12

 ハロウィーンの朝は城全体に漂う甘い匂いから始まった。朝食のパンプキンに舌鼓を打ち、ふくろう通販でこっそりと買ったお菓子をローブに大量に隠す。
 屋敷ではハロウィーンの日には仮装をして両親に悪戯を仕掛けに行くのだが、ホグワーツ城では残念ながらそういうことをする人はいないみたいだった。

 地下から魔法史の授業に向かう途中、顔を覆って走る女の子がシャルルの肩にぶつかった。赤のローブ。グリフィンドール生の無礼にパンジーがいきり立つ。
「どこ見て歩いてるのよ!」
「ご、ごめんなさい…」
 聞き覚えのある声で少女を見つめると、すれ違い様に涙を零れそうなほど浮かべた瞳と目が合った。
 彼女だ……。
 目を丸くするシャルルからふいと顔をそむけて、栗毛の少女は走り去って行った。パンジーが横で意地悪く笑っていた。
「今のグレンジャーじゃない?」
「あの子も泣くのね」
 感慨深く呟いたシャルルに少女たちがクスクス笑った。
「ヒステリーでバッグなあの女にもマトモなところがあったのね。てっきりゴブリンなのかと思ってた」
 パンジーが悪意を持って口を大きく歪めた。脳裏に図書室での縋るような目線や、さっきの潤んだ瞳がよぎった。
 だが、結局シャルルはパンジーたちとともにクスクスと笑うことを選んだ。シャルルは残酷ではないが、他人にひどく無関心だった。



 ハロウィーンのDADAの授業は最低だった。死者の日だからかクィレルは常以上に怯え、にんにくの匂いが噎せ返るようだった。吸血鬼が今にも襲いかかって来るとでも言いたげに、扉のそばには乾いたにんにくと粗末な十字架がこれみよがしに垂れ下がっている。

 教室の窓側のいちばん奥の席が、DADAの授業でのシャルルの特等席だ。クラッブとゴイルをお菓子で懐柔し前に座らせ、大きなふたりに隠れるようにしてシャルルはパンジーやダフネとひっそりとおしゃべりに花を咲かせる。
 窓際なのできつい匂いも幾分かは和らいだ。シャルルはローブの内ポケットからヌガーとキャンディを両手のひらいっぱい握り、クラッブとゴイルに正当な報酬を支払った。
「あなた達はあとで食べるのよ…我慢出来たらハロウィーン用の特別なお菓子をあげる」
 しっかりと釘を刺すのを忘れない。ふたりは本当にお菓子を横目でチラチラみたがらも、うんうんとおおきく首を縦に振ったので、シャルルも満足げにちいさく頷いた。これで自由は手に入れられただろう。


 今日のDADAで隣に座ったのはパンジーだった。斜め前にはパンジーのメイドのターニャ・レイジーもいる。シャルルはパンジーと目配せして、防衛術の教科書を机の上に立てると頭を寄せあった。
「特別なお菓子ってなんなの?」
 パンジーが期待を込めた声で囁いた。もったいぶって、シャルルはゆっくりとローブに手を入れた。
「ねえ、いいじゃない。意地悪ね」
 シャルルの肩をちいさく小突いてパンジーが笑った。せっかちな彼女に答えるように、名前は机の上にそれを置いた。

「ワオ…」
 それはクッキーだった。けれどもちろん、ただのクッキーではない。
 ひとつは宝石のように煌めくジャムが中央に練り込まれていて、口の中でぱちぱちと弾けた。ひとつには花が咲いていた。季節も色もとりどりの甘やかな花だ。小さな鳥が花の周りを飛んで一部になった。ひとつは海があり、砂浜があった。しっとりとした真白なクッキーの上で、小さく波打ち、貝が踊っていた。

