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ガラスの靴はいらない

 家の中を歩き回ってチェックする。うん、リビングは綺麗だし、スリッパも出してある。玄関の掃除もした。キッチンも、元々使ってないから綺麗だけど念を入れて水垢とかも落としたし、冷蔵庫も空けたし、ゴミも捨てた。テラスも綺麗だし、ベランダ用のサンダルも買ったし…洗濯物も取り込んである…うん、大丈夫そう。
 お酒もグラスもある。もしかしたら飲むってなるかもしれない。

 もう何回目か分からないチェックを終え、うなずく。緊張ですこし心臓が痛い。
 今日はサンジくんが料理を作りに来てくれる予定だった。
 LINEはまだ来ていない。
 予定まであと30分くらいくらいで、数時間前に今日予定通り来れそうだと連絡があった。

 ソワソワと鏡を覗き込んで自分の顔を見つめた。気合いの入れすぎていないように見える、気合いの入ったナチュラルメイク。
 落ち着かなくて水を飲んでいたから、唇が少し薄くなっている。ティントを塗り直してんまんま、うん、大丈夫、かわいい。

 チャイムが鳴った。肩を揺らして、殊更にゆっくりとインターフォンに向かう。
『あ、ロザリーちゃん? 遅くなってごめんな』
「こっちこそわざわざごめんね。今開けたから入れるよ」
『サンキュー。ああ早く君に会いたい』
「なにそれ」
 まるでロミオのように多げなサンジくんに小さく笑い、玄関で彼を待つ。エレベーターを昇ってくる僅かな時間にジリジリする。
 足音が聞こえると、チャイムが鳴る前にドアを開いた。ぱち、とまばたきするサンジくんにわたしは柔らかく微笑みかける。緊張なんて微塵も見せないように。そのためには、彼にリードなんて取らせないことが肝要だ。

「いらっしゃい、サンジくん。お仕事お疲れさま」
「もしかして待ってたのかい?」
「うん」
「クッ…なんかいいな、こういうの…。新婚さんみたいだ……♥」
「このスリッパ履いてね」
 何やらクネクネして琴線に引っかかったらしい彼を無視して、わたしはスタスタリビングに向かった。後ろで「無視…もしかして照れてる?」と調子のいい声が聞こえる。
 新婚さん、ね。
 サンジくんのときめきポイントって簡単だな…とちょっと甘やかな気分になりながらも呆れた。待ってもらうシチュエーションが新婚ぽかったのかもしれない。それなら「おかえり」とでも言ってみたらどうなるんだろう。そんなあからさまなぶりっ子はしないけれど。

「とりあえず一週間分くらい作ろうと思ってたけど大丈夫かい?」
「そんなにいいの?ありがとう、すっごく助かる!」
「たくさん食べて欲しいからさ」
 サンジくんは大荷物だった。スーパーの袋を提げているし、保冷剤のような鞄も持っている。
「食材費はどれくらい?レシートある?」
「え、いらねェよ!」
「言うと思った。でもダメだよ、雇うって言ったじゃない。ちゃんとバラティエと同じくらいのお給料も払うから」
「えェ!?いや、その気持ちは嬉しいけど、ロザリーちゃんに金払ってほしいなんて思ってねェよ。おれが作ったメシをロザリーちゃんに食ってほしいだけ」

 すごくいたたまれなさそうなサンジくんの目を見上げる。眉毛がしょんなり下がっていて、慌てている。どうにかしてわたしを説得しようとするサンジくんに、もう一度キッパリ「ダメ」と伝える。
 サンジくんはどこまでも優しい。それに甘えるのはとてつもなく居心地がいい。
 けれど、わたしは彼の隣を願っているから…寄りかかるだけの女の子ではいたくない。変なプライドなのかも。可愛くないかも。でもわたしは努力している人を尊敬しているし、努力は尊重されるべきだと思う。

