さよならは知らないまま | ナノ
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 開会式が終われば、すぐに第一試合が始まる。初日はなんと四十戦も行うのだから、タイトなタイムスケジュールだ。
 烏野はまだ時間に余裕があったので、近くの体育館で軽く体を動かした。疲れすぎない程度に手足をほぐし、自分たちの番が近づいてきたところで会場へ向かう。
 選手たちがコートで数十分のアップを始める前に、清水先輩に頼まれて会場の売店へ買い出しに行って戻ると、何やら空気がおかしかった。初戦ということで表情がかたいのはさっきと変わらないのだけど、日向くんと山口くんの空気がズンと重たい。
 何があったのかと仁花ちゃんに訊ねると、なんと日向くんのシューズがないとのこと。

「えっ、取り違え?」
「同じ体育館に居た子が、間違えて持って行っちゃったみたいなんです」

 なんと、まあ。よりにもよってこんなときに。事態を把握すると背が冷え、どうしたものかと考えるものの、すでに持ち主との連絡はついていて、清水先輩がさきほどまで借りていた体育館へ走って行ったらしい。

「そっか、清水先輩が……」

 しっかり者の清水先輩なら心配はいらない。それよりも、先輩が不在だという事実が問題だ。
 ベンチに座るマネージャーはいつも清水先輩だった。新米マネの私や仁花ちゃんは、いつも観客席から試合を観ていて、私たちが動いたのは選手が怪我をした際の付き添いくらいしかない。
 先輩が居ないなら、私たち二人のどちらかがベンチに座らなければならない。烏養コーチがいつでも振り返られるよう、試合の流れを随時漏れなく記録しなくちゃいけないし、何か起きても迅速で冷静な対応を求められる。

「それで、清水先輩が、コートには私が……って」

 強張った顔で仁花ちゃんが拳をぎゅっと握ってみせる。全身に力が入っているせいで、その頬は赤い。
 そっか。清水先輩は仁花ちゃんに託したんだ。

「代わろうか――って……言いたいところだけど。清水先輩は、仁花ちゃんになら任せられるってベンチを預けたんだから、私も仁花ちゃんにお願いしたい。いい?」

 もし私もこの場に残っていたなら、先輩は二年生の私を選んで頼んだかもしれない。たまたま私が居なくて、一年生の仁花ちゃんにお願いしただけかも。
 でも私はそうは思わない。春高予選で白鳥沢の資料を作った際に、データの収集やまとめはみんなで行ったけど、コーチや選手にどうすれば分かりやすく伝わるか、仁花ちゃんが一番考え、一番頑張っていた。
 仁花ちゃんならできる。清水先輩がそう判断したんだから、彼女に任せるのがこの場での最善。
 それでも、仁花ちゃんが代わってほしいと言うなら引き受けるつもりはあった。清水先輩ほど頼り甲斐はなくとも、上級生として困っている下級生は助けたい。
 だけど仁花ちゃんはグッと口を引き結んだあと、

「はい!」

と元気よく答えたから、やっぱり仁花ちゃんにベンチを任せることに心配はいらないと思う。

 烏野のアップが始まって、みんながコートに足を付ける。
 ここの床はいつも足をつける体育館のそれとは異なるし、四面のコートがすっぽり入るほど広く、天井はこれまで見上げたどの体育館よりも高くて、とにかく普段と勝手が違う。
 シューズが届くまで日向くんは裸足のままコート内を動いている。試合が始まるまでに清水先輩が戻らなければ、私がシューズを買いに行かないといけない。
 試合前の落ち着かなさとは違う焦り。できるだけ早く、せめて試合前には間に合いますように。
 願いは叶い、日向くんのシューズバッグを背負った清水先輩が息を切らしながら現れ、コートの仁花ちゃんへ向けてバッグを投げる。すぐに日向くんの手に渡り、これで一安心。

「清水先輩、お疲れさまでした」
「うん。はあ、間に合ってよかった」

 コート近くまで下りてきた清水先輩は、額にうっすら掻いた汗を手で拭いながら長い息を吐いた。一仕事終えた――実際に大仕事だった――といった表情は晴れやかだ。



 椿原学園との試合は、結果だけ見ると烏野のストレート勝ち。でも『危なげなく』なんてとても言えなかった。
 日向くんのシューズ取り違えの件もあってか、序盤はスパイクが上手く決まらなかったし、相手の高く打ち上げるサーブに乱されたりと、試合前からハラハラしていたのに、試合が始まっても落ち着く暇がなかった。
 だけど一回戦は勝った。明日もまたこの体育館に来られる。そして次の相手は稲荷崎。

