16

 いつも通り呪文学と変身術を失敗し、廊下を歩いているとにわかに向こうの方が騒がしかった。囃し立てる声や笑い声が聞こえる。
「なんだろ?」
「またあの人たちかしら」
 リリーが嫌そうに呟き、大股で足を踏み出した。セツナも慌ててついて行く。「通るわ」「ごめんなさい」と声をかけて人混みを押し分けるリリーの後ろから見えた光景に、セツナは零れ落ちるほど目を開いた。
 リリーの息を飲む声が聞こえる。
 床にスネイプが崩れ落ち、シリウスがおそらく彼の杖を踏みつけていた。ジェームズがニヤニヤと悪意的な笑みを浮かべ、周りを見渡した。

「あはは、威勢がいいのは最初だけみたいだ。彼に良くお似合いだと思わないかい?」
 群衆が小さく笑った。その中でピーターのはしゃいだ声が特に大きく響いた。生徒は赤、黄、青のローブばかりで緑はいない。つまりスネイプはひとりぼっちだ。生徒に紛れるようにして、リーマスも眉を険しくさせてショーを見ている。

 セツナは心臓がバクバクするのを感じた。
 こんなふうに笑いものにされて、どつかれていた記憶が脳内に鮮やかに蘇る。その時の胸の痛みと、深い惨めさ。そして早く終われと願った時間を。
 この前のピーターを見た時もずっと強く胸が痛む。
 なぜだろう。セツナにとって、影でどつかれたりするよりも、みんなの前で笑いものにされる時間の方が辛かったからかもしれない。孤独がより際立って…。

 しかしスネイプは、よろめきながらも瞬発的にシリウスは足にしがみついた。「おっと」彼は少し体勢を崩しながらもスマートにスネイプの杖を蹴飛ばして、ジェームズが拾う。
 手の中でくるくる弄びながら、
「なんだ、まだやる気なのかい? 恥をかくだけだと思うけどね、スニベリー」
「黙れ、腐れポッター!」
 彼はうずくまりながらも大声で吠えた。長い前髪から見えた横髪は憎しみに満ちていて、今にも殺してやるという目で彼らを睨んでいる。

「そうだな、もう少し遊んでやっても──」
「やめて!」
 立ち尽くしていたはずのリリーが、気付けば飛び出してスネイプの前で両手を広げていた。彼女の明るいグリーンの目が怒りに滲み、眉がぎゅっと寄せられて、激怒しているのに泣きそうに見えた。

 セツナは、躊躇いもなくこの"いじめの現場"に飛び出していって、"友達"を庇うリリーの姿が、心臓が震えるほどまぶしくて見とれてしまった。
 自分も攻撃されたら、という怯えが一切見えない、ただ友達のために怒っている勇敢な姿。…

「あなた達卑怯よ! 2人がかりで、杖のない相手に向かって…笑い物にするなんて!」
「…やぁ、エヴァンズ。あー、今日も綺麗だね」
「ふざけないで!」
 彼女の登場は予想外だったのか、少し気まずそうにしてから誤魔化すように笑ったジェームズだったが、ピシャリと切り捨てられて肩を竦めた。
「なんだってそんな奴庇うんだ? こいつがどんなおぞましいホラを吹いたか…」
「妄想にしたってもう少しマシなのがあるよな?」
「セブ……彼が何を言ったのよ?」
「こいつ、クリスマスは毎年君と過ごすって言うんだよ──妄想の中で君と恋人ごっこを楽しんでるってわけ」
「ウソじゃないわ! 大体、それが仮にウソだったとしてあなた達に攻撃する理由はないわ!」
「えっ?」
 ジェームズが素っ頓狂な声を上げた。後半の言葉は一切聞こえなかったかのように、慌ててリリーに「な、何言ってるんだい?」と問いかける。
 ショーは終わったと思ったのか、生徒たちの波が引き始めた。

「私と彼は幼馴染よ。あなた達も知ってるでしょ? 毎年近くの公園でプレゼント交換してるわ! けど、それがあなたに何か関係あるの? 気持ち悪い!」
「きっ……」
 あまりの言葉の鋭さにジェームズは絶句し、シリウスは「同情するぜ、友よ」と半笑いに言った。

「セブ、セブ、大丈夫?」
「ごホッ、大丈夫だ…」
「でも…」
 背中を撫でる手をゆっくり払い、スネイプは水っぽい咳をして立ち上がった。顔が羞恥が屈辱か惨めさか、そのどれもで赤くなっている。
 セツナもオドオドとして彼らに近づいた。リリーの目が潤んでいたからだ。
「つ、杖を…」
 ジェームズの手にそっと触れると、「え、あ? ああ」と咄嗟に彼は杖を渡した。それをスネイプに「はい」と渡す。
 彼はお礼も言わず、ギッとセツナを睨んでむしるように受け取ったが、それを酷いとも怖いとも思わなかった。
 自分を守るために必死になる気持ちがわかるからだ。彼に余裕がないのがよく分かった。共感できた。

