流水落花 | ナノ
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 退屈な警務部隊での任務も、しばらく勤めれば多少悪くないと思えてきた。
 正規部隊と違い勤務日が事前に確定しており、休日が安定して得られることは利点だ。
 その休みの日。トウリは購入したばかりの大福の袋を大事に抱え、家へ帰っていた。
 先日に会った、シスイの連れの男性が言っていた『美味しい大福を売っている店』というのが気になり、覚えていた店の名を頼りに見つけ、つぶあんとこしあんをそれぞれ二個買った。自分の分とシスイの分だ。
 うちはのほとんどが警務部隊に転属になったが、里からの要望でシスイは正規部隊に籍を置いたままだ。
 手放すのが惜しいと思わせるシスイの有能さが誇らしいが、シスイも警務部隊に転属できたなら、会える機会は増えたかもしれないと考えると、残念な気もした。
 シスイの分は、家を訪ね家族に預ける形で渡す気でいる。シスイが今何をしているのか分からない以上、一日を賭しても会える可能性は低く、生ものであることを考えれば家人に頼むのが一番いい。

「晴れてよかった」

 昨日まで三日ほど、空には濃く薄く雨雲が広がり続け、しばらく太陽の顔を見ることができなかった。
 ようやく重たい腰をどけた雲の切れ端から陽が差して、濡れていた屋根や草木、地面はすっかり乾いている。
 久々の清々しい空気を長く感じたい。少しだけ遠回りをしようと、川沿いの道を選んで、うちは地区へ向けて進んでいく。
 鼻歌でも響かせてしまいそうな陽気なトウリの前方に、川べりに座る少年の影があった。
 長い髪は首の後ろで束ねられ、毛先は真っ直ぐに下へ落ちている。一本の尻尾のような髪の下には団扇の紋。
――イタチだ。
 集落の外でイタチを見かけるのは珍しい。彼が地区内にいないときは任務か、どこかの森で鍛錬に勤しんでいるかで、ああやって時間を無為に過ごす姿は初めて見た。
 足を止め、たっぷり逡巡したあと、トウリの爪先がイタチの方へと進路を取る。

「こ……こんにちは」

 勇気を出して声をかけると、イタチは間を置くことなく振り返った。
 額当てをしていない顔は普段よりずっと幼く見えるが、目頭から伸びる窪みがそれを打ち消し、逆にずっと年嵩のような錯覚を起こす。
 イタチのまるまるとした黒い目は、トウリをじっと見つめる。自分のことを忘れているのかもしれないと焦るが、聡明なイタチが何度か会ったうちはの顔を忘れることはないと思う。

「大福、一緒に食べない?」

 紙袋を見せて問うが、イタチの表情は変わらない。
 考えが読めず、トウリの心臓は早鐘を打ち続ける。

「美味しいって聞いたから、おやつにしようと思って買いに行ったの」

 言葉を足すが、黒い瞳は揺らぎもしない。不快だという反応すら見せないイタチを前にして、トウリは今すぐに去ってしまいたかった。

「いいのか?」

 ようやくイタチが口を開き、強烈な安堵に肩の力が抜ける。
 頭を何度か縦に振って、イタチに倣いその隣に腰を下ろした。人一人が座れるか否かの隙間を埋める度胸はまだない。

「あのね、つぶあんとこしあんがあるの。イタチはどっちがいい?」

 袋の口を開けながら訊ねる。つぶあんの包みには天辺に丸印が印字され、こしあんとの区別がすぐにつく。

「どちらでも」

 遠慮しているのか、中身の違いなどどうでもいいのか。シスイと違ってイタチの内心など分かりかねるトウリは困った。

「でも……選んでいいのなら、つぶあんがいい」

 惑うトウリに気づいたのか、イタチは控えめにつぶあんを望んだ。
 イタチからの言葉以上に、つぶあんを選んだことにトウリの顔が明るくなる。

「イタチも、こしあんよりつぶあん派?」
「どちらかと言えば」

 そっけないと取られかねない口調だったが、今のトウリには気にならなかった。

「私もね、つぶあん派。一緒だね」

 新たな共通点を見つけ、トウリは笑った。間に立ちはだかる見えない壁が、半分ほど崩れたような気がして、袋から大福を取り出す手の動きも軽やかだ。
 「はい」とトウリが大福を差し出すと、イタチは小さな手で受け取る。どれだけ彼が優れた忍であろうと、体格差はどうしようもなく、トウリはイタチがますます身近な少年に思えてきた。
 自分の分も取って、透明の包みを解く。白粉のごとく薄くまぶされた打ち粉が、さり、と指の腹と擦れる。