「この食材はどうする?先に冷蔵庫にしまっちゃう?」
「ロザリーちゃん、ほんとに金なんていらねェから。おれ受け取らないよ」
「むりやり渡すもの」
「頼むからそんな意地悪言わねェでくれよ…」
「もう、頑固だよね、サンジくん」
「うん、そうなんだ。だから諦めて」
「サンジくんの良くないところだよ」
「…」
「あのね、サンジくんのお料理が美味しいのはサンジくんががんばったからだよ。そして、その腕をお店で提供してる。素晴らしいサービスに報酬を払わないのは、対等じゃないよ」
「ロザリーちゃん…」
「わたし、サンジくんのお料理がすきだな。これからもね、頼めたら嬉しいなって思ってるの。なのに毎回サンジくんに無償で奉仕させるなんて、お店にも、サンジくんにも失礼なことだと思う」
「そこまで考えて…」
「うん。だから、諦めてね」
 サンジくんは困ったように黙り込む。ごめんね。わたしはさらにダメ押しをする。

「…わたしのワガママ、聞いてくれる?」
「……ずりぃよ、ロザリーちゃん……」
「ふふ、やっぱりサンジくんは優しいね」

 彼はうなだれて、小さく唸った。しゃがみこんで大きな手のひらで顔を覆う。
「そんなに可愛く頼まれたら聞くしかできねェ……なんて小悪魔なんだ……!」
「あはは!」
 珍しく、身長の高いサンジくんの頭が自分より下にある。柔らかそうな金髪に、つい手を伸ばしてくしゃくしゃする。指の間に絡みつく感触。ワックスしてないんだ、意外。
 なんか、子犬みたいでドキドキはしなかった。

 髪を掻き混ぜるとサンジくんの指がピクッとしたのが見えた。チラッと見えた耳がほんの少し赤い気がする。もしかして照れてる?
 かわいくて、クスクス笑みが零れた。撫でられるのに慣れていないのかも。
 もっと撫でていたかったのに、手を掴まれて止められてしまった。
「分かった、降参だ。おれの負け」
「勝負だったの?でも、それならサンジくんはいつでも女の子には勝てないんじゃない?」
「そうさ…おれは恋の奴隷だから、きみのワガママに負けるって決まってる。きみはずるいな」
「ふふ、いい子」
 また撫でたら、サンジくんは立ち上がった。拗ねているような表情が珍しい。女の子からのなでなでって、サンジくんなら喜びそうなのに。子ども扱いが嫌だったのかな?それともわんこ扱いが?
 でもやっぱり、かわいい。

 彼がキッチン見ていい?と棚などを漁り始めて、わたしはその周りをウロチョロする。なにか手伝うことある?と聞いたけれど、サンジくんは「休んでてな」とソファに座らされてしまった。
「さぁ、お姫様。ホットミルクをどうぞ。蜂蜜を入れてあるからよく眠れるはずだ」
 そう言って美味しそうなカップまで置いていって、お姫様あつかいというか、あやされている。

 やることがないし、でも何もしないのも少し居心地が悪いから手持ち無沙汰にテレビをつけた。興味のないドラマを流しながらくるくると動くサンジくんを見つめる。
 リビングからはキッチンがよく見えるから。

 見られることに慣れているのか、ジーッと眺めているのに気付いても、ウインクしたり、投げキッスしたり、キザなふうにふざけてなんでもないことを話した。
 高校時代を思い出し、なんとなく不思議な気分になる。
 椅子の背もたれに寄っかかって、わたしの机に顔を乗っけてたわいないことをおしゃべりしたあの時間。香水を変えたんだねとか、今日の髪型も似合っていて可愛いだとか、デレデレわたしを褒めたかと思えば、振られちまったと泣き真似した時もあったし、彼女の可愛いところを話し始める時もあった。

 たしかにあの頃と地続きになっているのに、やっぱり今が不思議な気分になるのはサンジくんの表情がちがうからなのかな。
 昔より仲良くなって分かる。
 サンジくんの、気の抜けたクシャッとした少年のような笑顔とか、たまに強くなる口調とか、さっきみたいに頑固なところとか。
 昨日バラティエに行ったとき見たような、幼馴染たち……昔からの揺るぎない絆を感じさせるような人たちに見せる顔とまではいかない。でも、昔より彼の素顔に近いものを、わたしにも見せてくれている気がする。

