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 鐘の音が響き、生徒がゾロゾロと教室から流れ出していく。トントン、教科書を纏めるユーニスに友人たちが声を掛けていく。
「先行ってるわね」
「頑張って〜」
「ありがとう」
 あらかた人が居なくなったところで、ユーニスは授業で使った鉢を片付け始めた。スプラウト教授がふくよかな体を揺らして大声で叫ぶ。彼女は声が大きい。けれど、その声は決して威圧的でなくて、むしろ母親のような暖かさを帯びている。
「ミス・ベル、いつも手伝ってくれてありがとうね。今日もハッフルパフに10点をあげましょう」
「そんな、教授……私が好きでやってることですから、いいのに。でも、ありがとうございます」
 感心感心、というように大きく頷き、2人はテキパキと植木鉢を片付け、スプラウト教授が床に敷いてあるシートを魔法で回収する間に、ユーニスは机を拭いていく。

「失礼します。教授、まだいらっしゃいますか?」
 少しだけ上がった声でドアから声がした。優しい顔つきの男の子。同学年のセドリック・ディゴリーだった。
「よかった、僕忘れ物をしてしまって」
 座っていた席から羽根ペンをしまうと、彼はユーニスを見つめた。
「何してるんだい?もしかして後片付けを?」
「えっと、そうなの。スプラウト教授1人じゃ大変かと思って」
「じゃあ、僕も手伝うよ」
 言うが早いか、ディゴリーはニッコリ爽やかに笑うと、スプラウト教授のところに駆けて行って「何かお手伝いさせていただけませんか?」と、ユーニスと共に机を拭き始めた。

 教室を綺麗にしたあとは、魔法植物の種と鉢を持って温室に向かう。セドリックがふらつくユーニスから、土の残った鉢を攫った。
「大丈夫?女の子にこんなに重たいもの持たせられないよ」
「あっ」
「余計なことだったらごめんね」
「ううん……ありがとう」
「良かった」
 彼は軽々と、ユーニスには重たかった鉢をたくさん持って歩いている。なんとも言えない気持ちが胸に広がった。
 ディゴリーはいつも穏やかであまり喋らないから、彼と関わるのは今日が初めてだった。

 彼って優しいのね。
 ユーニスは何故かセドリックの隣に立つのがちょっと恥ずかしくなって、少し俯いて、ゆっくりと歩いた。ディゴリーの背中が見える。ユーニスより、すごく大きく見えた。


 スプラウト教授の温室は1号室から5号室まである。
 2号室は秋学期に育てる植物が所狭しと葉を延ばしていた。今はちょうど赤と黄色の実をつけるロベルニッキと、紫の毒々しい花を咲かせるエドナが咲いている。
 この温室は魔力と相性の良いヒノキで建てられたコンサバトリーで、水晶の窓から陽光が射し込み、植物たちがのびのびと光を浴びていた。壁をつたうようにブドウに似た蔦が絡まり、どことなくハッフルパフの談話室に似た温かさを演出している。

「ここまででよろしいですよ。ありがとう、ミスター・ディゴリー」
 スプラウト教授が頬笑みを浮かべた。ディゴリーは首を振って「もう終わりですか?」と尋ねた。スプラウト教授は頷いたが、ユーニスが動く気配がないのを見て、首を傾げる。
「私は今からこの種を植えるの」
「えっと……ミス・ベル。君はいつも授業の後?」
「ええ、まあ」
「そうなんだ。知らなかったよ」
 感心の色を含む呟きにいたたまれないような気持ちになる。
「全然大したことじゃないのよ」
「すごいことだよ。薬草学が好きなんだね」
 ディゴリーの優しい瞳は光できらきらしていて、ユーニスはポーっと言葉を紡げなくなった。惚けた彼女の代わりにスプラウト教授が言葉を紡ぐ。
「ベルは月曜と金曜の授業の後は手伝ってくれて、本当に素晴らしいことですよ」
「尊敬するよ、ベル。今日は時間もあるし、このあとも良かったらご一緒させていただいてもいいですか?」
「大歓迎ですミスター・ディゴリー!ええ、ええ、今年は積極的な生徒が多くて嬉しいわ」

 セドリック・ディゴリーは、それ以来、時々授業の後にスプラウト教授をユーニスと手伝うことが多くなった。これが2人の友情の始まりだった。

*

 入学して3ヶ月も経ち、1年生たちからはすっかり初々しさが消え始め、12月半ばに差し掛かるとキャアキャアと明るい笑い声が、談話室を飛び交うようになった。
 低い天井、木組みの丸窓、黄色のふかふかのソファ。ハンギングプランターの近くでユーニスは友達数人とたわいないおしゃべりに興じていた。クリスマスが近付いている今、ティーンエイジャーが集まれば、会話のテーマは自然と恋めいた話になっていく。

