04

 マネの仕事は単調だ。いや、単調に見える。
 森や宮部のしていることをなぞるのは簡単だった。部活前にドリンクを作ったり、タオルを差し出したり、タイムを測ったり、ボール拾いやボール磨き……。
 同じことだけをするのでは芸がないし、爪痕を残せない。

 誰よりも最初に部活に向かおうと何日か頑張ってみたが、HRが長引くとやはり時間はまちまちになる。だから刹那は少しやり方を変えた。
 立海テニス部はプロの大会でもよく使われるハードコートを使用している。これは手入れがほとんど必要ない。けれど、水に濡れると滑りやすくなって怪我の元になる。
 だから刹那は昼休みに掃除をすることにした。水を軽くまいて水を履く。
 こうすれば部活が始まるまでにコートが乾く。
 部活前は、あとは飛んできた砂や葉などを掃除するだけでいい。

 誰にも気付かれなくてもいいと思ったが、一軍の人たちは昼休みでも自主練している人がいて、刹那のことを見ていた。
 わざわざ掃除していることを三軍に打ち明けなくとも、何日か続けていればコートがすでに手入れされていることに気付く。

 刹那は考え続けた。
 出しゃばりだと言われてもいい。いい子ちゃんだと言われてもいい。媚びていると言われても、ノリが違うと言われても、真面目ちゃんだと言われてもいい。

 選手に出すジャグはズッシリと重い。刹那は笑顔で先輩に「わたしが運びますよ!」と微笑んだ。いくら氷があっても足りない。なくならないようにこまめに補充する。
 用意するジャグにはスポーツドリンクが入っているが、クエン酸と麦茶も準備しようと今は画策している。
 部活は誰よりも残ってボールを磨いた。ガットの緩みを確認し、締め治し方やグリップテープの巻き方を選手にたずねる。テーピングの巻き方や軽い怪我の処置方法、熱中症などの屋外でのスポーツ上で発生する体調不良に対しての勉強。やることは尽きない。

 マネたちへも、選手へも興味が持てなかったが、関係を悪化させるのは得策ではないと、特に女マネについては気を使った。
 森先輩は彼氏にさえ良く思われればいい人だ。だから、コートでの仕事は代わらない。ドリンクを渡したりタオルを渡したりタイムを測ったり…そういうことは彼女にやらせておく。
 宮部さんは内心のために1年からやっているらしい。けれど本当にやる気がない。だから積極的に手伝いを申し込んでいく。
 ふたりが嫌がる雑用や重労働を刹那は喜んで代わった。それで気に入られるなら大歓迎だし、仕事を覚えられ、それをもしかしたら評価されるかもしれない。一石三鳥だった。

 そんな風にして、1週間が過ぎた。

「あ、白凪さーん!」
 拾ったボールを運んでいると、コートに由比がやってきた。刹那は重たいカゴを「よいしょっ」と下ろし、首を傾げる。
「どうしたの?」
「ジャージ、届いたよ!」
 どうやら注文していた部ジャーが届いたらしい。部室に呼ばれる。芥子色の伝統ジャージは、レギュラーも三軍もマネも全員一律だ。
 ボールを運んでしまうと、由比と連れ立ってレギュラーの部室に向かう。
 扉の向こうには幸村部長と柳蓮二がいて、刹那は心臓が自分の内側で「ゴギュッ」と鳴るのが聞こえた。柳くんがいるとは思わなかった。…

「お疲れ、白凪さん」
「お…疲れ様です」

 緑のヘアバンドを巻いた怜悧な男。幸村精市が穏やかに顔を上げる。私生活で見るより、部活で見る時の幸村は微笑んでいてもどこか精悍さを漂わせている。
 柳がうっすら微笑んで刹那を眺め、佇んでいる。
 入部してからレギュラーと関わる機会はなかった。久しぶりの柳に脇に変な汗をかきそうだったけれど、刹那は慣れたように澄ました表情を保った。去年は同じクラスだった。柳への憧れを隠すのは毎日の日常だった。

「仕事を中断させて悪いね。君にジャージを渡したかったから」
「聞いたよ、ありがとう」
「マネに渡すのは久しぶりだから、なにだか少し嬉しいな。伝統ある立海ジャージに袖を通す重みを背負い、これからもよく励んでほしい」
「はい…」

