さよならは知らないまま | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


 夏休みも半ばを過ぎた。この数週間で私が得たものといえば、結仁依さんからお裾分けされた野菜と、チョビちゃんと遊びに行ったお店でふわふわのかき氷を食べた思い出と、大学のオープンキャンパスに行ったという事実と、稲荷崎のバレー部がインターハイで準優勝したと知ったときの高揚感。
 テレビのニュースで結果を見てすぐ、宮くんに準優勝おめでとうとメールを送った。宮くんからは短いお礼と、ホテルのご飯はおかわりが二杯までなので腹が減るという、ホテルに宿泊した初日にも聞いた愚痴が添えられていた。

 何もない日がまたしばらく続いてようやく学校が始まり、久方ぶりに袖を通したブラウスやサマーベストで、一気に気持ちが切り替わる。
 学校が好きというわけではない。数十分も同じ場所に座って勉強するより、自由に過ごせる休日の方いい。でも打ち込むもののない夏はいつも私には長すぎるので、休みが終わることに嘆くチョビちゃんへの同意は上辺だけになってしまう。
 登校初日には全校集会。夏休みに行われた大会の結果を、校長が朗々と口にして、それぞれの部活の功績を称える。
 全国二位のバレー部ももちろん挙げられて、『北さん』を見ることができたはずだけど、残念ながらそれは叶わなかった。

 今日は家を出てからすぐに頭痛があった。手持ちの薬を飲むほどではないと我慢していたけれど、全校集会が始まる前にはかなりひどくなってしまった。こうなると薬を飲んでもすぐには良くならない。後悔してももう遅かった。
 集会なんてじっとしているだけだけど、頭を伏せていたら注意されるから、姿勢を保ち続けなければいけないのがつらい。飲んだ痛み止めが効くまで休ませてもらおうと保健室に行き、ソファーに身を預けて薬が効くまでじっと待つ。
 薬で楽になった頃に保健室を出ると、クラスメイトもみんな教室に戻っていた。集会から解散したばかりで担任教師が不在のため、皆それぞれ好きなように集まって談笑しており、侑くんも前の席の銀島くんのそばに来てお喋りしていた。

「よし子ちゃん、どこ行っとったん?」
「頭痛がひどくて、薬飲んで保健室のソファーで休んでた」
「大丈夫か? 無理せんともうちょっと休んでた方がええんちゃう」
「ううん。今はもう平気」

 私に気づいた侑くんに声をかけられそう返すと、後ろを向いた銀島くんから心配された。薬がしっかり効いているおかげで、今は痛みもなくスッキリしている。

「準優勝おめでとう。うちのバレー部って本当に強いんだね」

 自席に座りながらお祝いの言葉をかけると、銀島くんは明るくお礼を口にしたけれど、侑くんはどこかつまらない表情を見せた。銀島くんほどではなくとも、侑くんならにっこり笑って自分の活躍を語ったりするかと思いきや、一言も発しないのでなんだか怖い。

「なんか怒ってる?」

 私が戻ってくる前に気を損ねることが起きたのかと、恐る恐る問えば「怒ってへん」と否定された。

「準優勝やで?」
「え? うん」
「『準』ってことは、一番とちゃうやん。二番や二番」
「まあ……準優勝は二位だね」

 当たり前のことを真剣な顔で説かれては頷くしかない。言葉が違うだけで、準優勝の意味するところは二位だ。

「二位やろうがビリやろうが、一番以外はみーんな負け犬や。負け犬の中でテッペン獲りましたぁてはしゃいで、恥ずかしないんか」

 顰めた顔で放った、吐き捨てるような発言にただ驚く。『一番以外は負け犬』なんて自分にはない考え方だから、そんな見方もあるのかと大きな発見をした気分だし、言われてみれば一理あるなとも思う。

「俺は普通に嬉しいけどな。去年は三位やったのが二位やで。順位上がったいうことは、チームとして成長しとるってことやろ」

 侑くんの考えを否定しないけれど、私はどちらかといえば銀島くんの考え方に近い。
 スポーツも部活もやっていない私にとって、身近にある順位付けされるものといえばテストの成績。私は学年やクラスでの順位よりも点数が気になる。できるだけ良い点は取りたいけど、何よりも点数が下がっていないかが心配で、クラスメイトと比べて自分が何番であるかはさほど気になっていない。

「そやな。負け犬の二番から一番になったな。俺らは今年の負け犬の王様や」

 チームメイトでもあり友人でもある銀島くんの言葉でも、侑くんにはちっとも響かないらしい。それどころか『負け犬の中で一番』というのがことさら癪に障るらしく、あからさまに機嫌が悪い。