 感嘆の声を漏らして見蕩れていたパンジーが「これ、これってパティシエール・ミニレムの限定ものでしょう?」と、興奮したように囁いた。得意げにシャルルは顎を上げる。
「お母様はハロウィーンとか、クリスマスとか、イースターとか…そういう伝統的な催しが大好きなの」
「でも簡単に手に入るものじゃないわ」
「マダム・ミニレムはお母様の広めたハーブティーの虜よ」
 シャルルは訳知り顔で囁いた。彼女の母、アナスタシアはハーブを中心に多くの名声を得た薬草学者だった。
「ああ、素晴らしいわ!彼女の作るスイーツはどれも逸品よ」
「これはほんの一部なの。午後には庭でパーティをしましょう。あるいは部屋で、眠る前に」
「完璧なアイディアだわ」
 ふたりは微笑み合った。


 スイーツについて有意義な議論を交わし、教室を出ていこうとすると、後ろから呼び止められてシャルルは振り向いた。
 かたくなに目を合わせようとせず、クィレル・クィリナスが小刻みに体を揺らして、「す、少しだけお話が…お、お時間はそう多くは、と、取らないので」と早口でまくし立てた。
 怪訝な顔でふたりは顔を見合せ、「最初に行ってるわね」とパンジーが出ていく。目が、あとで詳しくきかせてちょうだいよ?と伝えてきていたので、シャルルは肩をすくめてクィリナスに向き合った。

 クィリナスはせわしなく目を動かしながら、言葉をつまらせて指先をいじっていた。この教師と顔をきちんと合わせるのは初めてだったが、シャルルは早くも少し辟易とし始めていた。他人のペースに合わせるのはあまり好きなことではない。
 だがシャルルはクィリナスを急かすことはせずに、落ち着いた微笑みを浮かべながら彼の瞳を覗き込んで、視線だけで上品に話を促した。

「わ、わたしはクラスの様子にび、敏感です」
 クィリナスが唐突に言って、シャルルの瞳を見つめた。すぐに逸らされたが、見上げるような視線だった。
「お、お、美味しかったですか?き、今日は素敵なハロウィーンで、ですからね」
 今度はシャルルが目をそらす番だった。見抜かれていたのだ。
「未熟な教師とは言え、わ、わたしは、ル、ルール違反には、対処をし、しなければなりません。ミ、ミス・スチュアート?水曜日の夜は、あ、空いていますか?」
「教授」シャルルはクィリナスの言葉を遮った。

「教授、たしかにわたしは授業にきちんと集中出来ていませんでした。さらには、不要なものを持ち込んでいた。それは事実です。けれど、罰則というのはあまりにも重い対応ではありませんか?」
 意図的に眉を哀れに下げて、シャルルは儚げに目を伏せた。
「わたしにあなたの授業を邪魔する意図はありませんでした。けれど、スリザリンにはそういう生徒が多すぎます。クィリナス教授?わたしはあなたを嘲笑ったことはいちどもありません」
 シャルルは黙ってクィリナスをじっと見た。オドオドと何回か目を合わせたクィリナスに優しげに微笑んでみせる。
 クィリナスはひととき逡巡したあと、躊躇いがちに口を開いた。
「わ、わ、わかりました。そ、それでは、スリザリンは10点減点…と、い、いうことにします」
 唇を濡らして、顔色を伺うようにクィリナスがそう言ったのを見て、シャルルは内心で勝利を喜んだ。
「ありがとうございます。あなたは寛大な教師ですね」

 話は終わったと思ったが、クィリナスはシャルルを引き止めるようになおも言葉を続けた。
「ミ、ミス・スチュアート、あ、あなたの両親はどんな方なのですか?」
「…なぜ両親のことを?」
 怪訝に首を傾げるシャルルに、慌ててクィリナスは首を振った。
「わ、わたしは、ど、どうも話をするのが、じょうずではないのです」
 口元に笑みを浮かべてシャルルは答えた。彼はコミュニケーションがたしかに苦手そうに見える。
「陽気で厳しい父に、繊細で気丈な母です」
「よ、良い人たちなのでしょうね。あ、あなたを見ればわかります」