 部ジャーをもらうだけで、重い……。
 ゲンナリしたが、まっすぐすぎる幸村の眼差しに気圧され、睫毛を伏せて粛々とうなずく。目を見返していないことは、前髪と眼鏡で見えないはずだ。
 幸村から手渡されたジャージは、軽いはずなのに、ズシッとする。
 一瞬浮かんだ後ろめたさは即座に脳みそから追いやった。刹那は、自分にできるなりの努力をしている。何も恥じることなんてない。そう見えるはずだ。

 重苦しさを感じていると、由比が明るい声で言った。
 パッと空気が華やぐ。

「それでね、さっそくなんだけど、そのジャージに着替えてもらったら、買い出しに一緒に行かないかなーって」
「買い出し?」
「そうそう!いつも手が空いた部員とか、まぁ多いのは準レギュかな?にお願いするんだけど、マネも知ってた方がいいから。まだお店とか紹介してなかったよね?行きつけのところがあってね、部ジャーで行くと安くしてもらえるから、届いたことだし一緒に行こうよ!」
「この柳蓮二も着いていこう」
「や。柳くんも?練習は…」
「大丈夫なの、とお前は言う。俺は会計も務めているからな。白凪とも知らぬ仲ではないし」
「男手は絶対必要だからねー。白凪さんも知ってる人の方が来やすいでしょ?三軍の子でもいいけど、柳くんはお店の人に顔が効くからねー」
「そうなんだ…。じゃあ、その、よろしくね」
「ああ」

 どもらないように、そして顔が紅潮しないように必死だった。由比が邪気なくニコニコしている。からかうとか、変な気を効かせたとか、そういう理由なら内心で八つ当たりもできたけど、そういう表情ではなかった。
 思ったままを言ったという感じ。だから刹那も何も言えない。
 去年ぶりの柳くん…。
 大して仲が良かったわけじゃない。自分がどんな風に話していたか、違和感なく振る舞えるか、舞い上がる気持ちと混乱を微笑みの下で色んな感情が飛び交う。

 ここで待ってるね、と言う由比と別れ、更衣室に入ると刹那はドハッと息を吐いて顔を覆った。

 こんなに近くで柳くんを見たのは久しぶりだ……。
 終業式以来だから、ほとんど3ヶ月ぶり。会話したのも。
 気を抜くと彼に視線が吸い寄せられそうだった。弧を描く穏やかな口元、サラリと優雅に垂れる黒檀の髪、伏し目の瞳と伸びた睫毛……。
 上品な佇まいなのに、背が高くて精悍で、相変わらず人の思考を呼んで言葉尻を奪う頭の回転の速さ。
 彼のことだから、刹那が柳のファンなことは知っていると思う。それでも、あんまりキャーキャーと、あからさまに好意を示すことはしたくない。テニス部は慣れているとはいえ、慣れているからこそ黄色い態度にうんざりされる可能性もある。
 自分を引き締めるように刹那は胸元をグッと握り、貰ったばかりの気が重い「伝統の」部ジャーに袖を通した。新品の香りに包まれ、刹那は小さくため息をついた。
 とりあえず、ジャージをもらえるところまでは、たどり着くことができた。

*

 東門を出て、連れ立って歩く。
 隣に柳がいることにドキドキした。心臓の内側がくすぐったい。
 気を使って由比が色々と話しかけてくれる。
 もう慣れた?とか、三軍のマネの子たちとかはどう?だとか、質問に無難な返事を返す。

「今日は何を買うの?」
「ん、テーピングとかグリテとか湿布とか…備品の補充だねー。あと新しいボールも」
「めしロードに馴染みのスポーツショップがあるんだ」
「めしロード…」
「そうそう。スポドリの粉とかはスーパーで業務用を纏めて買ってるんだけど、ショップと真逆だからねー。そっちは他の男子に頼んでるよ。今日は誰だっけ?」
「柳生と仁王だ」
「だって。買い出しは重いから基本選手にお願いしてるの」
「そうなんだ」
「会計が柳だから、基本準レギュ以降の同学年か後輩に頼んでるけどねー、仁王とか三枝とか三橋とか…あと切原とかに頼むとダメ!あいつらすぐサボるのよ。丸井は買い食いするし!あ、部費じゃなくてお小遣いでだけど…でもいっつも真田に怒られてるよ」
「買い出しのペアはお目付け役を当てるのが必須だな」
「そうなんだ…」

 知らない人の名前も出てきた。一応名前はインプットしておく。仁王は部活でもサボり魔なのか…イメージに違わなくて少し面白い。
 めしロードは海に向かう通りで、学生向けの飲食店が多いことからそう呼ばれている。女子も男子もその通称を呼ぶことが多く、文化部も帰宅部もめしロードの名は浸透しているが、優雅な柳が「メシ」と少し荒い言葉を使うことにちょっとキュンとする。

