さよならは知らないまま | ナノ
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 宮くんたちとの勉強会はそれなりにというか、かなり有意義なものになった。
 私とチョビちゃんの二人きりだと勉強よりはお喋りの時間が多い。赤点を取るのはもちろん嫌だけど、よほどのミスがなければお互いに取ることはないから気持ちに余裕がある。
 でも宮くんたちはインターハイが控えているので、絶対に赤点は避けねばならないためか、思った以上に真剣に取り組んでいた。
 複数人だと、誰かが休憩し出すとみんな釣られて休みを取る。でも誰かが勉強を始めると、自然と全員が後に続いてペンを取る。そんな感じで適度にお喋りと休憩を挟みつつ、私とチョビちゃんだけのときよりも勉強時間は結果的に長く取れたと思う。
 下校を促す放送が流れ、私たちだけでなく教室に残って勉強していたみんなが手を止めた。腕を上げて伸びをしたり、疲れたと机にうつ伏せになったり、強制的に断ち切られた勉強時間からの解放を思い思いに表現している。

「やっぱ頭ええ奴と勉強するとちゃうな」

 クッキーとお煎餅、そして飴やグミと、恐らく勉強会中に一番お菓子を口に入れた宮くんが、シャーペンや消しゴムをペンケースにしまいながら呟いた。
 今回のテスト範囲で危うい点だけに絞った宮くんに、私は何度か質問を受けた。幸いにも分かる箇所だったので教えると、そのたびに宮くんは「頭ええなぁ」を繰り返していたけれど、たまたま答えられる問題だっただけだ。

「一人でやっとると解らんとこが解らんままやしな」
「俺らで集まっても結局解んないまんまだし」

 宮くんも銀島くんも角名くんも、何度か休憩は挟んだとはいえ、今の今まで勉強していた姿勢には失礼ながら驚いている。みんな勉強は得意ではないみたいなので意外だなと思ったものの、強豪と呼ばれるバレー部でレギュラー入りしている三人だから、それくらいの集中力を持って練習にも励んでいるからだろう、と勝手に結論付けた。

「御守たち、明日もここで勉強すんの?」
「えっ……どう、かな?」

 バッグに私物をすべて詰めた宮くんに問われ、チョビちゃんに目を向ける。そういえば宮くんを勉強に誘ったのも独断だった。チョビちゃんはもしかしたらのんびり過ごしたかったかもしれないと、今更気づいてそっと顔を窺えば、チョビちゃんは、

「うちはええよ。予想外に捗ったしなぁ」

と、さして気にした様子もなく返してくれた。

「じゃあ明日も頼むわ」
「それはお菓子んこと? それとも勉強?」
「どっちも」
「贅沢モンやなぁ」

 ガタガタと机を移動させる宮くんの頼みに、チョビちゃんは呆れつつも文句はつけなかった。
 机がすべて元の位置に収まったところで、なんとなくそのまま揃って教室を出て、昇降口で靴を履き替え、なぜか始まったしりとりをしながら分かれ道までみんなで歩いた。



 翌日の放課後。ざわつく二組の教室に、バッグを持ったチョビちゃんと宮くんと角名くんが入ってきた。周りの席は銀島くん以外はさっさと帰ってしまっているので、全員分の席は確保できそうだ。
 机をくっつけて島を作る私たちを見て、事情を知らない侑くんが「何やってん」と声をかける。

「御守さんたちと勉強会。昨日一緒にやらせてもろてめっちゃ助かったから、今日も一緒にやってもらうんや」

 自分の席をくるりと回して、私の机に寄せた銀島くんが答えると、侑くんは目を見開いたと思ったら、鋭い眼差しを男子三人に向けた。

「はあ? 俺抜かしてなに楽しいことやっとんねん」
「侑もこれから楽しいことするじゃん。北さんと」
「北さんと勉強が楽しいわけあるかい! 空気重すぎて体ペシャンコに潰れるか思たわ!」
「かわいそやなぁ。ただでさえペラッペラな人間やのに」
「お前に言われたないわクソサム!」