 嫌味だろうか?
 しかしクィリナスは目元を緩めていたので、恐らく他意はないはずだ。シャルルは賞賛を素直に受け取ることにした。
「彼らはとても偉大で愛情深い。わたしの誇りです」
「か、彼らのお名前はなんと?」
 そんなことを知りたい理由がわからず、一瞬躊躇ったが、良好な雰囲気に水を差すのも望ましくなかった。
「ヨシュアとアナスタシア…ふたりの名前です」
「本当に?」
「え?」

 クィリナスが一瞬睨めつけるような鋭い目付きをして、底冷えのするような声音を出したように感じた。しかし彼の顔をまじまじと見つめても、確かに感じたはずの氷のようなぞっとする冷たさは欠片も見当たらない。気のせいだったのだろうか。

 シャルルは無意識に指を弄び、顔に浮かべる笑顔を決して誰にも貶せないような、完璧なものへと変えた。戸惑いもいつの間にか表情から消されていた。
 完璧なスチュアートの令嬢は、花が蕾むようなほがらかな声で「そろそろお暇しなくては」と切り出した。思ったより穏やかな時間を過ごせたが、長居したい場所ではなかった。
「それでは教授、また次の授業で」
 ちいさく腰を下げてシャルルはほんの少し早足で歩き出した。理由のわからない微かな焦燥感と違和感、戸惑い、そして光るような目で睨む「本当に?」クィリナスの言葉を思い出した。

 パンジーに詮索された時も、罰則にされそうになったことを面白おかしく話してみせたが、何故か家族について語らったことは言う気にならなかった。睨む目付きを思い出し、しかしパンジーと話しているうちに、シャルルの中にあった微かな危機感は次第に忘れ去ってしまった。




 大広間は見事な様相だった。スチュアート家は人数が少ないながら、いつも大々的に屋敷を飾り付けたり、イベントらしい雰囲気を楽しめるよう趣を凝らしていたが、ホグワーツはそれをいとも簡単に上回った。
 広大な広間に垂れ込めていた重厚な垂れ幕は、羽根を羽ばたかせ蠢く蝙蝠の群れだった。頭上を真っ黒に覆い、風に揺れるカーテンのようにゆらいでいる。テーブルの上や広間の照明にはジャック・オー・ランタンやスィード・ランタンが使われていて、蝋燭の炎が幻想的に大広間を演出する。いつもより薄暗く、何もかもが揺らめいている空間はまさにハロウィーンに相応しく、美しく魅惑的だった。

「ホグワーツって思ってたより悪くないかもしれないわね」
 パンジーが目の前のランタンを見つめながら呟いた。炎が小人の形になってくるくる回っている。
「こんなに素敵な装飾がされるなんて思わなかった」
 シャルルの左に座っていたダフネが彼女の言葉に答えた。ふたりが共に行動することは珍しい。
「今日のメニューは特別仕様になるかしら?」
 大広間は既にいい匂いが漂っていたので、シャルルはディナーに思いを馳せた。パンプキン・パイにかぼちゃジュースは当然として、バーンブラックやデビルト・エッグなんかも欠かせない。庶民的すぎるけれど、コルカノンもあったら嬉しくなる。デザートはトフィーアップルが出たら素敵ね……。
 夢想するシャルルに苦笑し、パンジーとダフネが会話に加わった。彼女たちの頭の中は食べ物でいっぱいになった。

 ダンブルドアが指を鳴らすと、机上に魔法で次々と豪勢な食事が並べられた。色々な種類の色々な国のハロウィーンの伝統料理。
 ターニャ・レイジーが無言でセンスよくお皿に料理を盛り付けてくれた。大広間にはいつの間にか重々しいクラシックが流れていて、雰囲気が高まっている。

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