36


 2日後、シャルルは泥のように眠った。リドルに『よく書けていると思うよ』と合格をもらい、安心してベッドに沈み、久しぶりに深い睡眠を貪った。
 この1週間ほど、眠気と興奮と目的意識で突き進んでいたシャルルは、起きてかつてないほど頭がスッキリとしているのを感じた。
 窓から見える湖は上の方が白く凍っているのが見える。1月の半ばに差し掛かっていた。冷静になった彼女だったが、起きて思ったのは、「早くビンズ教授から許可を貰わないと」だった。
 リドルは役立たずのことは協力者としても認めてくれない。シャルルは自分がジニーより役に立つ自信があった。日記を手放したあとのジニーがリドルのことを誰かに伝えていたら、きっとすぐに日記のことが公になるはずだから、おそらくジニーはあまり情報を与えられていないのだろう。
 でも、リドルが何らかの形でジニーを使って襲撃の計画を立てていたのは確かだと思う。利用する人間がいないから襲撃が止まっているのかもしれない。あるいは何らかの理由に寄って襲撃にストップをかけているのかもしれないが、リドルは沈黙しているため、どちらにせよ、早くリドルにシャルルのことを認めてもらう必要があった。

「この後教授の元に行くわ」
『そう。閲覧禁止の棚に行ったら余計な本をベタベタ触らないことをオススメするよ。呪われて死にたくないのであればね』
 闇の魔術の本当にを匂わせる返事に、シャルルは胸が高鳴るのを感じた。どおりで上級生のみにしか許可が降りないはずだ。これからホグワーツに眠る叡智を好きな時に好きなように学ぶことが出来ると思えば、ワクワクして足取りが軽くなった。
 制服に着替えていると、パンジーがベッドのカーテンを開いた。

「シャルル、起きたの?一緒に朝食に行きましょうよ」
「おはよう、パンジー」
 シャルルはにっこり微笑み、首を振った。朝食は後回しにしてすぐに魔法史の教室に行くつもりだった。パンジーが鋭い声で咎めた。
「また図書室なの?最近ロクに食べてもいないじゃない。倒れてからじゃ遅いわ」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないから言ってるのよ!」
「やることがあるんだったら」
 シャルルはパンジーの手を困った顔で柔らかく解き、逃げるように階段を降りた。談話室にはマルフォイとセオドールがいて、シャルルを見ると近づいてこようとしたが、彼らの何か言いたげな顔を見ると何か言われる前にするりと廊下に飛び出して行った。
 心配してくれるのはありがたいけれど、邪魔されるのは好きではない。

 2階の魔法史の教室の隣りにはビンズ教授の私室があり、教授は日がな一日、私室か職員室で腰掛けている。ノックをすると、驚いなような物音がし、しばらく沈黙が続いたのでもう一度ノックをすると、「……入りなさい」と動揺を隠すような、しわがれた神経質な声がした。
「失礼します」
「君は……」
「スチュアートです」
「それで、えー、ミス・スチュアート。私に何か用事かね?」
 ビンズ教授は丸眼鏡の奥から注意深くシャルルを眺めていた。禿げあがった前髪や小太りの半透明の体。教授と会話をすることがほぼ初めてであることにシャルルが気付いた。教授は授業中、ほぼ全ての生徒にも、教室内の様子にも無関心だからだ。
「実は、個人的に呪文開発の歴史におけるレポートを纏めたので、ビンズ教授に見ていただきたくて」
 ローブから丸めた羊皮紙を取り出して手渡すと、戸惑ったように開き、目を細めた。ビンズは最初怪訝そうに眺めていたが、次第に「ほほう」と小さく唸り、無言で読み進め始めた。
 シャルルがドキドキしながらビンズ教授が読み終えるのを待った。
 非物質的な存在であるはずのゴーストの彼は、自室の柔らかそうなソファに深く沈み込み、物質的な羊皮紙を手に持っている。しかし彼はいつも教室に壁をすり抜けて入ってくる。
 自分の意思でゴーストは物体に働きかけることが可能らしい。
 さらに、意味があるのかは分からないが、暖炉がパチパチと燃えて部屋の中を暖めている。