 鼻で笑った角名くんと、嬉しそうに笑う宮くんが続いて、侑くんは教室中に響き渡るほどの声量で怒鳴り返した。仲のいい友人や兄弟が集まって、自分だけが一人外されている――こっちの言葉でいうところの『はみご』の状況は、侑くんでなくとも寂しいだろう。
 でも部活に集中できるよう赤点を取らないためには、侑くんは北さんと勉強会をした方がいい。一年生の頃から侑くんをなんとなく知っていて、今年はクラスメイトになってさらに知ったから、彼を椅子に長時間も座らせる技量が自分たちにはないと確信している。
 怒りから一転して落ち込んだ様子の侑くんを、三者三様の個性溢れるエールで見送って、私たちの勉強会も始まった。
 私の向かいには銀島くん、左隣はチョビちゃんで、チョビちゃんの向かいが角名くん。宮くんは私の右隣の机を半回転させて、私と銀島くんのちょうど真ん中の位置。

「今日は何持ってきたん?」

 宮くんが期待に満ちた瞳で私を見た。主語はないけれど、お菓子のことに違いない。昨夜もメールで、何を持ってくるのかと訊かれたけれど、当日のお楽しみだと内緒にしていた。
 バッグから取り出したのは、細長い袋に整列して並ぶ小さなチョコチップクッキーとうす塩のポテトチップス。コンビニの棚の前でさんざん探したけれど、みんなで気楽に摘まめる条件や、外さない味などを考えるとこれになった。

「面白い味はなかったから、無難なものになっちゃった」
「ええやん。定番はうまいから定番なんやで」

 ポテトチップスはともかく、またクッキーなんて面白みに欠けるかなと言い訳すると、宮くんに気にしている様子はない。
 お菓子は脇に置き、まずは勉強だとチョビちゃんの一声でみんながペンを持ちノートや教科書を開いた。
 皆それぞれに得意な教科と不得意の教科がある。宮くんたちの目標は赤点を取らないことなので、後者を選んで勉強に励んでいるけれど、不得意だからこそ当然躓く箇所が多い。そのたびに宮くんたちは私とチョビちゃんに質問して、私たちもヒントを返した。
 ときには説明に悩んで苦心することもあって、教えるというのは結構難しいものだと気づく。答えをそのまま教えるのは簡単だけど、そこに至るまでの流れを理解してもらえるように伝えるのは一苦労だ。
 先生って大変なんだな、と考え始めたあたりで休憩を挟んだ。頭を使ったからか、いつもと違う日常だからか、口に入れるお菓子の味は普段より美味しく感じられる。

「喉乾いたなぁ」

 頬杖をついたチョビちゃんが呟くと、みんなが同意の相槌を打った。エアコンで外より熱気はこもっていないとはいえ、夏は夏だ。お腹が減るよりも喉が渇く方が早い。

「治くんと角名くん、うちらにジュース奢ってや」
「なんで銀には言わないの」
「銀島くんはお菓子持って来てるやん」

 チョビちゃんがカップに入ったスティックタイプのスナックを指差して、角名くんに返す。私たちだけに用意させるのは申し訳ないからと、銀島くんもお菓子を持参してくれた。なので宮くんと角名くんに奢ってもらおうということらしい。
 二人ともチョビちゃんの言い分に納得したらしく、何が飲みたいのかの話が始まった。自販機で売られているドリンクのラインナップはみんな把握している。今現在の喉や胃が求める味を各々に探り、あっという間に私以外の全員が決めてしまった。

「御守は? 何にするん?」
「えっと……」

 自分の財布を取り出し、中の小銭を確認している宮くんに問われて、皆の視線が私に集まる。
 疲れているから甘いものが欲しい。でも甘いお菓子を食べているときは甘くない飲み物を合わせたい。だけど今はどうしても甘味を求めているから、少しだけ甘さのあるジュースにしようか。
 しかし、その『少しだけ』というのが難しい。『少しだけ甘いドリンク』を、記憶の中の自販機から探るけれど見つからない。早く決めなくてはと思うと余計に焦って浮かんでこない。

