた。
 他の生徒が自然と道を開けていく様子はモーセの海割りを彷彿とさせる。
 こいつは神かなにかなのだろうか。

「えっ、仁王?」
 様子を信じられないようにうかがう視線の中で戸惑いと驚きの声がした。男の子の声だった。振り返ると赤髪の男の子が目を丸くしている。
 テニス部の丸井ブン太だ。
「なん?」
 気だるげに仁王が尋ねる。
「えっ、その子彼女?」
「おん」
「はぁっ?マジかよぃ、お前彼女いたの!?」
 躊躇うことも無く仁王が肯定した。
 刹那はチラッと仁王を見上げ、それから彼のブレザーの裾を握って、嬉しそうに小さく丸井に会釈した。
「めっちゃ可愛いじゃん!いつから付き合ってんだよ」
「いつでもええじゃろ」
 興味津々の丸井にヒラヒラ手を振り、仁王が刹那を軽く押す。歩き出した背中をざわつく声が撫でた。
 丸井の声は普通に話していても大きくてよく響いた。これでバーッと広がるだろう。

 仁王に体重を掛けられながら誘導され、階段を昇る。たぶん屋上に向かっている。好きだな、屋上。

 フウフウする刹那とは対照的に、仁王は緩慢な動きなのに息切れひとつしていなかった。体力の差を感じる。さすが運動部だ。
 屋上には人がいなかった。
 刹那は即座に自分の肩に回っている仁王の腕を柔らかく外した。

「あっははは!やばい、めっちゃ楽しいんだけどこれ!」
 やっと人がいない空間に来て、開放感で高く笑う。ドキドキする高揚感にポーチをぶんぶん振り回しながら小走りに駆け出し、給水タンクのハシゴをカンカン昇る。
 仁王もノタノタ昇ってきた。
 
「はー…」
 コンクリートに背を預け、目を細めて空を眺める。
 仁王がすぐ隣に座った。
「明日から噂すごそう」
 クスクス笑いながら話しかけつつ、不自然にならないように身体をずりずり離した。仁王は気付かず「そうだろうな」と答えた。

「てか気合い入れすぎじゃろ」
 仁王が鼻にシワを寄せてクッと笑った。ニヒルな笑みではなく少年のような顔だ。
「メイク?」
「おん。最初誰かと思ったぜよ」
「そんな変わらないでしょ。スッピンでも可愛いもん」
「……」
 仁王が「何言っとんじゃこいつ」というやや引いた目で刹那を横目で見てきたが、黙殺した。
「でも気合いは入れたよ。仁王くんの彼女なんてハードル高いからね」
「まぁのう」
 こいつも否定しないじゃん。刹那も呆れた目で軽く睨んでやったが、彼は肩を竦めるだけだ。結局お互い自分の容姿に自信があり、いちいち謙遜することに疲れている。

「ふふ、仁王くんの演技笑っちゃうかと思った」
「おまんも何じゃあのキャラ」
「テーマは小動物っぽい守りたい系女子です」
「無駄な演技力発揮するんじゃなか。あそこで笑ったらいけんと思って必死にガマンしたぜよ」
「あはは!まー素よりいいでしょ?素のわたしだと仁王くんのこと好きそうな態度取れないし」
「失礼な奴じゃの…」

 そのままの刹那では、今のようにやや粗雑な態度になってしまう。それにたまに口の悪さが出てしまうだろう。
 男子が好きそうな、大人しそうで清楚で照れ屋っぽい態度の方が、ちゃんと可愛く振る舞える。

「そういえば丸井くんにも彼女って言ってくれて助かったぁ。別にフリってバラしてもいいんだけどさー、広まってほしくないから」
「ああ…いつかは言うかもしれんが、説明すんのだるい」

 仁王はかなりめんどくさがりらしい。
 いつ誰から漏れるか分からないので、恋人ごっこを知る人はできるだけ少ない方が刹那にとってはありがたい。
 気合を入れて可愛くメイクして、可愛く振る舞うのは、仁王が刹那をほかの人に彼女だと紹介するのに恥ずかしく思わせないためもある。

