09

 マルフォイに手を引かれて俯いてシャルルは黙って歩いた。少し機嫌は浮上したが、気恥ずかしさは消えない。
 生徒の好奇心や驚きの視線がたまにチラチラ投げかけられた。
 DADAは午後の単元で、あとはもう夕食まで自由時間になっている。談話室に入るとダフネが「シャルル!」と駆け寄った。パンジーもソファから立ち上がったが、マルフォイとシャルルの手が繋がれているのを見て、ハッと足取りが止まる。
「あの……気の毒だったわね」
 気遣うように、気まずい顔で柔らかくダフネが声をかける。
「全く、本当に酷い目に合ったわ」
 シャルルはボスン!と雑な仕草でソファに身を投げ出した。いつも優雅で気品のある彼女らしくない行動に目が悪くなる。
「あなたがロックハートのファンだなんて知らなかった」
 トレイシーが瞳を三日月形に細めてシャルルをからかった。シャルルは肩を竦めて杖をローブから取り出して、
「オパグノ」
 と呪文を唱える。小鳥が舞ってトレイシーの髪の毛を啄み、彼女は驚いて小さく悲鳴を上げた。薄く笑って肩を竦める。
「トレイシー、よく鳴くあなたにピッタリのお友達よ」
 シャルルが今まで同寮の誰かに魔法をかけたことはない。
 少し青ざめて彼女を見ると、皮肉を口にするその顔は笑っていて、怒っているわけではなさそうで安堵し、トレイシーはきゃあきゃあ笑った。

「全員分かっているとは思うけれど、わたしがロックハートの信奉者だなんて、マルフォイがポッターと親友になるよりありえないことよ」
 シャルルは足を組んだ。スリザリン生は揃って頷いた。それにニッコリと満足そうに頷く。


 スリザリン生に釘を刺したシャルルだったが、噂はすでにホグワーツの中に広まっているようだった。夕食のために食堂に行くと、彼女を見て意味ありげな視線を交わし合う生徒や、ニヤニヤと唇を歪める生徒、意外そうに観察する生徒の視線に晒されてシャルルはうんざりした。
 何より辟易としたのは、悪意のある視線や観察する視線に交じって、一部の女子生徒たちから熱のこもった共感の視線を向けられることだった。
 その中にはハーマイオニー・グレンジャーからの視線もあった。
 自分の頬が紅潮したり、強ばらないように意識的に微笑みを引き締める。

 ローストビーフとジャケットポテトを食べていると、赤いローブを纏った数人がテーブルの近くに寄ってきた。
 濃い茶髪のその生徒は同学年だったが、名前を覚えていなかった。以前絡まれた時に無視して歩いていたら杖を取り出したので、呪文クラブで習った魔法を試すいい機会だと思い、口いっぱいに「エバブリオ」で弾力のある泡を詰め込んで去って以来、何かと突っかかってくる男子生徒だった。
 彼は勝ち誇った顔で、椅子に座っているシャルルを見下ろしていた。
「聞いたぜ、スチュアート。お高くとまっているお前がまさか、あいつに熱を上げてるなんてな」
「黙りなさい、バルテル!」
 パンジーが鼻にシワを寄せてシャルルの代わりに怒鳴った。バルテルは面白そうにニヤニヤして、周囲の男子生徒と顔を見合せる。
 近くに座っていたダフネやトレイシーが顔を顰め、マルフォイやノットが不愉快そうな顔でバルテルを見ている。

「ハハ、ヒロインに抜擢され、ロックハートに守ってもらえて、泣くほど感激したらしいじゃねえか?」
 彼は肩をいからせて、残酷な笑い声を上げた。大声にグリフィンドールのテーブルからも悪意に満ちた嘲笑が響く。
 パンジーとダフネや何かを言い返し、バルテルもそれに応戦したが、肝心の渦中の人物は何も言わない。
 様子を伺うと、シャルルは黙って食事を進めていた。顔色も、仕草も変わることなく、いつも通りのにやついた微笑を浮かべているシャルルに彼はいきり立った。
「オイオイ、何か言ったらどうなんだ?図星で言葉も忘れたらしいな!
 でもまあちょうどいいや。生意気なスチュアートがサンドバッグになってくれる機会はそう多くないからな」
 スープを飲み終わったシャルルはスッと立ち上がり、バルテルは少し肩を揺らした。それを誤魔化すように余裕ぶって顎を上げ、シャルルを見下ろした。彼女はローブと制服のプリーツの乱れを直し、パンジーに「先に戻ってるわ」と微笑んだ。

