秘密の扱いについては得意な方だと自負している。
スリザリンに属していながら「例のあの人」を快く思っていないことはセオドールしか知らないし、去年は賢者の石の件、父親への疑念だって隠している。
翌日、校内がざわついている様子はなかった。
教授たちも傍目にはあまり変わらないように見える。
授業に行く途中、ピーブズたちと出くわしたが、いつも通り道行く生徒たちをからかっているだけで、別段シャルルを見ても特別な反応は示さなかったから、気付かれていないだろう。
「そういえば、マンドレイクが思春期に入ったみたいよ」
シャルルから雑談を持ちかけられるのに慣れていた彼は、それでもこれには虚をつかれたように一瞬間があった。
『へぇ…』
あからさまに興味が無い様子だ。
2年生が育てている魔法植物の成長をいちいち報告されるのは辟易だ、というのが漂っている。
「このまま成熟させてしまっていいの?石になった被害者が元に戻ったら…」
『ああ…別にかまわないよ』
かまわないの?
リドルが何を考えているか分からない。
血の粛清をしたくて襲撃していたんじゃないのだろうか。サラザール様の遺志を継いで…でも、リドルはそういうタイプじゃないかもしれない。つまり、偉人を尊敬し尊重するような性格ではない。
「石化の特徴があって、マンドレイクの魔法薬が効果的となったら、魔法生物でも限られるでしょう?ダンブルドアは始めの襲撃からもう、バジリスクに気付いていたのかもしれないわ。ジニーが関わっていたとは気づいていないんでしょうけど…」
『誰が、とか何で、というのは重要じゃない。問題はどうやって、ということだけど、あの耄碌した偽善者の老ぼれが"僕"に辿り着けるはずがない』
ずいぶん確信に満ちた言葉だ。嘲笑さえ感じる。
リドルは随分、ダンブルドアが嫌いな様子だ。
「じゃ…あなたは何がしたいの?もう襲撃はしないの?」
『不満かい?』
「いいえ…いいえ。そういうわけじゃないわ」
『君はいつだか、マグル贔屓のようなことを言ってたな。マグル生まれでも友達にはなれる──だったかな』
あれはもちろん方便だ。リドルが継承者を捕まえたと主張していたから。
すぐに言い返そうと思った。ターニャは友達ではないし、シャルルは純血主義だ。それなのになぜか、シャルルの中に躊躇いが生まれた。リドルが続ける。
『君は継承者の役に立ちたいと思いながら、同時に襲撃を疎んでいる。そうだろう?』
「違うわ。ただ…ただ、1人ずつ石にするのは遠回しだと思ったのよ。でももちろん、あなたの襲撃にケチをつけるわけではなくて…」
『僕には僕の計画がある』
「もちろんわかってるわ…」
『君は少しだけ頭は回るかもしれないが、その思想には疑いがある。まさかスリザリン生が穢れた血を庇おうとは』
「わたしは純血主義よ!誰よりも尊んでる、その自信があるわ。あの時はあなたの信頼を得たくて──」
硬質な筆跡に思わず言い募るシャルルに、ふと、文が緩んだ。柔らかくなった文字はまるで微笑んでいるようだ。
『分かってるよ。ただ、そうだな……僕にさらに信頼されたいというのなら、次の段階に進もうか』
「次?」
『直接指導してやると言っただろう?』
リドルはそれだけ言って、シャルルがどれだけ尋ねてもふっと返信は途絶えてしまった。
「シャルル?」
「……」
「シャルルったら」
「…あ、何?」
シャルルは全く授業に集中できず、上の空だった。2年生の内容はもうほぼ完璧だし、試験に出そうな点は板書されているから重要なところだけ書き写している。
普段は、魔法薬学の時以外はリドルと話していたが、今は日記が沈黙してしまったため、シャルルは色々と考え事に耽ってしまって声が右から左へ流れていく。
ダフネに何度か話しかけられて、ようやくシャルルは顔を上げた。
「時計を見て」
振り返ると、教室の後ろにある大きな時計から、小さなフリットウィック人形が飛び出している。今日の夜呪文クラブがあるらしい。
「ああ、ダメ、行けないの」
「最近全然参加してないじゃない」ダフネが不満そうに咎めた。
「あなたが誘ったのに!わたしだって1人で参加したくはないわ」