 目的を果たしたので、ハーフアップを解き、ピンを外した。シャツのボタンをきっちり止め、ブレザーを整え、メガネをかける。
 それからティッシュで口紅を拭った。
 今思ったが、ポーチを持ち歩くと特定に繋がるかもしれない。次からはポケットにメイク道具を入れた方がいいかも。

「じゃ戻るね。今日一緒に帰るんだよね?」
「おん」
「図書室かどっかにいるから部活終わったらメッセして。校門のとこでいい?」
「東門来て。たぶん6時くらいじゃと思うけど前後するかもしれん」
「わかった」

 SNSでやり取りした時のように、事務的に会話をして刹那は立ち上がった。
「また後でね」
 仁王がヒラッと手を上げた。

 思った以上に楽しかったし、上手くいった。刹那は顔がニヤつくのを抑えられなかった。
 教室に戻る途中で女子たちが顔を突き合わせて仁王の話をあちこちでしていた。思った通りに、いや、思った以上に噂は大きくなりそうだ。
 あの女はどんな反応をするだろう。
 刹那はなんとかスキップするのを抑えたが、胸はずっと弾んでいた。

*

 「仁王の彼女」はマンモス校の立海の中で一躍センセーショナルの話題になっていた。
 放課後までの間、ひっきりなしに女子たちが噂話をし、泣きそうな子までいた。女子だけでなく、男子も興味深そうに話していた。

 あの子誰?名前知ってる?
 見たことないよね?違う学年かな。
 仁王彼女作ったってマジ?今まで特定の奴いなくね?
 一緒にご飯食べてるのなんて初めて見た…本命なのかな。
 どんな子だったの?
 どうせ可愛くないでしょ。
 見たけど大したこと無かったよ。男が好きそーって感じ。
 クールな仁王くんもあんなのが好きなんだ。萎えるわー。結局あーいう女に落ち着くんだぁ。
 どうせすぐ別れるっしょ。
 誰かあの子見つけてないの?見に行きたいんだけど。
 名前なんて言ってた?
 なんだっけ、刹那とか何とか……。

 刹那は何気ない顔をして本を読んでいたが、仁王と刹那の名前が出るたびにソワソワして、唇がにやけそうになるのをガマンした。
 何人かの女子が「刹那?」とチラッと顔を見に来たが、俯いて教室の隅っこで俯く刹那に「あれはないわー」という顔で去っていく。
 誰も野暮ったい刹那と、仁王の彼女を同人物だとはとても思わない。上手く行きすぎて高笑いしそうだ。

 ミチカは相変わらずテニス部や噂に興味はなく、推しの話をするか、真剣な顔でソシャゲのリズムゲームをしていた。
 刹那の彼氏にもほとんど興味がない。
 話す気があるなら聞くし、ないなら尋ねない。
 カラッとしていて気持ちが良い。

 いつか気付くのはミチカと絵麻だけだ。

 こんなことをして何をしているのかと、ふと虚しくなる気持ちもある。でも、もう走り出してしまったし、あの女に屈辱を与えることでしか鬱屈が晴れないのだ。
 いつまで仁王と関係が続くか分からないし、おそらくすぐ終わるだろうけど、でもしばらくはこの優越感を味わっていたい。
 もちろん人気者の仁王と付き合っている優越感ではない。
 前永絵麻の幸せを踏み躙っていると感じられる優越感だ。

 授業が終わり、ミチカが寄ってきた。
「明日カラオケ行こうよ」
「いいよー」
「ヨシャ。急に行かないと死ぬ病にかかった」
「ウソップ?」
「伝わって草」
「わたしも今キてる」
「知ってる。支部に上げてたじゃん」
「うわ。読んだの?」
「読んだ。サンジの夢女になりそう」
「ミチカ夢女じゃないじゃん」
「うん。でも目覚めそう」
「〜ようこそ、こちら側の世界へ〜」
「あなたは100人目のアリスやめろw」

 くだらない話をしながらぐだぐた喋る。まだ陽が高い。
 椅子をまたぎ、背もたれに腕を乗せてシャンシャンゲームをしながら、引き攣るようにたまに笑い、刹那たちは陰キャの会話をした。
 仁王と話すときはまぁまぁ話題に困るので、脳死で会話出来るミチカは気楽だった。

