流水落花 | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



 物心つく前より兆しが見え、自我がはっきりと芽生えた頃には、戦は日常だった。
 どこかの部隊が全滅し、どこかの部隊が戦果を挙げる。
 負傷し戦場から退く者がいる一方で、幼くして中忍に上げられ駆ける者もいる。
 トウリにとって、平和は字面とその意味しか分からない。産まれてこの方、平和だと思える時代は一切経験した覚えがない。

 それでも、二転三転していた戦況は木ノ葉を後押しする形で進んでいき、ようやく終戦を迎えた。



 三代目が此度の戦争の責任を取るべく、その座を退く。
 後任の四代目には何人か声が上がったが、就任が決まったのは波風ミナトという、トウリにとっては名前だけは聞いた覚えのある男性だった。
 新たな四代目に、トウリの父は憤った。

「なぜフガク様ではないのだ。千手や猿飛が座して、なぜうちはは火影になれぬ!」

 一族の現在の族長はうちはフガクという。
 年賀の挨拶に何度か家を訪ねたことがあるが、口は常に引き結ばれ、相好を崩したことはない。父とはまた違う緊張感を強いてくる面差しと雰囲気が恐ろしかった。
 不機嫌な父のそばにはいない方がいい。長年の経験から、トウリはそっと家を出た。あとで何か言われたなら、一人で鍛錬をしていましたとでも言えば、父の口から文句は出ないだろう。
 外へ出たはいいが、行くあてはない。
 何かしら面白いものが見つかるかもしれないと大通りへ足を踏み入れれば、活気づいた人々が行き交っていた。
 戦の影響は深く残っているが、終わりの見えなかった戦争に終止符が打たれたことで、里の住人たちは明るい未来に目を向けることができるようになった。
 次の火影が里内外で名の知れた若者であったこともまた、力強く伸びていく青い新芽を予感させ、期待を満たした。
 これがうちはの族長であったらどうだったろうか。
 フガクも波風ミナトと同様、二つ名を持つほどに力のある人だ。同じように里を明るくしたかもしれない。
 しかし現状、四代目は波風ミナトだ。
 決まってしまったことに、いつまでも噛みついていてどうなるのかと、トウリは声を荒げる父を冷ややかな目で見てしまう。
 父のことを考えると気が滅入る。他のことに頭を使うべく、本屋を覗こうと店を目指すと、入り口近くのある本が並んだ平台の前に、見知った後ろ姿を見つけた。

「コカゲ」

 立っていたのは、ほかでもないチームメイトのコカゲだった。
 声をかけたその細い肩が跳ねて、おそるおそる振り向く。ケイセツに切れと何度も注意されたが、頑なに短くすることを拒んだ重たげな前髪。
 トウリだと分かると、すぐに顔を横へと逸らした。

「コカゲも、買い物?」

 同じ班に属す二人は、今日は任務がない。自由な身で店の多い通りにおり、本屋の前で積まれた本を見ているということは、買い物だろうと考えるのは当然だ。
 顔見知りであれば特に不自然ではなく、チームメイトであるならば尚のこと、トウリの問いかけはおかしなものではなかったが、コカゲはすぐに返事はしなかった。

「……うん」

 たっぷりの間を置き、コカゲが絞り出したのは短い肯定だけ。
 決してこちらを見ない姿勢は、会話どころか顔も合せたくないという拒絶の表れを感じ取り、トウリも口を噤んだ。

「……じゃ、また、ね」
「……また」

 控えめな挨拶をすると、コカゲはやっと言葉を返し、本を買わずにそそくさと走り去って行く。
 コカゲとトウリが班を組んで、そろそろ一年になる。
 上司のケイセツやメイロとはすっかり馴染み、仮に二人きりで居ても息が詰まることはない。
 しかしコカゲとだけは、いまだに距離は縮まっていない。
 任務中はなんとか連携が取れているが、打ち解けた会話ができた試しがない。
 共に卒業した同期だが、一番距離がある。年齢など関係ないと言えばそうだが、同じ年頃のメイロとはすぐに親しくなれた。
 他人と比べてどうなるだろう。コカゲにはコカゲとのペースがある。それに彼はトウリだけでなく、メイロともケイセツとも距離を取っている。
 今はまだ、いい。戦争も終わり、危険な任務は減った。
 辞書でしか知らなかった『平和』が目の前にあるのだ。今このときばかりは、考えることは止めようと、トウリは本屋に入る。