「逃げるんだな、スチュアート!」
 バルテルが勝ち誇ったように叫んだ。
「それで?またロックハートに守ってもらうのか?男の子にからかわれて傷ついたわ、とでも言えば、あいつはお前をか弱いレディのように扱ってくれるかもな」
 シャルルはゆっくりとバルテルの瞳を見た。そして意識的に、花が綻ぶような、淡く、それでいて気品に満ちた優しい微笑みを投げかける。
 少しの間彼を目を細めてフレンドリーに見つめていると、彼はたじろいで、何かをもごもご言った。次第に口を閉じて頬を紅潮させる。
 彼女の美貌が男子生徒に対して絶大な効果を発揮することはわかっていた。たとえそれが、自分に対して敵対的な言動をする愚かな男の子であってもだ。
 シャルルは優雅に口元に手を添え、クスッ……と軽く笑った。
 近くの生徒がシャルルに見蕩れたり、興味深そうにジロジロと眺めている。

「あなたみたいな人が、どうしてわたしに相手をしてもらえると思ったの?」
「なっ……!」
 バルテルの頬が急激に熱を帯び、眉を釣り上げる。絶句する彼にシャルルは言った。
「鏡を見たことがないみたいね。わたしに気があるなら、生まれるところからやり直してきてくださらない?
 生憎わたしは、トロールを相手にするほど趣味が悪くないわ」
 彼の顔から足先まで検分するように見つめ鼻を鳴らし、涙袋を浮き上がらせて嘲笑すると、スリザリンテーブルから囃し立てるような笑い声と野次が湧いた。
「誰がお前なんかに気が……っ!」
 手のひらを上げて、バルテルをさっと制止する。
「喋らないで。悪臭が移っちゃう」
 鼻をつまんで「おええ」とはしたないジェスチャーをして見せると、プリーツスカートを指先でつまんで恭しくお辞儀をした。
「それではごきげんよう。
 わたしにかまって欲しいなら、もっと素敵になってから出直してちょうだいね。
 そうね、マルフォイやセオドールや……」
 突然自分の名を呼ばれたふたりが目を丸くしたり、眉を上げたので可愛らしく微笑んでおく。ついでに、彼の名声を高め、恩を売るいい機会かもしれないと思い、目を見つめながら彼の名前も呼んでおく。
「ザビニのような気品ある男の子になれたなら……会話くらいはまたしてあげるわ」

 暗になれるとは思わないけれどね、と瞳で嘲笑い、シャルルは背を向けた。
 バルテルの怒鳴り声や、グリフィンドールの野次や、スリザリンの哄笑が背後で響いていたが、その全てを置いてシャルルは広間を出た。

 清々しい達成感を感じつつも、シャルルは小さく嘆息する。
 あんな小物を相手にするのは馬鹿らしい。いつもなら無視して呪文を掛けて終わりにするところだ。
 でも、公衆の面前でスリザリンに喧嘩を売られたなら、寮の面子にかけて応戦しない訳にはいかない。スリザリンもシャルルも、言われっぱなしのままでいると舐められてしまう。

 それにしても……あのバルテルの顔!
 シャルルは零れる笑い声を抑えられなかった。
 魅力的な表情で見つめるだけで、あんなにも劇的に照れて見惚れるのだから、単純で笑ってしまう。スリザリンの男の子はあんなに簡単に照れたりしないのに。
 やっぱり上品な女の子に慣れていないのだろうか?
 それとも自分に気があると錯覚させる笑顔を浮かべる女の子が少ないのだろうか?
 それとも……シャルルのことが好きなのだろうか?
 唇を歪めて、胸の中で満足そうに呟く。

 やっぱり、ザビニと手を組んだのは間違っていない。
 彼に去年教わった、異性に対する効果的なアプローチのうち、こんなに初歩的な技術で自分に敵意を持つ相手から、戦意喪失させることが出来た。

 スリザリン寮へ向かうシャルルの足取りは軽かった。

*

 寮に戻ってきたシャルルは友人たちに取り囲まれ、口々に投げかけられる賞賛を微笑みを持って受け取った。
「シャルル!あなた最高だわ!」
「あんなに痛烈にやり返すなんて珍しいわね」
「あの真っ赤なトロールの顔、見た?身の程知らずにもほどがあるよね」
 トレイシーが首を竦めて馬鹿にしたように言い放つ。マルフォイも満足そうで、上級生たちもシャルルをそれぞれに褒めた。
 下級生たちが、暖炉の前に集まる高名な家系の生徒たちを憧れの目で見つめ、その中心にいるシャルルに対して尊敬の色を含んだ熱意の眼差しを注いでいた。
 ザビニと目が合う。
 彼は嬉しそうに唇を釣り上げた。きちんとシャルルの意図が伝わっていたようだ。
 しかし、セオドールは彼女に近付いて来なかった。
 談話室の奥でつまらなそうに足を組んで、時折物言いたげな視線を投げてよこした。
 彼がザビニと犬猿の仲であることは知っている。知っていて、シャルルはザビニと親しくなることを選んだ。
 しかし、それは決してセオドールとの友情を軽視して投げ捨てることにはならない。
 まだ話したそうな周囲の友人たちを宥め、人の輪からスルリと抜け出してシャルルは彼の座るソファに向かった。