「てか帰らんの?ピとデートでしょ?」
「待ってる」
「あーね」

 ヒマなので刹那もソシャゲを開いた。推しイベではないのでダイヤはあんまり砕かないが、一応星4くらいは取るか〜とイヤホンを片耳つける。

「曲良すぎん?死んじゃったんだけど」
「成仏してクレメンス」
「おいそれは陰キャすぎるww」
「頭に浮かんでしまった…」
「浮かんでしまったか…」

 こんなん他の人には絶対言えない。刹那は喉のところで低く笑った。仁王にバレたらオタクすぎてドン引きされてフラれるかも。
 あの人、テニスやってなかったら毎日BARとかクラブとか行って女抱いてるか、毎日ナイトプール通ってそうだもんな。
 それか年上のちょっと気だるげな雰囲気漂う…キャバ嬢とかラウンジ嬢のヒモとして飼われてそう。女抱いたあと煙草をくゆらせているイメージがリアルに浮かんだ。
 少し関わって意外と青少年ぽいことは知っているのだが、どうしてもそんなイメージが似合う。
 付き合ってもいないのに押し倒してきた前科があるのだから、偏見でもない。遊び人でダウナーなイメージはすっかり固定されていた。同時に少年みたいに笑うことも知ったけれど。

「何時まで残る?」
「んー、6時くらい」
「遅っ。えー、てかさぁ……」

 携帯の手を止め、ミチカが周囲に視線を走らせてそっと身を屈めた。耳元に口を寄せてくる。ひそめた声。
「まさか仁王の彼女ってあんた?」
 刹那は思わず吹き出した。否定だと捉えたのか、「あ、ちがかった?まぁ接点ないもんね」と半笑いになったが、刹那は苦笑して首を振る。
「バレんの早……」
「死柄木やめろwえてかやっぱそう?なんかみんな刹那とかっていうからさぁ〜…。可愛い系のぶりっ子とか黒髪のセミロングとかさ…」

 どう考えてもあんたじゃん、とミチカは心配そうに刹那を見つめた。
「なんで付き合ってんの?」
「いろいろあって?」
「ほーん…リンチ確定演出だけど大丈夫そ?」
「だから身を隠してる」
「ぜってーバレんなよ?」
 刹那は素直にうなずいた。いつまで隠し通せるかは分からないが、最初からそのつもりだ。

「それにしても仁王ね…」
「声」
 小さく指摘するとミチカは「あ、ごめん」と声のトーンを下げ、「じゃあピで」と言い直した。
「いつから?」
「昨日?」
「爆速展開で草。え、どっちから?」
「うーん……」
 なんと説明すれば良いか分からず首を捻って唸る刹那に、ミチカは不可解そうにした。一応、刹那から告白したということになるんだろうか。
「え、好きだったの?」
「うーん……」
 やっぱりモニャモニャした返事しか返せない。とはいえ、素直に「や、別に」ということも出来ない。ミチカに引かれたくなかった。自分がしていることのばかばかしさは自分がいちばん分かっていた。
 恋愛ごっこのこともそうだし、前永絵麻に異常に固執していることもそうだ。

「意味がわからん」
「いろいろあったんだよ、ほんと」
 苦笑いする刹那にミチカは「ほーん」とそれ以上たずねることはなかった。

 5時くらいにミチカが帰り、刹那は1人になった。
 ヒマなのでイヤホンをして、ソシャゲのアイドルゲームの曲を聞きながら課題を片付ける。
 黄色とオレンジが混じった西日が教室に降り注ぎ、透き通った空が開けている。教室はほとんど誰もいない。時折教師が覗きに来て、課題をする刹那を見て「勉強もいいが早く帰れよ〜」と声だけ掛けて去っていった。

 バイブ音で顔をあげた頃にはすっかり陽が落ちていた。集中していて気付かなかった。仁王からメッセが入っている。

『終わった。どこ?』
『今行く。ちょっと待ってて』

 急いで広げていた教科書を机の下に突っ込み、ノートや筆箱をスクールバッグにしまった。廊下に掛けている薄手のコートを羽織り、トイレに駆け足で向かう。
 前髪と髪の毛を昼と同じようにまとめ、顔はまだ崩れていなかったのでリップだけ乗せた。ムニムニ広げ、顔をチェックして昇降口でモタモタローファーに履き替えた。
 中等部の棟である海志館から東門は正反対で少し遠い。
 梅雨だからか、雨は降っていないけれど空気がしっとりしていた。