 レニがうっとりと夢見がちに呟いた。
「3年生のクリフって素敵じゃない?」
「誰?」
「うそお、クィディッチのチェイサーよ!知らないの?」
「確かに〜、この前の試合とってもカッコよかったかも〜」
「グリフィンドール戦、彼が1番点を取ったんじゃないかしら」
「そうなのよ。彼って本当に最高。クリスマスはどう過ごすのかしら」
「まさか狙ってるの?」
「そういうわけじゃ……!」
 ジェイミーにからかわれ、真っ赤になって頭をブンブン振るレニを後目に、グレンダがスコーンをつまみながら、う〜んと呟く。
「私は……私は〜……サイラスかなあ〜」
 空中にぷわぷわ浮かんでいるようなグレンダの声。レニがうげっ、という顔をした。
「サイラスって2年の?彼、悪い人じゃないけど、ちょっとぽっちゃりすぎない?」
「え〜、でも〜、彼すっごく美味しそうにディナーを食べるんだよ?一緒に食事したらいい気分になれそう〜」

 喋りながらグレンダはクロテッドクリームをかけて、さらにはちみつを乗せたスコーンをぽこぽこ口に投げ入れている。
「あんたは似た者同士かもね……。ジェイミー!あんたは?いる?気になる人っ」
「特にいないわよ」
 眼鏡をかけた少女がつんと言った。ジェイミーは頭がいいけれど、それ以上に人が良くて、でもちょっぴり素直じゃない女の子。
「ホグワーツにまだ入ったばっかりだし、今は恋愛とか興味無い」
「枯れてる〜!」
「人聞きの悪いこといわないで」
 ジェイミーは「クリームがついてる」とグレンダの口を拭いてやり、「零さないで」とぶつぶつ言いながら、制服の食べカスを払った。
「ちょっと、もう子持ちの母みたいになってるじゃない!ユーニスは?」

 来ると思った。内心で苦笑する。面白い話題は特にないから、正直に返す。
「残念だけど何にもないの。好きな人もいないし」
「ユーニスはそうっぽいよね」
「もう、どういう意味?」
 軽くおどけてみせる。笑い声が響く。笑い声に混じって彼の名前が聞こえた。

「セドリック!」

 ドキッとして声の方を向くと、友達と一緒に談話室にディゴリーが入ってきて、本棚の近くに腰を下ろした。ウッドテーブルに教科書とかを広げているから、課題をするつもりなんだろう。
 彼の横顔は遠くからでも、とても美しく整っているのがよく分かった。真剣な表情。
 ユーニスはつい無意識に控えめな視線を投げかけて、丸い瞳はどこか少し熱を持つように潤んでいた。

「ユーニス?」
 突然上の空になった彼女に声をかけるとユーニスはハッと肩を跳ねさせて、すぐに分かりやすい誤魔化し笑いをした。
「ご、ごめんなさい。ちょっと聞き逃しちゃたみたい」

 レニ、グレンダ、ジェイミーは揃って顔を見合わせ、三者三様ににま〜っと笑った。
「へえ〜?」
「うふふ〜」
「なるほど……」
 耳を真っ赤にさせてユーニスはムキになった。
「ち、違うから!本当に」
「あんたって意外と分かりやすいんだ?」
 レニの鼻にくっつくくらい近づいて、ユーニスは必死にも見える表情で、小声で叫ぶ。
「ばかっ。ただ憧れてるだけだよ。そう、ただの憧れ!」
 これ以上は怒りだしそうだったので、レニは肩を竦めて引いてあげることにした。
「でもディゴリーかあ〜、ちょっと意外〜。大人しいよね〜、彼」
「グレンダ、名前を出しちゃダメッ」
「あ〜ごめん〜」
「でも、本当に意外かも。どうして彼?」
 ジェイミーの不思議そうな問いには少し口ごもった。一緒にスプラウト教授のお手伝いをしていることは、もう少し秘密にしておきたいなと思ってしまった。
 結局、照れながら、「彼ってカッコイイし……すごく優しいから」と無難なことしか言えずに、その無難なことさえ、言うのがとっても恥ずかしかった。

*

 ご機嫌に鼻歌を歌いながら、ユーニスはスキップでもしそうな足取りで、秘密の場所に行く。

 スプラウト教授の温室とは真反対、城の裏庭の奥にその場所はあった。一部分が崩れかけ、雑草が腰の方までうねうねと伸びきって、けれどもとっても日当たりが良い、薄暗い雑草畑の中に浮かび上がるようにして建つ旧い温室。その温室は一際背の高い木の枝に隠されるようになっていて、どこか秘密基地のような情緒がある。
 この場所は放置されていた。
 建前上は一応、立ち入り禁止の看板があるけれど、文字はとっくに禿げ落ちて、過去の生徒たちによって雑草畑の中に道が出来ている。