 甘いホットミルクを飲みながら、ぼんやり思う。
 もし恋人になったら…内側には入れてくれないのかな。ほかの女の子みたいにいつかバラバラになっちゃうのかな。
 でもわたしは、サンジくんにキスしてもらえる女の子になりたい。

*

 ふと目の前に影がかかった気がしてわたしは目を開けた。ブランケットを持ったサンジくんが「ごめん、起こしちまった?」と囁くような優しい声で言う。
 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「ん…ごめん、寝ちゃってた…」
「疲れてたんだな。口開けててすげェ可愛かった」
「寝顔見たの?ヘンタイ!」
「変態!?…いやでも、スヤスヤ眠ってる子がいたらついつい見惚れちまうっつーか…男のサガには抗えねェんだ……だからその評価は甘んじて受け入れるしかねェ」
「開き直んないでよ」
 笑いながらムニッとほっぺたをつねると、サンジくんはなにやらもごもご言って、隣に腰掛けた。

「終わったから帰ろうと思ってたとこ。起こした方がいいのか迷ったんだが、気持ちよさそうだったから」
「うん、ありがと。ごめんね作ってくれてたのに寝ちゃって」
「疲れてたんだろ?ロザリーちゃんは頑張り屋さんだもんな」
 サンジくんが労るように目を細める。香水の匂いがした。なんのブランドつけてるんだろう。柔軟剤にしてはスパイシーで、でも男物の香水にしては爽やかで少し甘い。
 ソファに置いていた鞄から封筒と財布を取りだして、食材費も足したお金を渡すと、サンジくんはやっぱり少し申し訳なさそうだった。伸ばすのを躊躇う彼の手を掴んでむりやり握らせる。
「今日はありがとう。またお願いしていい?」
「…あァ。いつでも呼んでくれよ」
 諦めて受け取ってくれてほっと安堵する。

「前の方に置いてるのは足の早ェやつ。チンすればすぐ食えるよ」
「ありがとう!ふふっ、うれしいな。家に帰ってきてサンジくんのごはん食べられるの。すごい贅沢だよね」
「そこまで言ってもらえたら料理人冥利に尽きるなァ。愛情と下心がたっぷり詰まってるスペシャルメニューになっております」
「下心まで入ってるの?」
「もちろん!食うたびおれのこと考えてくれねェかなアって」
 そんなことを言って、サンジくんは青い目でわたしを見下ろした。けれど、ふにゃっとはにかんでいる。指先がシビビ…とした。そんなのいまさらだよ、と心の中で答える。
 ほんと、サンジくんって思わせぶりなことばっかり言うんだもの。女の子を喜ばせるのがじょうずで嫌になっちゃうよ。

「サンジくんってすごくいい彼氏になりそう」
「え!?ホント?♥なら付き合って確かめてみるかい?」
「だから毎回ふられちゃうんだろうな…」
「ヒデェ!なんで?なんでそこで"だから"になるんだよ、何も繋がってなくねェ?」

 ダー…とサンジくんは泣き真似をする。
 女の子からしたら繋がってるけど、サンジくんにはわかんないのかな。わかんないんだろうな。なんか嫉妬とかしなさそうだもんね。
 わたしはサンジくんの歴代の彼女の気持ちがわかるけれど、わかるから、同じ轍は踏まない。

「ウゥッ…おれはいつだって全てのレディに真剣なのに…」
「今は彼女いないんだっけ」
「ああ、寂しい独り身だよ…ロザリーちゃんは?」
「いないよぉ」
「昔からモテるのに、あんま作らねェよな。高3の時のやつは?」
「いつの話?とっくに別れたよ」
「へェ…」

