23


「これ……」
 自室で片付けをしているシャルルがふと呟く。
 教科書の間に見覚えのない手帳があった。真っ黒い飾り気のない手帳。さっきぶつかった時に、ジニー・ウィーズリーのものが混じってしまったのかもしれない。
 シャルルはちょうどいいチャンスだと思った。彼女とも友人関係を築きたい。
 明日の朝食で話しかけてみよう。出来ればロナルド・ウィーズリーが居ない場がいい。妹に近づくなとかなんとか喚かれてしまうだろうから。
 スリザリンの末裔であるポッターともっと話したいのだが、彼はその話題を振られると臭い物でも嗅いだような顔をするし、嫌な話題を振ってくるシャルルを避けようとしていた。最近は双子が取り巻きに加わったようでいつもうるさいからなかなか近寄る隙もない。

 シャルルは軽い気持ちで手帳を開いた。11歳の少女の日記に大して面白いことが書いてあるわけではないと思うけれど、なにかしら使える情報があるかもしれない。しかし、手帳には何も書かれていなかった。
 パラパラと端まで流し見ても白紙のままで、1文字たりとも日記らしいことは書いていない。
 でも買ったばかりにはとうてい思えなかった。
 見るからにボロボロで、紙は少し黄色くなっていて年季を感じ、ページの端がほつれているところもある。ジニーが小さな頃から何度も開いて手に触らないとこうはならない傷み方なのに。
 好奇心が湧いてきて、手帳を今度はきちんと観察してみる。表紙の文字は掠れていたけれど、50年も前の手帳だということが辛うじて分かった。ウィーズリー家は旧家だし、ウィーズリー夫人の出身であるプルウェット家も名家だったから古い品物もあるだろう。遺品や相続品のようなものかもしれない。

 ページを捲ると、下の方に掠れ切った文字が書いてあることに気づいた。目を凝らしてようやく読み取れた名前を見て、シャルルは目を見張った。

─ T・M・リドル ─

 どこかで聞いたことがある名前だ。
 シャルルは純血の家系は、イギリスの魔法界ならば新興家系でも全て暗記している。曽祖父母まで遡れる純血同士の子供から純血だと目されるようになるのだが、リドルという姓自体は聞いたことがなかった。
 おそらくマグル生まれか混血だろう。
 じゃあ何故知っている気がするんだろう。
 手帳を弄びながら考え込んだ。そう遠くない最近にこの名前を耳にしたような……。

「あっ!」

 パッと立ち上がってシャルルはプリーフェクト・ルームに向かった。歴代の監督生の残した資料や功績が保管されている部屋だ。その部屋は鍵がかかっていてふつうの生徒はあまり近寄らない場所だが、去年父の友人を調べる時にこの部屋に出入りしていたことがあった。
 両親の在学していた20年ほど前の棚を通り過ぎ、その奥の棚の前に立つ。T……T……あった!

 トム・マールヴォロ・リドル。
 50年前のスリザリンの監督生だ。記録を見ると、1年生から7年生までずっと試験は首位で、監督生も務め、首席に任命されている。優秀な生徒だったんだろう。その上彼は2度もホグワーツ功労賞を授与している。卒業時と5年生の時だ。
 並外れて優秀……そして品行方正な生徒が卒業と同時に表彰される例は知っていたが、在学中に与えられる例は少ない。
 去年、ポッターたちの本当かどうかわからない冒険(でも確実にクィレルは死喰い人ではあったと思う)に対しても大量加点で終わったことを鑑みるに、なにか相当に偉大なことを成さなければやすやすと貰えないはずだ。

 50年前の並大抵ではなく優秀なスリザリン生の日記をなぜジニーが持っていたのか好奇心をくすぐられたシャルルは、日記をしばらく預かっておくことにした。もう少し調べてみたい。
 知らず知らずに日記に惹かれていることに、この時のシャルルは気付いていなかった。


 シャルルは食堂に向かっていた。お腹が悲しげにクークーと鳴っている。寝坊してしまったからもう朝食の時間が終わってしまう。
 昨日の夜から食べていないからなにかお腹に入れたい。
 急いでいるにも関わらず、シャルルは何故かローブの内ポケットに黒い日記帳をしまい込んでいた。

 食堂はガランとしていた。閉まる時間だから当然だろう。でもひとりだけ生徒がいる。席に着いたシャルルを見つけると、彼女が走り寄ってきた。意識的に澄ました顔を作って、青ざめた彼女を待ち構えた。
「あら、おはようジニー」
「昨日あなたにぶつかった時、私の手帳が混ざらなかった?」
「手帳?」彼女は前のめりでいきなり本題に切り込んだ。わざとらしくならないように柔らかく目を丸くして見せる。
「見ていないと思うけれど……どんな手帳かしら?」
「黒くてちょっとボロい日記帳よ。大事なものなの」
「大きさは?」
「手のひらより少し大きめの、このくらいの大きさで……。スチュアート、本当に知らない?荷物に混ざってなかった?」
「ごめんなさい、分からないわ。ああ、そんな顔しないでジニー。部屋に戻ったらくまなく確認してみるわね」
「うん……ありがとう、ごめんなさい。食事の邪魔もして……」
 焦った表情に悲壮感さえ滲ませていたジニーは、疑い深くシャルルの様子を観察していたが、結局悲しそうに肩を落とした。打ちひしがれたように見える。

