宮くんに渡す時間は昼休み。お互いご飯を食べてからという約束をしたので、お弁当は急いで食べる。いつもよりずっと早く箸を動かした甲斐があって、宮くんが食堂から戻ってきたのと同時に、空のお弁当箱の蓋を閉じることができた。
「まだ食べてんの? トロいなぁ」
「食堂行く時間とか注文する時間考えたら、あんたの食べる速さの方がおかしいわ」
まだ食べ終えていないチョビちゃんが反論し、「俺は普通や」と宮くんが返す間に片付けを終えて、借りていた席を立つ。
「行ってくるね」
「いってらっしゃい。うちの分もよろしく」
「うん」
手に持ったトートバッグには、チョビちゃんと交換したお菓子と、預かった宮くんたち宛ての義理チョコも入っている。あとでバレー部の部室に寄って、私の分と一緒にダンボールに入れる予定だ。
チョビちゃんに見送られながら一組の教室を出て、宮くんに連れられる形で校舎を歩く。
昼休みはあちこちに人が居て、静かな場所なんてほとんどない。人の少ないところを求めると、この時期ならみんなが避ける寒空の下になってしまう。
暖房のない校舎の外は寒さが広がっていて、グラウンドや中庭にはちらほらいても、校舎の陰には人の気配はちっともない。座れそうな場所を見つけて腰を下ろすと、宮くんから小ぶりなボトルを差し出された。
「なに?」
「寒いやろ」
天辺のオレンジのキャップが目を引く、ホットのミルクティー。食堂から帰って来る途中に自販機で買って、ブレザーのポケットにでもしまっていたのだろう。
「ありがとう」
前もこういうことがあったなと、思い出しながら受け取った。じんわりと温かい。自分の分にと買ったらしいホットドリンクのキャップを宮くんが回すと、開けられた飲み口からは細い湯気が昇る。
今日は二月にしてはけっこう暖かく風もないし、ちょうど日差しが当たるのでいつもよりずっとポカポカはしているけど、やっぱり寒いは寒い。ミルクティーは腿の上に置いてカイロにしておき、バッグから袋を取って差し出した。
「はい。これ」
お礼と共に受け取って、中を覗いた宮くんは、
「でかっ」
と一言発したので、その様子がおかしくてつい笑いが漏れた。
引き上げられたのは、透明な袋でラッピングした丸ごと一個のシフォンケーキ。バレーボールよりは小さいけれど、小ぶりなホールケーキほどの大きさで、一応食べやすいようにとナイフでカットしてある。
「ケーキや」
まるで生まれて初めて見たみたいに、宮くんは物珍し気に袋をいろんな角度から覗いた。白い粉糖をかけた以外には装飾をしていないシンプルなケーキだけど、焼いている間も焼き上がったあともチョコレートの香りがたっぷりの、バレンタインに恥じないお菓子を作ったつもりだ。
「これ全部食うてええの?」
「うん。宮くんに作ったものだし」
当然だと返せば、宮くんはパッと笑った。うれしい、と言わなくても分かる弾けた表情に、ここ数日間の苦労が報われる。
袋を開け、摘ままれた一切れがぱくんと口に入った。一切れでも私にとっては数口以上かけて食べきるサイズなのに、宮くんにとってはたったの二口で済んでしまう。
「美味しい? 食べられる?」
「うまい。ふわふわやな」
答える間にも次の一切れに手を伸ばす宮くんの感想に、ほっと胸を撫で下ろした。
中学生のときにシフォンケーキ作りにはまって、月に何度も焼いた時期があった。うまく膨らまなかったり、変な形に仕上がったり、せっかくいい感じだったのにしぼんだり、いろいろと失敗しながらもきれいに作れるようになったところで満足して、シフォンケーキへの熱は一気に冷め、それ以来ほとんど作っていなかった。
食べるのが好きなら量も多い方がいい。しっかり熱も通したものがいい。じゃあシフォンケーキだと決め、当日に向け復習も兼ねてまた作り出したら、ここ最近の朝ごはんは毎日チョコレートのシフォンケーキになってしまった。
チョコレートが加わるだけでまた難しくなったし、一週間で玉子を数パックも使って、親から「またシフォンケーキ」と呆れられたけど、宮くんが美味しそうに食べてくれるなら作り続けた甲斐があったというものだ。
「やっぱり宮くんも手作りとか憧れがあったの?」
お昼ご飯は食べたはずなのに、どんどんとなくなっていくシフォンケーキを見ながら問うと、止まらなかった手がぴたりと止まった。
もぐもぐと咀嚼しながら、宮くんは眉を寄せた難しい顔をする。
「笑わんか?」
「え? えーと……多分」
「多分なら言わん」
「じゃあ笑いません」
流れで誓う私をじっとりした目で見たあと、脇に置いていたホットドリンクを取って、シフォンケーキに持っていかれた水分を補うように飲んだ。
「御守、ツムと調理実習んとき同じ班なんやろ?」
キャップを閉めながら、重たげに口は開かれた。私と侑くんは家庭科の実習で同じ班だ。指を怪我したくないと頼まれていたので、実習中は侑くんの分まで包丁を握って野菜や肉を切った。
「調理実習やったあと、いつも『よし子ちゃんのご飯食うた』とか絡んでくんねん」
憎々し気なその表情で、侑くんがどんな風に宮くんに絡んだのか容易に想像できる。たしか一年生の調理実習のときは、宮くんとは同じ班にならなかった。たまたま私と宮くんが割り振りの境目になって分かれたのだ。
「私だけじゃなくてみんなで作ってるのになぁ」
「あいつアホやからそういうの区別つけへん」
カサカサと音を立てて、宮くんがケーキをまた一切れ取る。いつの間にか半分も残っていない。このまま昼休みの間に食べきってしまいそうだ。
カイロにしたままだった温かいボトルのキャップを回し、そっと口につけた。こくりこくりと喉から流した甘いミルクティーの熱は、体の真ん中に溜まってじんわりと奥へ滲んでいく。
いつか飲んだときと同じ味、似た温度。隣に宮くんが座っているのもあのときと一緒だけど、ぽっかり空いていた距離はなくなった。冷たい空気もうまく私たちの間を通れない。一年と少しかけて縮めた距離は、これからどこまで近くなれるのかな。