シュガーレス | ナノ
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09

 暑さが日に日に増してきた。長野は余所と比べれば涼しい地域ではあるが、暑いものは暑い。テレビでちょくちょく聞く猛暑日とは縁遠い方ではあるものの、夏本番ともなると動けば汗を掻く。
 多くの運動部が夏の大会の予選などを終え、本選に向けての準備や、次の大会に気持ちを切り替えて力を付けようと精力的に活動している。
 光来たちが所属する男子バレー部は長野大会で優勝し、鴎台が長野県代表として八月の全国大会で戦う。優勝はめでたいことなので、お祝いの言葉は送った。

 期末テストが終わって、鴎台は夏休みに入る。学校がない期間は、自分の意思で男子と距離を取れるので好きだ。家から出さえしなければ、ひよりは何にも脅かされない、安穏とした時間を過ごせる。
 一人で昼食を済ませ、リビングで漫画を読みながらゴロゴロしていたら、来訪者を告げるインターホンが響いた。昨日は遠方の親戚からお中元が届いたので、今日も宅配便かとリビングのモニターで確認すると、予想に反して映ったのは光来だった。

「えっ」

 近場に住む親類なので、光来が自宅を訪ねてくるはおかしな話ではない。しかし光来が来るのは家族に連れられてであり、事前連絡のない訪問は珍しかった。

「はい」
『俺だ』
「はあ」
『開けろ』
「開いてるけど」

 ボタンを押してマイクを繋ぎ、返事をすると横柄な態度で返ってきた。玄関に鍵はかかってはおらず、モニターからと同時に玄関からもガチャンと硬質な音が響く。
 通話を切って玄関に向かうと、画面で見た光来と、なぜか幸郎が居た。

「えっ、えっ、なっ?」

 戸惑うひよりの喉からは上擦った声が出て、玄関の吹き抜けの天井まで昇り反響する。自宅の玄関に幸郎が現れたという唐突な光景に呆然としていると、光来はごく当たり前のように靴を脱いで家へ上がった。

「こんにちは。お邪魔しまーす」

 幸郎も光来の後へ続こうとするので止めたいが、幸郎の前に立ち塞がって制するなんて勇気はなく、いつの間にかリビングのソファーに座る光来の下へ小走りで詰め寄った。

「なん、なんで?」
「今日休み」

 ソファーに置いたままだった漫画を勝手に手に取って、光来がパラパラと開いていく。地元の友達と遊んだときに借りた漫画本は、字が下手な女の子が書道に興味を持ち、書道部に入って字の楽しさに目覚めていく青春ストーリーで、友達はこの漫画の影響で進学先の書道部に入った。
 『休み』というのが部活の休みを指しているのは分かるが、なぜここに来たのかがさっぱり分からない。

「なんで?」
「休みは休みだ」
「そうじゃなくて、どうして俺たちが来たのって訊いてるんだよ」

 ひよりたちを追う形で、幸郎もリビングに入ってきた。
 最寄り駅まで下校を共にした際も、馴染みの風景に立つ幸郎に違和感を覚えたが、自宅という完全にプライベートな空間に居る幸郎は、学校で相対するよりも大きく見える。校舎の中と違って天井が低いからなのもあるが、とにかく圧迫感があって、最近は起きなくなっていた動悸で息苦しさを覚えた。

「定期的に会って慣れておかないと、ひよりちゃんまた振り出しに戻りかねないから」

 幸郎の言うとおりかもしれない。体は怯えているものの、頭はまだ冷静さが残っていて、今現在の自分の状態を客観視できた。
 光来も含め、顔を合わせなくなったのは夏休み入ってからなので、一週間とちょっと。高校の違う地元の友人らと集まったし、来週は鴎台の友人とも遊ぶ約束をしているが、男子と会う日なんてもちろん作っていない。

「ひより、麦茶飲むぞ」
「う、うん」

 光来がキッチンの冷蔵庫を開け、麦茶のピッチャーを取り出す。親戚としてこの家には何度も上がっているので、物の位置はすっかり覚えてしまっている。戸棚から取り出したグラスに注いで、二人分を持って戻ってきた。

「ん」
「ありがと。ひよりちゃんは今日は何してたの?」

 グラスを受け取った幸郎は、光来に倣って同じソファーに座る。さっきまでひよりが座して、寝っ転がって、ゴロゴロとだらけていた場所は取られてしまったので、仕方なしにダイニングテーブルの椅子を引いた。

「ま、漫画、読んでた……」
「へえ。他には?」
「他には……テレビとか……」
「夏休みの宿題は?」
「……まだ」
「そう。余裕だね〜」

 笑う顔から発する声は楽し気で、本心か嫌味か判別がつきづらい。余裕では決してないから、自分の自堕落さを改めて突きつけられ、あとでちゃんとやっておこうとこっそり誓う。
――ニャーン。かすれた猫の声が、リビングに面している庭から聞こえる。

