14

 いつものバーで刹那は──胡蝶は、黒霧が作ったノンアルコールカクテルを舐めるようにチビチビ飲んでいた。趣味の悪い派手なヴェネチアンマスクは外している。
 その場には黒い給仕服を身にまとった黒霧と、ソファに足を投げ出して、隈の目立つ虚ろな目で怠そうにゲームに興じる死柄木がいた。
「ねえ、次の計画は何考えてるの?」
「先生に聞けよ」
「弔くんが聞いてないかって聞いてるの」
「うるさいな……。お前が必要になったら伝える。今まで通り……だからそれまで黙ってろ」
 胡蝶はふつりと黙り込んだ。唇を引き結び、瞳を伏せている。雄英に潜入してから、計画の中枢から排除されることが多くなった。先生の教え子は死柄木であり、旗柱になるのも死柄木であり、雄英に潜入している以上リスクを警戒して情報を制限するのは当然だ。胡蝶は分かっていた。だから、ワガママは言わなかった。
「あなたは私達には代役不可能な役割を背負っています。怪しまれずにオールマイトに近づけるのは大きいですよ」
「分かってるよ……」
 ポショポショ胡蝶が言う。

「ヒーロー殺しとかいう奴が最近目立ってる」
「ん?ああ……。同業」
 胡蝶は市民も敵も殺すが、基本的なターゲットはヒーローだった。ヒーローを殺せば話題になる。胡蝶の基準から外れたヒーロー……弱者を虐げて体制の甘い汁を啜る社会的強者のヒーローが胡蝶は嫌いだった。
 ステインは裏社会では有名だった。
 固執するように、街を転々としてヒーローを虐殺する。
 でも、他者に関心を持たない死柄木が話題に出すのは珍しかった。
「その人がどうしたの?……殺す?」
「馬鹿が。逆だ」
「逆?」
「先生が興味を示してる……」
 ボロボロに落ち窪んだ目をギョロリとさせ、至極気に食わなそうに死柄木は呟く。胡蝶はパッと顔を上げた。先生の意向は神の啓示と同じだ。
「今探しているのですがね。中々神出鬼没で骨が折れますよ」
 グラスを神経質に磨きながら黒霧が言う。
「仲間になるの……?」
 居心地の良い場所に異分子が入り込んでくるのは少しモヤモヤする。家族になれるだろうか。あるいは仲間に。
「それは彼次第ですが、彼らと私達は手を取り合えると思いますよ。仲間というよりは……同盟。利害の一致のようなものでしょう」
 見透かしたような言葉に少しホッとする。

「そっか、じゃあ今回わたしがやることは特にないんだね……」
 体育祭もあるし。
 無意識的に小さく呟く。それに死柄木がのっそりと顔を上げる。
「ああ……。そういえば、体育祭とかいう……バカバカしい行事があったよなア。刹那……ああ、今は胡蝶だっけ……お前は出るのか?」
 彼の目には分かりやすく侮蔑と嫌悪と馬鹿にするような酷薄な光が灯っている。
「煽るのはやめてよ……弔お兄ちゃん」
「気持ち悪い呼び方やめろ……殺されたいのか?」
 瞳孔を開き、声をゾワゾワと震わせる死柄木の声には、本気のおぞましさが乗っている。胡蝶はせせら笑った。ムカついたらやり返していい。昔と違ってその選択肢を取れるようになった。
 ゆっくりと彼の手が迫り、彼の4本の指がミシミシと胡蝶の頭を軋ませる。ほんの少し浮かせた人差し指が、少し動いただけで触れそうな距離にあるのが伝わってくる。
 蔑みと苛立ちにぬらぬらと不気味に照る瞳に、しかし胡蝶が怯えることは無くなった。殺されかけられるのは慣れている。彼は初めて会った時から胡蝶を嫌いだった。そして、死柄木弔はあらゆる全てを嫌っている。
 それを思えば、死柄木はむしろ胡蝶を気に入っている方だと思う。なんだかんだ言って、殺さないから。死柄木弔は異常に嫌がるけれど、家族を知らない胡蝶にとっては、どんなに歪でも死柄木弔は家族のような関係だった。