 潮の含んだ、青っぽいような夏の匂いがする。
 柳と由比という、普通にしていたら接点のないふたりに囲まれて歩いていることが不思議な感じだ。しかも、ふたりと同じ、辛子色を身に纏っている。

 オリジナルメニューが毎回美味しくて人気のパン屋さん。その向かいにあるのがお目当てのスポーツショップだった。ショーウィンドウでまず目に入るのは、カラフルなサーフボード。
 店内もマリンショップのような印象を受けた。けれど、テニスを始め、バスケやバレーなど、幅広くスポーツ類を纏めて取り扱っているらしい。
 柳がカゴに迷いなく商品を入れていき、隣で由比が刹那に説明をしていく。テーピングの消費量はどれくらいだとか、基本月一で来るとか、部で買うブランドはどれだとか……。
 ふんふん聞く刹那に由比は「メモ取らなくて大丈夫?」と笑った。顔は笑顔だったが、明るくて人懐っこい由比らしくなく、目が真剣だ。いや、というより試すような。
 由比が全国優勝の強豪テニス部、その有能なマネージャーなんだということを実感させるような視線だった。

 今日連れてこられたのは、マネとしての意識を見抜くため…いや、意識を高めるためなのかもしれない。失敗したなと思ったが、それはおくびにも出さず、刹那もニコッと笑って見せた。
「大丈夫だよ、教えてくれたことは全部暗記してるし、忘れないから」
「えっ、そうなの?すごっ。ちょっと聞いてみてもいい?」
「うん」
 いくつか質問されたが、たったさっき聞いたことを忘れるはずがない。するする答える刹那に由比は感心したようなうなずきをした。

「すごい、ほんとに覚えてる…頭いいんだねぇ」
「うーん…」
 少し苦笑する。このくらいは頭がいいエピソードのうちに入らない気がする。それに、刹那は記憶力は悪くないが、自分の中で覚えるべき情報とそれ以外をはっきり分けていて、興味のないことはまったく覚えていられない。
 頭が良くて記憶力がいいと言うのは柳のような人を指すのだ。その上彼は、一見関連しないような乱雑な情報を精査する能力も、それを繋ぎ合わせる発想力と推理力にも長けている。
「知らなかったのか?白凪は昔から成績がいいぞ。去年からずっと考査の順位は1桁を維持している」
「1桁!」
 すると、当の柳が後ろからそんなことをバラした。由比の目が零れ落ちそうなほど見開かれる。刹那もビックリしてたずねた。
「お、覚えててくれたの?」
「当然だろう?去年あれだけ競ったじゃないか」
「競うだなんて…わたしなんか、全然柳くんの足元にも及ばないよ。ずっと首位を独占してるじゃない」
「だが、文系科目は俺に土をつけただろう」
「得意科目しか並べるものがないってだけだよ」
「俺も国語も古典も歴史も得意科目なんだがな」

 刹那はてれてれ俯いて髪を弄った。
 彼から思わぬ賞賛を受け、嬉しくて、恥ずかしくて指先に甘い痺れが走る。
 隣の席になったのをきっかけに、去年彼とよく話すようになって、小テストや考査や実力テストの点数を比べることがあった。総合順位ではかなわなかったが、刹那は文系や暗記科目はすべて得意だったし、特に現代文や古文、漢文などはほとんど1位から落ちたことがない。
 文系だけにおいていえば、たしかに柳に並んでいたとも言える。でも柳と同率で1位ということが多かった。だから勝ったとは思わない。でもそれを評価してくれることも、覚えていてくれたことも、誇らしくて、面映ゆい。

 領収書を切って、帰路につく。
 荷物はすべて彼が持ってくれた。ボールもあって重いだろうに。代わるか申し出てみたけれど柔らかく拒絶されてしまった。
 そういえば、行きも帰りも柳はさりげなく道路側を歩いてくれている。…
 刹那はギュンギュン痛むような心地になった。
 やっぱり柳くんはかっこよすぎる。
 な、なんて紳士なの…とメロメロになる。

