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 掲示板にビッグニュースが張り出された。パンジーが齧り付くように読み上げて、マルフォイを振り返った。
「金曜日の夕方、クィディッチの試験が行われるって!ドラコ、あなたはシーカーを受けるのよね?」
「ああ」
 当然だ、と彼はソファにさらに深く腰を沈めた。
 余裕を演出するマルフォイにうっとりと頬を熟れさせて、「あなたなら絶対に選ばれるに決まってるわね」と素早く隣に潜り込み、しなだれかかった。

「随分余裕じゃないか」
 からかいの声に反射的に視線を投げれば、声の主はやはりブレーズ・ザビニだった。
 数日前シャルルが大広間で彼の名を出して以降、シャルルは以前より格段にザビニと話す機会が増えていた。
 それに伴ってザビニはどんどん大きな顔をするようになり、今だってこうして、スリザリンの上級生を押しのけて暖炉にほど近い座り心地の良い席にお仲間たちとつるんで座って、マルフォイに面白がるように顔を向けている。
 マルフォイは眉をピクリとさせたが、すぐに「ふん」と軽く笑い、それをいなした。

「僕の飛行術の実力はお前も知っての通りさ。上級生にだって僕を超える力を持つのは、既に選手になっている選ばれた数人だけだ」
「まあ、それは認めてもいいかな。でも忘れていないか?ヒッグスはお前なんかより遥かに経験豊富で、クィディッチに対する執念も強い。果たして彼を押しのけてお前が選ばれるなんてこと、あるかな」
 粗をつついてやろうというザビニの得意気な視線に、マルフォイは胸の中に喜びが満ちるのを感じた。シーカーに選ばれるのは、ほぼ決定事項だ。彼自身の実力は申し分ないし、マルフォイ家もスリザリンの勝利に貢献する準備は完璧に整っている。さらに、ヒッグスという大きな壁も、既にクリアしていた。

 自分の嫌味に不愉快になるどころか、ますます勝ち誇った表情を浮かべるマルフォイに、ザビニは冷めた顔で「ああそう」と呟く。
「なるほどな、既に結末は決まってるわけだ」
「さあ、どうかな。マルフォイ家がいくら素晴らしい家系だとは言え、クィディッチは血統で選ばれるわけじゃない。栄光に相応しい実力で選ばれるものだからな」
「御託はいいよ。お前は分かりやすすぎる」
 気分を害して負け惜しみのようなものを吐き捨て、ザビニはエントウィッスルとアクリントンを連れて大股で男子部屋に戻って行った。

 彼の背中を侮蔑と優越感を込めて見送ってやる。
 嫌味ったらしく敵対的なザビニを完璧にやり込めたことはマルフォイの機嫌をさらに向上させた。
 最近はシャルルの名声によって調子づいていたザビニだが、マルフォイの前では靴先の埃にすらならない。

 パンジーが感嘆のため息をついて、シャンデリアの光を瞳に反射しながらきらきらマルフォイを見上げた。
 素直で従順な彼女の態度に悪い気はしない。上機嫌のまま、パンジーの黒髪の先を軽くさらうと、パンジーは真っ赤になってマルフォイの腕をさらにきつく締め上げた。彼女の愛情表現は過激だが、その真っ直ぐな好意は自分の価値を正当に評価されている証だ。
 ふと、自分にそうしない1人の同級生の女の子が脳内に浮かんだ。
 ザビニみたいな軽薄な男と連日親しげに茶会をし、先日はセオドール・ノットの腕に絡みついて、ヒソヒソと言葉を交わしていたシャルル。まるで今のマルフォイとパンジーのように。

 それを思い出すと、満ち足りていた気分に水を刺されたように苛立ちが胸を掻き乱す気分になる。完璧に整った絵画に、消せもしない染みが滲んでいるような。
 彼女はパンジーとも、他の子女とも違う態度だった。ダフネとは親の関係でお互い婚約者候補のひとりという間柄ではあるが、お互いに深入りしない冷めた関係だ。トレイシーや他の純血子女はマルフォイ家に従順に媚びるか、恐れて一定の距離を保つ。
 シャルルだけが、マルフォイの周りを付かず離れずうろちょろしていたかと思えば、突然突き放したり、突然飛び込んだりしてくる。
 気まぐれの猫のようで、いつも彼女に自分のペースを乱され、彼女が何を考えているのかまったく読めなかった。癪なのは、マルフォイが彼女に対して、それを不快には感じていないことだった。