「そうじゃなくて……」
 胡蝶はふと思いついて、彼の指を這わせるようにしてゆっくりと離し、手の甲をなぞり、そっと手首を掴んだ。
「こうがいい」
「……は?」
 胡蝶は掴んだ手を無理やり左右に動かした。死柄木の手に重ねるようにして、ゆっくり、何度も。まるで死柄木が胡蝶の頭を撫でているように。
「何……してる?」
 その声は震えていた。死柄木の声はいつもヒステリックに震えているが、今の響きには呆然とした疑問と混乱が乗っていて、胡蝶は少し笑った。
「頭撫でてる」
「なん……?あ……?」
 バーは普段よりもずっと緊迫感が流れていた。死柄木がキレた時よりもよっぽど……。黒霧は固まっていた。何が起きているのか分からなかった。その中で胡蝶だけがその空気を気にせずに嬉しそうに微笑んでいる。
 我に返った死柄木が突き放すように手を振り払った。僅かによろめく。でも胡蝶はそれでもご機嫌そうに笑っている。
「今日はマジで気持ち悪いな。メンヘラかよ」
「そういえば弔くんに撫でてもらったことないなあって思ったの」
「撫でるわけないだろ。ヒーロー共に交じって毒されたのか?刹那お前……分かってるよな?」
「わたしの先生への気持ち、疑うの?」
 胡蝶と死柄木は睨み合った。死柄木は手を構え、耳を逆立てる胡蝶に黒霧がウンザリと小さく呆れ声を漏らす。
「やっぱりこうなりましたか……」

 しかし今日は武力行使にはならずに胡蝶が肩を竦めた。「そんなに怒らないでよ。少し……甘えたくなったの」
「…………。ハア……これだから餓鬼は嫌いなんだよな…………話が通じない上に、自分の主張が通るのが当然だと思ってやがる…………」
 死柄木は首をガリガリと掻く。爪で赤い線がじわりと滲む。
「弔くんに、今度プレゼント買ってくるね」
「は?」
「鏡、送るよ。……見たことないみたいだから」
 ズアッ!
 死柄木の手を胡蝶はふわりと翔んで避けた。「黒霧……こいつトバせ」「落ち着きなさい、弔」「いいからトバせ!!」
「ふふ……ごめんごめん。遊んでもらうの楽しくて……。本題はこれじゃないの」
 死柄木弔はガタガタガタガタ足を激しく揺らし、自分の顔を潰すみたいに頭を掴んで胡蝶を射殺すような目で睨んでいる。
「さっさと話してさっさと消えろ……」
「本題は体育祭だよ……。大型イベントだから、何か仕掛けるのか、わたしは何をしたらいいのか……確認しに来たの」
「体育祭……?ああ……あんなプロヒーローがゴロゴロ集まる厳戒態勢で仕掛けるワケないだろ……頭使えよなあ……!」
「だから、そのためにわたしがいるんでしょ……」
「お前は長期的な駒なんだよ……実行犯になって足がついたら全部無駄になるだろ……いいから黙ってヒーローごっこしてろ」
「分かったよ」

 胡蝶は立ち上がった。
「楽しみだなあ……お前がくだらない青春してる様を見るのは」
「影響力はあった方がいいかなって……思ったから、マジメにやるよ」
「ハハッ……ヒーローに憧れたこともないくせに」

 死柄木弔と白凪刹那の唯一の絆は、ヒーロー社会を嫌っている。たったそれだけ。そしてそれだけが、お互いが共に生きる理由だった。

*

 先生が連れてきたガキのことを、死柄木弔は最初から嫌いだった。
 この世の不幸を全部背負っているとでも言いたげな、洞穴みたいな目と神経質に他人の機嫌を伺うような媚びた態度。死柄木が不機嫌に脅すとガキはガクガク震えながらへらりと笑った。
 気に入らない。
 なんで先生がこんなガキを連れてきたか分からない。
 アジトの一室を与えて、先生はガキ──刹那にこれ以上なく丁寧に優しく接していた。