「負け犬負け犬言うけど、全国にバレー部いくつあると思ってんねん」
「知らん。なんぼ?」
「俺も正確な数は知らんけど、数千はあるらしいで。数千の高校の中で二番目に強いチームやって考えたら、誇らしいことやん」

 一位かそれ以外かではなくて、膨大な数の中での二位という新たな見方を銀島くんは提示した。
 数千の中の二番目。確かに、稲荷崎のバレー部がとても強いチームだということがより伝わる表現だ。
 これなら侑くんも負け犬だとかなんだとか思わないのではないか、とその顔を見れば、口角は相変わらず下がったままで、長い腕をがっしりと組んだ。

「ほんなら銀は、好きで好きでたまらん彼女の、二番目の彼氏でもええんか?」
「は?」

 唐突に彼女や彼氏という単語が飛び出して、銀島くんは目をしばたたいた。

「世の中に人間は七十億人くらいおって、男はそのうち半分やって考えたら三十五億人やろ? 数千のうちの二番目でもすごいなら、三十五億のうちの二番目ってもっとすごいやん。三十五億やで。一円玉三十五億枚とか、この教室なんか埋まってまうやろな。廊下まではみ出すか? 計算でけへんから分からんけど、そんだけ数あって二番目はそらすごいわ。やから銀は彼女にとっての二番目でも嬉しいんやろ? 数千の中の二位でも誇らしいなら、三十五億の二番目なんかめっちゃ誇らしいなぁ?」

 よく口が回るものだ。銀島くんに詰め寄るその主張はともかくとして、立て板に水を体現したような侑くんに感心する。

「それは……ちゃうやろ」
「何がちゃうねん。同じ二番や」
「部活と恋愛は別モンやん。比べるなら部活とオリンピックとか、クラスマッチとかにせんと」

 侑くんの勢いに気圧されたものの、銀島くんはきっちりと反論した。部活は部活、恋愛は恋愛。同じ土俵に上げて比べてはいけない。
 銀島くんの反論に、さすがに侑くんも納得はしたみたいだけれど、それでも『二番は負け犬』という主張は一切崩さず、担任が教室へ入って来るまで銀島くんと終わりのない討論を続けていた。



 今日の放課後は茶道部に行ったチョビちゃんを教室で待つ日。そして宮くんたちバレー部のオフの日。
 教室からクラスメイトのほとんどがいなくなるのにはそう時間はかからない。居残った人たちは、グループで固まってあちこちに数人の島を作る。その中で私はたいてい一人。島すらも作れず、宿題をゆっくり進めている。
 でも今日は違う。放課後を告げるチャイムが鳴って少し。廊下を歩く人がいなくなった頃に、宮くんはひょっこり現れた。

「あれ? 治くんやん。部活は?」
「休み」

 宮くんを一番に見つけたのは私ではなく、教室に残っていた女子グループの一人。宮くんは端的に答えると、銀島くん席の椅子を引いてくるりと返して座り、バッグからノートと教科書を取り出した。

「英文作ってこいやって」

 ペラペラと英語の教科書を捲る様子を見るに、今日は英文作成の宿題が出たらしい。

「え? なに? 御守さんと勉強しに来たん?」
「治くんと御守さんって仲良かったんや」
「意外やな」

 私と宮くんという組み合わせに驚いた女の子たちが、それぞれに反応し声を上げる。急に注目されて萎縮した体は強張り、片付けなければと思うのに、開いたノートに置いた手もシャーペンを握ったままの拳も動かせない。

「一年ときにクラス一緒やってん。英文作ってもらうから、邪魔せんといてな」
「宿題なら自分でせんとあかんやろ」
「書くんは俺や」
「いやいや、ズルやん」
「アホが考えたってアホな英文にしかならんわ。『ディスイズアペン』て書いて出せ言うんか」
「やば。ほんまにアホやん。それでよう赤点取らんな」
「頭ええ奴に頼る知恵くらいはあるで」

 女子たちはひとしきり笑ったあと、宮くんが釘を刺したこともあってかそれ以上話しかけることはなかった。でも視線がちらちらと飛んできて、宮くんが広げた教科書やノートの内容がなかなか頭に入ってこない。
 それでも、自分のノートを閉じて端に寄せ、指定の単語を使っての英文はちゃんと宮くんに考えてもらい、私は単語の使い方やスペルの間違いを正すくらいで、宮くんの力で立派に三文を作成できた。三つもあれば評価は悪くないはず。
 英文作りに集中している間に、女子グループは教室を出て下校していた。廊下を伝って聞こえる音は校舎の外からのもので、少なくとも近くの教室に人の気配は感じられない。