 暗いブラウンの木材は、ボロいと言うよりも、アンティークな趣がある。細長い小さな部屋は、窓や壁にびっしりと蔦や蔓、苔玉に覆われていて、僅かに漏れる陽光がシャンデリアのように様々に色を変えて部屋を照らしている。
 中央に長テーブル、壁にくっついた大きなソファ、いちばん奥には小さなテーブルがあり、緑に覆われた棚もあった。
 放置されて久しいだろうに、どこか人の温かみを感じる。
 ユーニス以外にもここに訪れ、居心地のよい空間を作り出したのだろう。

 ユーニスはここで、花を育てている。
 壁の傍には小さな花壇があり、温室その物が植物であるかのようなこの温室は、いっとう落ち着ける特別な場所。

 今日はスプラウト教授のお手伝いのご褒美にこっそりと貰った、簡単な魔法植物の種を持ってきている。出来るだけ繁殖力が低くて、育てやすさは並で、けれど生命力は強い植物。
 半年かけて薔薇に似た、けれども薔薇よりも小さくて細かな花をたくさん咲かせる、ドミナ・ドーヌム。蔓薔薇に近い種だと思う。
 花の露は若返りの薬に、花びらは精神の抑制を促進し、葉は煎じればドミナティーとして飲まれるし、その他にも枚数は必要になるけれど、葉を簡単な傷薬の基本的な材料として使えるメジャーな薬草だ。
 育てるのに時間はかかるけれど、クリスマス休暇中に放置していてもすくすくと育ってくれるドミナ・ドーヌムは、まさにユーニスが初めて育てる薬草にピッタリだった。

 教授に分けていただいた肥料でコツコツ耕していた土を鉢に入れ、その中に、種を丁寧に植えていく。種からだから少し時間がかかる。けれど、マグルの植物よりはよっぽど早く、薬草は成長するらしい。
 魔力を含んでいるからかな?知らない植物と触れ合うのは楽しい。

 土を整え、ユーニスは少し緊張しながら杖を構えた。この呪文は2年生レベルで、まだ上手く扱えない。
 何回か杖の振りと、発音をモゴモゴと練習して呪文を唱えた。
「エネルベート」
 杖の先端が僅かに発光し、その光が土の中に潜り込んだ。たぶん、成功した。本当にちいさな光ではあったけれど。ほっと息をつく。
 今の呪文は基本的には気を失っている人の意識を覚醒させるために使われるが、エネルべートはそもそも、対象を活性化させる効果をもたらす。そのため、スプラウト教授は種子の発芽や成長を促す為にも使っていた。水をやる前に毎日1回唱えるのだ。

 次は、植物に水をあげなければならない。
 魔法植物は普通の水でももちろん育つけれど、魔力を吸収すればさらに早く、質が良く育つ。
「アグアメンティ!」
 何も起こらない。もう一度唱える。
「アグアメンティ!……アグアメンティ!アグアメンティ!……だめかあ……」
 諦めて、ユーニスは腕を投げ出した。仕方ない。この呪文は中学年で習う高度なものだから。

 先程のエネルベートは、対象に変化を与えるチャームに分類され、アグアメンティは、無から魔力を含んだ水を生み出すスペルだった。いや、無から何かを生み出すことは出来ない。だから、たぶん、なんらかに働きかけるスペルなのだろうけれど、ユーニスには難しすぎて理論を理解出来ていなかった。

 素直に温室に置いてあるじょうろを持って水をかけることにする。光の筋が小さな虹を作り、ふかふかとした土が水を浴びて匂い立つようだ。
 焦げ茶色の花壇と鉢たちを見て、ユーニスは満足気に鼻歌を歌った。

*

 クリスマスはいつも通り楽しかった。マグル界へ戻って、久しぶりのママとパパと過ごし、プレゼントに囲まれて、美味しい料理を食べる。
 レニからはファッションカタログとヘアアクセサリー、グレンダからは手作りのスイーツ、ジェイミーからはレターセット。
 そして、ディゴリーからも!
 心臓が魚みたいに跳ねて、耳がカーッと熱くなる。ユーニスは頬には出ないけれど、耳と瞳にときめきが出てしまうのだ。
 慌てて服の中に隠し、ママとパパに見つからないように部屋に戻る。ディゴリーからはメッセージカードとカラフルな砂糖羽根ペン。定番だけれど、羽根のところに花のスパンコールが散りばめられているのが、ただ適当に買ったんじゃなくユーニスのために買ってくれたような気がして、ふわふわとした気持ちになる。

 "メリークリスマス!
 君のおかげで薬草学がとっても楽しくなったよ。今年もよろしく。S.D."

 カードを何回も何回も読み返して、ユーニスは「うう〜……」と唸った。不整脈でクラクラしそうだ。
 こんな風にワクワクとも、不安とも、疲れとも違う、心臓のドキドキは、彼に対してが初めてだった。よく分からない気持ちでいっぱいになるのも初めてだった。
 ユーニスは彼に憧れていた。

*
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