18
「できたー!」

 刹那は華やいだ歓声を上げた。
 五十枚綴りのカードを二つ作るのはなかなか時間がかかった。しかも、切原の苦手そうな単語を抽出し、元々書いていた単語を消し、切原の資料にマーカーをつけて、というふた手間どころではない作業が加わっていたから、終わる頃には一時間ほどが経過していた。
 一つは簡単な単語ばかりを選んだ初級編で、もう一つが少しレベルアップした中級編だ。上級編はこの短時間ではむり。この辺を抑えておけば長文問題もある程度理解出来るだろう、というラインで仕上げた、我ながら有用なカードだ。

 切原は相変わらず呻いたり、ぶすくれたり、だらけたり、嫌がったりしているが、真田はまぁなんとか我慢している。怒鳴り声は聞こえるが、とりあえずそれに続く説教タイムはなくなった。
 勉強時間も減るし、お互いのストレスは溜まるし、刹那は怖くなるし、空気も悪くなるし、悪いことばかりだったのだから。
 差し出がましいことを言った自覚はあったが、刹那はどうせなら良い雰囲気でやりたい。特に切原なんか、怒られるより褒められて伸びる印象を受ける。

「お疲れ、白凪さん」
「ありがとう〜。ちょっと一瞬抜けるね」

 財布を持ってホテルのコンビニに向かう。そろそろ休憩した方がいいだろう。休憩時間は適宜あったようだが、三強に睨まれて、切原はまるでリラックスできた様子がない。
 というか、三時間ほどもう勉強しているみたいだし、切原は限界を迎えているのではないだろうか。

 なんでわたしがあのクソガキのメンタルにこんな気を使ってんだろ……という根本的な疑問にゲンナリしつつ、ハーゲンダッツを四つ買って部屋に戻る。

「ちょっと休憩しない?みんな疲れてるでしょ?」
 ビニール袋を掲げると、キラッと切原の瞳がまたたいた。
「もしかして差し入れ買ってきてくれたのかい?」
「うん。リフレッシュしながらしないとね〜。何の味が好きか分からなかったから、全員分バニラにしたけど食べれる?」
「うおっ、ダッツじゃん!」
「そうだよ〜」
「今財布を…」
「いいよ柳くん。みんな大会も出て疲れてるのに、こんなに頑張っててえらいよ。わたし何にもしてないしさ、差し入れくらいさせて。ねっ」
「…すまない、ありがたくいただこう」
「真田くんはアイスとか食べれる?……あ、ハーゲンダッツって知ってる?バニラ味っていうのはけっこう甘くて……」
「ブハッ!」
 幸村が吹き出した。口を押えながらブルブル震え、無言で爆笑している。切原も仰け反って机を叩きながらけたたましい笑い声を上げ、柳も「フッ…」と僅かに肩を揺らした。
 そんなに面白いことを言ったつもりはなかったため、刹那は所在なさげな顔をした。
「はーげんだっつくらい知っている!アイスクリンの種類だろう!」
「アイスクリン…」
「アハハハハ!や、やめて真田……アハハハ!」
「幸村、何をそんなに笑っているのだ」
「ヒーッwww」

 爆笑する幸村と切原を横目にハーゲンダッツを口に運ぶ。個人的にはマカダミアナッツが一番好きだが、バニラは安定して美味しい。
 やっと落ち着いた切原が「美味そーっ」と歓声を上げると、真田の叱咤が素早く飛んだ。
「きちんと礼を言わんか」
「ウーッス……あざっす」
 ぺこ、と会釈されてうなずきを返す。その顔はやっぱりムスッとしている。だが、それが気まずさを隠すためだというのが、刹那にはとっくに分かっていた。

「今日は何時までする予定?」
「消灯前まではしたいかな」
「マジっすかぁ!?あと一時間も!?」

 チマチマ食べる刹那とは違い、現役運動部の四人はパクパクと食べ進めている。特に切原なんか、すごい勢いだ。キーンってなっちゃわないのかな。
 そう思って見ていると、パチッと目が合った。
 その途端、やっぱり怯みのようなものを浮かべた。
 目を細めて優しく問いかける。

「…美味しい?」
「……うめーっす」
「でしょ〜?ふふん、刹那様を崇め奉りなさ〜い」
 ホーッホッホ、と手のひらを逆さまにして悪役令嬢のポーズでちょけて見せると、切原がふはっと小さく笑った。
「なんスかそれ!ちょーし乗んないでくださいよ!」
「お、敬語使えるじゃん、えらいえらい。じゃ、次は刹那様って呼べるようになろうね」
「なんで様づけなんだよ!せめて先輩だろ!」
「アハハ!いいよ、好きなように呼びな〜」
「ハイハイ、刹那先輩。これで満足っすかァ〜?」
「えらい〜!いい子だね〜!やればできるじゃんっ」
「バカにしてるっすよね😠😠」
「してないよぉ、ふふ」

