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 敵の襲撃での被害は大きかった。生徒では緑谷出久が両足重症、話によると相澤先生は両腕粉砕骨折、眼窩底骨が粉々になり、13号も背中が塵になりかけたという。
 でも死者はゼロで抑えた。
 帰りのバスの中は重苦しい空気に支配されていた。行きの時のような馬鹿騒ぎは全くなくて、誰もがボソボソと話した。
 爆豪が黒い影を攻略し、轟が脳みその化け物を凍らせて、緑谷が手の男に殴りかかったらしい。オールマイトに攻撃する前に応援が駆けつけて、ワープゲートでその場を去った。
「今度は殺すぞ」
 正しくそれは負け惜しみだ。敵連合の奇襲にヒーローの卵たちは対応してみせた。未来は明るいだろう。
 刹那は曖昧な感情に襲われた。
「みんな…生きてて良かったね…」
「ああ、そうだな」
 ポツリと漏れた独り言に障子が頷く。生きてて良かったね。まるで他人みたいな言い方だけどそれを気にする人はいなかった。刹那はそれっきり黙り込んで、じっと窓の外を見つめる作業に戻った。

*

 カランコロン。
 乾いた音が店内に響く。照明を落とされた薄暗いバーのカウンターで、品の良いグラスを磨いていた黒霧はその手を止めた。椅子に座っていた死柄木がギョロリとした目だけで入ってきた人間を射抜く。それは女だった。微かに血の匂いを纏わせている。
「ボロボロだね…大丈夫なの?」
 ボソリと呟かれた気遣うような言葉。その裏に面白がるような響きが含まれているのを敏感に感じ取った死柄木は、「あ〜…あ〜……お前さあ……」と唸りながら首元を指で掻き始めた。瞳孔は開きかけて、足が一定にイライラと揺れている。
「辞めなさい、胡蝶(こちょう)。ただでさえ弔は苛ついているのに……」
 嗜めようとした黒霧はそこで口を噤む。しかし胡蝶と呼ばれた女にはその言葉の続きが手に取るように分かった。
 これ以上怒らせたら面倒だ。黒霧の心中を見抜いた女はクスクスと笑った。忍び笑いすら彼の神経を逆撫でしたのか、死柄木がゆらりと立ち上がる。

「話が違うだろ、なあ……お前もいないし……」
「八つ当たりしないでよ…弔くんこそ、今日の体たらくは何?せっかく流してるんだから、ちゃんと活かしてよ…」
 胡蝶はふよふよと翔びながら死柄木を睨んだ。女の背中には大きく優美な羽根が生えていた。黒や紫、水色…光にあたると色を変え、見るものの目を妖しく奪う。
 女はひらひらとたなびくような黒い薄手のマントフードで顔と体をを覆い隠し、さらに大きなヴェネチアンマスクをきざったらしくつけていた。
 胡蝶と言うのは偽名だった。敵ネーム。死柄木も黒霧も女の本名は知っていたが、近頃は敵ネームで呼ぶよう先生に指示されていた。

 胡蝶に睨まれた死柄木は「……ああ?」と震える声を捻り出した。
 両腕両足を撃たれて苛立ちはMAXだと言うのに、生意気なガキにまたも気分を乱されて、「黙ってろよ!」と吐き捨てると死柄木はバーを荒々しく去って行く。足を引き摺るようにしか歩けないのがますます彼の苛立ちを増幅させ、扉の向こうで鈍い音が響いた。
 いつもの数倍キレやすくて絡みづらい彼に胡蝶は肩を竦め、いちいち煽るような真似をする胡蝶に黒霧はため息をついた。マイペースで人の言うことを聞かない彼女に何を言っても無駄だと長年の付き合いで分かっていた。