「リリー、行こう」
「ええ…セブ、医務室に…」
「いらない」
 彼は頑なで、背中がヒシヒシと拒絶していた。
 リリーはふたりを徹底的に大嫌いだという目で睨んだ。

「あなたのこと、元から嫌いだったけど、これからの人生できっとあなたほど嫌いになる人はいないわ、ポッター」
 リリーは熱せられた鉄でも飲み込んだような声で吐き捨てた。

*

 リリーは心配して「医務室へ行った方がいい」と言い張り、スネイプは頑固に「必要ない」と主張を曲げなかった。
 だんだん、ふたりはヒートアップして不機嫌になって行く。幼馴染の空気感があるのかと思いしばらく見守っていたが、気付いたら喧嘩しそうになっている彼らに、セツナは慌てて間に入った。

「リ、リリー。彼の体のことは彼がいちばんよく分かると思う…。きっと、痛むことがあったら、自分で医務室に行くよ。だよね?」
 うなずいて、という意志を込めて見つめる。伝わったかは知らないが、スネイプはセツナを一瞬嫌そうにチラリとみて、小さくうなずく。

「えと、スネイプ…も、その、わたしに言われなくても分かってるだろうけど、リリーは心配でたまらないだけなのよ。リリーにとってあなたが大事な人だから。ね?」
「もちろんそうよ。あいつらからの傷が残ったら…」
「大丈夫だ…ありがとう、リリー」
「ううん、いいのよセブ」

 さっきまでの険悪な雰囲気がなんだったのかと思うくらい、簡単に微笑みを浮かべたふたりにセツナは混乱した。友達ってこういうものなのだろうか。
 いつも不機嫌そうで、常に座った目をしているスネイプだが、リリーを見る時だけは分かりやすいくらい穏やかな顔をしていて、心を開いているのだと分かる。

「あの、」
 ふたりを見ていたらまぶしくて、セツナは口から言葉がこぼれた。スネイプがまだいたのかこいつ、という目を向ける。
「スネイプ…えと……」
「同情ならいらない」
「違うの! えと……その…そう、格好よかったよ」
「…は?」
 彼は不信感を顔いっぱいに浮かべた。眉根が深いシワを刻み、胡散臭そうにセツナを睨む。もう睨まれても怖くなかった。
 なんでだろう。共感、同情のほかに、そう、尊敬が混じったから。

「わたしだったら、あんな風に笑われて……立ち向かえないから…すごいと思った」
「…お前に褒められるいわれはない」
「セブ!」
「い、いいの。それからリリーも格好よかった」
「私?」
「う、うん。友達のために、ジェームズたちに声を上げたのが、ほんとに、ふたりともすごくかっこよくて、まぶしかったの!」
「そ、そうかしら…? ただ許せなかっただけよ」
 彼女は少し照れくさそうに笑った。

 本当にすごいことだと思う。心から尊敬した。
 だって、セツナはしようと思ってもうまくできなくて、許せなかったけど、言い返せなかった。
 ピーターと一緒に泣くしかできなくて、小学校の頃も泣いて我慢するしかできなくて。
 なのにスネイプは最後まで諦めていなくて、リリーは言葉だけで凛と言い返して、あのふたりを引かせたのだ。
 まぶしい……。
 セツナも、このふたりみたいになりたい。

 スネイプは居心地悪そうに不機嫌な顔をしている。セツナは恐る恐る彼に手を差し出した。
「…なんだ」
「わたし、セツナ・ノースエル…。えと、ず、図々しいかもしれないんだけど……と、友達になってほしい、です」
「まぁ!」
 リリーが華やいだ声を出した。

 セツナは顔が熱くて熱くて、手汗がジワッと浮かんだ。体が汗ばんできて耳のそばで心臓の音がする。断られるだろうとは分かっていたけれど、友達になってみたかった。自分からそう思うのは初めてだった。
 スネイプは本当に嫌そうに口を歪めていたが、リリーからキラキラした瞳で見つめられ、本当に渋々という様子で一瞬だけ手のひらをセツナの指先を掠めさせた。
 握手とも呼べないものだけど、セツナはパッと嬉しそうに頬を染めた。
 ふたりの少女に桃色の頬で囲まれ、スネイプは谷のように眉間にシワを刻みながら、小さく「セブルス・スネイプだ」と答えた。

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