 シャルルはマルフォイの内心など知らず、談話室の本棚のそばでセオドールと何やら本を向かい合って眺めている。クィディッチで盛り上がる寮生や、マルフォイを始めとする選手たち、選手候補たちに何の関心も寄せていない。

 マルフォイは眉を顰める。
 僕が選手に選ばれたら、そんな風に他人事の顔で素知らぬふりも出来なくなるさ。
 内心で呟いて、マルフォイはパンジーに強請られるまま、自身の武勇伝を語り聞かせるため口を開いた。

*

 クィディッチ選抜戦には当然のようにシャルルも連れて行かれた。パンジーは朝から、まるで自分が試験を受けるかのように緊張して、忙しなく髪をといたり、駆け足になったり、深呼吸を繰り返していた。
「ドラコ、あなたなら大丈夫よね」
「絶対に受かるに決まっているわ。わたし、確信しているもの」
「ね、ドラコ、応援してるわ。頑張ってね。あなたのこと信じてる」

 たたでさえ多少緊張しているのに、何十回も朝から応援を投げつけられたマルフォイはとうとう「分かってる!」と声を荒らげた。
「君は僕にプレッシャーを与えたいのか!?」
「ごめんなさい、わたし、そんなつもりじゃ……ただ、緊張して……」
「どうして君がそこまで緊張するんだ?」
「だって……」
 マルフォイはため息をついて、ネクタイを直した。子犬のように涙を溜めて俯くパンジーに苛立ちが僅かにほぐれ、マルフォイは呆れの混じる柔らかな声を出した。
「応援は嬉しく思ってる。でも集中したいんだ」
「そうよね。分かったわ、邪魔してごめんなさい……気持ちが伝わっているなら良かったわ……」
「ああ。心配するな、パーキンソン。僕が落ちるわけないだろ?」
 マルフォイはクールに唇を釣り上げて、目を細めた。
「君は安心して、いつも通りただ僕を見ていればいい」
「ド、ドラコ……!」

 パンジーは真っ赤になって溶けきった声を出した。
 瞳には先程とは違う涙が浮かんでいる。ときめきで息も絶え絶えになったパンジーはよろよろとソファに崩れ落ちて、夢心地で彼の背中を見送った。

「ワーオ」
 ダフネが目をくりくりさせて口を開けた。林檎の乙女に駆け寄ると、シャルルは横から「きゃあ!」と黄色い声を上げて抱きついた。
「今のマルフォイ、とっても素敵じゃない?わたしまでドキドキしちゃった」
「彼があんなにキザなこと言うの、珍しいわ……。それが上手く決まるのはもっと珍しいわね」
 ダフネはまだ信じられないというように、しげしげと彼が去った方を眺めている。

「ああっ、ドラコ……これ以上好きにさせてどうするつもりなのよ……」
 顔を覆って泣き出したパンジーに目を剥いて、パッと身体を離す。「パ、パンジー?」
 戸惑いには彼女の鼻をすする音が返ってきた。
「嬉しいのにどうして泣くの……?」
 心底弱り切った声を出して、シャルルはシルクのハンカチで流れ出した雫を拭った。パンジーは少しして泣き止んで、恥ずかしそうに口を引き結び、眉を上げたり下げたりした。
 八つ当たりみたいにまだ赤みの残る頬で、「シャルルはこどもね。好きな気持ちは心臓をぎゅっと痛めるのよ!」と怒ったように言った。
 ダフネは照れくさそうに「その気持ち、わかるわ」と頷いている。
「泣いてるパンジーの方がこどもじゃないの……」
 シャルルは正論を言い返したが、なぜかその声は途方に暮れたこどもの負け惜しみのように響いた。


 ピッチの観客席の最前を陣取ったパンジーは祈るように競技場を見つめていた。ノットやトラヴァースやエントウィッスルが少し離れた席で足を組んで、冷静に見下ろしている。
 マルフォイがいくら箒の扱いに対して才能を示していても、ヒッグスを始めとして、有用な選手はたくさんいる。
 キャプテンのフリントが飛んできて、その後ろに選手達と、選手候補生達が続いてやってきた。
「あの箒……!」
 ダフネが驚愕で立ち上がった。
「何?」
「ニンバス2001よ!今年の最新作!さすがマルフォイね……」
「新しい箒?素晴らしい箒なのね?」
「ええ、あの箒に優るものは誰も持っていないと思うわよ」
 パンジーは顔を輝かせた。マルフォイは自信に満ちた顔つきでシャルル達の方に笑いかけた。トレイシーが何かに気付いて小さく叫んだ。
「ヒッグスがいるわ!」
「はぁ?そりゃいるでしょうよ」
 パンジーが困惑の声で答える。
「違うのよ。見て、後ろの席よ」