「あれ。トウリ!」

 入ってすぐに名を呼ばれる。誰だと確認すると、アカデミーで初めてできた友人のキンセが笑顔で手を振っていた。

「キンセ! 久しぶり!」
「ホント! 忍具屋で会ったとき以来ね」

 思いもよらない再会にトウリは浮かれた。二人は本屋の隅に行き、互いの近況を話し合った。
 キンセは、一足先に卒業したトウリを追う形で、半年後にアカデミーを卒業した。
 顔を合わせることはあるものの、アカデミーでのように毎日とはいかず、忍具屋で二ヶ月前に会ったのが直近だった。
 共に幼くして下忍になった貴重な友人。会える頻度は少ないものの、情報交換はもちろん、新米下忍ならではの愚痴や悩みを打ち明けられる貴重な相手。トウリにとってキンセは、単なる友人ではなかった。

「今日は任務はないの?」
「あるんだけど、あと少ししたら集合で、それまで時間があったから、暇つぶしに」

 本屋に居た理由をこっそりと伝えられ、トウリは少しがっかりした。

「そっか。せっかく会えたし、キンセと遊びたかったけど……」
「あ、でもちょっとなら時間あるから、甘いもの食べに行かない?」

 キンセの誘いにトウリは二つ返事で了承した。すぐに本屋を出て、近くにあった甘味処に入る。
 トウリは冷やしぜんざいを、キンセはあんみつを注文し、匙を口へ運ぶ合間にお喋りを楽しんで、二人の口は休まることがなかった。
 戦争が続いていたときには、上がる話題は戦況のこと、任務のことばかりだった。
 平和条約が締結され落ち着いた今は、日常に転がる些細な気づきや驚きにも目を向けることができ、近々開店予定の新しい茶店に二人で行こうと約束もした。ぜんざいやあんみつの器が空になる頃には、約束は四つにも増えていた。

「それじゃあ、もう行くね」
「うん。気をつけて」

 時間が来てしまい、任務へ向かうキンセを見送った。
 再び一人になったトウリは、一通り店を冷やかしたところで、そろそろ父の機嫌もよくなっているだろうと希望を抱き、家へ戻ることにした。
 空の真中にあった陽は西へ傾き、その姿は見えないが、昼間の熱を引きずるように空は朱に染まっている。
 自宅へ続く道は、進むほどに人が減っていく。この道を使うのは、この周囲に自宅がある者くらいだ。
 ふと、前方を歩く少年に目が奪われる。黒い癖毛。一族の者がよく袖を通す、高い襟の服。赤いうちはの紋。

「し、シスイ!」

 突然現れたシスイの名を呼ぶと声が裏返った。シスイは足を止め振り返り、トウリだと気づくと薄く笑む。

「トウリ」

 名を呼ばれ、トウリは駆けた。とにかく急いだせいで小石に足を取られたが、転ぶことなく走り着いた。

「シスイ! シスイ!」
「ははっ、久しぶりだな」

 喜色満面で抱きついてきたトウリを、シスイは両腕を伸ばししっかり受け止めた。

「やっと会えた」

 ずっと会いたかった。抱えていた思いを伝えるよう、トウリはシスイの首に腕を回してぎゅっと力を入れる。シスイも応えるように小さな背に手を回した。
 シスイにくっついてしばらく。ある程度気が済んだトウリはそっと力を抜き、シスイと距離を取る。
 顔を合わせるのはほぼ一年ぶりだったが、シスイの顔つきは大きくは変わっていない。鼻先が少し丸みを持つところも、長い睫毛も、記憶の中のシスイと同じだ。