「ハアイ、セオドール。隣いいかしら?」
 彼は肩を竦めて視線を外した。
「ありがとう」
 いつもは十分なスペースを開けて座るところを、ぴったりと隙間なく彼の横に座ると、セオドールはピクリと震えてシャルルを怪訝そうに見た。
「やっと目が合ったわね」
「僕に何か用か?あっちの方で君を待ってる連中がいるけど」
「わたしはあなたと話したいのよ」
「そうか」
 
 セオドールは興味をなくしたように顔を背けた。
「あなたの忠告は覚えているわ」
「じゃあ聞く気がないんだな」
「そうじゃないわ。ただ、ザビニは純血だし、彼がわたしを利用するように、わたしも彼を利用したいと思ったの」
 セオドールは微かに吐息を漏らした。それは完全に嘲笑だったが、めげずに言葉を重ねた。
「ザビニに心を許すことは無いわ。彼との間にあるものは友情じゃないの。セオドール、あなたに向けるものとは違って……」
「興味無いよ」
 彼は冷たく言った。
「シャルル、君が選んだことを僕に弁明する必要はない」
 突き放した言い方をして、彼が話は終わりだ、というように立ち上がる雰囲気を感じたので、シャルルは逃がさないために彼の腕を反射的に掴んだ。
 立ち上がりかけた壁の腰を引っ張って戻し、シャルルは腕を絡め、反対の手でセオドールの腕を抑えた。
「まだ何かあるのか?」
 呆れた声だった。ずっと彼からの怒りは感じない。しかし、それが逆に彼の心がスッと離れていってしまったような気がする。それは悲しいし、絶対に嫌だった。
 シャルルは強欲で、傲慢なスリザリンの女だ。
 手に入れたものを諦める気は一切無い。

「前に話したよね。あなたにだけ」
 諦めたようにセオドールは脱力して、腕をシャルルに好きなようにさせたまま、「何を?」と呟いた。
「わたしなりの何かを成し遂げてみたいって……何かを変えてみたいって」
「ああ……」
「そのためには他人をコントロールする術と、他人を上手く利用する術を学ばなければならないでしょ?」
「僕らにはそんなもの生まれた時から身に付いている」
「そうだけど、もっと高度にそれをしたいと思ったのよ。命令しなくても、他人が望んで動くように」
「それをザビニは身に付けてるって?」
 挑発的にセオドールが顎を上げた。横目で睨む視線の先には、上級生の女子生徒を肩に抱いて、ブルストロードやリッチモンド、エントウィッスルたちと談笑する得意げなザビニが座っている。
「他人に媚びたり、甘い汁を啜るのが上手いというのは、他人の機微を読むのが上手いという事なのよ。トレイシーを見て?あの子の家は有力じゃないけれど、あの子はスリザリンで一定を地位を築いているわ」
「ザビニや君を利用して、か。やりたいことは分かったよ」
 セオドールは首を傾けて、うっすらと唇を緩めた。彼に漂っていた頑なな雰囲気が霧散してシャルルの強ばりが解ける。
「よかった……」
 自分で自覚する以上に、セオドールから拒絶されることの恐れがあったらしく、シャルルの心臓は少し鼓動を速めていた。
 力が抜けて、セオドールの肩に頭を乗せる。
「なんだよ。そんなに怖かったのか?僕に嫌われることが?」
 軽い口調でからかう言葉に「当然じゃない。あなたはわたしの唯一の男友達なのよ」と軽く睨むと、何故かセオドールは一瞬口をつぐみ、気が抜けたように笑った。
「じゃあ最初からザビニなんか相手にしなければ良かったんだ。知ってたけど、君は傲慢だな」
「スリザリンだもの」
「全く君らしいよ」
 嬉しくてクスクス笑うシャルルと、常になく穏やかな顔つきのセオドールが寄り添うのを、マルフォイが信じられないものを見るように固まって凝視していた。眉を顰めたマルフォイの横顔を、パンジーが見つめて、寂しそうにしていたことに、だれも気づかなかった。
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