「嫌われていると思った」
「え?」
「オレはあなたに、嫌われていると思っていた」

 まだ封を解かない大福に目を落としたまま、イタチが言う。頬張ろうとしたトウリの口は閉じた。
 なんと返すかと迷う心が、餅のやわらかさに縋るように、指先の力を強くする。

「嫌いじゃないよ。ただ……私はイタチみたいに立派な忍じゃないから、近くに居て惨めな気持ちになりたくなくて、イタチを避けてたの」

 心のうちをイタチに見せることに、抵抗がなかったとはいえない。自分に非があるのだから余計に。
 けれど、『分からない』という空洞が、どれほど居心地悪く頭の隅に残るのか知っているからこそ、彼に伝えるべきだとトウリなりに勇気を出し告白した。

「それは、嫌いとはどう違うんだ?」
「ええ? うーん……嫌いじゃなくて…………苦手、かな?」

 イタチを憎んだり恨む気持ちはなく、嫌いではない。彼が傷ついたり不幸になることは望まない。
 自分の感情の出所を探り、強いて言えば『苦手』が一番近かった。

「シスイが、イタチは甘い物が好きなんだって教えてくれたの。イタチも私と一緒なんだなって思ったら、ちょっと、話してみたくなって」

 自分とはまったく違う生き物だと思っていた。
 同じ氏のもとに名を連ねているのに、同じ黒い髪の毛一本まで、彼と自分は違う。
 彼を構成する細胞すべてが百点を取っていて、あまりの出来のよさに、イタチがまだ十にも達していない子だということに目を向けられなくなっていた。
 それをシスイが気づかせてくれた。うちはイタチという少年は、想像よりずっと親しみやすいのだと。

「私、イタチと話したことなんてほとんどないのに、イタチのこと全部知ったつもりになって避けてたんだ。ごめんなさい」

 想像で計り、遠ざけられたイタチの気持ちなど考えず、自尊心を削られぬために動いた自分の情けなさに自然と頭が下がる。

「自ら気づいて、逃げずに相手へ謝罪できるあなたを、オレは立派だと思います」

 イタチは言い終えると、大福の包みに手をかける。カサカサとかたい音が、川のせせらぎを裂くように響いたのち、小さな口が大福に歯を立てる。
 謝罪は受け入れてもらえたようで、トウリはほっとした。そんな風に返せるイタチの方が、やはり自分より立派だと改めて思う。
 遅れて、トウリも大福にかぶりつく。滑らかで伸びのある餅と、ほどよく粒の残った餡を含むと、先ほどのイタチの言葉も相まって、たまらなく気分が高揚する。
 一口目を咀嚼し終わったあと、トウリは唇の周りについた粉を指で軽く落とした。

「シスイに『これからのうちははどうすればいいか』って訊ねられて、『平和な未来を繋いでいくことを考えるべきだ』と、イタチは言っていたでしょう」

 話を振られたイタチは、二口目を食べるのを一旦止めて「ああ」と短く答える。

「私、イタチのその考えは正しいと思う。里や里の人たちを恨んで、怒りだけをぶつければ、その分だけ憎しみが返ってくる。そんなことを繰り返すのは絶対によくない」

 会合での大人たちの里への激情は、幾度となく見ていても慣れることはない。
 胃の中に毬栗でも詰め込まれたように痛くて、安心して吸える空気がほとんどない、手を伸ばした先すらよく見えないほど薄暗い社殿。
 また近いうちにあの場に足を踏み入れることを考えるだけで、腹がきゅうっと痛む。

「私たちは木ノ葉の里に住んで、暮らしてる。この里に住まうみんなと真に仲間にならないと、いずれうちはは、誰一人いなくなってしまう」

 人は一人では生きてはいけぬ。
 食卓に上がる豊かな献立も、里の商店から買い付けなければ成り立たない。
 扱いやすい忍具も、体の線が美しく浮かび上がる服も、雨に濡れる心配をせずに済む家も。今食べている大福すらも、うちはでない者が作って売ってくれるから味わうことができた。
 無論、土地に留まらず社会に身を置かなければ、そういった繋がりに恒久さを求めずとも生きていけるが、里に腰を据えて暮らしていくのであれば、不要な軋轢を生まぬ意識を持たねばならない。