「もうすぐ考査だな。部活を始めて勉強時間が減ったりしていないか?」
 ふと柳が言う。言葉だけなら親身に寄り添うものだが、声音には少しからかうような気軽な雰囲気が感じ取れる。去年と距離感が変わっていないことに足取りが軽くなる。
 刹那はうふうふご機嫌に笑った。
「大丈夫だよ。元から考査のために普段より勉強時間を増やしたりとかあんまりしないの。柳くんもそうでしょ?」
「ああ、そうだな」
「考査に向けての勉強はもう始めてるしね。5位以内を目指してるよ」
「白凪ならもっと上を目指せるんじゃないか?」
「それは買いかぶりすぎだよ〜…」
「そうか?」
「5位以内って…ほぁー、2人とも目指すレベルが違うんですけど!マンモス校だよ!?」

 由比がキャンキャン吼える。
 たしかに立海はマンモス校だ。同級生だけで500人くらいいる。けれど…。

「幸村くんと真田くんも成績良くなかった?」
 特に幸村くんは、柳くんと首位を争っている時もある。ふたりとも、毎回20以内台にはいるし。
 だから幼馴染の由比が成績で騒ぐことが少し意外だった。
「あいつらはね。私は幼馴染だけど、頭のデキは違うよ〜。勉強とか教えてもらったりもするけど…そんなんで簡単に成績上がったら世話ないよ」
「そう言っても、由比も別に成績が悪いというわけではないだろう?」
「んー、ちょうど真ん中くらい。あーヤダヤダ、またテニス部の偏差値上がっちゃう…柳生も当然頭いいしさ…仁王もあんな感じのくせ頭いいよね?ヤダヤダヤダ…丸井と桑原しか救いがないよぉ」
 肩を落とし、ナチュラルに失礼なことを言って由比が嘆く。たしかに丸井はあんまり成績が良くなさそう。桑原は小学生で日本に来たらしいし、仕方ない部分もある気がする。
 苦笑しながら、刹那は「ふーん」と思う。仁王って頭いいんだ。サボり魔なのに。でも、意外、という感じはしない。奴って何でも飄々と器用に合格点以上をサラッと取ってしまいそうな雰囲気があるよね。

「それにさー、去年までは2人につきっきりで教えてもらってたけど、今年はそうもいかないの」
「あぁ」
 何やら柳は分かったふうに頷いている。刹那は首を傾げた。
「そなの?関東大会前…だから?」
「それもあるけど、今年は切原がいるからさー」
「1年の…勉強苦手なの?」
「苦手どころか!すごいよ、小テストとか、平気で1桁取ったりするんだよ?」
「おお…」

 おののいて言葉を失う刹那に、柳が困ったように微笑んだ。心做しか哀愁が漂っている…気がする。苦労してるんだな…。
「切原はまだ公式試合には出ないけど、1年の中で飛び抜けてるし、確実に来年はレギュラーに上がってくるからねー」
「追試で大会に来れない、なんてことになったら勿体ないからな。全てというわけにはいかないが、俺たちが順番に勉強を見てやることにしたんだ」
「目をかけられてるんだねぇ」
 彼が強いのは知っていた。女子が騒ぐし、刹那は柳のファンクラブに所属しているので、テニス部関係の噂は耳に入ってくる。
 1年でもうファンクラブがあるのは、テニス部だと切原赤也しかいない。他部の1年では合唱部のハーフの男の子と演劇部のニュースターだとか騒がれてる男の子にファンクラブがあったはずだ。
 期待の1年だとしても、三強として超絶な人気を誇る現部長幸村・副部長真田・柳の3人に、赤点を取らないようにわざわざ試験勉強を見てもらうなんて、正直露骨な贔屓レベルで目をかけられている。
 その分、部に返ってくるメリットがあるんだろう。
 切原はそれだけの価値がある選手らしい。

 てかなんで当たり前のようにファンクラブあるの?この学校。
 刹那は根本的な疑問を抱いた。
 もう慣れたけど、伝統的にファンクラブがある。伝統的なファンクラブってなんだよ。意味が分からない。しかも男子だけ。
 女子につるんで応援するのが好きという性質があるせいかもしれないが、女子のファンクラブは聞かない。男子と同じように絶大な人気を誇る女子はいるが…同学年なら例えばチア部の子とか、料理部の子とか、新体操部の子とか…男子があからさまにキャーキャー言っているのは見ない気がする。
 性質なんだろうか。
 立海だけでなく、侑士が通っている氷帝にも「キング」とか呼ばれてほとんど全校生徒が参加しているファンクラブがあるらしい。ファンの呼称は「雌猫」らしい。意味が分からない。
 面白すぎるので、いつか絶対そのキングくんは生で拝んでみたいと思っている。
 どうやらファンクラブというナゾ集団は立海に限らないっぽい。

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