「決めきれんのやったら一緒に行ってき」

 チョビちゃんのその一声にホッと息を吐いた。みんなを待たせているこの状況から抜け出せるし、ここで悩んでいるより自分で見に行った方が早く決まるだろう。
 そうと決まれば早く行こう。立ち上がると、宮くんと角名くんも続いて腰を上げた。

「あ、私と角名くんで行くから、宮くんは残ってていいよ」
「は? なんで?」
「お菓子食べたいでしょ?」

 宮くんのお菓子好き――というか食べること全般が好きなのはこの場に居る全員が知っている。五人分のジュースなら二人いれば持って帰られるし、と宮くんに気を遣ったつもりだったけど、高い位置にある目は私を睨みつけた。

「そんくらい我慢できるわ」

 明らかに機嫌の悪い声で言い放って、宮くんはさっさと教室を出て行った。
 意に反して怒らせてしまった。どうしよう、と焦っていると、なぜか角名くんが握った手を差し出してくる。いかにも受け取ってくれとばかりだったので手のひらを出せば、ちゃりちゃりと音を立てて小銭が私の手に落とされた。

「二人いればいいよね?」

 角名くんの分と、チョビちゃんの分と、銀島くんから預かった分のお金を渡されてしまった。宮くんと二人で行って来いということらしい。
 そんな、明らかに不機嫌な宮くんと二人になんてしないでほしいと視線を送って縋ってみたものの、角名くんは椅子に座ってしまって、私を一瞥することもなくスマホを触り出した。
 チョビちゃんや銀島くんに無言で助けを求めても、銀島くんは合掌して「頼むわ」と一言。チョビちゃんは「はよ行き」と手で払うので、仕方なく一人で宮くんを追う。
 廊下に吹く風はどれも生ぬるくて、湯気のような空気が顔に張り付く。閉め切った教室には薄く届いていた蝉の声も、そのままの力強さで鼓膜を震わすので、数秒ほど全身の感覚を奪われる。
 先に出て行った宮くんは、てっきり自販機までそのまま進んでいったかと思いきや、階段の手前でズボンのポケットに両手を突っ込んで待っていた。

「角名は?」
「二人いれば五人分は持てるでしょ、って」

 一人でやってきた私に宮くんが訊ねたので、渡された小銭を見せて角名くんの言葉を意訳して答えると、宮くんはさっきとはちょっと違う、なんとも微妙な表情を見せた。怒っているのか気まずいのか、判別がしづらい。

「やっぱり角名くん呼んでくる?」
「いや。ええ」

 戻ろうとする私を止めて、宮くんは階段に足をかけた。トントンとリズムよく降りていくので、遅れて私も続く。少し歩いただけなのにもう暑い。冷えたジャスミンティーが飲みたいな、と今なら即決できるけど、残念ながら学校の自販機には並んでいない。
 自販機は昇降口からちょっと離れた、屋内に設置されている。補充する業者の人が出入りしやすいようにか一階にしか置かれておらず、休み時間になると学年問わずよく人が居る。今も数人の女子生徒が自販機の前で選んでいたので、私たちは無言でその後方に並んで順番を待った。
 見える夏の日差しは強烈で、明暗の強さからまるで深い夕暮れの中にいる気分になる。そのうち目が慣れてくれば周りの景色も楽に見渡せるようになり、女子たちの後ろから自販機を覗いて何にするか考えることもできた。

「決まったか?」
「うーん……うん。ミックスフルーツにする」

 紙パックの自販機の一番下に陳列されたジュースのパッケージには、いろんな果実のイラストが印刷されている。ジュースなので甘いけど、酸味が含まれていてさっぱり感もある。
 前の女子たちが買い終わって、こちらを一瞥して自販機の前から去っていく。「宮先輩」とうっすら聞こえたので一年生。高い声色は弾むように響いたので、きっと宮くんのファンか、それに近しい感情を抱いている子たち。
 宮くんは女の子から、そんな声で名前を紡がれる男子なんだと再認識しつつ、まずはチョビちゃんたちの分を買っていく。硬貨を投入しボタンを押して、落ちてきたドリンクを宮くんが拾うのを繰り返して、宮くんの手に五個の紙パックが集まった。