 群青の空だというのに、門のそばにはまだずいぶん生徒がいた。ジャージを着ているのは運動部で、制服なのは文化部かテニス部のファンだ。
 熱狂的な子たちは、いつもフェンスのそばでキャーキャー応援している。
 真夏は蚊が多いから人が減り、真冬は寒いから人が減るが、春と秋はわりあい女生徒たちがウロウロしている。虫みたいだ。
 よくやるなぁと呆れ混じりに感心してしまう。アイドルを応援している感覚なのかもしれない。
 ただの中学生なのに。
 でも、刹那も柳蓮二にはドキドキして憧れて尊敬して、彼と話すのはスゴク緊張するから、気持ちは分かる。ファンクラブにも入っているし。わざわざ応援しに行ったりはしないけれど。

 仁王を探したが、探すまでもなくすぐに見つかった。東門の前で女子が円状に広がり、遠巻きにキャーキャーしている集団がいれば、そこにテニス部がいる。

「ゲーセン行きましょうよ〜」
「ムリ。1人で行けよ」
「えー、なんでっスか!どうせヒマでしょ!」
「黙れ天パ。今日新作スイーツ出てんだよ」
「はぁ〜?またデブりますよ!」
「おい殺すぞテメー」
「ふは、言われとるのう」
「仁王が雑なイジりすっから赤也が悪影響受けんだろぃ!」
「もーいいっス、あんたなんか誘わねーから!仁王先輩、行きましょうよ〜。オレ今金欠なんスよ」
「たかる気マンマンじゃねぇか」
「可愛くもないガキに奢るわけないじゃろ。つか俺も今日はムリ」
「えー!なんでなんでなんで」
「彼女待っとる」
「え!?仁王先輩彼女いるんスか!?」
「ビビるよなー。オレも今日初めて知ってさ」
「へー、仁王先輩の口から彼女とか出るとなんかキメェっすね笑」
「のう丸井、このガキマジで殺さんか?」
「乗った」
「ギャーッ。可愛い後輩に何すんだよ!」

 動物園みたいにうるさく騒いでいる中に仁王がいた。ちょうど彼女の話をしていて、入りづれぇ〜…と刹那の足が止まる。
 どうしようか困った顔で彼らを眺めていると、仁王が刹那に気付いた。ヒラヒラ手招きしてくるので迷いながら彼らの元に足を進めた。
 女子たちがざわつき始めた。

「に…雅治くん、お待たせ」
「待たせたのは俺のほうじゃろ」
「じゃあ、お疲れ様」
「仁王先輩の彼女っスか!?」
 黒髪の男の子がデカい声で叫んだ。近くにいるのに怒鳴るような声に、刹那は思わずビクッとする。声が大きい男は……怖い。
 隠し切れずに思わず漏れ出た怯えを、しかし仁王は「大人しい女の子の演技」だと思ってくれたらしく、「俺ん彼女怖がらせるんじゃなか」と自分の背に隠すようにした。
 少しほっとして、彼の背からひょっこり顔を出して困ったように会釈だけしておく。

「別に怖がらせてねーッスよ。てか紹介してくださいよ〜」
「嫌じゃ。帰ろ」
「うん。えっと、お友達もさようなら」
 刹那はニコッと微笑んで手を振った。丸井がガムを膨らませながら「おー」と手を上げ返し、後輩君はまだギャーギャー喚いていた。

 仁王が後ろの声を全部無視して、流れるように刹那の手を掴んだ。

 ゾワッ。
 その瞬間背筋に冷たいものが走ったが、カップルのフリをしているから仕方がないと刹那は自分に言い聞かせた。まだ立海の生徒が大勢いて、ザワザワ声が揺れている。

 数多の視線を感じながら、仁王のほんの少し後ろを俯きがちに歩いた。爪先を見つめて、胸で渦巻く倦怠感を誤魔化していた。
 仁王の手は細長く、節ばっていた。温度が低くて冷たいけれど、やっぱり人肌だから生ぬるかった。背中に浮かんだ冷や汗が自分の手のひらにもじっとり滲んでいく気がする。
 口内に次々に唾が溜まった。
 本当ならここはときめくシーンなのだろうし、一応多少ときめく気持ちもあった。けれどそれを上回る緊張と、恐怖と、警戒と、嫌悪感があって、気を紛らわしたいのに声を出す余裕もない。
 繋がれた手のひらに全部の神経が向かっている。

 昼間に顎を乗せられた時の方がずっとくっついていたのに、今の方がずっと胸が嫌な風にもやついている。
 なぜだろう。
 刹那は気持ち悪さから気を逸らそうとそんなことをつらつら考える。

「悪いの、退屈じゃったじゃろ」

 昼間は直接肌に触れられていなかったからかも。
 それと、人がたくさんいて、明るかったから?

