窓の近くに寄ると、忍び寄るような冷たい空気がたゆたっている。揺れる湖の波紋を見上げると、細い銀色の月光が蜘蛛の糸のように垂れている。
「もうすぐだわ」
シャルルは嬉しそうに呟いた。
「お茶会の準備を整えますね」
「手伝うわ」
ターニャに近付くと、困ったように身を捩り固辞する。
「あの、お気持ちは嬉しいですけど……スチュアートさんに」
「シャルルよ」
「あ、と、シャルルさんにそんなことはさせられません……」
「そう?」
シャルルはターニャのことを同情すべき魔女だと思っていたし、マグル育ちのハーフマグルだけど彼女は純血の重みをよく分かっているから、ある程度対等に扱うつもりでいたけれど、シャルルに尊重されるとターニャはむしろ不安になるようだった。
取り巻きでいたいならそう扱うのがいいだろう。
「お菓子はパンジーとダフネとトレイシーが持ち帰るものでいいわ」
「かしこまりました」
「そう言えばトレイシーって……」
クリスマスに見た彼女のことを思い出した。
家の用事でなにやら戻ってきたらしいけど、気付いたら何も言わずに帰っていたし、手紙にも「何のこと?」ととぼけた返事が書かれていた。
隠したいならそのままにしておいてもいいが、様子がおかしかったように思う。
「シャルル!久しぶりね!」
帰ってきたパンジーとハグを交わす。
「おかえりなさい」
「ただいま」
二人ともそう挨拶をすることに少し擽ったくなって笑った。ホグワーツは第二の家だった。
「今日は編み込みなの?わたしが送ったバレッタを付けてるのね。似合ってるわ」
「そうでしょう?パンジーのセンスだもの」
「当然よ」
そう褒めると、パンジーはちょんと唇を尖らせて澄まし顔をしてみせた。
荷物を持ってイル・テローゼが入ってきた。
久しぶりに見ると、相変わらずハッとさせられるほど美しい少女だった。髪の毛の一本一本が発光しているように金に輝き、紫の瞳は瑞々しい葡萄畑みたいに香り高く意志の強さを浮かべている。音が出そうなほど長いゴールドの睫毛は、彼女の血の卑しさを見る者から忘却させる魔性を纏う。
この年でこれほどの美しさと凛々しさを持つ彼女が、スリザリンで蛇蝎のごとく嫌われているのは他寮生からは驚愕と根も葉もない噂を引き起こしていた。
ホグワーツに来てからずっとムッツリ引き結んだ唇や、不機嫌そうに眉を寄せた表情で、張り詰めた孤高の雰囲気を醸し出していたが、帰ってきたテローゼは、顔は僅かに強ばっているがリラックスした様子に見えた。
シャルルはテローゼへの態度を決めかねていた。
小生意気で、不遜で、身の程を弁えずにシャルルの譲歩を突っぱねたテローゼに苛立っていたが、休みを挟んで彼女への苛立ちは霧散していた。
彼女はシャルルの視線に気付いていただろうが、素知らぬフリして自分のベッドに向かった。その瞬間シャルルは声をかけた。
「ごきげんよう、テローゼ」
不審げに、嫌そうな顔をして渋々と言った感じを隠さずもせずに、テローゼがシャルルを見下ろした。
「ええ」
シャルルはニッコリした。
呆れた顔のパンジーが、話にならないわというように目を回して見せた。
「シャルル?もうあの子を許すの?」
「許すも何も、彼女と取引したのは事実よ」
「あいつは勉強会にも出てないじゃない」
「回数は取引内容に入れてなかったから仕方ないわ」
「はぁ……。ま、あなたに言ったって聞かないものね」
パンジーはとっくに諦めていた。シャルルは頑固だし、よく分からないマイルールを持っている。でもパンジーはテローゼの無礼な態度を許すつもりは無いから、ギッと巨大な目でしっかり睨んでおく。テローゼは肩を竦めてベッドのカーテンをシャッと閉じた。
「クリスマス休暇はどうだった?」
「今年はドラコのお屋敷に行けなかったから退屈だったわ。親戚に会いにベルギーに行ったけど、寒かったからあんまり観光も出来なかったのよ」
「ベルギー!素敵ね。わたし、国外には行ったことがないの」
「そうなの?」
パンジーが驚く。
「ええ、昔っから行くのはダフネの家か、ダスティンの本家か、お爺様たちの別邸か、ホグズミードやダイアゴン横丁だけよ」
「ご両親過保護よねぇ。でも来年にはホグズミードが許可されるし、緩くなるんじゃない?」
「そうだといいけど」
ソファに座った二人にターニャがスッと熱々の紅茶を給仕する。シャルルはターニャの陰鬱そうな顔に微笑んだ。
「ありがとう」
彼女は困ったように眉を下げて小さくうなずいた。
彼女が下がると、いよいよパンジーは不気味そうだった。
「どうしたのよ?またキャンペーン週間?」
「そんな言い方はよして」
シャルルは拗ねたような幼い声で言った。ほっぺたがふくらんでいるのを、パンジーがツンツンつつく。
シャルルの変わったマイルールによって、ターニャを侍らせたり、テローゼにかまってみたり、グリフィンドールの連中やハッフルパフの落ちこぼれに近付いてみたりする悪癖を、ドラコは「慈善事業」だとか「博愛主義」とか言うし、パンジーは「ボランティアキャンペーン」だとか言うのだ。
