コートでのボールの出し方。時間の計り方。ルールを知るのはひとまず後回しにして、まずはできることから増やしていく。
バレーというのは、六人と六人が一つのボールを追って戦うゲーム。試合では一球しか使用しなくても、練習では何十個ものボールが必要になり、そのボールを拾うのも私たちの仕事。
ボールが手や床に当たるたびに大きな音がして、最初は響くたびに心臓が跳ねたけど、徐々に体は慣れた。今日も元気がいいなと、適しているか分からない感想が出るくらい、ビクついたりしなくなった。
バレーに詳しい人ならボールの音一つで調子の良さ悪さの判別がつくのかもしれないけど、知らない単語をメモ帳にいくつも書き連ねるほどバレーを知らなかった私には、音がよく響くことしか理解できない。
「マネの仕事はどう?」
練習の休憩中、首にタオルをかけた縁下くんが声をかけてきた。バレーは動いて止まって跳んで、動いて止まって跳んでを繰り返すので、五分と経たずにみんな汗を掻く。床に落ちた汗を拭くのもマネの役目で、拭くタイミングを窺うのがまた難しい。
「清水先輩が丁寧に教えてくれるし、仁花ちゃんも一緒だし、問題ないよ」
「問題ない、か」
入部して二日目だけど、今のところ困ったことは何もない。
運動部だから厳しい体育会系のイメージがあったけど、三年の先輩たちは年上であることを笠に着て偉そうになんてしない。
逆に一年や二年の部員は体育会系のいいところが表に出ていて、雑用しかできないマネの私にも礼儀を払ってくれる。
何より、同じくマネ初心者の仁花ちゃんの存在が大きい。一人だったら抱えたままの不安も心配事も、二人だから重たい荷物にならずに済んでいる。
「問題ないってことは、それなりに楽しいってことでいいのかな」
「え?」
「勧誘した者としては、やっぱりそこは気になるからさ」
縁下くんが訊きたかったことは、もちろんマネの仕事で困っていないかという意味も含まれていただろうけれど、バレー部に入って悔いたりつまらなかったりしていないか、という確認がしたかったのだ。
「楽しいよ。部活入るの久々だし」
楽しいか楽しくないかと問われたら、今のところ楽しい方だと思う。
あんなに高くジャンプしてボールを打つ姿は、自分には到底できないことだから純粋にすごいなぁとときめく。清水先輩や仁花ちゃんとの、ただの友達とは違う距離感でのお喋りも楽しい。だから楽しい。
「ならいいんだ」と言った縁下くんの背後から、妙な視線を感じる。縁下くんの肩越しにある二対の瞳はまっすぐ私を見ていて、ぎょっとして体が跳ねた。
「関西弁を喋らない関西女子……さながらメロンが入ってないメロンパン……!」
「おおっ! もしくは、熱くないのにホットケーキ……!」
「なるほど! さすがノヤっさん!」
「ホットケーキは冷めてもホットケーキだろ」
縁下くんが振り返り、男子二人にツッコミを入れる。二年生の坊主頭の田中くんと、バレー部で一番小さい西谷くん。清水先輩に心酔しているらしく、潔子さん潔子さんと私たちとは別に意味で付いて回っている。
『田中』という名字は多いけど、今までに会ったのは『田中さん』で『田中くん』はいなかった。一年生の山口くんも同じで、『山口先輩』はいたけど『山口くん』はいなかったので、今のところ名前で呼んでいるバレー部員は仁花ちゃんだけだ。
「残念ながら関西人じゃないんだよ。あっちには三年しか住んでないし」
情報を正しておこうと伝えると、田中くんと西谷くんは「なに!?」と声を揃えて目を見開いた。勢いに圧されて肩が跳ねる。
「関西人じゃないのか?」
「うん。だから全然喋れないんだ」
「三年住んでても喋れないもんなんだな」
「そういうものなんです」
西谷くんと田中くんそれぞれに頷き返したところで、キャプテンと話し込んでいた烏養コーチが二人を呼んだ。駆け寄っていく凸凹の背と、その先を見てハッと思い出した。
「あ、そういえばあっちで部活入ってたんだ」
「え? 何部?」
「関西弁部」
言うと、縁下くんは目をしばたたかせる。
「部員は私一人で、コーチも一人だけの、関西弁を教えてもらう部」
「それって同好会じゃないの」
「学校に認可されてないし、同好会でもないね」
「ははっ、なんだそりゃ」
部活でもなければ、正式な同好会でもない。私と宮くんが勝手に作って勝手に入っていた、日直の日だけ活動するでたらめな部活。
休憩時間が終わり、部員みんなが練習に戻っていく。みんなが居た場所は、汗やドリンクから落ちた水滴が残っているので、すぐに拭くようにしている。
頭を傾げ床の表面をチェックし、湿り気が残っていないことを確認する。水滴が残っていると足を滑らせて怪我に繋がるから、床を拭くのも大事な作業だと清水先輩から言われている。
清水先輩はやり方だけでなく『なぜやるのか』もしっかり教えてくれるから、作業を面倒に思ったことはない。私たちがやることは、全部必要なことだ。
手が空いたので、体育館の端に転がったままのボールを拾っていく。持てる数に限度があるので、何度も何度も往復する。
単純作業を続けていると頭は空っぽになって、空っぽになると私はいつも稲荷崎でのことを思い出す。
関西弁部の話をしたから、朝の教室の情景が頭に広がった。私と宮くん以外の誰も知らない部活は、誰にもその存在を知られることなく、シャボン玉みたいにフッと消えた。
「廃部になってしもたなぁ……」
「えっ!? な、何ですか? 私、何かご迷惑を!?」
「あ、ごめん。なんでもないよ。独り言」
ボールをカゴに戻すところでこぼした呟きを、ちょうど仁花ちゃんに聞かれた。完全には聞き取れなかったようで、自分に何か言ったのと動揺する仁花ちゃんへ手を振って誤魔化し、残っているボールの下へ走る。
今の私はバレー部だ。転がっているたくさんのボールを拾わないと。ヘタクソな関西弁を投げたって、ここでは誰も拾ってくれないんだ。