「トウリも下忍になったんだよな。遅くなったけど、卒業おめでとう」

 シスイが口を開く。伝えたかったことをその口が発し、トウリは驚いた。 

「知ってたの?」
「うちはの女の子が飛び級で卒業して下忍になったってのは聞いてたからさ。名前を聞いたらトウリだって言うから。お前、頑張ったなぁ」

 温かな手がトウリの頭を撫でる。シスイの手だと、トウリは嬉しくてたまらなくなり、つい口元が緩んでしまう。

「シスイも」
「ん?」
「いろんな任務にたくさん出てるって」
「ああ、まあな」

 シスイの活躍は色んな場で耳にする。同じうちはだからと、皆がトウリの前で話題するため、自然とシスイの話は集まってくる。

「トウリ、今の班はどうだ? 仲間とやれてるか?」

 シスイの質問に、トウリは先ほど顔を合わせたコカゲの顔を思い出した。
 噤んでばかりの口。合わせようとしない目。コカゲは全身で人を拒絶している。

「やれてると、思う。その……仲良くなってない人もいるけど。でも、ちょっとずつ、仲良くなっていこうと思ってるの」

 コカゲにも問題があるのはたしかだ。しかし、いずれ今の班以外の仲間とも任務で組むことがある。どんな相手とでもうまくやっていかねばならないとケイセツからも言われている。
 ならば泣き言や文句はもうしばらく堪えよう。心から打ち解けられなくとも、互いにとってちょうどいい距離を探せばいい。
 トウリの言葉に、シスイは「偉いぞ」と褒めた。シスイに褒められたことが単純に嬉しく、同時に後ろめたさを抱えていることを思い出した。

「あの、ね」

 ぼそぼそと、ほとんどはげた木にたった一枚残った葉のように頼りなく、トウリは呼びかける。
 貰ったおはじきは父に砕かれ、母によって処分された。怪我をすると危ないからと欠片を拾うこともできず、無理矢理に寝かせられて、朝起きたら庭には硝子の粒すら落ちていなかった。
 貰い物を砕かれ捨てられた。おはじきを守れなかったことを謝りたかったが、いざシスイを目の前にそのときが来ると気持ちは萎んだ。
 もしシスイに嫌われたら。せっかくあげたおはじきを大事にしなかった自分を、シスイが幻滅したら。

「なんでもない……」

 シスイの反応を考えると恐ろしくて、トウリは黙ることを選んだ。

「シスイ、元気? タクマさんも」

 何の話なのかと追及される前に、誤魔化すべく当たり障りない話題を振った。
 シスイの友人のタクマとは、一度会ってから顔を合わせてはいない。あれから数年も経つので、タクマもシスイのように立派な下忍になっているだろう。
 その場しのぎで、返ってくる答えも分かりきった質問ではあったが、シスイは一向に応えない。

「シスイ?」

 呼ぶが、その両目はただ一点を見つめ、唇は次第にわなわなと震えだした。

「悪い……ちょっと……」

 手で口元を覆い、シスイが目を伏せる。呼吸は次第に大げさなものになり、長い睫毛の縁から、涙がぽろぽろと零れ落ちていく。

「ごめ……ごめんな……」

 シスイは謝った。丸めた背中や肩はふいごのように動き、嗚咽は徐々に激しいものとなる。
 道端で、岩のように丸くなったシスイの体を、トウリは腕を精一杯伸ばして包んだ。先ほど自分を抱きとめてくれたように、情を注いだ。

「大丈夫よ」

 癖のある黒髪に指を通し、そっと撫でる。

「大丈夫」

 繰り返すと、シスイの両腕がトウリの背に回り抱き込んだ。
 泣く声は一層大きくなり、縋るシスイの力も強くなる。
 何が大丈夫なのかはトウリ本人にも分からない。しかしどういう言葉をかければいいのかも分からない。
 ただ、自分はシスイのそばに居るのだからと思いを込めて、安心させる以外にやれることはなかった。
 シスイは涙に濡れた謝罪を続ける。喉から絞り出す声は悲痛そのものだ。
 謝罪は、いきなり泣き出した自分に驚くトウリに向けてだろうか。いいや、きっと、そうではないのだろうと、トウリは思う。
 シスイのように泣く人を見たことがある。仲間を喪った男性が、がなる獣のように泣いていて、その声は恐ろしかったが、同時にとても胸が痛くなった。
 戦争はもう終わった。里は平和になった。誰も死なないはずだった。
 けれどシスイの親友は死んでしまった。トウリにはそれしか分からなかった。



07 彼が泣いた日

20201027
(Privatter@20201019)


|