「あー、よく纏められています、ミス・スワンピー」
「スチュアートです」
「レダクトとエクソパルソは非常によく似た効果を発揮しますが、その背景には調べた通り非常に大きな差異が存在しているのであります。その起源は1289年の国際魔法戦死条約締結に至った一人の魔法戦士に通じており──」
「ええ、教授、おっしゃる通りです」
 長くなりそうなのを、にっこり笑って遮る。
「それで、ボンバーダやコンフリンゴのよく似た呪文の背景も魔法戦争での使用を比較しながら纏めたいのですが、戦争についての書物は、ほら……」
 シャルルはわざと言葉を止め、教授を熱心に見つめた。
「もちろん悪用するつもりはありませんが、魔法戦争は繊細な歴史ですから、詳細な記録ということになりますと、教授方の許可をいただけないと、これ以上自学で調べるのは難しくて……そうでしょう?」
「……まあ、あなたのおっしゃる通りであります。つまり、ミス・コーデリーは」
「スチュアートです」
「禁書の閲覧許可が欲しいと?」
「はい、ビンズ教授」

 シャルルは出来るだけ背筋を伸ばして美しい姿勢を保ち、返事を待った。教授は少し考えた末、頷いた。シャルルは喜びに胸が震えたが、まだだ、まだ気を抜けない。
「こちらにサインをいただいても?」
 許可証を差し出す。ビンズ教授はそれを眺め、借りる本の題名ではなく、あくまで許可のみを求める内容に手を止めた。
「えー、もちろんレポートには様々な参考書籍が必要でありますが、借りるのはあくまで呪文開発の歴史に留まる内容でありますね?」
「もちろんです、ビンズ教授」
「よろしい。私は『攻撃魔法の凄惨な歴史』『英雄と呼ばれた殺戮者』が参考文献に良いと考えるのであります」
 教授はシャルルに釘を指したが、最終的にはサインを書いた。シャルルはローブの下でぎゅっと拳を握り、興奮で頬が赤くなった。
「あ、ありがとうございます。これでますます勉強に励めます」
「完成したら、また提出を待っていますよ、ミス・エヴァーグリーン」
 名前を訂正するのを辞め、シャルルはにっこり笑った頷いた。名前すら覚えられていないなら、ビンズ教授は誰に許可を出したかも忘れてしまうに違いない。もしかしたら、許可を出したことすら忘れてしまうかもしれない。
 レポートを返してもらい、ビンズ教授の私室を後にすれば、もうシャルルがいた証拠だって何も無いのだ。

 シャルルは浮かれた足取りで許可証を確認した。禁書の棚の閲覧許可──実質無制限の許可だ。
「リドル!あなたの言う通りだったわ!」
『成功したのかい?』
「ええ!早く図書室に行きたいわ」
『良かったね。ようやくスタートラインだ』
「すぐに特定してみせるわ。そうしたらわたしに協力させてくれるのよね?」
『そうだね……君にさせたい仕事はもう決めてある』
 その文字を見て期待に胸がキューッと痛んだ。締め付けられるような痛みで、足元がふわふわ浮かぶ感覚がした。
 創設者の子孫の協力者となり、伝説の一幕に自分が参加出来る……。夢想すらしたことがない現実に、シャルルは舞い上がりそうだった。

 今に至るまでのイギリス魔法界。その礎を築いたのは創設者だ。マグルから魔法族を保護し、教育を施し、ホグワーツの発展からやがて魔法省という政治機構に繋がり、文明が発展していった立役者。
 全ての始まりである創設者たちをどうして尊敬せずにいられるだろうか。
 シャルルの生きる、愛すべき魔法界を築いた彼らを。

