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インターハイで全国出場した鴎台高校の今年の結果は、決勝トーナメントに進出したものの二回戦敗退だった。光来は何度かコートに出られたらしく、地元のニュースなどで『小柄ながら』と短く取り上げられてもいた。身内の名がニュースに出たとあって、盆行事の際にはもちろん話題に上がったが、光来はいたく不機嫌だった。
「小さいのにどうとか、うるせえんだよ」
イライラした様子の光来は、ボールを持ってひよりを外へ誘った。陽射しが強いのに、と断りたかったけど、日焼け止めを塗るまで待ってとだけに留めて、蝉しぐれの道で光来の背を追って歩いた。
母の実家での集まりの際、光来とひよりはよく一緒に過ごす。同い年ということで昔からセットで扱われていたし、光来にとってもバレーの練習に付き合わせる相手として、ひよりは都合がよかったらしい。
近所の公園に着くと、遊んでいる子どもは誰も居なかった。盆だから、きっとひよりたちみたいに親戚で集まったり、墓参りだとか寺だとか、余所へ行っているのだろう。
拓けた場所にはコートもネットも当然ないが、昔からそこが二人がバレーをするいつもの場所だ。
「いくよ」
「おう」
打ったボールを光来がレシーブして、ひよりが山なりに上げ、光来が打つ。それをひよりがレシーブし、光来が上げ、ひよりが打つ。その繰り返し。
小学生時代はひよりが下手でろくに繋げず、光来には文句ばかり言われていたが、続けていればそれなりに形になって、ひよりもこの動きだけはそつなくできるようになった。
もちろん失敗することは多々ある。ひよりのレシーブやトスは光来ほど精度がよくないし、スパイクも手前に落ちたり遠くに飛んでいったりして安定しない。
対して、長年バレーを続けている光来はひよりの手元へうまくボールを返すし、スパイクはちゃんとひよりのことを考えて加減している。本気のスパイクはどんなものかと見せてもらったが、恐ろしいスピードで地面にぶつかると、恐ろしい音を立てて恐ろしく跳ね上がった。ひよりには絶対拾えない。
下手な相手とやるのはつまらなくないか、と光来に訊ねたこともあるが、いろんなボールに対応する練習もしたいらしい。下手というマイナス要素も、人によっては需要があるようだ。
「光ちゃんはいつまでバレーやるの?」
現役バレー部員の光来と違い、運動部に一度も入ったことがないひよりの体力はすぐに尽きる。光来のコントロールのおかげであまりその場から動かなくてよいものの、全身を動かしていることには変わりない。そろそろ休憩したいと木陰に逃げ込んだので、相手のいなくなった光来は一定のリズムで真上にボールを上げ続けている。
「ずっとだ」
「大学とかでも?」
「大学行くかはわかんねえけど、とにかくバレーチームに入る」
だらだらと流れる汗に顔をしかめ、公園に着く途中で買ったペットボトルのお茶を飲んでいると、思いも寄らない発言に一瞬咳き込みそうになった。
「バレーチーム?」
「そうだ」
「光ちゃん、もしかしてプロになるつもりなの?」
「そうだって言ってんだろ」
しつこいとばかりに、光来は落ちてきたボールを受け止め、額から伝う汗を肩で拭って、じっとりとこちらを睨んだ。
「お前、無理くせえとか思ったな?」
「え……だってプロでしょ? そんなのすっごく上手い人じゃないと無理だよ」
漠然とした返しになったが、自分の従兄がどこかのクラブチームに入り、いわゆるプロになる未来なんてまったく想像したことがない。
だって光来は、本人には言えないがバレー選手にしては小さい。光来の惜しまず努力する姿勢も、さんざんチビだの不利なのにと言われてもくじけないタフな精神も、ひよりはずっと見てきた。