でも去年の喧嘩を経て、パンジーはもう諦めて、怒りもせず呆れるだけで放っておいてくれる。たまにチクチクちょっかいをかけてくるだけだ。
変わった考え方がシャルルのスタンスだと尊重してくれる。
わざとらしく怒った顔をして見せるシャルルに、パンジーが「今更だけどね」と肩を竦めてみせた。
「もう何も言わないけど、何かあったわけ?レイジーに全然興味なかったでしょ?」
「うーん……」
ターニャのプライベートな傷だから、シャルルはできるだけぼやかして言った。
「考えが変わったの。ターニャを可哀想だと思ったのよ」
「可哀想?あの子が?」
「クリスマスに残ってたからちょっとマグルの話を聞いたんだけど、マグルっておぞましい生き物よ。そんな世界に戻りたくなかったんですって」
「ふぅん……?」
パンジーは振り返らどうでもよさそうに、俯くターニャを眺めた。
「ターニャはマグル混じりだけど、マグルを嫌ってるわ。きちんとわたしたちに対しても礼儀を持って接してくれるし、思想自体はわたしと変わらない。だから優しくしようと思ったの」
「物好きね」
パンジーが紅茶を啜った。「でもマグルが嫌いなところは評価してあげてもいいわね」
「でしょ?」
シャルルは顔を喜びで綻ばせた。彼女の扱い方をパンジーも分かってきている。ハーフマグルなんかどうでもいいけど、とりあえずてきとうに同意しておけばシャルルは喜ぶのだ。
夕食のあと、ダフネがシャルルに寄ってきた。
「ただいまシャルル」
「ダフネおかえり!ねぇ……」
シャルルはダフネに会いたかった。ローブの袖を掴んで廊下の端っこに引っ張っていく。なんの用事かピンと来ているようだった。
「ねぇ、あの……」
「わかってるわ。とりあえず戻らない?」
「そうね……」
そわそわするシャルルに苦笑し、「そこまで怒ってなかったわよ」とダフネが教えてやると「ほんとう!?」とパッと睫毛から光が舞った。しかしすぐシュン……と子犬のような顔をした。
「でも、お父様からクリスマスを祝ってもらえなかったのよ」
「実はヨシュアから手紙を受け取ったの」
「ダフネに?ごめんね、手間をかけて……」
「いいけど早く仲直りしなさいね?二人ともすごく心配してたわ。秘密の部屋に関わっていないかとか、余計なことに首を突っ込んでいないかとか……」
「信用ないわね。わたしずっといい子だったのに」
「あなたのサラザール信仰は誰より二人が知ってるでしょ」
まぁ実際、シャルルは関わる気しかなかった。ただ見つからなかっただけだ。校内探索で色々深夜徘徊してみたけど、隠し部屋とか隠し通路とかをいくつか見つけただけで、継承者に繋がるようなものはなかった。継承者もクリスマス休暇だったのだろうか。
「両親やメロウはどんな様子だった?手紙はやり取りしてたけど……」
「お元気だったわ。メロウはしょぼくれてたけどね。ダフネと会えて嬉しいけど、お姉様に会いたかったなんて可愛らしいこと言って……。あんまりあの子を寂しがらせるならわたしの弟にしちゃうわよ」
「ダメよ。アスティを妹にするわよ」
「交換する?最近生意気になってきて」
「あっ、そんなこと言うなんてひどいお姉様ね」
「お互いさまよ」
ダフネが手のひらで口元を隠してケンケン吹き出した。シャルルも笑う。良かった。お父様が怒っていないと聞いて、ジワ〜ッと全身に安堵が広がっていった。
秘密主義なヨシュアにシャルルも意地になっていたので絶対折れてやるもんかと思って勝手に残ったけど、それが心配しているからだとちゃんと分かっている。
それなのにクリスマスに初めてヨシュアからカードも何も無くて、素知らぬ態度を装っていたが、シャルルは内心「どうしよう」「かつてないほどに怒らせてしまったわ」「でもお父様だってひどいじゃないの」「なんにも教えてくれないんだもの。何も出来ない赤ちゃんみたいに」「でもクリスマスにお祝いしてくれないなんて……」と焦ったり怒ったり悲しんだりしていたのだった。
「これ」
手紙と小包を渡される。プレゼントもあったのか。シャルルはダフネのベッドにぼふんと飛び込んで、足をブラブラさせながら包装をといた。
杖ホルダーだった。腕にも足にもつけられるような仕様になっている。
手紙はチクチクお小言は書かれていたし、あんまり好奇心を働かせるんじゃない、みたいなことを言い方を変えて繰り返し書かれていたが、心配していることや愛していることを強調してある。
シャルルはホッと息をついた。
杖ホルダーにはヨシュアが盾の呪文を掛けているらしい。
「これにもかかってるのに……」
呆れるような、くすぐったいような吐息を零し、首元にかけてあるネックレスを取り出した。水晶のネックレス。透き通る水晶の中で銀色の液体のようなものが絶えず形を変えて揺らめいている。これにも盾の呪文が掛かっているというから、シャルルは制服の下にいつもこれを下げていた。
幸い、必要になる事態は起きていない。
「答え……」
シャルルは呟いた。必要な時っていつなんだろう。ヨシュアは意味深だ。