「これで明日の英語はひとまず安心や」

 シャーペンを置いて、椅子の背もたれにグッと体を預ける宮くんに、バッグのポーチから出した飴をいくつか差し出すと、数個の袋をすべて破いて一気に口の中に入れてしまった。食いしん坊というより、頭を働かせたのでとにかく糖分を欲してのことだろう。

「はあー……疲れた」
「お疲れさま」

 袋を裂いて、私は一つだけを口に含んだ。ミルク味の飴。夏休み明けでもまだまだ暑くて、爽やかなさっぱりしたものを求めがちだけど、ミルクのまろやかな甘さが好きで惹かれて買ってしまう。
 口を閉じ、二人でころころと飴玉を転がしていると、宮くんがシャーペンを取って、大きな格子を書いた。右上の端っこに○を書いて、私の近くにペンを置く。
 ○×ゲームだ、と理解して、宮くんのペンを借りて空いているスペースに×を書いた。無言のまま、ぽんぽんと続けていると宮くんが勝った。

「弱っ」

 笑われたので、新しく格子を書いて真ん中に×を書く。宮くんも○を書いて二試合目が始まり、やりとりを続けた末に今度は私の勝利で終わった。

「真ん中取って勝てんのがおかしいわ」

 負け惜しみというにはあっさりした物言いに、侑くんの『負け犬』発言をふと思い出す。

「この間、侑くんに『準優勝おめでとう』って言ったら、『一番以外は負け犬や』って言われちゃった」

 持ったままの宮くんのシャーペンで、宮くんのノートの空いているスペースに犬を描いた。絵は得意ではないけれど、犬と識別できるくらいには描けている――と自信を持ちたい。

「ツムなら言うやろなぁ」

 宮くんは頬杖をついた姿勢で、私の描いた犬をぼうっと見つめている。本当に疲れているようで、瞼は半分も開いていない。ぼり、ぼり、と飴を噛み砕く音が響く。

「それでね、銀島くんが『数千の高校の中で二位は誇らしいことだ』って言ったの」
「言いそうやな」
「そしたら侑くん、『じゃあ彼女の二番目の彼氏でいいのか』って」
「なんやそれ」
「世界に男の人は何十億もいるから、数千の二番目が誇らしいなら、何十億の二番目はもっと誇らしいんだろ、って」
「赤点取る奴はやっぱちゃうわ」

 アホの考え方や、と宮くんは揶揄する笑みを見せた。

「侑くんってすごく負けず嫌いなんだね」
「バレーもゲームも何でも、あいつは昔から一番以外は価値ないと思っとるな」

 産まれたときから一緒に居た宮くんの言葉だ。何よりも説得力があって、侑くんという人の輪郭がまた濃くなる。

「宮くんは?」
「価値ないとまでは言わんけど、全国二位とか獲っても、そこまで嬉しいとは思えへんわ。二位は二位で、一位は一位やん。一番にはなれんかったいう結果は変わらん」

 兄弟ほど強く主張はしないものの、宮くんの考えは基本的には侑くんとそう違いはない。

「宮くんも負けず嫌いだ」
「そらな。負けるんはおもんない」

 私の手からシャーペンを抜き、宮くんはまた格子を書いて、ペンを置く。負けず嫌いを認めるだけあって一勝一敗のまま終わらせる気はないらしいうえ、先に取る場所を選ばせてくれるらしい。
 どこがいいか少し悩んでから、×を書いて宮くんにペンを渡した。すぐに宮くんが○を書き、また私の番。私も×を書いて、シャーペンは宮くんの手に戻った。

「御守はそういうのなさそうやな」

 静かな放課後の教室では、宮くんの小さな呟きは水面に落ちる雫のように鼓膜を弾く。私に言葉をかけているのに、その目はこちらを向いてはいない。

「なんか……『絶対に譲らん』ってもの、なさそう。誰かがお前の持ってるもん見て、それ欲しいんですぅてお願いされたら、ええよってあっさり渡してまうの、想像できるわ」

 ○を書いて、私の番だとばかりにシャーペンが置かれる。
 自分を客観視するのは難しい。だから宮くんからはそういう人間に見えているという事実を受け止めるほかない。

「そっか」

 ペンを取りながら短い相槌しか返せず、空いている隙間から勝ち筋を探した。

「怒らへんのか」

 ノートから顔を上げると、今度はちゃんと目が合った。怒らないのかと口にした、その本人がなんだか怒っているみたいに見える。

「どうして?」

 回答を間違えて変な空気にしたくないし、本当になぜ怒らないといけないのか理解できなくて訊ねた。
 だって宮くんがそう思うのは宮くんの自由だ。彼から見た私が『そういう人』であることに対し、私が怒ったり反論するのは、宮くんの思想の自由を否定する形になるのではないか。ああそうなのかと、ただそう受け入れ理解すること以外に何があるのだろう。

