さよならは知らないまま | ナノ
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 席が隣になると、喋る頻度も増えた。席が隣になると、宮くんのついでに話しかけられることも増えた。

「サム、数学の教科書」
「貸して、まで言えや」

 教室に入ってきた侑くんは、真っ先に宮くんの席に来て手を差し出した。どうやらまた教科書を忘れたらしい。
 借りに来る態度じゃない、お前こそ偉そうだなどと続くやりとりは二人にとっての日常。最初は同じ顔が並んでいる物珍しさでつい目を向けてしまっていたものの、もう慣れたのでよほど大声で争わない限りは気にならなくなった。
 とはいえ、宮くんの隣に座っていると否が応でも会話は聞こえてくるし、侑くんも視界に入る。顔は同じでも髪型や色はちょっと違う。すぐに見分けがつくのは外野には有難い。

「なあ、あんた、頭よし子ちゃん?」
「へ?」

 ボーっと色違いの頭を見ていたら、侑くんがいきなり話しかけてきた。侑くんとの接触は、英語の教科書のとき以来になる。

「教科書に書き込みとかしてへん? うちんとこより、こっちの方が進んどるらしいねん。答えとか書いとったらうれしいわぁ」

 なるほどねと、彼の狙いを把握する。侑くんからすると、地味な私は成績が良さそうに見えたのだろう。地味、イコール真面目、イコール成績良し。そんな感じで。

「やめえや。お前に貸したら服でも教科書でも戻ってこんのやから」
「は? 俺はちゃんと返しますぅ」
「前科持ちのアホが何言うたって信用ならん」
「善良な高校生になんてことぬかすねん! 前科なんてあるかボケ!」
「あんねん。お前が返さんから俺が返したわ」

 表には出さなかったけど、侑くんに妙な感心を覚えた。
 以前借りたことも、借りた相手が私だったことも忘れていたのは別に気にならない。彼との関係は無に等しいのだから、私の存在など頭に残らないのも無理なかった。自分から訊ねてきた名前すらも、その頭から消えていると思われる。
 ただ、あまりにも堂々と、自分は借り物を返さなかったことはないと言い切られると、とんでもない人だなと一種の畏敬の念を抱く。きっと本当に悪気なく返さなかったから、まったく記憶に残っていないのだろう。
 口喧嘩に聞こえる日常会話の末、宮くんは侑くんの頭を数学の教科書で叩いて、追い払うようにあっちへいけと手のひらを振る。侑くんは言い返しつつも、用事が済んだからか足早に教室を出て行った。

「あいつには貸さんでええ」

 鬱陶しい、の余韻が残る表情は、私に大義名分をくれた。侑くんに今後貸してほしいと言われても、宮くんに止められていると断ろう。侑くんに貸したい人なんて、特に女子の中にたくさんいるし。

「侑くんはなんかこう……元気だね」
「あれは『やかましい』言うねん」

 相応しい言葉を探しあぐねた私に、宮くんはズバッと言い切る。適切な言葉を選んだなぁと、失礼なことを考えてしまった。



 職員室で私が日誌を受け取って、宮くんは窓を開けておく。互いの役割をこなした静かな教室で、日誌にシャーペンを走らせる。

「今日の体育って何やるんだっけ」
「男子はサッカー」

 隣の席の宮くんが頬杖をついた姿勢で答える。

「さっ、かあ……。宮くんはサッカーも上手?」
「足でボールは打たんからなぁ。ツムはすぐ手が出そうになってぎゃあぎゃあうるさいし、合同で球技はやりたないな。バレーならええけど」

 体育は隣のクラスと合同で行われる。女子と男子は分かれることが多く、今日は私たちは体育館で各々が選択したスポーツをする。私はバドミントンだ。

「侑くんが居ると空気がパッと変わるよね」

 宮侑という男子は、どこに居るかすぐに分かる。常に表情が落ち着かないほど感情豊かで、声もよく通る。ああ侑くんだな、と遠くからでも気づく。埋もれることのない人だ。

「ツムみたいなんがタイプなんか」

 予想外の発言に驚いて横を見ると、頬杖のままの宮くんがこっちを向いていた。

「『侑くん』て呼んでるやろ。好きなんちゃうの?」

 言わんとするところが分かった。名字で呼ぶのと名前で呼ぶのだったら、名前で呼ぶ方が親しげに響くかもしれない。

「宮くんがいるから、侑くんまで『宮くん』って呼んだら分からなくなるだけだよ」

 今日の時間割は、昨日の日直が後ろの黒板に書いている。それを確認してすべての時間を埋め終わった。

「クラスが同じで先に宮くんの方を知ったし、『宮くん』は私にとって宮くんだけなんだよね」

 日誌の右上、本日の日直の欄に宮くんの氏名を書く。宮治。字の並びだけ見ると、氏名ではなく名字と思われても不思議じゃない。実際にそういう勘違いをされたことがありそうだ。

「例えばこの先、宮って名字の男の子と知り合っても、そこが宮くんが居ない場所で、私しか宮くんのこと知らなくても。その人を宮くんとは呼べないと思うな。私の中で『宮くん』は宮くんだけだから」

 『宮くん』というのは、私にとって宮くんだけだ。『宮くん』という椅子は、もう宮くんが座っているから、他の誰も座れない。
 逆に『ミヤオサム』という同じ響きの別人と知り合ったら、その人をオサムくんと呼ぶだろう。『アツム』という名の人だったら名字で呼ぶし、『チョビ』というあだ名の人には別にあだ名を考えて。
 そうやって並べた椅子が、私の中にある。一人一人が特等席で、教室みたいに席替えはない。私はその人だけの席を昔から作ってしまう。同じ名の新しい人に出会っても忘れないように。

「あっそ」

 そっけない相槌。不快だったろうか、とちらりと見やると、黒板へ向く横顔を、朝日がやわく縁取っていた。

「俺ら学校ずっと一緒やし、バレーんときも一緒やから、『宮くん』て呼ばれることあんまないねん。治とか侑とか、宮治とか宮侑とかな。大体名前や。そもそも区別するために名前てあるしな」

 頬杖を解いて、宮くんが背もたれに身を預け、いつかみたいに椅子の前脚を上げた。ギイ、と床を擦る音がする。
 クラスの子も上級生も先生も、彼らを呼ぶときは名前で分けている。もしかしたら私以外に『宮くん』と呼ぶ人はこの学校にはいないかもしれない。いや、そんな極端なことはないと思うけど。

「せやからちょっと新鮮やわ」

 笑っているとも、そうでないともいえない曖昧な顔で、宮くんは前脚を床に戻す。ガコン、と響く音の大きさに混じり、登校してきた生徒たちのざわめきが耳に入った。

「おもろい?」

 訊ねると、宮くんは目だけをこちらに向け「ヘタクソ」と評す。なかなか及第点は貰えない。
 日誌の、書いていないところを一通り眺めチェックする。書けるところは今のうちに書いておきたい。できれば所感すらも埋めておきたい。この欄さえなければ、日誌の面倒さはグンと減るのに。

「おもろいとは、またちゃうなぁ」

 隣を見ると、宮くんは背を曲げ、机の上で組んだ腕に頭を伏せて窓の方を向いていた。つむじがちょっとだけ目に入る。どれだけの人が、背が高い彼のつむじが左回りだと知っているのだろう。できればそんなに多くないといい。

侑くんと宮くん


20230614

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