「俺のにストローさして」

 頼まれて、宮くんの手の中にあるカフェオレを一つ取る。貼り付けられた袋からストローを出して伸ばし、丸い口へ押し当てた。ぷつ、と小さな音を立て、ストローがするすると入っていく。
 片手で残りのジュースを抱え込んで受け取ると、宮くんの大きな口がぱくんとストローの先端を食んだ。教室に戻るまで待ちきれないなんて、よほど喉が渇いていたのだろう。
 ごくごくと飲み進める顔は、もうさっきみたいな機嫌の悪さは感じない。もしかしたら喉が渇いていてイライラしていたのかも。そんな風にじっと観察していたら、

「なんや」

と飲むのをやめてストローから口を放した。

「宮くんは食べるの好きだけど、やっぱり飲み物も好き?」
「まあ、好きは好きやな。いうてもどっちも腹満たすのに必要なもんやし、嫌いとか考えたことないわ」

 生き物が食べたり飲んだりするのは生命活動を維持するため。今はただ飢えを満たすためだけでなく美味しいものを味わうのという楽しみが高校生でもできるけど、昔の人はその日のご飯を口にするのでさえ大変だったというから、宮くんはこの食に豊かな現代に生まれてよかったなと勝手に思った。

「テスト終わったら、ずっと練習?」
「せやな」
「八月入ったら、インターハイ?」
「そう」

 バレー部は八月にある全国大会に出場する。兵庫県の代表として、地方を勝ち抜いてきた高校と試合をするためにたくさん練習を重ねて、そしてインターハイが終わっても今度は来年の大会に向けてまた練習する。宮くんの一年間の予定表には、バレーの文字がいつだって記されている。

「宮くんの毎日もバレーでいっぱいだね」

 兄弟の侑くんが毎日バレーのことを考えて過ごしているように、宮くんもやっぱりそうで、充実した高校生活を送っているなぁなんて、いつかみたいにまた羨ましさを覚えた。
 何かに打ち込んでいる人はきらきらしている。宮くんも侑くんも、もちろん見た目がカッコいいのもあるけれど、一つのことに真摯に取り組んでいるからさらにカッコよく見えて、後輩からも特別な視線と声を送られる。
 改めて考えれば考えるほど、私と宮くんがこうしてテスト勉強を一緒にして、自販機までジュースを買いに行くなんて関係がどうして築けたのかと疑問を覚える。
 すべては一年生のとき、たまたま日直がペアだったという縁から始まっている。もし私が『御守』でなければ。宮くんが『宮』でなければ。私の関西弁が下手でなければ。宮くんがそれをおもろいと思ってくれなければ。
 いろんな点が少しずれていたら、眉を寄せて視線を外す宮くんは目の前に居なかった――なぜ宮くんはしかめっ面をしているのだろう。感傷に浸る暇もなく思考が働く。

「――ああ、ツムか」

 どこか得心したように、宮くんの眉間から皺が消えた。

「侑くん?」
「なんでもない」

 唐突に侑くんの名前が出て疑問に思う私に、宮くんは気にするなと話を切って、ジュースをすべて持ったまま階段の方へ歩いて行く。
 校舎にぶつかりながら、ぐるりぐるりと踊るように吹き抜けていく風が揺らすその髪は、人工的に変えられた色だ。街中を歩いていたって滅多に見かけない色で、人混みの中でもすぐに宮くんだと分かる。
 一人手ぶらなのは悪いからと声をかけようとしたら、宮くんが足を止めた。

「お前……」

 完全に振り返ってはいない、横顔だけを覗かせた宮くんの右目と私の目が合う。続きを待ったけれど、黙ったままで口は開かない。

「なんもない」

 先ほどと似たような返しをして、宮くんは前へ向き直った。
 今日の宮くんは、よく分からない。どうして機嫌が悪くなったのかも、私が原因だったのか違うのかも、何も分からない。
 ただ、宮くんの背中をついて歩くこの時間は、知らずにありったけの運を使い切って得られた日常だとだけ気づいた。

きみの夏に溶けていたい


20231019

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