「だけど、思うだけで、言えない。私の父様はうちはが一等大事だから、こんなこと言ったら……」

 こんな大それたこと、イタチに言えても、父を始めとした大人たちの前で口にすることはできない。父が自分に向ける目を眇めただけで、身が竦んで喉が締まる。

「前に、シスイが言っていた。オレがまだアカデミーにいた頃に」

 半分ほど食べた大福を持ったまま、イタチは川の向こうを見ている。過去の記憶に思いを馳せるかのような仕草に、トウリは邪魔をしないように黙した。

「自分の思うままに振る舞うことができない女の子がいる、と。その子が自分の親や、周りの大人の押し付けに潰され口を噤むことなく、自由に生きられるようにしたい、そのためにも一族の意識を変えなければならない、と」

 イタチの黒い瞳が、川からトウリへとゆっくり移る。

「あなたに初めて会ったとき、オレはその女の子があなただと、すぐに分かった。シスイがあなたを見る目は優しいから」

 自分の知らぬシスイの言葉を語られ驚くと同時に、それは本当に自分のことを指しているのだろうかと疑ったが、思い当たることはあった。
 イタチに出会う前、『これからのうちははどうあるべきか』とシスイに問われた。そのときトウリは、つたなくはあったが自分の考えを打ち明けたが、誰にも言えないとも続けた。
 あのとき、トウリはシスイに失望されたとばかり思っていた。共に並んで立つ気概のない自分を見限って、そしてそのあとすぐに、揺るがない信念を持つイタチを見つけ、最良の友にしたのだと。
 そうではないのだろうか。シスイは、あのときの自分を見捨てないでくれているのだろうか。

「シスイにとってオレは、共通する目的を持つ同士だ。そしてあなたはシスイにとって、うちはの在り方を変えてあげたいと願うほど、大事な人なんだと思う」

 トウリの双眸に涙の膜が張られていく。
 自分の、ろくな計画も立てられぬつたない願いでも、シスイはがっかりしなかった。トウリの気持ちも汲んで、枷が多いトウリの世界を変えようとしてくれているのなら。
 目の縁にぷっくりと珠が浮き上がるが、年下のイタチを前に零すのはさすがに恥ずかしく、服の袖口を当てて一段濃い染みとして拭った。

「そうだったら、嬉しいな……」

 そうだったら。本当にそうだったらいいと思う。
 シスイにとって大事な一人であるのなら、トウリは何も怖くない気がした。
 鼻をすんすんと数度鳴らしてから、大福の残りに口をつける。イタチも大福を食べ進める。
 目の前で流れる水音や、時折伸びる小鳥のさえずりだけが、二人の間で響いた。
 食べ終わると、途端に手持無沙汰になる。大福はもう二つあるが、思いのほか餡がどっしりとしていたので、小腹は十分に膨れている。

「これ、家で食べて」

 紙袋の口を折って留め、イタチに突き出す。ガサガサとした硬質な音と共に、中の饅頭が重たく揺れる。

「いいのか?」

 イタチは手は伸ばしはしないものの袋に注いだ目を丸くし、トウリに確認する。

「シスイにあげる分だったけど……いいの」

 中身はこしあん派であるシスイのために買った大福だが、どちらでも構わないと言ったのならばイタチも食べられるはず。
 元々、シスイの手に渡るのがいつか不明でもあった。傷んで食べられなくなるより、今ここで彼に渡してしまうのもいいと思う。

「ここね、お店で食べることができるの。今度、シスイと三人で行こう」

 自分とシスイと、それからイタチ。三人揃って店に行き、椅子に座ってのんびり大福を食べる。
 シスイもイタチも、正規部隊での任務に忙しい身と分かっていたが、果たせない夢ではないはず。明日や明後日は無理でも、きっといつか。

「……ああ。ありがとう」

 イタチは礼を述べ、袋を受け取った。そのときばかりはさすがのイタチも、年相応の少年に見えた。



14 ほころぶ時を知る

20201027
(Privatter@20201019)


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