「そういうとこや」

 ふい、と宮くんから結んでいた視線を解く。
 呆れられた。もしくは、諦められた。そう思うと、見えない壁に追い立てられているような気になり、焦燥が胸を詰める。

「『絶対』って、そんなにたくさんないよ」

 空いているところに×を書いた。紙の上を芯の先がかすめただけの、とても薄い線になったけれど宮くんには見えるはずだ。

「『絶対うまくいく』とか、『絶対だいじょうぶ』とか、そんな保証、どこにもないでしょ」

 ペンをノートの上に戻し、指先でついと宮くんの方へ押しやる。次は宮くんの番。書ける場所はあと四つ。

「だから『絶対に手放したくない』とか、そんなのないよ。だってちゃんと考えて、考えて、いっぱい考えてみたら、案外『絶対』なんて、そんなにないんだもん」

 辞書で正しい意味を引いたことはないけれど、『絶対』というのは実は扱うのが難しい言葉だ。『絶対』とつける以上、覆ってはいけない。とても責任を伴う言葉なのに、私たちはすぐに口にする。
 絶対安全なんてものはないし、絶対に面白いなんてことも、絶対忘れないなんてこともない。だから絶対手放したくない、誰にも譲れないなんて、そんなものはない。よく考えたら、そこまで固執することなんてそうそうない。『一番以外は負け犬』というのが侑くんの持論だったように、それが私の持論。

「俺はあるけどな」

 大きな手がシャーペンを取って、そのまま指で軽く弾いてくるりと回す。まるで磁石でくっついているみたいに、肌の上を器用に滑らせ回すその動きを、私はできたことがない。中学のときに何度も挑み、うまい人にコツを教えてもらっても成功しなかった。

「それは、本当に絶対? この先ずっと? 保証できるの?」

 詰め寄る私に、宮くんは何も返さない。どこに○を書くべきか頭を巡らせているようにも、どう答えるべきか悩んでいるようにも見えて、逸る気持ちを抑えて口を噤んだ。

「ずっととか保証とか、そんなん知らん。けど、好きな奴にとっての二番目なんか、絶対いやや」

 ○を書いてシャーペンを持ち直し、そのまま私に差し出した。まっすぐに向けられる瞳の強さに圧倒されて、ペンを取る手をのろのろと伸ばす。宮くんに触れないようにしなくてはと、無意識に彼の指を避けて受け取った。

「いいなぁ」

 隙間からするりと抜けて落ちたように、思わずこぼれた呟き。空いている箇所はあと三つ。勝つためには残り二つの場所も含めて考えなくてはいけないのに、頭の中にあるのは先ほど放たれた宮くんの言葉と眼差しだけ。

「何が?」

 宮くんが問う。聞き慣れた低い声は、いつからこの耳に馴染むようになったのだろう。 

「断言できて。そこまで言い切れる迷いがないところが、羨ましいな、って」

 私はつい諦めてしまう。絶対なんて、そうでもないんじゃないの、我慢できるんじゃないのと言い聞かせて、納得しようとしている。そう思って飲み込める余地があるものばかりしか、手元に集めてこなかったのかもしれない。
 堂々と宣言できるのが羨ましい。宮くんは、手放したくない、譲りたくないと思えるものがある。そう言い切ってしまえるほどに、好きを向けられるものがあることが、私はただただ羨ましかった。
 侑くんもそうだった。バレーを好きだと気持ちよく言い切っていて、私はやっぱり羨ましかった。宮くんたちは見た目もカッコいいけれど、そういうところがもっとカッコいいと思う。
 ほぼ何も考えずに、隅に×を書いた。空いている場所はあと二つ。ペンを返そうと目を上げると、宮くんは額に手を当てて項垂れていた。

「そういうとこなんよなぁ……」

 普段は見えないつむじを久しぶりに見た。少しだけ根元が黒くなっている。宮くんはおもむろに顔を上げると、私からペンを取って、格子に○を書いた。その時点で、私の勝ちも宮くんの勝ちもなくなった。
 特に打ち合わせしたわけでもなく、埋まったのは端っこだけ。勝ちたいなら有利になる真ん中を取るべきなのに、私も宮くんもなぜだか避けたのは、勝負に集中していなかったからなのか、勝敗を決めるつもりがなかったのか。
 一勝一敗、一引き分け。真ん中だけがぽつんと空いているのが、今の私たちの関係みたいだと思った。

ビタースイート・ドーナツ


20231101

PREV | TOP | NEXT