「ごめんなさい、でも本当に忙しいのよ。ダフネも欠席したらいいじゃない」
「試験に向けて割と有用なレッスンをしてくれるのよ。いいわよもう、1人で行くから」
深くため息をつかれる。本気で怒っているわけじゃないが、少し拗ねている。日記を拾ってからはクラブを全部蹴っていたから仕方がない。
しかも、去年誘ったのはシャルルだし、当時片思いしていたエリアス・ロジエールで釣ったから、シャルルはあわてて機嫌を取った。
「落ち着いたら一緒に行くわ。ほんとよ」
「いつ落ち着くの?」
「それは…まだ分からないんだけど…」
困って眉を下げ、申し訳なさそうな顔を作るシャルルに溜飲し、ダフネは小さく笑った。
「いいわ。でもあなた、休み明けから本当にかまってくれないんだもの。夏休みにはたくさん相手してもらうわよ」
「もちろん!」
「言ったわね?じゃお泊まりしましょうよ、何日か…どっちの家でもいいわ。アナ達もそれくらいは許してくれるわよね?」
「ダフネだったらね。わたしあなたの家に行きたいわ」
「あら、わたしはあなたの家がいいわ。あの湖、とっても美しいもの……」
夏休みの計画について盛り上がっていると、双子が熱心にシャルルを見つめているのに気付いた。目が合うとまっすぐ近寄ってくる。
戸惑っていると、双子はシャルルの目の前でニッコリと微笑んだ。黙っていると氷のように冷めた顔立ちだが、笑っても愛想良くは見えない。むしろいつも機嫌が悪そうで生気の無い彼女たちがニコニコしているのは、相手に妙な不安を与えた。
「ハイ、シャルル」
「ハイ、シャルル」
口を揃えて、まったく同じ動作で手を上げる。ダフネが困惑したように双子とシャルルの顔に視線を走らせ、「じゃ、わたし行くわね」とさっさと立ち上がってしまった。
ヘスティア・カローとフローラ・カローだ。
このカロー姉妹は常に2人で完結していてシャルルはあまり話したことがなかった。それに、なんというか目が不気味で……この双子の叔父と叔母が死喰い人としてアズカバンに投獄されていることもあり、スリザリン内でも遠巻きにされている存在だった。
だが、彼女たちは純血だ。
困惑をすぐに引っ込めて、シャルルは親しげに微笑んだ。
「どうしたの?わたしに用事?」
双子はクスクスとどこか耳に障る高い声でひそやかに左右から笑い声を上げた。シャルルは微笑みを動かさなかった。双子はいつでも、誰にでもこうだからだ。
教室からはどんどん人が減っている。
2人は顔を見合わせてクスクスしている。シャルルは辛抱強く待った。
おもむろにどっちかが、ぐいとシャルルの横顔に顔を近付けた。くん、と鼻を嗅ぐので驚いて身を引こうとすると、反対側にも顔がある。
「やっぱり匂うね」
「うん、匂う」
「昨日はなかったのにね」
「今日の朝から」
「に、臭う?」
両耳から甲高いさざめきがダイレクトに聞こえてきて、そんなことを言われたシャルルは、しかし苛立ちもせず少し頬を赤くして自分のローブをすんすん嗅いだ。
でも、石鹸と香水とハーブの香りしか分からない。
何がおかしいのか双子はまた笑った。艶のあるダークブラウンの肩ほどまでの髪が、ひらりと頬を撫でて離れていく。
「違うよ」
「ほんとの匂いじゃない」
「でも感じるの」
「分かるの」
「他の人には分からない」
「分かりやすいのにね」
「ね」
まったくついていけない。この双子はいつだって自己完結して他人に理解させる気が全くないのだ。
「それで、臭うって…?」
どっちかが、髪とおなじ暗い茶色の目を細めて、面白がるように小声で囁いた。
「血の匂い」
「──!」
思ってもみない言葉に、誤魔化すより先に目に焦りを浮かべてしまったシャルルを見下ろし、双子はしつこく含み笑いをしている。
「血、の匂い?どういうこと……?」
さりげなさを装い、シャルルは首を傾け、素早く周囲を確認した。生徒はもうほとんどいない。教授も私室に戻り、会話を聞かれた様子はない。
「何かをいじめた?」
「何かをいたぶった?」
「何かを嬲った?」
「何かを殺した?」
「小動物かな」
「少し大きいかな」
「罪悪感を抱く生き物」
「抵抗を感じる生き物」
「猫?」
「犬?」
「誰かのペット?」