それでも光来がプロになるなんて、やっぱり考えたことはない。あくまでも光来のバレーボールは、学生時代に打ち込んだスポーツとして青春の一ページを担うくらいだと。
「その『すっげえ上手い奴』になればいいんだよ」
ボールを脇に抱え、光来も陽を避けて木陰に入ってきた。自分の分のボトルのキャップを捻り、ごくりごくりと喉を鳴らして一気に半分ほども飲んで、ひよりの横に座る。火照った体の光来から、その熱がじわりじわりとこちらまで伝わってくる気がした。
「お前もさっさと『男なんて怖くねえ奴』になっちまえ」
「思っただけでなれるなら、とっくになってるよ」
意地悪な言い方だと、ひよりは常温になったお茶を一口含む。
考えただけですべて叶えられるのなら、練習や勉強なんて必要ない。簡単にうまくいかないから『悩み』という言葉があるのだ。
「幸郎はもう怖くねえんだろ?」
「……前ほどはね」
数か月前に遭遇して以降、接する回数を意図的に積んだのもあって、幸郎には大分慣れた。夏休み中に会ったのはまだ一回きりだが、定期的な交流が必要だと連絡先を交換させられ、ときどき思い出したようにコンタクトを取って来る。そのせいか画面に表示される『幸郎くん』という文字は見慣れたし、履歴だけ見たら光来とよりよっぽどやりとりの回数は多い。
けれど彼に対する『怖い』という感情はどうしてもまだ残る。無事にひより宅の飼い猫となったモンちゃんも、ケージから出るようにはなったがまだ完全には安心していない様子。『慣れた』はあくまで『安心できる』に繋がる条件の一つでしかなくて、心から落ち着けるにはひよりにもモンちゃんにも時間が必要だ。
「幸郎くんもプロ目指してるのかな」
一年生でスタメンは、それこそプロになる者の条件の一つに思えた。そういう明確な形で実力の高さを示してもらわないと、バレーボールにそこまで興味を持たないひよりには、その人がプロを目指すのが妥当か無謀かなんて分からない。
「いや。あいつは高校でやめる」
木の幹に背をつけ、四肢を投げ出した光来は目を閉じた。シャツはすっかり湿っていて、たらたらと流れる汗は止まらない。深い呼吸を繰り返して、休むことに集中している。
「バレー上手そうなのに」
「上手いぜ。俺の次にな」
いかにも光来らしい答えだ。
「あいつんとこ、兄弟全員バレーやってんだよ。親が元々バレーしてて、兄貴は鴎台から大学行って今チームに入ってるし、姉貴は女バレの強い学校通ってて、やっぱりプロになるらしい」
「へあぁ……」
口から出た感嘆の声は間抜けそのもの。一年でスタメンに加え、身内のそんな情報まで追加されたら、もういよいよ彼がプロを目指さないことが不思議で仕方ない。
「光ちゃんよりプロになれそうなのに、やめちゃうんだ」
「はあ? 俺の方が上手いっつってんだろ!」
思ったままに言えば即座に反応され、至近距離で怒鳴られて耳が痛んだ。
「そもそも『なれそう』と『なりたい』は違う」
「それはそうだけど」
可能性があることと願望はまったくもって別物で、いくら優れた素質があっても、なりたくないという意思を持つのはおかしな話ではない。
「あいつがやめたいって言ってんだから、やめさせてやれよ」
光来は木に預けていた背を戻して立ち上がり、「やるぞ」とひよりを誘う――もとい、命じてくる。やっと汗が引いてきたところなのにと拒みたかったが、文句を言われる方が面倒なのでいやいやながらも腰を上げた。
「プロになったら美味しいものいっぱい奢ってね」
「食い意地張ってんな」
「ずっと光ちゃんの練習に付き合ってるでしょ」
「まあ任せとけ。あの星海光来の練習に付き合ってた、って自慢させてやる」
そんなものより美味しいものがいい、と言えばやはり文句が返ってきそうなので、ひよりは黙って飲み込んであげることにし、光来が打ったボールをレシーブした。