「自由時間、取れそうだよ」

 昼休憩でお弁当を食べていたら、清水先輩がそっと耳打ちしてくれた。

「会えそう?」

 連絡先を知らない相手と、数千人も居るこの会場で。言外の意味を汲みつつ、私は首を横へ振った。

「いえ。会うなら明日にします」
「そう……なの? それで大丈夫?」
「はい」

 連絡が取れないのもあるけど、稲荷崎は今日は試合がないので、すでにどこかの体育館へ練習のため移動しているかもしれない。だとしたら探しても会えない。
 それに明日になればどのみち会える。私はコートに立たないし、きっと宮くんは私なんか見つけられないから、『会う』というのは正確な表現ではないけれど。でも、明日まで猶予みたいなものがあるのだ。

 昼食のあと、清水先輩が言っていたようにキャプテンからしばらく自由時間だと告げられた。
 日向くんと山口くんは買い物へ行き、縁下くんたちはせっかくだからと会場の飲食店を見に行くそうだ。

「先輩は自由時間、どうします?」
「どうしようかな。仁花ちゃんは行きたいところとかある?」
「なくはないですけど、もし迷ってここに戻れなくなって、バスに乗れず宿にも帰れず、この見知らぬ地で取り残されるかと思うと……!」
「仁花ちゃんを置いてバスに乗ったりしないよ」

 会場は広いけど、大会パンフと共にコピーされた会場の地図は手元にあるし、案内表示も至る所にある。飛行機や新幹線じゃないのだから、時間になっても来ないからって置いて出発することもない。

「谷っちゃんたちは居残り?」
「いえ、どうしようか考えてまして」

 弁当箱の空を持ってきた東峰先輩が訊ねた。仁花ちゃんが答えながら受け取り、仕分けしてゴミ袋へ入れる。

「今日は清水じゃなくて谷っちゃんがベンチに居たから、なんか不思議な感じだったなぁ」
「ひょっ、あが、す、すみません! 私のような一年が、先輩たちを差し置いてベンチに座って!」
「いやいやいや! そういうつもりじゃなくて! 遠くで立ってる清水って図が珍しいって思ってさ! いつもベンチには清水だったけど今日は谷っちゃんだったなぁって、ただそう思っただけだから! 谷っちゃんがベンチにいるとこう、なんか……元気! 元気出るよ! うん!」

 絶望的な表情で何度も何度も頭を下げる仁花ちゃんを、東峰さんがあたふたと制す。
 小柄な仁花ちゃんと大柄な東峰先輩。見た目は両極端な二人だけど、中身は割と似たところがある。部内でも飛び抜けて心配性なところとか、過剰に思いつめてしまうところとか。
 兄妹みたいだなぁ、なんて微笑ましさを覚えていたところで、ふと疑問が湧いた。

「あの、東峰先輩。例えばコートの近くに、なんでお前がここにいるんだ、って人がいて、見つけちゃったら、試合に影響しますか?」
「えっ? それは……まあ、人によるんじゃないか? よっぽど気になったらつい目が行くかもしれないし、集中してる奴なら気づきもしないと思うけど」

 私の変な質問に、東峰先輩は戸惑いながらもちゃんと考えて答えてくれる。

「じゃあ二階……三階の観客席って高さも距離もありますけど、それでもコートからは誰が誰だか分かりますか?」

 常設されている観客席はざっと六千。二階席、三階席と分かれていて、後者がより離れた、且つ高い位置からコートを見下ろす形になっており、あえてその位置を好んで座る人もいるという。

「三階席なぁ。それも人によるよ。同じ色のジャージで揃えて固まってたりすると目を引くけど、やっぱり遠いから顔までは、俺ははっきりとは区別つかないな」
「そうですか」
「でも視力良い奴は分かると思うよ。西谷が、三階席の観客が見たことないガリガリくんのパッケージ持ってたとか言ってたし」
「ガリガリくんのパッケージって……西谷さん、そんなに目が良いんですか!?」
「そうなんだよ。夏に部室で着替え終わって外に出たら、近くの木をじいっと見ててさ。何か気になるのかと思ったら、擬態してる虫を見つけたりとかしてて」

 訊ねた私以上に仁花ちゃんが驚き、東峰さんはいい反応を見せた仁花ちゃんへ、自分が知る西谷くんのエピソードを得意げに語り出した。
 選手からするとずらりと並んだ観客なんて細かく見分けがつかなさそうだけど、視力によっては顔まで捉えることもなくはないらしい。さすがに三階席のガリガリくんどうこうというのは、西谷くんの視力が並外れていたからだとは思うけど。
 でも、該当のコートの周りは元より、観客席に居るだけで選手の目に入る可能性があるのは変わりない。
 もしかしてそれって、宮くんにはよくないことではないか。気づいた事実が、私の背中をひんやりと冷やした。

一難去って


20230703

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