「何を飲みますか?」
「ミモザ……」
 馬鹿馬鹿しい答えに頭の端が痛むが、黒霧は黙ってオレンジジュースを出してやった。飲めもしないくせにやたらカクテルの名前ばかり覚えていくのだから呆れてしまう。胡蝶は特に嬉しそうでもなくグラスに口を付けた。
 しばらく無言の時間が流れた。
 もうすぐ日が変わる。
 この時間に彼女がやってくるのは大抵ひと仕事終えた時だった。
「今日は何をしたんです?」
「てきとうに…」
 なおざりな返事だったが、手の中の画面を操作して胡蝶は黒霧に見せるように掲げた。ニュース速報のトップを飾る「謎の仮面敵、ヒーローを含めた5人を惨殺!」の記事。
 彼女は時間があれば精力的に破壊活動に勤しんでいた。彼女の信念とは矛盾した行為ではあるが、神である先生がそれを望めば、胡蝶は何でもする。
 胡蝶と敵連合の関係は今は世間に示唆されていない。
 死柄木弔が弱体化した今、次の作戦までヒーローの目を、世間の目を自分に集める。胡蝶は自分の役割をそう認識していた。
「良さそうなのはいましたか?」
「いるわけない…」
 諦念の籠った声で吐き捨てる。胡蝶の求める人材は胡蝶自身だ。ヒーローにも、"個性"社会に毒された人間にも、そういう人材はほぼいない。

「聞いたよ。黒霧攻略されたんでしょ…」
 胡蝶はグラスを見つめながらどうでも良さそうに呟いた。しかし彼の身体が拘束されたというのは胡蝶にとっては割とショッキングで意外なことだった。
 黒霧は胡蝶のために軽い食事を作っている最中だったが、作ったことを後悔した。
 触れられたくない話題にあえて触れるような悪趣味さと無神経さに僅かに眉をしかめる。
「ヒーローの卵も馬鹿には出来ませんね…」
 さすが黒霧、完璧に平静な声音だった。だからこそ彼の僅かな悔しさを感じ取ることが出来た。

 胡蝶はグラスを揺らしながら黒霧を横目で眺めた。
「何で使わなかったの?」
 生徒の情報。黒霧は胡蝶の言いたいことがわかって黙り込む。せっかく渡したのに…と小さく呟き、仮面で見えないが胡蝶が唇を尖らせたのがわかった。拗ねたような声。
 珍しく負の感情が分かりやすい。
 どいつもこいつも機嫌が悪いな、と黒霧は自分を含めて思った。今頃は祝杯を挙げていても可笑しくなかったのに、結果はどうだ。死柄木も黒霧も敗北し、オールマイトはのうのうと君臨し、脳無も回収出来ず。胡蝶によると警察が発見してしまったらしいので、もう手に戻ってくることはない。
「次はあなたの貢献を無駄にはしませんから」
「うん…ほんとに…。大体、わたしをソロにしないともったいないじゃん。せっかく集めたのに……」
「有象無象に混ざっていたのだから仕方が無いでしょう」
 素っ気なく言う。
 確かにあの状況で生徒の中から1人を探して配置するのは難しかったかもしれない。でも、尾白がいなければ集めた駒たちを使い捨てにすることは無かった。
 胡蝶はイラッと歯噛みする。それを見透かしたように黒霧が重ねる。

「そもそも、あなたが殺して敵のせいにすれば良かったでしょう」

 ハッと胸をつかれた気分になる。
 そうだ。あの場には尾白しかいなかったのだから殺せば良かった。どう言い繕うことも出来た……。
 胡蝶は黙ってから、「敵が情報を漏らさない確約は無かった……潜入している以上、慎重に動かざるを得ないのはわかるでしょ」と答えた。そうだ。だから……。
 でも胡蝶は。尾白を殺すことを思いつきも……しなかった。

 黒霧はそれ以上何も言わなかった。
 いつも話を促す黒霧が頑なにグラスを磨き続けるのを見て胡蝶は小さくため息を零す。ここまで余裕が無い彼も珍しい。彼に免じて許してやろうとオレンジジュースを飲み干した。
「今日は泊まってく。おやすみ…」
「ええ」
 空気がほっと緩む。カランコロン。軽い音が胡蝶の背中を追いかけて消えた。

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