 ぽわ〜ん、と赤い顔でうっとりして、シャルルは許可証を大切そうに日記帳に挟んだ。

*

 今すぐに図書室に行きたかったが、授業をサボることは出来ない。一瞬、体調不良だと言ってサボろうかとも考えたのだけれど、多分医務室に連れていかれるし、そうするとマダム・ポンフリーにはサボりを見抜かれるだろう。もし見抜かれてもベッドで強制的に休ませられてしまうに違いない。
 授業があるはずの時間に図書室に行けば、マダム・ピンスが怪しむだろうし……。ただでさえ、禁書の棚に入るなんてことになったら、図書室の番人である彼女が粗探しをしてくるに決まっているのだ。
 連日図書室に通い詰めているのに、彼女はいつまで経ってもシャルルを曲者を見る目つきで監視している。もちろんシャルルに限らず、マダム・ピンスは全ての利用者を罪人のように思い込んでいるのだ。

 朝食の時間はとうに過ぎていたため、そのまま薬草学の温室に向かった。昨日の夜も、昨日の昼もあまり食べていなかったが、興奮しているせいかシャルルは全く空腹感を感じなかった。
 でも、さすがに食事を取らないとそろそろまずいかもしれない。
 昼休みになったら急いでご飯を食べて、図書室に向かおう。そう算段をつけて席に座る。もう半分ほどの生徒が揃っている。

 パンジーの物言いたげな視線に微笑みだけ返して、一人で座る。リドルに、闇の魔法生物の書籍の他に、実践的な魔法呪文の書籍を借りる話をして、文献を色々と教えてもらっていると、隣に誰か来る気配がしてシャルルはサッと日記を閉じた。
 内容を見られる訳にはいかないし、最近日記を開いてばかりね、と言われるのが咎められているような気がして、それがリドルを否定するような風に思えてしまって、いい気分ではないからだ。

 隣に座ったのはダフネだった。
 寝室も違うし、そういえば顔を合わせるのは久々のような気がする。
「酷い顔してるわよ、シャルル。鏡見てる?」
「ちょっと、いきなり罵倒なんてひどいわね」
「だってせっかくの美貌なのにもったいないんだもの。あ、ねえ、今日一緒に昼食取らない?」
「そうね。メニューはなんだろ?」
 心配そうな瞳はしているが、ダフネはそれには触れない遠まわしな言い方をしてきた。

 やっぱりダフネは分かってる。
 シャルルは詮索をされるのも嫌いだし、口を出されるのもうんざりしてしまう。手鏡を覗き込むと、ダフネに言われた通りたしかにシャルルの目元には薄いクマが出来ていた。唇もかさついていて、青白い顔が際立っている。
「これあげる。買ってみたけどわたしよりあなたの方が似合うと思うわ」
 コスメブランドの新作のリップだった。青みの強いピンクは確かにシャルルによく似合っている。今まで美容を怠ったことはなかった。容姿は力のひとつだ。シャルルは鏡の中の生気の薄い自分の顔を見つめた。

 スプラウト教授が授業を始める前に嬉しそうに生徒を見回した。
 マンドレイクがコソコソ友達同士で内緒話をするようになり始めたらしい。情緒が発達し、人間でいうところの学童期に入ったようだ。順調に成長しているようだが、スリザリン生はもちろんどうでもよさげで、レイブンクロー生も数人が笑顔を浮かべたくらいだった。
 被害者はハッフルパフとグリフィンドールにしか出ていないし、マグル生まれだし、シャルルは「へえ」としか思わなかった。
 スプラウト教授はムッと顰めっ面をし、肩を落としたが、すぐに授業の続きが始まった。
 でも、リドルに伝えた方がいいかもしれない。
 せっかく襲った被害者がすぐに意識を取り戻すのは意にそぐわないだろう。もしかしたら、怪物の姿を見られた可能性もある。
 マンドレイクの成長を阻害した方がいいだろうか?
 そう思ったが、リドルは勝手な行動をされるのは嫌いそうだ。
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