 自分から振って、思った通りの流れになってきた会話に慎重に気を引き締める。緊張してきた。髪の毛をひと房指先でもてあそんで、なんでもない素振りをする。

「でも、サンジくんに彼女がいなくて良かったぁ」
「えっ?…それって何で?」
「彼女がいたら、こうしてご飯作りにおうちに来てくれないでしょ?サンジくん意外と、そういうところちゃんとしてるもんね」
「…分かってたけど!やっぱりひでェ…!」
「なにが?」
「期待しちまった……!クウッ……ッ」

 わざとらしく悔しげな顔を作るサンジくん。わたしが、そんなふうにちょっとかわいくて面白い彼を見るのが接しやすいと、分かっていてやっているんだと思う。
 そんなリップサービスを、いつもなら笑ってスルーするところだけど、慎重に、慎重に、けれど何気なく触れてみる。
「ふふっ、期待したの?」
「そりゃあするさ。こんなに可愛いレディを前にして期待しない男がいるなら見てみたいもんだ」
「あは、大げさ。…んー、応えてほしい?」
「…えっ」
「サンジくんの期待に」

 わたしは気付かれないようにそっと唇を舐めた。ああ、お酒が飲みたい。なんで寝ちゃったんだろ。
 アルコールの力がないと、緊張が頬に出そうだったけれど、わたしはなんとか、いつもの、何も考えてなさそうな穏やかな笑顔を浮かべてみせる。

「……応えるって…おれの期待の意味、ちゃんと分かってる?」
「分かってるよ?たぶんね」
「ほんとに?言っとくけどおれ、据え膳はきっちり食うタイプだよ。もしロザリーちゃんがからかってるつもりでも、本気にしちまう」
「んー、ちょっとからかってるかも」
「あ、クソ、やっぱり」
「でも彼氏ほしいなって思ってたし…どうしよっかな」
「あんまり弄ばねェでくれよ…。悩んでるならチャンスくれねえかな。おれ、いい彼氏になると思うよ」
 ふたりの間にあった隙間を埋めて、サンジくんが身を寄せてくる。焦がれるような口調のくせに、その瞳はわたしを惑わせるように鋭くて、心臓が跳ねる。わたしも目を細めて視線を受け止める。

「じゃあ、試してみる?」
「試すって、たとえば?」
「お互い友達の期間が長いし、いまさらドキドキするかわかんないでしょ?」
「おれはしてる。きみを見るといつも胸が疼くよ」
「もう、調子のいい人。そうだなぁ…キスしてみて、わたしに恋できそうだったら付き合ってみよっか。ダメだったら、今まで通りお友達。どう?」

 いまさらドキドキするかだなんて、そんなバカみたいなことを嘯いて言ってみる。わたしの方こそずっと前から彼に胸が疼いているのに。今だって心臓が破れそうだ。サンジくんに聞こえてないかな。不安なのを隠して、煽るように見つめる。
 乗ってきてほしいと願うけれど、乗ってくるだろうとも思っていた。
 本人が言う通り、サンジくんは来る女を拒まない。

「やっぱり悪い子だ。そんな風に煽って、後悔してもやめないぜ」
「ふふ、ハードル上げすぎちゃった?」
「まさか。おれがロザリーちゃんに夢中なように、おれもきみをドキドキさせてあげる」

 するりとサンジくんの無骨な指がわたしの指先をくすぐる。指の間をやさしく撫でて、ゆっくりと絡められて、それだけでわたしはもう降参だった。
 顎を掬い取られて、目を逸らさないままサンジくんの綺麗な顔が近づいてくる。鼻先がつん、とくっついて、わたしは誘導されるまま目をとじた。

「…かわいい、ロザリーちゃん」
 ここで名前を呼ぶところが、サンジくんのずるいところだ。慣れてるんだなぁって分かるのに、思惑通りときめく。
 囁く吐息が唇に触れて、擽ったくて指先がピクンと震えたのが合図のように、夢にまで見た柔らかい感触が、あまりにも簡単に押し付けられた。
 喉が詰まった。
 わたし今、サンジくんとキスしてる……。
 重なった手のひらにギュッと力が込められて、サンジくんが下唇をやさしく食む。添えられた親指が、わたしの頬をすりすりと撫でる。
 その全部がやさしくて涙が出そうだった。