「……そんなに大事なものなの?随分慌てているみたいだけど……」
「な、中をあんまり見られたくて」
「たしかに日記ってプライベートなものだものね。でもジニー、日記を書くなんて可愛らしいわね」
 なぜかバツの悪そうな顔で言い訳がましく言う彼女を軽くからかうと頬を少し赤く染めた。勝ち気そうな顔立ちが弱々しく歪んでいる。
「昨日外から帰ってきたんでしょう?そこに落とした可能性もあるかもしれないわ」
「外……そうかもしれない。今から探してみるわ」
「わたしも手伝うわ。心当たりの場所は?」
 その途端ジニーはサッと青ざめて首を振った。「いいの。それより荷物の確認だけお願い」
 シャルルは目を細めたが、無害そうに微笑みかけた。
「分かったわ。大事な日記が見つかるといいわね」

 ジニーの反応から俄然好奇心が高まったシャルルだったが、依然として日記は沈黙を守っていた。アパレイトやエマンシパレ、サージト、アルカナ・アペーリオ、スペシアリス・レベリオ……とにかく思いつく限り効果のありそうな呪文を試してみたけれど、ジニーが蒼白になってまで隠したい秘密を見つけることは出来ない。
 シャルルはますます秘密を暴きたくなった。
 ジニー・ウィーズリーにそこまで躍起になる理由なんか何も無いのに、頭ではわかっていても、気付いたらシャルルは何となく手帳を開いてどうしたらこの秘密を見つけられるのかと頭を悩ませるのだった。

*

 朝目覚めると、ベッドの脇に大量のプレゼントが山になっていた。今日はクリスマス。家族と過ごさないクリスマスは生まれて初めてだ。
 シャルルは素早く身支度を整えて、お気に入りのロングワンピースを着た。深緑と白の繊細なシフォンはふわふわと裾が広がっている。水色のサテンリボンを手に取り、向かいのベッドを見る。
 カーテンを開けると驚いたようにレイジーが顔を上げた。
「メリークリスマス」
「メ、メリークリスマス……」
「髪を結んで欲しいの」
「はい、スチュアートさん」

 ソバカスだらけでいつも陰気な顔つきのレイジーは、今日ばかりは僅かに機嫌が良さそうに見える。艶やかな黒髪を恭しく梳かして、ハーフアップに纏めたのを眺め「アクシオ」と杖を振った。
 シャルルのベッドから手元に飛んできた小さな小包を、振替ってターニャに手渡すと、彼女は目を開いて固まった。
「これは……?」
「今日が何の日かもう忘れたの?」
「わたしに……」
 レイジーの手が震えた。信じられないというように手の中を凝視している。去年は特に彼女に何かをあげはしなかったけれど、黙ってシャルルとパンジーに隷属する彼女に報いてもかまわないだろう。
 彼女は立ち上がってベッドに向かった。シャルルのベッドと違い、周りには何も置かれていない。プレゼントのひとつさえ。
 駆け足で戻ってきた彼女が差し出した箱を受け取り、深緑のリボンを解く。そわそわしているターニャに「あなたも開けたら?」と促した。プレゼントはミューズキャンディと紅茶の缶だ。どちらもシャルルの好きな物だ。そしてどちらも高級とは言えない銘柄。レイジーの私服は数種類しかない。背伸びしてなんとかこれを買ってくれたのだろう。
 シャルルがあげたインクの方がよほど高価だ。

「あの、ありがとうございます……!」
 常にムッツリ引き結ばれている口が緩やかに弧を描き、顔色の悪い肌に赤みが射している。
「いいのよ、あなたはよく仕えてくれているしね。良いクリスマスを」
 さらりと微笑んで、シャルルはドラコ達へのプレゼントを持って談話室に向かった。ターニャは大切そうにプレゼントを抱き締めて、シャルルの背中をひっそりと見つめていた。


 いつもならすでにドラコは朝食に向かっている時間だったが、彫刻が施されたソファから淡いプラチナブロンドが覗いていた。談話室には冷たく居心地の良い静寂が満ちて、静粛な雰囲気を保ってはいたけれど、部屋の隅にチラチラ瞬く小さなクリスマスツリーが飾ってあり仄かに室内を彩っていた。
「ドラコ、クラッブ、ゴイル。メリークリスマス」
 声をかけるとパッと振り返った。炎に照らされて薄青灰の瞳が輝いた。横に詰めてくれたドラコの隣に座る。
「メリークリスマス、シャルル。これを君に」
「ありがとう。わたしも準備してたのよ。直接渡したくて」
「開けても?」
 頷いて、クラッブ達にも手渡した。ドラコへのものよりも箱は大きい。中身はお菓子の詰め合わせだ。彼らにマダム・ミレアムのクッキーの価値は分からないかもしれない。

 箱の中からクロス貼りの黒いジュエリーケースが出てきた。そっと開くと、絡まりあったシルバーチェーンに照りの低い美しいエメラルドがいくつか煌めく、繊細なブレスレットが鎮座している。
「まぁ、ドラコ……」
「美しいだろう?君に似合うと思ってね」
「とても素晴らしいわ……でもこんな高価な……」
 溜息がつくほどに、そのブレスレットは美しい。暖炉の炎まで飲み込むような豪奢なエメラルドは、その輝きの鈍さがそのまま価値を浮き立たせている。
「値段なんか気にするなんて、君にしてはナンセンスだ。そうだろう?」
 皮肉げに笑いながら、ドラコがジュエリーケースから細い指でそっとブレスレットに触れた。シャルルは真っ白で華奢な手首を彼に差し出した。彼の指先は冷たかった。ドラコ・マルフォイという男の子のことを、肥大化した自尊心を持ち、高慢で、年相応に感情豊かな人だと──つまり、幼稚だと思っていた。
 でも、シャルルの腕を優しく支えてブレスレットをつける彼の横顔は、怜悧で、睫毛の影が彫刻のような美貌を高貴に象っている。慣れたようにブレスレットを留め、薄い唇が満足そうに笑んだ。
「ほら、やっぱり君に良く似合う」
 自分の中で何かがコトリと音を立てたことに、シャルルは気づかなかった。
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