シュガーレス | ナノ
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11

 盆が明けると二学期が始まる。教室に入ると、すでに多くのクラスメイトが登校していて賑やかだった。
 学校が始まれば、裏庭で光来や幸郎と過ごす昼休みもまた再開される。ただ、足を向けるのは一学期よりも億劫ではなくなった。登校初日に幸郎と廊下で会って挨拶をされたが、返した「おはよう」はつっかえなかった。
 毎回行くのは面倒だからもう迎えに行かないと光来に宣言され、裏庭へ行くか行かないかの選択は実質ひよりに預けられた形になったが、ひよりは自分の意思で火曜と金曜は裏庭へ向かっている。
 夏だからか、日差しの入りにくい裏庭はなかなか人気のようで、ベンチが一つしか空いてないときもあれば、すべて先客で埋まっているときもある。
 座れなければ適当な場所を見つけて立ち話になるのでいいのだが、ベンチが一つだけのときが問題で、誰がどう座るかから考えなければならなかった。
 ひよりだけが立つ、幸郎だけが立つ、と譲り合った結果、光来を真ん中にして三人で座ることになった。ベンチはもともと三人掛けで、両端に手すりもないため思ったより窮屈ではない。

「ひよりちゃんは体育祭で何に出るとか決まった?」
「え……大玉送り」

 従兄を挟んでいるとはいえ、一学期よりも近い距離。でも一学期より緊張はせず、午前中に体育祭に向けての話し合いで決まった自分の競技もはっきり伝えられた。

「俺と光来くんはね、徒競走と全校リレー」
「へえ……」
「楽しみだな、光来くんを負かすの」
「おい、なんでお前が勝つ前提なんだよ」
「だってほら、リーチがね」

 自分の足を指差す幸郎に、光来の後頭部から殺気を感じる。
 体育祭での組み分けは、一組や三組などの奇数組と、二組や四組などの偶数組で二つに分かれ、奇数組が青、偶数組は白だ。定番の紅白ではなく青白なのは、鴎台高校のシンボルカラーが青と白だからだろう。
 幸郎は青組、光来とひよりは白組。光来は元々負けず嫌いだし、幸郎は光来の反応が楽しくて絡んでいるだけだと分かるが、必要のない言い争いはやめてほしい。

「お前らそこで何やってんだ?」

 会話に割り込んだのは、ひよりでも幸郎でも光来でもない。まったく別から差し込まれ、皆がそちらを向いた。
 校舎に繋がる通路からこちらに歩いて来るのは、異様に大きな人間。制服は光来たちと同じ学生服なのに、全然違う服を着ているみたいに見えた。
 ぞわ、と心臓がひんやりして、凍えて震え出すみたいに動悸がする。全身の筋肉が抜け落ちたみたいになるのに、どうしようもない恐ろしさで竦んだ肩にだけは力が入る。

「芽生、ストップ」
「は?」
「そこで止まって」

 俯いてしまい見えないが、幸郎と、委員会終わりに遭遇したバレー部員――白馬芽生とのやりとりが鼓膜に届く。
 光来が伏せるひよりを覗き込んで「大丈夫か」と顔色を確かめてくる。頼れる光来が居ると分かっていても、それでも不安感はちっとも引っ込む気配がなくて、体がすっかり折れ曲がってしまわぬように、腿に手を突き堪えるので精いっぱい。

「誰?」

 白馬の訊ねる声。誰を指しているのかは見えなくても分かる。

「俺の従妹」
「お前の従妹っていうと……」
「化け物扱いされたーって嘆いてた子」
「ああ、あんときの!」

 幸郎に言われて、ようやくひよりとの一件を記憶から引っ張り出せたらしい。

「俺、やっぱり怖がられてる?」
「男ってだけで怖いし、デカいのはさらに怖いから、芽生は怖いの二乗」
「マジかよ。つうか幸郎だってデカいだろ。怖いのジジョーじゃねえの」
「俺は時間をかけて慣れてもらったからね。俺だって初めて会ったときは逃げられたし、まともに目も合わなかったよ」

 やりとりを聞きながら、幸郎との初対面を思い出す。隙を見て全力で逃げ、次に会ったときも逃げ、三度目は逃げられず、いやいやながらも幸郎と会う場を強引に設けられた。
 ひよりの心身に大層な負荷のかかる訓練だったが、幸郎に対する恐れは少しずつ削れていった。もちろん男子全般は今でも恐怖の対象だが、彼自身が言うように幸郎には慣れたので、ちょっとくらいなら顔を見て話せるようにもなった。
 今なら、というか今しかチャンスがないのでは。今を逃したら、光来がそばに居て白馬と対峙できる機会を、自分から申し出なくてはならなくなる。そんな勇気がいつ出来上がるかも分からない。今しかないと思う。