 長い数秒が過ぎ、サンジくんが唇を離した。
 青い目が見下ろしている。
 たぶん、頬が赤くなっているだろう。
 おでこをくっつけて、目を見つめ合ったまま、ふたり同時に小さく笑った。

「…ふへ、なんか恥ずかしいね」
「……クソかわいい…」
「どう?わたしのこと、好きになれそう?」
 からかうように言ったけど、それはほとんど祈りだった。サンジくんがいつか恋をしてくれますようにって、ずっと、ずっと。
 彼はわたしの求める言葉を簡単に言う。
「おれは最初からきみにメロメロだよ。とっくに。なァ…ロザリーちゃんはどうだった?」
「んー…分かんなかった」
「ええっ!そりゃないぜ!」
 ガーン!と分かりやすくショックを浮かべる彼にクスクスして、わたしはサンジくんの首に腕を回した。ねだるように首を傾けて、唇を寄せて囁く。

「分かんなかったから…もういっかい」

 彼は目を丸くして、「仰せの通りに」と口端を上げるとわたしをソファに押し倒した。頭の後ろを抱え、唇が降ってくる。
「んっ…」
 角度を変えて、押し付けるように何度も唇がくっついては離れる。食べられちゃいそうだけど、やさしくて甘やかなキスだった。零れる自分の吐息が熱い。
 頭の下にある大きな手のひらにグ、と力が入るのがゾクゾクする。なんだか求められているみたいで。自由な方の手が、ほっぺたを撫でたあと、腕を辿ってわたしの手のひらに到達するとぎゅう、と恋人繋ぎにする。キスをするのもクラクラするけど、それがなんだか本当に恋人みたいで小さく腰に電流が走った。

 お互いの熱を交換しあって、「んっ、んぅ」と甘えたような音が漏れた。しっとりと吸いつかれて、食まれて、やわやわと唇が形を変える。焦らされるような気分になる頃、サンジくんが狙ったように舌で唇をねっとり舐めて思わず「ぁっ♥」と背筋が震える。
 薄目を開けると、わたしを溶けさせるような熱のこもった視線が貫いて、サンジくんも少しはわたしに興奮してくれてるんだと胸にじわっと喜びが滲んだ。きれいな青い目がいつもよりとろんとしていて、けれどたしかに欲が乗っている。

 わたしは口を薄く開いて、彼の舌を迎え入れたかった。期待で汗が滲みそうだったし、彼の柔らかい舌がわたしの口の中を暴いていくのを想像するだけで、期待に甘い声が出そうだった。

「──だめだよ」

 けれど、自分を律して、わたしは彼の唇に人差し指を添えた。
「……ダメなのかい?」
「ウン」
「そりゃどうして。こんなに気持ちよさそうなのに」
 悪戯っぽくサンジくんはわたしの手を握って、またキスをしようとする。それを避けて彼の頬にチュッと音を立てると、彼の肩を押して起き上がった。
「気持ちよかったよ。サンジくん、キスじょうずだね」
「光栄です、レディ。もっときみに天国を見せてあげたいんだけどな」
「気になるけど、今はまだだーめ」
 息がまだ熱い。でも余裕そうに、彼の顎にチュッと吸い付いて、微笑む。眉を下げたサンジくんがわたしを名残惜しそうに抱きすくめる。
「…こんなに可愛く煽っといて、焦らすのかい」
「ふふっ、ごめんね?でもわたし、付き合うならゆっくり、大事にされたいの。身体から始まるのも悪くないけど、サンジくんはお友達だから」
「今日からは違うよ。だろ?」
「うん、今日からは彼氏として大事にしてあげる」
 胸板に頬を寄せて彼の身体を抱きしめると、彼の腕も回って強く抱きしめ返してくれた。心臓の音がする。それがいつもより早いのかは分からなかった。抱き締められるのは初めてだったから。
 服の上からでも彼の体がスラッと引き締まっているのが分かって、またドキドキした。ああ、なんか泣きそう。
 好きだよサンジくん。すき。
 想いが溢れないように、可愛こぶって、すり、と甘える。腕の力が強くなる。
「あー、クソ可愛い…。分かった、ゆっくり進もう。おれもすげー大事にするよ。きっときみを幸せにするから」
 わたしの髪を撫でて、頭の上にキスが落ちた。目を閉じてそれを感じる。