 うわ〜、切原赤也、タンジュン……!
 くすくすと刹那は笑った。
 真田といい、切原といい、怒鳴るしキレやすいし、真夏に急に動き出すひっくり返ったセミのようでまだ実はちょっと怖いのだが、どうしてなかなか素直で可愛らしい。クソガキなだけあって、子供なのだ。
 なぜか頭の中の仁王が「愛い奴じゃのう、愛い奴じゃのう」と悪代官みたいに言っていた。
 アイスで釣られたのか絆されたのか分からないが、関係が前進したのは良い兆候だ。これで口調や態度を真田に怒られることも減るだろう。
 ああ、この浮かれてクスクスする感じ、切原赤也というクソガキに勝ったみたいで、嬉しいのかもしれない。
 とはいえ、このしおらしい態度がいつまで続くかなんて知れたものじゃないけれど。

 食べ終わった頃を見計らって、刹那は「提案があるんだけど…」と切り出した。
「提案?」
「そう、切原の英語のプラン」
「え〜……」
 切原は面倒くさそうにしながらも、渋々聞く姿勢を取った。350円でこの従順さ、素晴らしい!スタンディングオベーション!

「英語は暗記科目だから、」
 内心はおくびにも出さず、表面上は穏やかな微笑を称えて刹那はつらつらと説明する。まずは初級編の単語を覚えることからだ。
 一日三周分、暗記カードを音読する。
 一単語ノート二行分ずつ、暗記カードのスペルを書く。
 そして次の日に、ランダムに抽出した単語の意味とライティングを、それぞれ十問ずつ正解するまでミニテストを行う。それを毎日繰り返す。
 たったそれだけ。
 それだけだが……。
「どう?切原。五十単語だし、最初は慣れないかもしれないけど、試しにちょっとだけやってみない?」
「まぁ、そっすね、音読して、二行だけ書きゃあいいんすよね?これ一つ分だけ?」
「そうそう。もう一つの単語カードはちょっと難しめの中級編にしてあるから、初級編が終わったらチャレンジしようね。あ、クリアしたらちょっとしたご褒美をあげる、っていうのもいいかも」
「ごほーび?なんかもらえるんすか?」
「大したものじゃないけど…安いお菓子とかアイスとかは、ご褒美…になる?」
「なりますなりますなります!クイズにクリアしたらくれるんすか?」
「うん、あげるあげる」
「たるんどる!報酬がなくとも勉学に向き合うことが当たり前だと言うのに」
「まあいいじゃない。ガリガリ君とか、そういうんでいいなら用意してあげる」
「よっしゃー!!それならガゼンやる気出るぜ!」
「なんか白凪さん、赤也に甘くない?毎日ミニテストをするって発想はいいと思うけど、たった十問で、その上ご褒美?」
「甘いかな?楽しく勉強できるのが一番見になるかな〜と思ったんだけど」
「試みはとてもいいと思うぞ。しかし、その報酬で白凪が負担を負うことになるんじゃないか?」
「いいのいいの、60円くらい。家にお菓子もたくさん置いてあるし、テキトーなの持ってくるよ」
 柳は「まぁ、白凪が良いのであれば」と仕方なくうなずく。隣の席のよしみ、そして彼のデータと分析力で、刹那が随分な頑固者であるということはバレている。
 刹那は自分よりはるかに頭の良い柳に方針を肯定されたことで、ほっと胸を撫で下ろした。暗記が上手く進むようであれば、上級編も作ってみるのも視野に入れる。
 絵麻……いや、あの女によく勉強を教えていた。塾の先生より分かりやすいとよく言われたものだ。だから教える経験自体はある。けれど、あの女はけっこう成績が良かったから、切原レベルのバカが相手になるとどうなるか進展はまだ見えない。

「じゃあ、明日からミニテストを始めよっか」
「えっ」
「消灯まであと一時間だよね。音読、聞いててあげるから、さっそくやってみよう」
「アンタもスパルタなのかよ!」
「やだな、出来ないことは言わないよ。今日はもうじゅうぶん頑張ったから、あとは頭を使わない作業したほうが楽チンでしょう?」
 ふふ、と人差し指を顎に添えてニッコリ笑うと、切原は観念してガックリと肩を落とした。

*

 ライティングは彼のペースに任せ、少し早く解散する。スマホを見ると、LIMEで侑士と謙也が通話をしていた。
 スリープにして真っ黒な画面を見つめる。
 彼から連絡はない。
 勝ったか、負けたかも。
 タイミングが合えばいつも通話していたから、メッセージのやり取りはそんなに多く取るほうじゃないし、侑士はいちいち刹那に勝敗を送ってくるやつじゃないけれど……。

「ふぅ……」

 でも、たぶん、侑士は気付いていただろうな。
 どう思ったんだろう。なんて言われるだろう。怒る?失望?笑う?無関心?心を閉ざす?
 来月の全国が終わるまで、彼と直接会うことはない。
 それまで宣告が先延ばしされるのはどうにも落ち着かなくて、刹那は膝を抱えた。

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