「あいつがなんの役に立つんだよ……"個性"がレアなのか?」
「はは。あの子は無個性だよ」
「無個性?ただの役立たずだろ」
 吐き捨てると、先生はくつくつと心臓を引っ掻くみたいな邪悪で穏やかな笑い声を零した。
 ジッと先生を見つめる。

「あの子はね。もう1つの旗だよ」
「ハア?俺に旗印になれって言っといてスペア用意とか……いくら先生でもさあ……あああ……」
 弔は爪を立てて首を掻き毟る。
 先生はそれを見ている。
 調子の変わらないいつもの穏やかでどこか癇に障る喋り方で続ける。
「君とは役割が違う。彼女と君の境遇はよく似ている。生まれた瞬間からヒーローの、ヒーロー社会の被害者だ。誰にも助けてもらえず、搾取され、抑圧され続けた。そして君は自分で自分を救った。彼女は自分で自分を殺した。
 いいかい?君が悪のカリスマになるなら、彼女はヒーロー社会を内部崩壊させる毒だよ。
 これ以上面白いことはない……オールマイトはどう思うかな。彼女の存在を知って、彼女に同情しない人間はいないだろう。"可哀想"な人間が与える影響力はね、とても大きいんだよ」

 どこかを見ながらグチャリとした笑みを浮かべる先生は身内ながら酷く不気味だ。

 可哀想な人間?
 思ってもいないくせに、バカバカしい。

 視界に入る度に震えるガキが鬱陶しくて何度も頭を掴もうとしたが、その度に黒霧に阻まれる。
 ガキは何故か怯えた目をしながら、固まって一切抵抗しない。
 向かってくる手を見つめ、無抵抗に、やがて諦めて目を閉じる。それが死柄木は死ぬほどムカついた。いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも……。
「お前これからもそうやってるつもりか?」
「……?」
「なんでビビってるくせに逃げない?死にたいのか?お前自殺したらしいもんなあ……」
 ガキは片手で自分の手首を掴んで俯く。
 沈黙は肯定だ。
 死柄木は顎を掴んで無理やり目を合わせた。
「無個性、役立たず、死にたがり……先生の駒になったくせに、なんでずっと何かを待ってるんだ?まだ分からないのか?ヒーローはいないんだよ」
「う、ぃた、」
「替えのきかないレアアイテムなら、少しは価値を示せよ」

 思いっきり突き飛ばすと、ガキはゲホゲホ咳き込んで、黒い瞳からどろっと液体を垂らした。
「だって……だってわたし、な、なんにも出来ない」
 ほら。
 また被害者面だ。
 死柄木は髪をひっつかんだ。
「何にもしてないから何にも出来ないんだろ?お前は俺たちの役に立つために行動を起こしたか?してないだろ……息吸って吐いて食って出してるだけだ」

 どろどろ両目から液体を溢れさせながら、ガキはまばたきを繰り返した。
 なぜだかポカンとしている。
「そ、そっか……」
 か細い吐息と共に小さな声が聞こえる。
「わたし、何かしていいんだ……の、望んでいいんだ……」

 空虚だった目に突然星の煌めきみたいなものが浮かんで、死柄木はバッと手を離す。
「気持ち悪いな……」
「あ、ありがとう、弔くん……」
「は?」
「わ、わたしも、役に立てるようになる」
 ふらふら立ち上がって、真っ白な彫刻みたいな顔に、初めて人間的な体温が戻る。
 出会ってからずっと震えていたガキの身体から、震えが止まっているのに気付いた。
 死柄木がガキの笑顔を……はりついた無表情な愛想笑いじゃない笑顔を見るのはこれが初めてだった。
 薄暗いバーには似合わない、春風みたいな笑顔だった。
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