四回勝てば代表。進むごとに強敵と当たる中で、四回も勝たねばならない。『四』という数字は決して多いものではないのに、筆舌しがたい重みを感じる。
試合が始まってしまえば、私にできるのは応援と祈ること、そして信じること。
だというのに、もしかしたら負けてしまうかも、もしかしたらだめかも、と試合中に何度も胸の内で繰り返した。
追いつめられるそのたびに、コートのみんなは力を合わせ、苦しい状況を打破していく。一度どころか何度でも、コートに立ちもしないで勝手に諦める私と違って、みんなは負けることなんてちっとも考えていない。
影山くんの先輩である『大王様』がいる青城や、全国三大エースが率いる白鳥沢。どちらも全力を賭した辛勝だったけど、烏野は宮城県代表として全国へ進むことができた。
大本命の白鳥沢を倒し、五年ぶりに代表となった烏野の話題はしばらく尽きず、学校でも近所でも、テレビでも新聞でも大きく取り上げられた。母や父は、娘の私があの烏野バレー部のマネをしているのだと自慢したそうで、大層恥ずかしい思いもした。
日が落ちるのが早くなり、学校を出る頃にはとっぷり沈んでいた。星がちらちら瞬き始め、街の明かりを受けた雲は空に影を作る。
清水先輩と帰る道は、宮城のいろんな夕方を見上げる道。蒸されるような暑さは、心地よい涼しさを経て肌寒くなり、兵庫に住んでいた時よりも早くマフラーと手袋を出した。
「何より迷子が心配だね。みんなでフォローしないと」
東京へ行くと決まった日から、何度も交わした話題。特に何かと出先で絡まれやすい日向くんが心配だから、一年の誰かを常にそばにつけて行動させた方がいいとまで考えているらしい。小学生みたいな扱いだと思う一方で、それがベストだとも思う。
地方を勝ち抜いた全国のバレー部が集まって、来春の一番を決める大会。兵庫の代表は今年も稲荷崎。
いよいよ宮くんと会えるかもしれない。だけど、会ってもいいのか分からない。
「何か悩んでる?」
「えっ」
「最近、ちょっと元気ないよね」
清水先輩が柳眉の端を下げる。選手に目を配るマネージャーだけあってか、清水先輩の観察眼は鋭い。
「……私が東京に行ってもいいのかなって」
誤魔化してしまおうかとも考えたけど、それじゃいつまで経っても状況は変わらない。ずっと溜め込んでいた迷いを打ち明けると、清水先輩は驚き、小さく「え」と上擦った声を上げた。
「どうして?」
「行く資格、ないな、と」
「資格……? もしかして行きたくないの?」
東京へ行きたくない言い訳だと思ったのかもしれない。そういうつもりじゃないと、黙って頭を横へ振った。
「行きたいけど、行っちゃだめだと思ってる、ってことかな」
「……はい」
その通りですと、恥ずかしながらも頷く。清水先輩の長い足がぴたりと止まり、体ごと私の方へ向いた。
「理由を聞かせてくれる?」
涼やかな目が私を射抜く。先輩は怒っているわけではないけれど、後ろめたさがあるせいで、なかなか口を開けない。
「……私がバレー部に入ったのは、大会で全国に行けるかもしれないからって、縁下くんが言ってたからなんです」
廊下に貼られていたバレー部員募集の紙を見ていたら、縁下くんから二回目の勧誘を受けた。入る気はちっともなかったのに、あの一言で私はあっさり入部を決めた。
「もし全国に行けたら、会いたい人に、また会えるかもって……」
清水先輩の反応が怖くて確かめられず、私は自分の足下に目を落とした。履き慣れたローファーには、校庭の砂がついている。
「下心があった、ってことね」
「はい……。もちろん、バレーには興味はあったんですけど、でも一番の理由は……」
稲荷崎は全国大会の常連。烏野が本当に春高で全国へ行けたなら、宮くんに会えるかもしれない。会えなくても、遠くから宮くんのバレーをこの目で見ることが叶うかも。
期待どおり、烏野は全国への切符を手に入れたし、稲荷崎も東京に来る。私が望んだ舞台は整った。
嬉しい。でも、私は何もしていない。マネージャーとしてサポートはしたし、影山くんが『ボールの女王様』と言ってくれた程度には務めは果たしていると思う。
だけど、コートの中でボールを一所懸命に追いかけていたのは選手たちで、全国行きは選手が勝ち取ったもの。
苦労して、辛い思いをして、練習に打ち込んだみんなが手に入れた切符に、何度も『もしかして』とみんなの強さを疑った私も便乗するなんて。
「つまり、下心を持って入部した自分が、全国に連れて行ってもらって、会いたい人と再会することはいいことなのか、悩んでたわけか」
清水先輩が見事な要約をしたので、人の言葉を通して改めて自分の浅ましさと向き合った私の頭は、このまま地面にめり込んでしまうのではないかと錯覚するほど重い。
「それの何がいけないの?」
からっとした声に、弾かれたように頭が上がる。
「入部の理由なんて、何でもいいじゃない。私も澤村に誘われて入っただけで、バレーもマネも初めてだったよ」
ほくろが目を引く口元が、ゆるい弧を描いた。
「きっかけなんて誠実なものじゃなくていい。大事なのは入部してからこれまで、何をやってきたかじゃないかな。私は、マネージャーとしてバレー部のために頑張ってくれてるって思う。私だけじゃなくて、きっとみんなもそう」
涼やかな響きを以て清水先輩がかけてくれた言葉は、何かうまい例えを使ったわけでもなく、機知に富む言い回しでもない。『大事なのは今までの頑張り』というのは、人を励ます言葉としてありきたりとも言えるかもしれない。
でも、私の心の重石を取り上げるには十分で、長い前髪で遮られていたみたいな視界が、一気に開けた気分になった。
「行こう。一緒に」
まるで手を引くみたいに、清水先輩が力強く声をかける。胸が詰まって声がなかなか出てこず、なんとか頷いて返した。
迷いは、正直なところまだ完全には吹っ切れていない。やっぱり部のみんなに対して負い目みたいなものがある。
だから、私ができることは頑張ることしかない。堂々と東京へ行くには、マネとして頑張ったという自信をつけるしかない。だから、頑張るしかない。うん。
「ところで……また会いたい人って、男子?」
「えっ!? えっと……あ……はい」
「ふふっ、ごめんごめん。深くは聞かないよ。このことはみんなにも言わない」
不意を衝かれて動揺する私に、清水先輩はくすくすと笑う。根掘り葉掘り訊ねられては困ったけど、そこはやはり大人な清水先輩は、問い詰めることもなくここだけの話にしてくれようとしている。前々から思っていることだけど、清水先輩は本当に人間ができている。容姿だけじゃなくて性格も清らかなのだから、田中くんたちが憧れの対象にしてしまうのも止む無しといったところだ。
「その人が東京へ来るのは、もう決まってるの?」
「は、はい」
「じゃあやっぱり行かなきゃ。後悔しないために」
ね、と頭を傾げた先輩に「はい」と答えた。
稲荷崎や、誰も居ない朝の教室にはもうどうしたって戻れないから、前に進んで会いに行くしかない。