「あ。モンちゃん」

 今日は涼しいからと、エアコンを使わず網戸だけ閉めていた掃き出し窓から外を覗けば、庭に植えられた楓の木の根元に、澄ました様子で茶トラの猫が座っている。厳めしい表情で、ひよりと目が合うとまた鳴いた。
 ひよりはキッチンに行って猫用の器を二個取って、一つには水を入れ、一つには乾いたキャットフードをカラカラと流し入れた。網戸を開けてサンダルに足を引っかけ、猫の餌台として決めている低い台に皿を置けば、猫はまたニャーンと一鳴きして、尻尾をピンと立てて寄って来る。

「外飼いの子?」

 窓から顔を出した幸郎に問われ、ひよりは首を横に振った。

「ち、がう。野良の子。ちょっと前から、時々うちに来る」

 猫はひより以外の人間もいると気づくと、そろりそろりとペースを落とした。見慣れない相手なので警戒しているのだろう。

「モンちゃん、ご飯だよ」

 声をかけると、鈍くはあるが前へ進み、餌台の上に飛び乗るとガツガツと食べ始めた。

「地域猫みたいな感じ?」
「それは……分かんない。親が近所の人に訊いたけど、どこの家の子でもないし、餌もあげてないって……」

 猫は梅雨が始まる前からひよりの家に現れた。最初はたまに顔を出す程度だったが、今ではほぼ毎日こうして餌を貰いに来ている。
 夕過ぎにひよりが自宅に帰ると、まるで帰宅を迎えるみたいに家の門柱の上で座っていることが多かったので、門柱から取って『モンちゃん』と名を付けた。
 それから家族もモンちゃんと呼ぶようになり、当初は使わない食器に餌を入れていたが、新たに猫用の食器を購入して用意するほど、家族全員がモンちゃんを気にかけるようになった。

「飼うのか?」
「そのつもりだよ。今度ケージとかキャリーバッグとか、いろいろ買いに行くって」

 幸郎と窓枠に割り込む形で、光来も顔どころか半身を外に出し、餌に夢中な猫を見て問う。
 誰も明確に口にしないだけで、うちで飼おうという意思は家族全員が持っていた。今日は庭に来たかどうかは夕飯の話題に出るし、雨の日はモンちゃんは大丈夫だろうかとみんな気にかけた。
 夏なので、暑いと口にすることはあっても寒いと思うことはない。でもすぐに冷たい風が吹きつける、凍りつくような冬が来る。それまでに保護してあげなければと話し合ったのはつい最近で、野良猫を飼うのに必要な準備や道具などを調べて、週末に買いに行こうと決まったところだ。
 モンちゃんが器の中に頭を突っ込むたびに、カランカランと餌が音を立てる。ひよりがそばに居てもモンちゃんは気にせず餌を食べるようになった。撫でさせてもくれるし、足に擦り寄っても来るし、膝にも乗ってくる。ここまで懐いてくれたなら、盆前にはひより宅の子になってもらえるのではないかと期待している。

「ひよりちゃんは猫派?」

 幸郎に訊ねられ、考えてみる。ひよりの家ではこれまでペットを飼ったことがない。両親はそれぞれ実家で犬や猫を飼っていたらしく、犬猫に限らず動物は基本的に好きだと言う。ひよりにとって犬も猫もかわいいし、ウサギやインコやハムスターもかわいいと思うし好きだ。

「何派とかは……特には……」
「そっか。俺は犬派」
「……そう、なんだ」

 特に知りたくもない情報だったのでリアクションに困る。モンちゃんが餌を食べるのをやめ、ダンボールに使わなくなったブランケットを敷いた、モンちゃん専用のベッドで寛ぎだした。腹が満たされたので、今度はのんびりしたいらしい。
 邪魔しないようにリビングに戻ると、幸郎にスマホの画面を向けられ、自宅で飼っているという犬の写真を見せられた。耳先が垂れていて、どの写真でも無邪気な眼差しをしている。

「かわいいでしょ?」
「……うん。かわいい、ね」

 この流れで『そうでもないよ』などと返せる者がいるのか疑問であるが、実際に写真の犬を見て湧く感情は『かわいい』だ。毛がふさふさしていて、尻尾はたっぷり膨らんでいる。かわいい犬だ。

「でしょ」

 写真の中の犬みたいに、幸郎は嬉しそうに笑った。その顔はいつもよりずっと近いところにあったけれど、怖いとはまったく思わなかった。
 これは散歩のときの、これは昼寝していて鼻提灯を作っていたときのと説明しながら、幸郎が画面に指を滑らせる。もう三十枚は見せられた。
 枚数の多さが、そのまま幸郎の犬への愛情の大きさを表しているみたいだ。自分の携帯にも最近はモンちゃんの写真ばかりが増えてきた。途端に幸郎への親近感が湧いて、知らず口角がちょっとだけ上がったのを、見つからないうちに慌てて下げた。

20240212

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