「あ、あのおっ」

 体が自分で制御できないので、力の入れ方を忘れた声はひっくり返った。藁に縋るように、隣に座る光来の、出しっぱなしのシャツの裾を掴む。

「ご……ごぉ、ごめんな、さい……でした」

 蚊の鳴くような声というのを、まさか自分が発するとは考えたこともなかった。

「え? なんて?」
「ごめんなさいでした、って」
「ごめんなさい? 何が?」

 聞き取れなかった白馬に幸郎が答えるが、まるでピンと来ていないらしい。

「お前、ひよりに怖がられて傷ついたんだろ?」
「俺そんなこと言ったっけ?」
「ひよりがそう言われたってさ」

 ぎくりと体が跳ねる。なんだか自分が陰でこそこそと白馬について話したみたいに思われそうで、光来にもっと言葉を選んでほしかったと、実際そうなのだが自己保身から恨めしくなる。

「すまん、全然覚えてないわ」

 なぜか白馬の方が申し訳なさそうに言い、幸郎が「だろうね」と一言添えた。

「まあ、忘れてるってことは俺にとっちゃそこまで大したことじゃなかったんだし、あんまり気にすんなよ」

 見えない彼の言葉に、ふっと体が軽くなる。丸めた上体をそのままに少し頭を上げると、視界に白馬らしき足下が見えた。大きな上履き。足首から膝までが長くて、どれだけ大きいのだと恐ろしく、それ以上は視線を上げられない。
 そこへ、急に幸郎の顔が割り込んできた。同じように背を丸め、ぎょっとしたひよりをじいっと見る。黒目がちな双眸が山なりになって、涙袋がふっくらと浮かび上がった。

「よかったね、引きこもりが遠ざかったよ」

 数か月ほど幸郎と交流し、彼のちょっとクセのある人となりを知ったひよりには、本心から言っているのか疑わしかった。
 けれど抱えていたモヤモヤを手放せて、空いたその隙間がじわじわと達成感で満たされていく今は、引き結んだ唇をちょっとだけ笑みの形に作れたと思う。



 九月に入っても地面からの照り返しが眩しく、夏の暑さはまだ続いている。
 とはいえ窓を開ければ冷房要らずで過ごせる日もあり、暑い日や肌寒い日、心地よい日と繰り返して、着実に空気は秋に染まっていく。
 体育祭当日はすっきり晴れていた。美術部が製作した、青組と白組のベニヤのパネルに吹きつける風は多少強いが、日差しもあって体感としては涼しいくらいだ。
 本部テントを中心とし、トラックを囲うように青と白で分かれ、自分たちの組へ声援を送る。大きな旗が振られるたびに、空を切る鈍い音が響いた。
 大玉送りは全学年の女子から決められた人数が参加し、ひよりも友人と共に白組の一人として懸命に手を動かし大玉を送った。
 端から端までの一往復を二回戦行い、どちらも白が勝った。大玉には一度だけ指先をかすめたくらいで、試合に貢献したとは到底言えないが、勝利は純粋に嬉しい。

「あ。あれ、幸郎くんじゃない?」

 自分たちの席に戻る途中、友人が指差した先には、次の競技である男子の徒競走に出場する生徒たちが、スタート位置に移動しているところだった。
 背の高い幸郎は遠くからでも分かりやすい。幸郎だけじゃなく、同じバレー部の白馬らしき人影も見えた。直視するより先に目を逸らしたので恐らくだが、あれだけ大きな背丈はそうそういない。

「徒競走に出るんだ。速いのかなぁ?」
「さあ……どうだろう?」
「あっ、星海くんもいる。星海くんは?」
「光ちゃんは速いと思うよ。学校は違ったけど大体いつも一位獲ってたって聞くし、リレーも毎年選ばれてたって」

 従兄妹ゆえに互いの情報は共有している。自分が言わずとも勝手に親が話すので、ひよりが小学一年生の頃に友達とかくれんぼをしていて、隠れるために木に登ったはいいが高所に恐怖して降りられず号泣し、友達が自宅に居た親を連れて来てくれてなんとか降りられたという恥ずかしいエピソードまで、光来だけでなく親戚中に知れ渡っている。
 自分たちの席に着くと、ちょうど徒競走が始まった。青と白の鉢巻の男子たちが、それぞれのレーンに立ち、ピストルの音と共に駆けていく。
 何組か走ったのち、光来たちの番が来た。光来、幸郎、一人白組を挟んで白馬。

「大きい人がもう一人いるねぇ」
「あの人もバレー部だって」
「そっか。大きいねぇ」

 しみじみ言う友人に無言で頷く。スタート位置はここからかなり遠くなので、これだけ距離があれば白馬にもしっかり目を向けられた。大きい。二人揃っているから余計に大きさを感じるし、こうして遠くから比べると光来がさらに小さく見える。
 パン、と乾いた音が響き、全員が一斉に走り出す。光来はとにかく脚の回転が速い。対して幸郎と白馬は長身に備わった長い脚で一歩の距離を自然と稼いでいる。
 ぐるりと半周回って、ゴールテープを切ったのは光来と幸郎がほぼ同時。どっちだとざわつく中、体育教師により一着は幸郎だと判断が下された。光来が二番目、白馬は少し遅れて三番目で、上位はすべてバレー部になった。