 興奮するトレイシーがこっそり指さした方に振り返ると、1番後ろの席にポツンと冷酷な顔をしたヒッグスが観察するように座って、マルフォイを注意深く眺めている。いつも穏やかで寛容な彼らしくない表情だった。
 混乱した口調でパンジーが言った。
「なんで?だってヒッグスは選手でしょ?」
「あんなところにいたら、まるでわたし達みたいに、選手を応援する人みたいだわ……」
 考え込むダフネの言葉でシャルルはピンと来た。テレンス・ヒッグスは今年最上級生だ。そして、彼についての話題を参加したパーティーで父親が幾人かの役人たちと話していたことを思い出した。

「そういえばお父様が夏仰ってたかも……。魔法省のスポーツ部の管理部長がスリザリンから引き入れたい選手がいるって。ヒッグスのクィディッチに対しての熱意と視点は確かなものだって」
「魔法ゲーム・スポーツ部の管理部長……?たしか、今はアンガス・プレンダーだったかしら?」
 即座にダフネが名前を引き継いだ。
 トレイシーが素早くまばたきをし、早口で言った。
「聞いたことあるわ!彼ってヒッグスの親族じゃなかった?彼が魔法省を目指してるっていうのは有名だし、もしかしてスカウトが来たんじゃない?」
「もしそうなら、今年クィディッチをしている余裕はないわよね。魔法省の試験は難関だし、N.E.S.T.試験も全てパスしなくちゃいけないもの」
 周囲の熱に釣られて、シャルルも少し興奮気味に分析し、小さな微笑を浮かべた。

 魔法省は人脈だけで入省出来るほど甘い組織ではない。もちろん家柄のアドバンテージはあるが、特に影響力が大きい部署ほど、個人の才覚が問われる。
 少女たちは思慮深く沈黙し、興奮と緊張感が流れ出した。
 パンジーが喜びに胸を弾けさせて破顔した。
「ヒッグスはシーカーを降りるのね!」
 後ろのヒッグスに聞こえないようにひそめてはいたが、パンジーの甲高い喜びの声は周囲によく通った。シャルルは慌てて後ろをさりげなく確認した。彼は穏やかで注意深い真顔のまま変化していない。幸いなことに聞こえなかったようだった。
 しかし、アラン・トラヴァースが軽く眉を上げて隣のエントウィッスルに話しかけたので、彼らにも情報は共有されたようだった。

 マルフォイのシーカー戦にあたり、1番の仮想敵はテレンス・ヒッグスだった。マルフォイは他の上級生には引けを取らない飛行術を会得している。
 胸を撫で下ろし完全にリラックスした表情で、パンジーはやっと身体の緊張が解けていくのを感じた。ダフネの言の通りなら、ニンバス2001まで手に入れたマルフォイを阻むものはないだろう。

 実際、マルフォイは規定事項のようにシーカーを獲得した。
 スニッチをピッチに解放して、1番最初に捕まえた生徒がシーカーに選ばれる単純なテストで、マルフォイは5分足らずでスニッチを手にした。
 彼より早くスニッチを見つけた上級生は、しかしマルフォイのタックルとニンバスの早さに体勢を崩し、いとも簡単に金の飛翔体をマルフォイは掴んで、見せびらかすように掲げてみせた。
 パンジーは狂喜乱舞して黄色い声で叫び、シャルルも彼に熱の篭った拍手を送らないわけにはいかなかった。
 2年生から正選手に抜擢されたのはマルフォイだけだ。
 チェイサーにエゴン・フォスターが立候補していたが、惜しくも彼は準選手という補欠止まりの結果に終わってしまった。
 称賛と歓声を一心に集めるマルフォイに、フォスターは靴底を地面に擦り付けて悔しげに俯き、彼の派閥のトップであるザビニは興ざめした顔で腕を組んでいた。

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