 わたしだって、彼に暴かれたいと思ってる。サンジくんがわたしに興奮してくれるのを見てみたい。きっと、彼とのセックスはすごく気持ちよくて、それこそ天国みたいなんだろうな。
 でも、身体から始まるのはきっと悪手だ。
 友達から手軽にヤって、段階飛ばしに恋人に収まるんじゃなく、順序を踏みたい。
 サンジくんは追われるのが好きだけど、追う方がもっと好きだ。わたしが3年も片思いしてることなんて知ったら、喜びよりも罪悪感と申し訳なさの方が上回るって分かってる。
 そんな付き合い方対等じゃない。それに、わたしに対しての申し訳なさで付き合ってもらったって、それは「恋」にはなり得ないだろうなと、長年彼を見ていて思う。
 軽く始まって、だんだんお互いを大切に思っていく方がプレッシャーがないし、たぶんサンジくんはそういう恋が好きだ。恋を楽しむ恋の仕方。

 しばらく抱き締め合ったままおしゃべりをした。
 帰るサンジくんを玄関で見送る。別れの挨拶をしたあとも彼は寂しそうに立ち止まっていた。
「ロザリーちゃん、次はいつ会える?」
「……、」
 迷子の子犬みたいな顔でそんなことを言うものだから、わたしはふいに胸がクッと押された気分になった。
「作ってくれたのなくなったらまたお願いするね」
「一週間も会えねェなんておれ耐えられねェよ。それに、用事がなくても会いたいし、呼んでほしい。ロザリーちゃんも忙しいだろうから無理は言えねェけど…」

 酷い人。
 ほんとうに酷い。
 サンジくんの腕を引っ張ると、びっくりしながらも彼は屈んだ。唇にキスをする。ヒゲが当たってチクチクした。
「ロザリーちゃん…♥」
 ガバッと広げた腕を避けて「バイトがない日、後で送るね」とニコッとして、わたしは手を振った。そんなぁ…と肩を落としながら、どこか嬉しそうに手を振り返して帰ってゆくサンジくんの背中を見つめてドアをしめた瞬間、わたしは崩れ落ちそうになった。

 ぐちゃぐちゃで、興奮して、傷ついていた。我慢していた感情の奔流がわたしの血液を駆け巡る。

 いつ会えるかだなんて、聞いてくれたことがない。次の約束を彼から求めてくれたことが嬉しくて、付き合えたんだと涙が出そうなほど嬉しくて、でもやっぱり虚しくて、キスの余韻でクラクラして。
 サンジくんのほうが、よっぽど悪い男の子じゃない。
 結局わたしの片思いには変わりないのに、付き合ったというだけで、こんなに甘い態度を取るなんて酷い。

 よろよろしながらベッドに向かって倒れ込む。
 夢みたいだ。サンジくんと…キスして…付き合うことになったなんて。本当に……。
 けれど夢じゃない。胸がとろけるように幸せなのに、同時にジクジクとこんなにも痛むんだもの。
 まだ始まったばかりだ。
 今までの女の子のように彼を制限したりなんてしない。執着したりなんてしない。リードを渡したりなんてしない。求めてみせたりなんてしない。
 今までのように、彼と慎重に、緻密に関係を築いて……いつか彼に恋させてやるんだから。サンジくんのいちばんに、特別になってやるんだから。…

 目を閉じると、サンジくんが浮かんだ。余裕な態度でわたしの唇を食む感触と、感じた熱…。
「はぁ…っ」
 甘く震えた溜息が零れた。彼の残した余韻で溶けてしまいそう。
 彼の舌が舐めた唇を指先でそっとなぞり、少しの背徳感と興奮を感じながら、わたしは下着に手を伸ばした。

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