「森の生き物?」
なぜか双子は確信を持っている。
シャルルは筋肉が強ばるのを感じながらも、曖昧に微笑んだ。
「なんのことか分からないわ。そんなこと…。ひどいわ、あなた達にはわたしがそんな人間に見えるの?」
「見えない」
「でもした」
またクスクスして、双子は嬉しそうに、親しげにシャルルの肩をポンと叩いた。
「知らないふりをしたいんだね」
「してないことにしたいんだね」
「大丈夫、秘密にしてあげる」
「いいよ、黙っててあげる」
「貸しだね」
「恩だね」
「嬉しいな」
「楽しいな」
「シャルルはこっち側だね」
「わたし達と一緒」
「またね」
「またね」
顔を微笑みのまま硬直させるシャルルを置いて、ヘスティアとフローラは言いたいだけ言うと手を上げて去っていった。
やや呆然とする。
一体なんの根拠があって、あんな風に確信を持って……。
見られていたのだろうか。
いや。彼女たちは匂い、と言っていた。昨日はなくて、今日の朝から。血の匂いは残っていないはずなのに。ローブは燃やし、体を清め、消臭の香水だってベッドにも自分にも振りまいた。その上で香り付きの香水をつけて、今も甘い香りしかしないはずだ。
背筋が不気味にゾー……ッと鳥肌が立ち、双子が嫌がられるわけだな…と思った。
証拠はないから弱みにもならないけれど。何がしたくて近付いてきたかも、なぜ黙っていると言ったのかも、彼女たちがいつ気まぐれを起こすかも分からない。
厄介そうな人達に見抜かれてしまったらしい。
*
『カロー姉妹?』
「ええ、そうなのよ。なぜ気づいたか分からないけど…」
『アミカスとアレクトとの関係性は?』
「え?」
誰?咄嗟に思い出せるほど馴染みがない名前にシャルルは戸惑った。それを感じ取ったのか文字が続く。
『アミカス・カローとアレカス・カロー。兄妹だ。カローは聖28一族だし、聞いたことくらいはあるんじゃないか?』
「ああ……たしか、叔父だとか…。今はアズカバンに入ってると聞いたけど」
『…へぇ……』
何か思案する空白ができた。
『その姉妹がどういう性格かは知らないけど、一緒だと言ったんだろ?』
「ええ」
『じゃあむしろ君の面白い手駒になるんじゃないか。カローは昔から頭のおかしい奴が多いから使えると思うよ』
「……手駒?」
目をパチクリして聞き返す。日常でそんな単語を聞くと思わなかった。だが、手帳は当たり前のように即答した。
『ああ。君も部下くらい…いや、取り巻きくらいいるだろう?』
「取り巻き…似たような子はいるけど……」
『そういう存在はいくらいてもいい。出来ることが増えるからね』
「……あなた、5年生なのよね?」
『ああ』
手駒……。
16歳でもう人を支配することに慣れた言い様に、圧倒される。
シャルルは、自分がどんな選択をしても、理解はされなくとも尊重はされる、そういう状況になるために、意図的に振る舞おうとは思っているけれど、それを「手駒にする」だと考えたことはない。
シャルルにとってのターニャは取り巻きのメイドだし、言うことを聞くけれど、それは手駒なのだろうか。分からない。
リドルにとってもシャルルやジニーは「手駒」なんだろう。言うことを聞いて当たり前の。
その言葉の舌触りの悪さにシャルルは眉をひそめた。
継承者の役に立つことは光栄だし、望んだことだ。けれど、なぜか自分が「手駒」であることに肌の産毛が僅かに泡立つような、奇妙な不快感がある。
シャルルは久しぶりに彼に対して違和感…そして畏怖が浮かんでくるのを感じた。
継承者、そしてリドルに対して自分がかなうとは思わないし、尊敬の念があるのに──なんとなく拒否感があるのは、自分が自分で思う以上にくだらないプライドがあるのだろうか。サラザール様の血筋をたしかに崇拝しているはずなのに、それ以上に自分に価値があると自分で思い込んでいるのだろうか。
自分がそんな傲慢で不遜な人間だとは思っていなくて、シャルルは動揺した。
リドルに褒められると嬉しいのに、どうして──。
しかし日記に浮かんだ文字によって、シャルルの思考は中断された。
『それより、本題へ進もうか。そろそろ実体化出来そうなんだ』
「……実体化?」