「二人とも速い。バレーやってると足も速くなるのかなぁ?」
「うーん……どうだろうね」

 バレーをしているからというより、単に日頃から運動をしていて筋肉がしっかりついているから、脚力も十分にあるのではないか、とひよりは思うが正解はよく分からない。
 競技を終えた走者が待機する列に並ぶ光来は、ここからでもその不機嫌さが容易に伝わる。隣の幸郎が話しかけぎゃんぎゃんと噛みつき、白馬がそこに加わるとさらに騒がしくなり、先生から注意されていた。



 競技の合間を見て、ひよりはトイレに向かった。最初は一番近いトイレを目指していたが、上級生たちが複数人で入っていくのが見えたので、もう少し先にある校舎内のトイレに進路を変えた。
 用を済ませ、鏡があるのでついでに鉢巻を結び直した。ヘアアレンジが得意な子は可愛く編み込みをしていたり、ただのポニーテールではなくて一工夫してあったりと、教師からのお小言が飛んでこない程度に華やかにしているが、ひよりにはできない。やってみようとするもなかなかうまくいかず、そのうち腕が疲れて放り出してしまう。オシャレには根性と筋肉が必要なのだ。
 トイレから出てグラウンドへ戻るべく進んでいると、前方に人の固まり。生徒は全員体操服を着ているはずが、見える人影の服装は体操服でも制服でもない。
 団体が着用しているのが運動部のユニフォームだと気づき、そういえばクラブ対抗リレーがあることを思い出した。順位によって得られる点はない、イベント種目の一つだ。
 皆それぞれの部室で着替え、グラウンドへ向かっている途中に遭遇してしまったらしい。女子テニスやバスケの団体も見えるが、男子の姿もある。
 さあっ、と血の気が引いたが、各部活で集まっているので、男子を避け女子のそばだけを通れなくもない。
 必死な思いでルートを探して選んで、身を縮こませ進んでいたら、集団の中に紛れていた従兄とちょうど目が合った。

「あれ。ひよりちゃんだ」

 目が合ったのは光来だが、声をかけてきたのは光来の隣に立っていた幸郎。二人とも白地に青のラインや文字の入ったユニフォームを着ている。他の部活に倣うなら、鴎台男子バレー部のユニフォームだろう。
 ひよりにとっては女子と同じくらい安全地帯の二人だが、わざわざそちらに寄る必要はない。でも普段見かけない格好の物珍しさに引かれ、ちょっとだけと近くに歩み寄った。

「走る……の?」
「そうだよ。一年で出るのは俺と光来くんと芽生」

 芽生、と名が出て体が強張る。確かに幸郎のちょっと後ろに白馬の頭が見えるが、誰かと話しているようでひよりには気づいていない。

「今度も俺の勝ちかな」
「ア? 次は俺が勝つ」

 幸郎の発言に、光来はぎろりと睨んで強く返した。徒競走では惜しくも勝ちを逃した光来は、いつになく勝敗に敏感らしい。

「同じチームなのに」
「同じだろうが何だろうが俺が勝つ」
「なにそれ」

 まったく理解できない感性だが、バレー部の順位が良くて光来の納得がいく走りができたなら、徒競走で損ねた機嫌もマシになるだろう。

「応援よろしくね」
「え……う、ん……頑張って」

 幸郎に頼まれたから、ではあったが、とりあえず二人に向けて言葉をかけた。その声が聞こえたのかそれとも偶然か、バレー部の集団からでも一つ飛び抜けた後頭部が、こちらを振り向く素振りが見え、

「じゃあねっ」

と急いで二人に背を向け、足早にその場から去った。もちろん男子の固まりを避けたので、ジグザグと隙間を縫ったせいで時間はかかったが、クラブ対抗リレーが始まる前には席に戻った。
 応援席には空席がいくつもあって、ひよりのようにトイレに行っている者もいれば、リレーに出る選手や実行委員などで作業に出ている人もいるらしく、譲り合う形で仲の良い者同士で集まり、自由に座っている。ひよりも友人の隣の空いている席を見つけ、腰を下ろした。

「おかえり。遅かったねぇ。トイレ混んでた?」
「戻る途中でクラブリレーの人たちがたくさん居て、なかなか通り抜けられなくて」
「あ、そうなんだぁ。クラブリレーも星海くんたち走るの?」
「そうみたい」

 友人にそう返すとアナウンスが流れた。クラブ対抗リレーの始まり。出場する部活名が淡々と読み上げられていく。列の中に見えた、白い上下のユニフォームの集団。

「大きいねぇ」

 幸郎と白馬を見つけたのか、またも友人はしみじみと言った。バスケ部など背の高い運動部員は他にもいるけれど、二人はその中でも目立つ。
 同じ人間なのに、どうしてあの二人はあんなに背が高いのだろう。やはり親も高身長で遺伝なのか。あれだけ体が大きければ食事量も相当なのか。
 そんなことを考えていたら、ふと幸郎がこちらを向いた。そんなわけはないのに目が合った気がして、思い切り頭を横に振って逸らすと、首がぐきりと痛んだ。
 つんとするそこを手で押さえ、しかし何事もなかったかのように平静を装いつつ、顔をゆっくりと前へ戻す。一瞬だけ盗み見るように目を向けた幸郎は、愉快そうに笑っていた。

20240224

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