「…なぁ、聞いとる?」
「ぇあ?」

 ギュッと握る手に一瞬力が込められ、それに刹那は体を固くして、初めて声をかけられていたことに気付いた。間抜けな声を漏らして顔を上げて、慌ててへらりと笑う。
「あー、ごめん聞いてなかった。何?」
「具合悪いんか?顔色悪いぜよ」
「そう?」
 血の気が引いている自覚はあったが、そんなに分かりやすく表れてるとは思わなかった。刹那がそっと手を引くと仁王もパッと手を離す。
 ほっとして指先が一瞬震えた。安心した表情を出さないように、刹那は微笑んでこてんと仁王を見上げた。

「大丈夫だよ。それより腕組む方が好きなの。いい?」
「好きにしんしゃい」
「ありがと」

 ジャージしか着ていない薄手の腕に自分の腕を絡める。
 直接触れる部分がなくなってずいぶんと安心した。けれど、彼からやっぱり生ぬるい体温と、少し汗ばんだ冷たさと、汗の匂い、制汗剤のスーッとした匂い、香水っぼい匂い。
 男の子の香りがして、胸の倦怠感は僅かに残っている。

 絵麻の彼氏や好きな人を奪う過程で、多少のスキンシップになら耐性がついたけれど、やっぱり怖くて気持ち悪いものら気持ち悪い。

 帰り道は特に会話はなかった。
 立海の生徒の視線はあるものの、みんな遠巻きにしているだけだったし、くっついているからどう見てもカップルに見える。
 静まり返っていた教室でのように、無理に話題を探す必要がない。だから自然と会話は生まれなかった。
 刹那は自分のペースで普通に歩いていて、途中で仁王の足の速さに合わせてもいないことに気付いた。それは最初から彼が歩みを刹那に合わせていたということだ。
 紳士的だと捉えるか、慣れているなと捉えるかは解釈が分かれるところだと思うが、刹那は後者だった。ありがたくも思わず、目を細めて(さすが仁王…)と心の中でやや小馬鹿に軽蔑しながら思う。

 刹那も仁王にドキドキしないけど、仁王も刹那に全くときめきもしない事が、ありがたくてやりやすいけれど、遊んでるな〜と分かる。
 男は全員嫌いだけど、軽薄な男と横暴な男はことさらに嫌いだ。

「家どのへんなの?わたし電車だから、途中まででいいからね」
「…送ってく」
「え?あぁ、そう」

 面食らって素でボカロが出てしまった。
 直前に仁王を内心で軽蔑していた刹那は、やや罪悪感を覚えた。めんどくさいだろうに律儀なやつ。
 たしかに送ってくれる方がカップルっぽいだろう。
 駅には立海生がたくさんいるだろうし。
 別にそこまでしてもらわなくとも…とは思ったが、人の善意にわざわざケチをつけるのも、と思い直し黙った。

 駅前まで送ってもらい、スっと腕を外す。
 生温さが離れて息がしやすい。

「ありがとう、送ってくれて」
「おん」
 ニコニコとお礼を言えば、仁王もとくに感慨もなく、照れもせずうなずいた。
「じゃあまた来週の水曜日に。でもそれ以外でも、必要だったら呼び出してもらってもいいから」
「おん」
「じゃあばいばい」
「じゃあの」

 駅の中に入り、一瞬振り返ると仁王はもういなかった。
 その事務的な態度にほっとして、くすくす笑う。
 刹那は仁王を小馬鹿にし、仁王も刹那のことを都合よく使う関係性でしかないけれど、だからこそいい関係を築けそうな気がした。
 お互い自分のためだけの関係が。

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